軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一回講義『逃走と悲鳴』

翌朝、俺とロウェナは並んで玄関を出た。

ロウェナは真新しい革の鞄を背負い、俺はいつもの剣を腰に吊るしている。

「いってらっしゃい。お二人とも、気をつけて」

クリスがエプロン姿で見送ってくれた。

まるでどこにでもある一般家庭?の朝の風景だ。

「ああ。そっちも戸締まりは頼んだぞ」

「いってきます!」

石畳の道を二人で歩く。

朝の光が建物の影を長く伸ばし、通りには開店準備をする商店主や、市場へ向かう主婦たちの姿が見える。

「えど、きょうからせんせい?」

ロウェナが俺の顔を見上げて尋ねた。

「ああ。……まあ、柄じゃないがな」

「えどならだいじょうぶだよ! つよいもん!」

「強さと教える上手さは別物だ。……ま、お前も学校で喧嘩するなよ」

大通りの交差点で、俺たちは別れた。

ロウェナは学校へ、俺は職場――冒険者ギルドの訓練場へ。

魔境への旅立ちではなく、完全に「通勤」の気分だ。

俺は少し肩を回し、あくびを噛み殺しながら歩を進めた。

ギルド併設の屋外訓練場には、すでに二十名ほどの新人冒険者が集まっていた。

装備だけは一丁前に揃えた者や、見るからに夢と希望に燃えている若者たちだ。ランクはEからDといったところか。

「おい、聞いたか? 今日の教官、あの『早足』らしいぜ」

「オルトロスを一瞬で狩ったっていう、噂のAランクか?」

「すげぇ剣技を教えてもらえるかもな!」

俺が近づくと、そんなヒソヒソ話が聞こえてきた。

期待に目を輝かせている彼らには悪いが、俺が教えるのはそんな華やかなもんじゃない。

「……時間だな」

俺は鐘の音が鳴ると同時に、彼らの前に立った。

「今日から臨時で教官を務める、エドウィンだ」

ざわめきが収まり、全員の視線が俺に集中する。

「座学は嫌いだ。挨拶もそこそこに、すぐに体を動かすぞ」

俺の言葉に、新人たちが一斉に武器に手をかけた。

やる気だけは十分だ。

だが、俺はそれを手で制した。

「武器はいらん。……全員、荷物を背負ったまま、あの木の根元からここまで全力で走れ」

「は……?」

先頭にいた少年が呆けた声を上げた。

「聞こえなかったか? 走れと言ったんだ。……行けっ!」

俺が手を叩くと、彼らは戸惑いながらも走り出した。

ガチャガチャと装備が鳴り、重そうなリュックが揺れる。

「遅い! もっと足を上げろ!」

「次は荷物を捨てて走れ! 判断が遅い奴は置いていくぞ!」

「大声で『助けてくれ!』と叫びながら走れ! 声が小さい!」

ひたすら走らせ、叫ばせ、荷物を捨てさせる。

三十分も経つ頃には、訓練場は荒い息遣いと不満の空気で充満していた。

「……ふざけんな!」

ついに、一人の若者が立ち止まり、地面に剣を叩きつけた。

体格が良く、リーダー格らしき少年だ。

「俺たちは剣術を習いに来たんです! こんな臆病者の訓練、やってられるか!」

その言葉を皮切りに、周囲の生徒たちも口々に叫び始めた。

「そうだ! 金返せ!」

「Aランクって言っても、大したことないんじゃないか?」

「俺たちは魔物を倒したいんだ!」

俺は腕を組んだまま、冷めた目で彼らを見回した。

予想通りの反応だ。

「……なるほど。剣術が見たいか」

俺は静かに歩み寄り、抗議した若者の前に立った。

「いいだろう。……お前、名前は?」

「ガイルだ!」

「よし、ガイル。俺は剣を抜かない。お前は本気で俺を殺すつもりで掛かってこい」

「なっ……馬鹿にしてんのか!?」

「してないさ。……来いよ」

俺が手招きすると、ガイルは顔を真っ赤にして剣を構えた。

模範的な構えだ。道場か何かで習ったのだろう。

「うおおおおッ!」

雄叫びと共に、大振りの斬撃が迫る。

速いが、殺意が丸見えだ。

俺は半歩だけ横に動き、その剣を躱した。

「――ッ!」

ガイルが勢い余って前のめりになった瞬間。

俺は足元の砂を、爪先で思い切り蹴り上げた。

バサッ!

