軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

灼熱の迷宮と、見下ろす戦場

鉄格子で閉ざされていたその区画へ足を踏み入れた瞬間、全身の毛穴という毛穴から一気に汗が噴き出した。

冷却坑道『第三通風区画』。

本来ならば地下水脈の冷気が流れ込み、大溶鉱炉の熱を冷ますための風の通り道だ。

だが、今のそこは、風の死んだ灼熱の牢獄と化していた。

「……うぐっ」

背後でクリスが呻くように息を吐く。

視界は白い蒸気で覆われ、数メートル先も見通せない。

天井や壁からは、結露した水滴が絶えず滴り落ちてくるが、それらは全て、肌にかかれば火傷しそうなほどの熱湯だった。

呼吸をするたびに、焼けた空気が肺を焦がすような感覚に襲われる。

「ロウェナ、大丈夫か」

俺は足を止め、後ろを歩くロウェナの様子を確認した。

彼女は首に巻いた『冷却布』を握りしめ、顔を赤くしながらも小さく頷いた。

「……ん。あついけど、へいき」

錬金術で冷やされた布のおかげでどうにか保っているが、長居は禁物だ。

「クリス、水筒の水をこまめに飲ませろ。ここじゃ、立ってるだけでも水分を持っていかれる」

「はい……! それにしても、これは……船の厨房で火の前に立っていた時より酷いですね……」

クリスが額の汗を拭いながら、げっそりとした顔で呟く。

「厨房はまだ空気が動くからな。ここは空気が淀んで、熱気が逃げ場を失ってやがる。……行くぞ、さっさと終わらせる」

俺は松明を掲げ、白く煙る闇の奥へと進んだ。

坑道は多少の横道はあるがそれほど入り組んでいるわけではなかった。

しかし自然の洞窟を利用して作られたためか、足場は悪く、天井も低い。

さらに、至る所から突き出した鍾乳石や岩肌が、侵入者を拒むように道を狭めていた。

キィィン……!

蒸気の向こうから、耳障りな羽音が響く。

天井の闇に張り付いていた『ヒートバット』の群れが、生者の熱を感知して襲いかかってきたのだ。

赤熱した体を持つコウモリたちが、焼けた鉄のような牙を剥き出しにして突っ込んでくる。

「来るぞ!」

俺は愛刀を抜き放ち、狭い通路の前に立った。

だが、剣を大きく振るうスペースはない。

左右の壁が迫り、頭上には岩が突き出ている。

下手に刃を振れば、壁に弾かれて隙を晒すだけだ。

俺は剣を体の中心に構え、最小限の動きで迎撃の体勢を取る。

「クリス! やれるか!」

「はいッ!」

俺の背後から、鋭い返事が響いた。

次の瞬間、俺のすぐ横――ほんの数センチの隙間を縫って、黒い閃光が走った。

シュッ!

風切り音と共に、先頭のヒートバットが空中で硬直する。

その体は、正確に心臓を貫かれていた。

クリスの槍だ。

彼は以前のように大きく踏み込むことなく、下半身を沈め、コンパクトな動作だけで槍を突き出していた。

引いて、突く。

引いて、突く。

シュッ、シュッ、ズボォッ!

