軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

白亜の巨塔と、光の都の裏通り

川を渡り、再び整備された王道に戻ってから数日が過ぎた。

緩やかな丘陵地帯を越えた先で、視界が一気に開けた。

時刻は夕暮れ。

沈みゆく太陽が、地平線を黄金色に染め上げる中、その巨大なシルエットは浮かび上がっていた。

「……おおきい」

ロウェナがぽかんと口を開け、足を止める。

彼女の視線の先には、左右の視界を埋め尽くすほどの長大な白い城壁が鎮座していた。

地方都市の防壁とは桁が違う。

見上げるような高さの壁が、大地を拒絶するように続いている。

そして、その中心。

何重もの壁の奥に、天を突き刺すようにそびえ立つ白亜の巨塔があった。

夕日を反射し、神々しいまでの輝きを放つその姿は、人の手による建造物というよりは、一種の自然災害めいた圧倒的な質量を感じさせた。

「あれが……王城……」

クリスもまた、息を呑んで立ち尽くしている。

だが、ロウェナのような純粋な驚きとは違っていた。

彼は城壁の頂を見上げ、一つ大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

その瞳に宿るのは、何かと対峙するような、静かで重い光。

腹を括った男の顔だ。

「ああ。久しぶりに見ると、首が痛くなる高さだな」

俺は目を細め、溜息を吐いた。

この国の心臓。

権力と欲望、そして数多の人間が渦巻く場所。

王都『ルメリア』。

俺たちの長い旅の、大きな経由地であり、一つの節目となる場所だ。

「行くぞ。日が暮れる前に入っちまおう」

俺たちは王都の西門へと向かった。

本来ならば、この時間は入国審査待ちの馬車や旅人で長蛇の列ができているはずだ。

だが、巨大なアーチ状の門の前は、拍子抜けするほど閑散としていた。

「……空いていますね」

「はっ、あの高い渡し船代、無駄じゃなかったな」

俺はニヤリと笑った。

西の街道の橋が落ちているため、商隊や旅人の大半は未だに対岸で足止めを食らっているのだ。

あの「渡し守」を使った物好きは、俺たちを含めてごく少数だろう。

「川の一件以外は、平和な道中だったな」

「そうですね。王都に近づくにつれて、警邏の兵士も増えていましたし」

ここ数日は魔物どころか盗賊の気配すら感じなかった。

さすがは国の中枢、治安維持のレベルが段違いだ。

衛兵たちも手持ち無沙汰に欠伸を噛み殺していたが、俺たちが近づくと、形式的に槍を交差させた。

「止まれ。身分証の提示を」

俺は懐から冒険者カードを取り出し、愛想よく差し出した。

「カレドヴルフから来ました。長期の依頼を終えたんで、しばらく王都で骨休めをと」

「ほう、あの鉄の街からか。……荷物は?」

「見ての通り、着替えと野営道具くらいです」

衛兵は俺たちの薄汚れた旅装と、しかし手入れされた装備を一瞥し、すぐに興味を失ったように道を開けた。

「よし、通れ。……ああ、それとな」

槍を引いた衛兵が、思い出したように付け加えた。

「近々、大きな催し物がある。街中もピリピリしてるから、余計な騒ぎは起こすなよ?」

「催し物?」

「『建国祭』だよ。地方じゃ知らねぇかもしれんが、今年は盛大にやるらしい。……ま、羽目を外しすぎるなよ」

「ええ、肝に銘じますよ」

建国祭か。

道中で聞いたことがあるな、と思い返しながら、俺たちは巨大な門をくぐった。

一歩中へ入ると、そこには別世界が広がっていた。

真っ直ぐに伸びるメインストリート。

その幅は馬車が四台並んで通れるほど広く、地面には隙間なく石畳が敷き詰められている。

その石畳が、夕日を受けてキラキラと眩い光を放っていた。

「わぁ……! みち、きらきらしてる!」

ロウェナが目を輝かせ、地面を覗き込む。

昔、来た時には気がつけなかった、俺の脳裏に、ふと古い記憶が蘇った。

孤児院の小さな部屋。憧れだったあの人が語ってくれた、お伽噺のような言葉。

――『石畳の道にすら宝石が埋め込まれているんじゃないかと思うくらい、光が溢れていてね』

代官騎士様。

あなたの言っていたことは、嘘じゃなかったよ。

「……本当に、宝石みたいですね」

クリスも眩しそうに目を細めている。

「ありゃあ 白雲石(ドロマイト) だ。磨くと光る性質がある」

俺は足元の輝きを爪先で小突いた。

「だが、ただ石を敷いただけじゃこうはならない。毎日毎日、清掃員たちが塵一つ残さず磨き上げてるから、こうして光を反射するんだ」

宝石が埋まっているわけじゃない。

ここにあるのは、この巨大な都市の威容を保つために流された、名もなき労働者たちの汗の結晶だ。

俺は少しだけセンチメンタルになりかけた思考を振り払い、歩き出した。