「ぐわっ!? め、目が……!」

視界を奪われ、怯むガイル。

俺はその無防備な脛を、硬い革靴の底で容赦なく踏みつけた。

ゴキッ。

「ぎゃっ!」

悲鳴を上げてバランスを崩したガイルの胸倉を掴み、俺はそのまま足を払って地面に叩きつけた。

ドサァッ!

砂煙が舞う。

俺は倒れたガイルの上に馬乗りになり、拳を振り上げた――寸前で止めた。

シン……と、訓練場が静まり返る。

剣など一度も振っていない。

だが、圧倒的な経験値の差を見せつけられ、新人たちは息を呑んでいた。

「……ゴブリンは『始め』なんて言ってくれない。狼は『一対一』で戦ってくれない」

俺はガイルの胸倉を放し、立ち上がって泥を払った。

「お前らが憧れてる英雄ごっこがしたいなら、劇団にでも入れ。俺が教えるのは、泥水をすすってでも明日生きて帰るための技術だ」

俺は凍りついている新人たちを見回した。

「荷物を捨てる判断の遅さが死を招く。声の小ささが救助を遠ざける。……それが分かった奴だけ、明日も来い」

数秒の沈黙の後。

パラパラと、数名の生徒が逃げるように去っていった。

だが、残った半数以上の目は、先ほどまでの侮蔑の色ではなく、真剣なものに変わっていた。

「……くそっ」

地面に這いつくばっていたガイルが、悔しそうに拳で土を叩いた。

そしてよろりと立ち上がると、充血した目で俺を睨み――深く頭を下げた。

「……明日も、お願いします」

その言葉に、他の生徒たちも慌てて姿勢を正した。

「……ふん。勝手にしろ」

カーン、カーン……。

夕方の鐘が鳴り響く。

「よし、時間だ。解散」

俺は鐘が鳴ると同時に指導を切り上げた。

泥だらけになった生徒たちが、疲労困憊の様子で座り込むのを尻目に、俺はさっさと出口へと向かう。

「お疲れ様でした! 教官!」

背後から飛んできた声に、俺は片手を上げて応えた。

家に帰り着くと、美味しい匂いが漂っていた。

玄関を開ける。

「ただいま」

「おかえりなさい、師匠!」

「おかえりー! えど!」

クリスとロウェナが出迎えてくれる。

この瞬間が、一番ホッとする。

「初仕事、どうでしたか?」

クリスが冷えたエールの入ったジョッキを渡してくれた。

俺はそれを一気に煽り、プハッと息を吐いた。

「……まあ、悪くない。見込みのある奴も数人はいたさ」

脳裏に、泥まみれになりながら頭を下げたあの若者の顔が浮かぶ。

かつての衛兵時代の部下たちを思い出し、俺は少しだけ口元を緩めた。

「そっちはどうだった?」

「ロウェナちゃんが学校での出来事をたくさん話してくれましたよ。ね?」

「うん! きょうね、算術の授業ですごいって褒められたの!」

「へえ、そりゃすごいな」

俺はロウェナの頭を撫でながら、空になったジョッキをテーブルに置いた。

教官としての仕事も、悪くない。

この平穏な日常を守るための金が稼げるなら、多少の説教くらいはしてやろう。

俺は二度目の乾杯の代わりに、夕食のシチューへと手を伸ばした。