軽量なろうリーダー

真実の愛に目覚めた婚約者を王国法全書(厚さ15センチ)で殴った結果、最強の傷物侯爵に拾われました

作者: 乃間いち葉

本文

「トチ狂った婚約者を正気にするために善意で殴ったのに、お父様ったらひどいわ。法で殴れっていつも言っていたのに……」

ゴトゴトと険しい道のりを進む馬車の中、揺れに耐えながらもジゼルは呟いた。

「物理で殴る話じゃなかったですよね?」

向かいに座る侍女のメレーヌはずっと機嫌が悪そうだった。それもそのはずだ。実質「島流し」に近いジゼルのお供として侯爵家に行くことになったのだから。

しかも体に傷が多くあり、化け物と呼ばれる侯爵の元に。

「とてつもなく醜いと噂される侯爵と結婚すると言うのに、どうしてそんなに平然としているんです?」

「あの婚約者よりマシか否か考えていたのよ」

ジゼルは馬車の窓枠に肘をついて、景色を見た。

思い出すのは元婚約者の第三王子だ。王宮の中ではとても影が薄い存在で、王太子も決まっている中では権力闘争もない。そのせいでずいぶんとお花畑の頭に育ってしまった。

「あのアホ──ごほん、おバカさんのことは嫌いではなかったわ。やっぱり扱いやすいバカ──ごほん、素直な人だったし、あれだけ欲しがっていた小鳥の世話に飽きて私にぶん投げてきたときは正直嫌な未来を想像したけれど。まあ、オツムが足りな──いえ、少し想像力が足りないところはあったけれど、マヌケ──ええと、可愛げのある人だったもの」

「もう素直にどうしようもないバカって言っていいんですよ、お嬢様……」

「まあでも、『愛する人ができた、お前とは婚約破棄だ!』と言われたらさすがにね。王国法も頭に入ってないとは思ってなかったわ。だから頭に叩き込んであげようと思ったのに……」

「もはやわざと言ってますよね?」

「この王家への忠誠心をわかってもらえなかったなんて、悲しい限りね……」

「反逆レベルのことしてますよね?」

ふう、とジゼルは重苦しいため息をついた。平民と結婚するといきなり言い出した婚約者を目覚めさせてあげようと思ったのにこの仕打ち。あんまりである。

くしゅん、とジゼルはくしゃみをした。だんだんと寒くなっていくにつれて、侯爵領が近づいてくるのがわかる。メレーヌはしっかりとジゼルにローブを着せて、自分も着込み始めた。

ジゼルの父親から名指しで島流し同行を決められたメレーヌにとって、ジゼルは疫病神でしかないだろう。それでも毒舌を吐きながら昔からそばにいてくれる。

「あなたがいてくれて本当に良かったわ」

ジゼルの言葉に、メレーヌは本気で嫌そうな顔をした。こういうときに照れないのも彼女の魅力だ。

「あなたも当主様も、褒めてくるときって大抵無茶振りしてくるので嫌なんですよ……」

「まあ、本気で感謝してると言うのに!」

「ああ嫌だ嫌だ、私はなにもしませんからね!」

メレーヌが自分の腕をさすりながらそう宣言するので、ジゼルはクスリと笑ってしまった。

◇ ◇ ◇

「……あなたがジゼル嬢か。婚姻は五日後だ、簡易的なものになるが了承していただきたい。では」

傷物侯爵、と言われるように、テオドール・ベルレアン侯爵はたしかに顔に深い傷があった。

目が無事なのが奇跡のように、目蓋に引き攣れた傷跡がある。頬にもまた裂傷のような傷跡が残っていて、猛獣と噂する人間が耐えないのも納得できた。

背も高く、がっしりとした体格。それを覆う黒い衣服は肌を見せない作りになっている。おそらくその下にも生傷が多いのだろう。

テオドールは一瞬だけジゼルと視線を合わせると、ふいと目線を外した。明らかに歓迎していないと思わせる仕草だ。

屋敷に入って呆けていたジゼルの横を、テオドールは通り過ぎていく。

が、ジゼルは駆け出してテオドールの革の手袋に覆われた手を握りしめた。テオドールがビクリ、と体を震わせたが、それから眉根を深く寄せた。

「……なにか?」

「私のことはジゼル、と呼んでください。侯爵のことはテオとお呼びしても?」

「……なにが目的だ?」

「いえ、テオがドタイプなのです。お近づきになりたくて」

そう言った途端、屋敷の中がざわついた。近くにいたメレーヌが顔を手で覆っているのが見えるが、こう言ったとき獲物は逃したらいけないと父に教わったのだ。

テオドールが目を見開き、それから不快そうに眇められた。手を振り払われて、手首を反対の手で擦る。

「宰相殿からそういった行動をしろと命令を受けたのか?」

「いえ、私の下心100%です」

「もういい、あなたの部屋は用意してある。案内してやれ」

侯爵の隣で固まっていた執事長は、ハッと我に返り「こちらへ」とジゼルとメレーヌを案内する。ジゼルは名残惜しい顔でテオドールを見つめてから、仕方なく部屋へ赴くことにした。

