軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

停滞の河原と、泥中の矜持

王道を進んだ先で、俺たちは人の壁にぶつかった。

物理的な壁ではない。

街道を埋め尽くす、数百人規模の馬車と人の群れだ。

「……噂通りだな。こりゃ酷い」

俺は少し高い岩場に登り、前方の様子を眺めて溜息をついた。

眼下を流れるのは、大陸西部を縦断する大河ヴェルム。

本来なら対岸へと架かっているはずの巨大な石橋は、無残にも中央から崩落し、濁った激流の中に没していた。

川の両岸では復旧作業が行われているようだが、増水した水流に阻まれ、遅々として進んでいない。

結果、足止めを食らった商隊、旅人、冒険者たちが川の手前に溢れかえり、そこはさながら「即席のテント村」と化していた。

「一週間待ちってのも、大袈裟じゃなさそうですね……」

クリスがげんなりとした顔で呟く。

「ま、焦っても橋は架からんさ。長期戦だ。場所取りをするぞ」

俺たちは人混みを掻き分け、テントを張れる場所を探した。

だが、めぼしい平地は既に先客で埋まっている。

「あ、師匠。あそこの川沿いはどうですか? 少しスペースが空いています」

クリスが指差したのは、川岸に近い開けた場所だった。

増水しているとはいえ、水面からは十分に離れており、危険というほどではない。

一見すれば、水汲みにも便利な特等席に見える。

「やめておけ」

俺は即座に止めた。

「地面を見てみろ。水気を含んで色が濃い。雨が降ればすぐにぬかるむぞ。それに……」

俺が言いかけた時だった。

「おい、其処な!」

威圧的な声と共に、昨日俺たちを追い抜いていった豪華な馬車が乗り込んできた。

護衛騎士たちが慣れた手つきで周囲を威圧し、クリスが目をつけたその場所を確保し始める。

「この場所は我が主、オーランド伯爵家の野営地とする! 庶民どもは近づくでない!」

「……ほらな。面倒なのが来ただろ?」

俺は肩をすくめた。

結局、俺たちは少し離れた場所に陣取る中規模の商隊に交渉を持ちかけた。

「冒険者だ。夜番を手伝う代わりに、荷車の脇にテントを張らせてくれないか?」

商隊の主人は、俺たちの身なりと腰の剣を一瞥し、「腕は立つんだろうな?」と渋りながらも承諾してくれた。

日が落ち、辺りが闇に包まれ始めると、テントの設営を終えた俺は、バラムに貰った『夜光石のランタン』を取り出した。

吊るした瞬間、ガラスの中で石が反応し、淡く澄んだ青白い光が周囲を照らし出す。

「ほう! こいつは立派な夜光石だな」

商隊の主人が、荷車の陰から顔を出し、感心したように目を細めた。

「これだけの輝き、安物じゃあない。油の匂いがしねぇのもありがたいね」

「カレドヴルフの街で、世話になった職人に貰ってな。旅には便利だ」

「へぇ……職人からの贈り物か。こりゃ失礼した。あんたら、ただのゴロツキ冒険者じゃなさそうだ」

主人はニヤリと笑い、差し入れの干し肉を置いていった。

どうやら、少しは信用してくれたらしい。

ランタンの静かな光の下、俺たちは遅い夕食を摂ることにした。

ふと見ると、クリスがフードを目深に被り、さらに布を口元まで引き上げて顔を隠していた。

その視線は、川沿いに陣取ったオーランド伯爵家の天幕に向けられている。

天幕には『剣と百合』をあしらった紋章が掲げられていた。

「……知り合いか?」

俺が小声で尋ねると、クリスはフードの下で苦い顔をした。

「……いえ。ですが、以前ああいう手合いに酷い対応をされまして。関わりたくないんです」

クリスはそれ以上語ろうとしなかったが、単なる苦手意識以上の嫌悪感が滲み出ていた。

その時、天幕の方から怒声が聞こえてきた。

「おい商人! 薪を一束、銅貨一枚でよこせ!」

「そ、そんな無茶な! 仕入れ値にもなりません! せめて銀貨一枚で……」

「黙れ! 我々は公務であるぞ! 貴様の荷を軽くしてやると言っているのだ、感謝こそすれ、金を要求するなど言語道断!」

護衛騎士たちが、近くの商人相手に無理難題を押し付けている。

タダではないが、あからさまな買い叩きだ。

拒否すれば公務執行妨害だとでも言い出しかねない剣幕である。

「……あのひとたち、いばりんぼ」

ロウェナが頬を膨らませて睨んでいる。

クリスの拳が、白くなるほど強く握りしめられていた。

「……騎士の風上にも置けない」

正義感の強い彼なら、普段なら飛び出して止めに入るところだ。

だが、今の彼は動けない。

自身の事情と目の前の理不尽の板挟みになり、震える拳を隠すように腕を組んだ。

「……今は我慢だ。ここで騒げば、商隊の主人にも迷惑がかかる」

俺はあえて淡々と告げ、干し肉を齧った。

夜半。

降り出した雨が、川原の土を黒い泥濘へと変えていった頃。

ズズズ……。