カツ、カツ、カツ。

整備された石畳の上で、『青剛鉄の脛当て』が軽快な音を立てる。

土や泥の上とは違う、硬質で澄んだ音。

足への反動は柔らかく吸収され、まるで高級な絨毯の上を歩いているかのような快適さだ。

「師匠、あちらが中心街では?」

クリスが、より一層輝きの強い、貴族たちの屋敷が立ち並ぶ区画を指差した。

俺は首を横に振った。

「あっちはカレドヴルフの高級宿より高いぞ。それに、俺たちの行く場所じゃない」

「あてはあるんですか?」

「……たぶんな。昔、何度か来た時に使っていた宿があるんだ」

俺は記憶の糸を手繰り寄せながら、大通りから一本外れた脇道へと入っていった。

そこは、表通りの洗練された空気とは違う、生活の熱気と匂いが充満する下町エリアだ。

路地裏からは煮炊きする匂いが漂い、軒先には洗濯物がはためき、職人たちの怒鳴り声や子供の笑い声が反響している。

記憶の中の風景と、変わった部分、変わらない部分が入り混じる。

「……確か、この角を曲がって……」

少々の不安を抱えながら路地を曲がると、そこには見覚えのある看板があった。

だらしなく大口を開けた猪の絵。

随分と塗装が剥げているが、間違いなくあの店だ。

定食屋兼宿屋、『大猪のあくび亭』。

扉を開けると、ムッとするような熱気と料理の匂いが押し寄せてきた。

「いらっしゃい! 空いてる席へ……おや?」

カウンターの中にいた禿頭の店主が、俺の顔を見て目を丸くした。

「……見覚えのあるツラだと思ったら。あんた……!」

店主が俺の名を呼ぼうとした瞬間、俺は人差し指を唇に当てて制した。

店主は瞬時に状況を察し、ニヤリと笑って声を潜めた。

「……なるほど。で、今回はなんて名乗るんだ?」

俺は少し考え、適当な名を口にした。

「ストラーノだ」

そして、後ろの二人を親指で指し示す。

「こっちの小さいのがリベルタ。こっちがバナーレだ」

「ちょっ、師匠……?」

何か言いたげに口を開いたクリスの肩を、俺はポンと叩いて黙らせた。

店主はブッと噴き出し、腹を抱えて笑った。

「くくっ、 奇妙(ストラーノ) に 自由(リベルタ) 、それに 平凡(バナーレ) ! 面白い名だ、気に入ったよ!」

店主は笑いながらも、帳簿にその名を書き込んだ。

「三人だな? 一番静かな角部屋を空けてやるよ」

どうやら、話は通じたらしい。

部屋に入り、荷物を置いたところで、クリスが待ちきれない様子で尋ねてきた。

「師匠、なんで偽名なんて……。それに『バナーレ』って、あんまりな意味じゃありませんか?」

「いいかクリス、よく聞け」

俺は人差し指を立てた。

「橋での一件を忘れたわけじゃないだろ? オーランド家とかいう貴族が、目の色を変えて『槍使い』を探してる。本名で宿帳を書けば、足がつく可能性がある」

「あ……」

クリスがハッとした顔をする。

「それに、王都には色々な人間がいる。本名を晒して歩くより、偽名の方が何かと都合がいいんだ」

俺はロウェナに向き直り、目線を合わせた。

「いいか、ロウェナ。この街にいる間、お前は『リベルタ』だ。誰かに名前を聞かれたら、そう答えるんだぞ」

「りべるた……」

ロウェナは不思議そうに首を傾げ、それからにっこりと笑った。

「わかった! りべるた、かっこいい!」

「よし、いい子だ」

俺は満足して立ち上がった。

「さあ、飯だ。この宿の名物を食いに行くぞ」

一階の酒場で運ばれてきたのは、この店の名物「牛頰肉の黒ビール煮込み」だ。

大皿に盛られた赤黒い肉塊からは、濃厚な湯気が立ち上っている。

「いただきます!」

クリスがナイフを入れる。肉は抵抗なくほろりと崩れた。

口に運んだ瞬間、彼の目が大きく見開かれる。

「……美味い! 泥だらけになった甲斐がありました……」

「んぐ、んぐ……おいしい。おにく、とける」

ロウェナもソースで口の周りを汚しながら、夢中で頬張っている。

ビールの苦味と肉の脂が溶け合い、疲れた体に染み渡っていく。

俺もエールで喉を潤し、安堵の息を吐いた。

川での逃避行、泥の中の戦闘、そして長い旅路。

それらが全て、この一口で報われる気がした。

食後、俺は部屋に戻り、窓を開けた。

眼下には、無数の明かりが瞬く王都の夜景が広がっている。

眠らない街。

ここには、数多の冒険者、貴族、商人、そして欲望が渦巻いている。

俺にとってはただの通過点であり、たまの遊び場だった街。

だが、クリスにとってはまた違う意味を持つ場所なのだろう。

「さて……」

俺は夜風に吹かれながら、呟いた。

「明日はギルドへ行って、この街の『相場』を確認するか。……物価も高いし、上手く考えていかないとな」

白亜の巨塔は、夜の闇に溶け込みながらも、変わらぬ威圧感で街を見下ろしていた。