作品タイトル不明
轍の歌と、夕暮れの巨影
学術都市ソフィアを後にした俺たちは、東へと向かう乗合馬車に揺られていた。
ガタゴト、ガタゴト。
車輪が刻む単調なリズムが、心地よい眠気を誘う。
「……うぅ」
向かいの席では、ロウェナが船を漕いでいた。
膝の上には、昨日意気込んで買ったばかりの分厚い本、『世界伝承紀行』が広げられている。
最初の数ページを必死に目で追っていたようだが、馬車の揺れと難解な文章の二重攻撃に、あえなく撃沈したらしい。
「無理すんな。焦らなくても、本は逃げやしないさ」
俺は彼女の手からそっと本を取り上げ、鞄にしまった。
ロウェナは安心したのか、そのままコクリと俺の膝に頭を預けて寝息を立て始めた。
「熱心ですね、ロウェナちゃん」
隣に座るクリスが、窓の外を眺めながら微笑んだ。
「ああ。だが見てるこっちが酔いそうだ」
俺は苦笑して、窓枠に肘をついた。
流れる景色は、ソフィア周辺の乾いた岩肌から、徐々に緑豊かな色彩へと変わりつつある。
「……懐かしい風景ですね」
クリスが目を細めて呟いた。
「そうだな」
俺もまた、同じ感慨を抱いていた。
この道を通るのは二度目だ。
あの時も、俺たちはこうして三人で旅をしていた。
ただ、あの頃はまだパーティとしてどこかぎこちなかった気がする。
クリスはもっと堅苦しかったし、ロウェナも今よりずっと小さくて、俺の後ろに隠れてばかりだった。
「あの頃に比べれば、少しはマシなパーティになったか?」
「ふふ、どうでしょう。騒がしさは増した気がしますけどね」
「違いねぇ」
俺たちは顔を見合わせ、静かに笑った。
風に乗って、干し草と土、そして微かな家畜の匂いが漂ってきた。
◇
日が傾き、空が茜色に染まり始めた頃。
馬車は、大きな街の手前にある中継地点『馬車駅』に到着した。
他の乗客たちは、ここからさらに馬車を乗り継ぐか、近くの宿場町へ向かう準備をしている。
「よし、俺たちはここで降りるぞ」
俺は荷物を担ぎ上げた。
「へ? ここでおしまい?」
目を覚ましたロウェナが、眠眼を擦りながら周囲を見回す。
周りには何もない。
ただの街道と、休憩所があるだけだ。
「お客さん、ここでいいのかい? 次の街まではまだ距離があるぜ?」
御者が不思議そうに声をかけてきたが、俺は手を振って断った。
「ああ、構わない。ここからは歩きたいんだ。ちょいと野暮用でな」
俺たちは馬車を見送り、整備された石畳の街道を外れた。
目指すのは、牧草地帯へと続く細い土道だ。
◇
ザッ、ザッ。
土を踏みしめる音が、夕暮れの静寂に響く。
道の両脇には木の柵が続き、その向こうには広大な牧草地が広がっている。
遠くから、「メェー」「モォー」という家畜たちののどかな鳴き声が聞こえてきた。
「えど、どこにいくの? しりあいのおうち?」
ロウェナが俺の手を握りながら尋ねる。
「ああ。以前、この辺りを通った時に立ち寄った場所だ。……俺たち三人でな」
「え? そうだったっけ……?」
ロウェナは首を傾げている。
あの時は色々と騒動があって慌ただしかったし、幼い彼女の記憶からは景色が抜け落ちているのかもしれない。
「まあ、行けば思い出すさ。インパクトのある連中だったからな」
クリスも楽しげに歩を進める。
やがて、丘を一つ越えた先に、一軒の大きな牧場が見えてきた。
赤い屋根の母屋と、大きな納屋。
そして綺麗に整備された柵。
敷地内では、数人の作業員たちが忙しなく働いているのが見える。
牧草を運んだり、家畜を小屋へ入れたり、夕方の作業に追われているようだ。
一見すれば、どこにでもある平和な牧場の風景。
だが。
その作業員たちの中に、明らかに縮尺のおかしい影が混ざっていた。
「……あ!」
ロウェナが足を止め、指差した。
人間たちが一束ずつ運んでいる牧草ロールを、その「影」は二つも三つもまとめて抱え上げている。
遠目から見てもわかる丸太のように太い腕。
周囲の人間より頭二つ分は大きい巨体。
それでいて、周りの人間たちは誰も驚かず、当たり前のようにその巨体と並んで歩き、言葉を交わしている。
「……だれ?」
ロウェナがビクッとして、俺の背中に隠れた。
日常風景に溶け込んでいるとはいえ、その異形なシルエットには本能的な恐怖を感じたのだろう。
まだ記憶とは結びついていないようだ。
だが、俺は歩みを止めなかった。
むしろ、口元に笑みを浮かべて近づいていく。
「よう。精が出るな」
俺は牧柵に手をかけ、その巨影に向かって声をかけた。
「随分と、板についてるじゃないか」
その声に、巨影が動きを止めた。
ゆっくりと、ズシンという地響きがしそうな動作で、こちらを振り返る。
夕日を背に浮かび上がったその顔が、ニカッと笑った――ように見えた。