増水した川の中から、不気味な音が響き始めた。

「きゃああああ!」

悲鳴が夜気を切り裂く。

川底の泥と流木が凝縮し、人の形を成した魔物――『 泥人形(マッドゴーレム) 』の群れが、這い上がってきたのだ。

真っ先に狙われたのは、川沿いの一等地に陣取っていたオーランド家の野営地だった。

「て、敵襲ーッ!」

煌びやかな鎧を着た護衛騎士たちが、剣を抜いて応戦しようとする。

だが。

「ええい、滑る! 足が……!」

俺が懸念した通り、水を含んだ川沿いの地面は最悪の沼地と化していた。

踏ん張りが利かず、重い鎧に振り回され、無様に転倒する騎士たち。

そこへ、泥人形の重い拳が振り下ろされる。

テントの陰からその様子を見ていたクリスが、腰を浮かせた。

俺は焚き火の始末をしながら、背中に声をかけた。

「手伝うか?」

「……いえ。ちょっと散歩に行くだけです。じっとしてると体が鈍りそうですから」

クリスは布で口元をきつく縛り直し、槍を掴んだ。

俺はその背中に、短くアドバイスを投げた。

「クリス、相手は泥だ。突きは効きづらいぞ」

「え?」

「穴を開けてもすぐに塞がる。……薙ぎ払え。衝撃で形を崩すんだ」

クリスは一瞬目を見開き、それから力強く頷いた。

「はいっ!」

そう言い捨てると、クリスは雨の降る闇の中へと飛び出していった。

「くそっ……!」

泥に足を取られ、尻餅をついた騎士に、泥人形が迫る。

その時、横合いから疾風のような影が割り込んだ。

「下がっていろ、木偶の坊ども!」

クリスは騎士たちの前に割って入ると、泥濘のただ中に仁王立ちした。

足元は踝まで埋まるほどの泥だ。

(……『戦場ってのは、平らな道場じゃねぇ』)

クリスの脳裏に、カレドヴルフの荒地で槍を突きつけられた時の、レイスの言葉が蘇る。

足場が悪ければ、踏ん張りの利かない突きは死に体になる。

だからこそ、クリスは腰を深く落とした。

エドから学んだ重心の安定。

そして、レイスから学んだ「地を掴む」意識。

グッ。

足裏に確かな感触があった。

泥の底にある硬い地盤を、『青剛鉄の脛当て』が逃さず捉えている。

ずっしりとした防具の重みが、浮き上がりそうになる体を地面へと縫い留める「錨」となる。

――いける。

クリスは泥人形に向かって槍を繰り出した。

だが、それはいつもの鋭い刺突ではない。

師匠の言葉が耳に残っている。『薙ぎ払え』。

「ふんっ!」

クリスは槍を大きく旋回させた。

遠心力を乗せた槍の柄が、泥人形の胴体を横から強打する。

バヂィン!!

鈍い衝撃音と共に、泥人形の半身がごっそりと弾け飛んだ。

粘着質な泥の体も、面での打撃には耐えきれず、その形を保てずに崩れ落ちる。

「……効く!」

クリスは手応えを感じ、そのまま流れるような動作で槍を振るった。

石突で顎を跳ね上げ、柄で足を払い、穂先で斬りつける。

それは「点」で穿つ槍ではなく、「線」と「面」で制圧する槍だった。

足元が揺るがないという確信があるからこそ、遠心力を使った大技も繰り出せる。

これまで学んできた技術の数々が、新しい足元という土台を得て、一つに組み上がっていく。

「す、すごい……」

騎士が呆然と見上げる中、クリスは泥飛沫を浴びるのも厭わず、次々と迫る泥人形を粉砕していった。

俺も少し離れた場所から、手近な石を投げて敵の注意を逸らし、こっそりと援護に回る。

十分もしないうちに、群れは泥へと戻り、川へと流されていった。

「き、貴殿は……? その見事な槍捌き、ただの冒険者ではあるまい!」

助けられた騎士隊長らしき男が、立ち上がって声をかける。

だが、クリスは何も答えなかった。

一瞥もくれず、脱兎のごとく闇の中へと走り去る。

「はぁ、はぁ……」

テントに戻ってきたクリスは、頭から足先まで泥まみれだった。

俺は何も聞かず、タオルを放ってやった。

「泥遊びは楽しかったか?」

「……最悪でした」

クリスはタオルで顔を乱暴に拭いながら、それでもどこか晴れやかな顔で自分の足元を見た。

泥に塗れた青剛鉄の脛当てが、ランタンの光を鈍く反射している。

「でも、この足のおかげで、逃げずに済みました」

魔物からも。

そして、目の前の理不尽を見過ごそうとした自分自身の弱さからも。

「そうか。なら、元は取れたな」

翌朝、雨は上がったが、橋の復旧にはまだ時間がかかりそうだった。

オーランド家の騎士たちは、「昨夜の英雄」を探して川原をうろついている。

「……まったく、魔物の次は騎士様のお相手か。勘弁してくれよ」

俺は荷車の陰から、目を皿のようにして周囲を探り回る騎士たちの姿を眺め、やれやれと溜息をついた。

「申し訳ありません……」

クリスが小さくなって謝る。

橋が架かるのが先か、それとも見つかるのが先か。

俺たちの長い「足止め」は、まだしばらく続きそうだった。