俺の肩越し、あるいは脇の下。

俺が剣で弾いた敵や、俺を狙って飛びかかってくる敵を、後ろからの刺突が次々と撃ち落としていく。

壁に阻まれることもなく、直線的な軌道で急所を穿つ槍。

この狭く入り組んだ坑道において、それは凶悪なまでの制圧力を持っていた。

「……ふぅ」

最後の二匹を俺が小剣で叩き落とし、戦闘は終了した。

クリスは槍を引き戻し、残心をとる。

その顔には、確かな手応えが浮かんでいた。

「……いけます。この狭さなら、敵が一直線に来る分、狙いやすいです」

「ああ。剣じゃこうはいかなかったな。お前が後ろにいるなら、俺も守りに専念できる」

俺は短く褒め、先に進むよう促した。

老ドワーフの読み通り、槍という武器はクリスに合っているようで、手にしてから僅かな時間ながらも使いこなし始めていた。

魔物を排除しつつ進むこと一時間。

俺たちはようやく、地図に記された「第三通風区画」の最奥部――風の通り道となる合流地点にたどり着いた。

ギルドのマカロフは言っていた。

『何かが詰まっているか、魔物が巣食っている可能性がある』と。

俺たちは身構え、角を曲がり、その空間へと踏み込んだ。

だが。

「…………あ?」

俺は思わず、間の抜けた声を漏らした。

そこには、何もなかった。

崩落した土砂も、魔物の巣も、巨大な障害物もない。

ただ、黒々とした穴が奥へと続いているだけだ。

だが、決定的な違和感がある。

その穴の奥から、風が全く吹いてこないのだ。

「どういうことですか、師匠。道は開いているのに……」

クリスが困惑して穴の中を覗き込む。

俺は壁に手を当て、温度を確かめた。

熱い。

だが、これはここまでの熱気が溜まっているだけだ。

「……俺たちの担当場所は、あくまで『風の出口』の一つに過ぎなかったってことか」

俺は舌打ちした。

ここは原因じゃない。結果だ。

もっと上流――大元の風の通り道で、何かが起きている。

「……あっち」

ロウェナが、不意に壁の一方向を指差した。

汗で濡れた前髪を払いもせず、彼女はその瞳で壁の向こうをじっと見つめている。

「あっちから、すごくあついのが、たくさんくる。……風が、とおせんぼされてる」

彼女の指が示した方角。

俺は懐から地図を取り出し、位置関係を確認した。

「……隣の、『第二通風区画』か」

そこは、別のパーティーが担当しているエリアだ。

本来なら、ここで引き返してギルドに報告するのが筋だろう。

だが、戻るのにまた一時間。

報告して、再編成して……そんなことをしている間に、大溶鉱炉が限界を迎えるかもしれない。

俺は地図上の、細く描かれた線を指でなぞった。

現在地から、隣の区画へと繋がる、点検用の細い連絡通路。

「……行くぞ」

「えっ、戻らないんですか?」

「戻ってる時間が惜しい。それに、ロウェナの勘が正しければ、原因はすぐそこだ」

俺は壁際に隠されていた、鉄格子付きのメンテナンスハッチをこじ開けた。

錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、むっとするような熱風が吹き出してくる。

狭い通路を這うように進むと、熱気はさらにその密度を増していった。

先ほどまでの蒸し暑さとは違う。

肌がチリチリと痛むような、焦げ付くような乾いた熱。

そして、鼻をつく硫黄と、何かが焼ける匂い。

カンッ、キンッ、ドォォン!

遠くから、微かに戦闘の音が聞こえ始めた。

「……誰か、戦っていますね」

クリスが緊張した声で囁く。

俺は無言で頷き、足音を殺して進んだ。

やがて、通路の出口が見えてきた。

そこは、隣の区画にある巨大な空洞の壁面に開いた、床から数メートル高い位置にある通気口だった。

俺たちはその縁に身を伏せ、眼下の光景を見下ろした。

そこは、戦場だった。

広い空洞の中央で、五人の影が躍動している。

俺たちとは違う、別の冒険者パーティーだ。

彼らを取り囲んでいるのは、全身が赤熱した岩のようにゴツゴツとした、『溶岩リザード』の群れ。

さらに、その奥には硬い甲殻を持つ巨大な甲虫型魔物も控えている。

敵の数は多い。ざっと見ても十体以上。

だが、俺の目は、魔物よりもその冒険者たちの動きに釘付けになった。

「……手練れだな」

思わず漏らした感想は、称賛に近いものだった。

魔法使いはいない。

派手な爆発も、光もない。

だが、その連携は芸術的だった。

全身を重厚なプレートメイルで覆った大盾使いが、リザードの突進を正面からガッチリと受け止める。

その衝撃で一歩も下がることなく、盾で敵を押し返した瞬間、その横から長剣使いと槍使いが飛び出し、リザードの脇腹と首を一撃で切り裂いた。

後方には、弓を構えた軽装の男。

彼は矢継ぎ早に矢を放ち、前衛に回り込もうとする敵の目を正確に射抜いて牽制している。

そして、最後尾には、護衛対象であろうドワーフの技師が、彼らに守られながら何かの装置を操作していた。

「すごい……。あれだけの数を相手に、一歩も引いていません」

クリスも感嘆の声を上げる。

彼らはボロボロになるどころか、危なげなく、機械のように正確に敵を処理していた。

既に数体の魔物が足元に転がっているが、彼らの陣形は乱れていない。

「師匠、加勢しますか?」

クリスが槍を構えかけ、俺に問う。

俺は眼下の戦況を冷静に分析した。

敵の数は多いが、彼らは完全に制御している。

むしろ、今俺たちが飛び込めば、彼らの完成された連携を乱してしまう恐れすらあった。

あそこまで統率の取れたプロフェッショナルなら、イレギュラーな介入はかえって邪魔になるかもしれない。

「……いや、待て」

俺はクリスを手で制した。

「邪魔をするのも野暮だ。かなり腕が立つ連中だ、俺たちが出る幕はなさそうだぞ」

俺たちは身を潜め、高所から彼らの勝利を見届けることにした。

と、その時だった。

後方で弓を構えていた男が、戦闘中にもかかわらず、ふと視線を上げた。

薄暗い空洞の上部。

俺たちが潜んでいる、小さな通気口の方へ。

目が合った。

男は流れるような動作で、つがえていた矢の狙いを、眼前の魔物から、遥か頭上の俺たちへと切り替えた。

ヒュンッ!

風を切り裂く音が響き、俺の顔のすぐ横――わずか数センチの岩肌に、矢が深々と突き刺さった。

カアンッ!

乾いた音が、空洞に響き渡る。

「……っ!」

クリスが息を呑み、ロウェナが俺にしがみつく。

それは、誤射ではない。

明確な、そして正確無比な「警告」の一矢だった。

俺は驚きつつも、視線を眼下に戻す。

弓使いの男は、俺と目が合うと、口の端をニヤリと吊り上げた。

そして、片目をつむって見せた。

――ウインクだ。

『見えてるぞ、覗き魔』とでも言いたげな、余裕と愛嬌を含んだ挑発。

敵意はない。だが、侮れない。

灼熱の戦場の只中で、俺はその不敵な挨拶に、思わず苦笑いを浮かべていた。