◇ ◇ ◇

「ああいうのが好みなんですか?」

案内された部屋は侯爵夫人として文句のつけようがないほどに上等な調度品の置かれた部屋で、誰が用意したか知らないが心配りを感じられた。

ジゼルはソファに座り、温かい紅茶を飲んだ。そして、メレーヌの問いに笑う。

「私の初恋の話をしてあげる」

「知ってますよ。当主様のご友人でしょう? 四十も上の」

「そうよ。あの『俺を愛する人なんかいない……』みたいな陰鬱なオーラと傷跡、そしてくたびれた体格の良い男性……。もうね、あのとき性癖が捻れてしまったのよね……」

「業が深い……」

「だからあの方が結婚した時は一晩泣いたわ」

「侯爵──いえ、旦那様は三十でしたよね? お嬢様とは十二歳差ですか?」

「あの方の四十歳から六十歳の姿も隣で見られるのね、やはりお父様の法で殴れって言葉は正しかったんだわ……!!」

「この本で殴ったらお嬢様も正気にならないかな……」

メレーヌはジゼルが実家から持ってきたアーウィンの著書「種の保全」を手にして悩んでいる。進化論で殴られたことはないからよくわからないが、たぶん性癖は正されないとは思う。

「ああ、晩餐でお会いできるのが楽しみだわ……!」

ジゼルは今までに感じたことのないときめきに目を輝かせて、夕暮れが来るのを待つことにした。

◇ ◇ ◇

「──とのことです」

テオドールは影の番──つまりは密偵要員にジゼルと侍従の会話を探るように指示をしたが、まさかこんなにも頭が痛い話を聞くとは思わなかった。

──あの鬼才の策士と呼ばれる宰相の娘だ、さぞ狡猾に育てられたのかと思ったが、杞憂だったのだろうか?

「性癖とはなんだ」

「……変えられない人の業と言いますか……」

途端にもごもごと密偵要員ことブリュノが言葉を濁しはじめたので、テオドールの目は据わってしまった。

「つまりは?」

「俺が貧乳を気にしてる子が好き、みたいな話です……」

「業が深いな……」

領地にある「地獄の底」と名付けられた渓谷レベルで深い業だ。部下の新たな一面を知ってしまい、大変に気まずい。

「……つまり、ジゼル嬢の性癖と俺の見た目が合致すると」

「言いづらいんですけど性癖は裏切らないのでハニートラップの線は薄いかと」

「あの宰相の娘だぞ? 性癖すらトラップの一つかもしれない」

「嫌ですよ性癖をブラフに使う策士」

「とりあえず、晩餐で探ってみるしかないか……」

テオドールは最後の書類に印を押して、立ち上がった。晩餐となるとさらに着替えをしなきゃいけないだろう。

◇ ◇ ◇

ジゼルは晩餐に現れたテオドールを見て、椅子ごと横に倒れるかと思った。黒いラフなシャツと黒のスラックス。そして、先程とは違い、前髪が撫でつけられて現れた額! めまいすらしてくる。実際に一瞬だけ気が遠のいた。

「顔色が悪くないか?」

「いえ、大丈夫です! すみません、あまりにもテオが素敵で……」

熱くなってきた頬に手を添える。こんなことでいちいち動揺するなんて、「鉄仮面」や「氷血の女」などと歌われてきたジゼルの名折れである。本当に恥ずかしくて、頬の熱を覚ますために両手で顔を包んだ。

「……醜いとは思わないのか?」

「え?」

「酷い傷跡だろう。それにこの左手は義手だ」

丁寧に革の手袋を外して、テオドールは義手を見せてくる。黒く染まった左手はたしかに魔導の技術を使った義手だ。

「……生活に支障はないのですか? 幻肢痛は?」

そうジゼルが言えば、やはりテオドールは眉根を寄せた。深く息を吐き、やれやれと首を振る。

「あなたの考えがわからない。宰相が俺を牽制するためにあなたを送ってきたのかと思ったが……」

「違います!!」

たしかに侯爵家は前王を支持していたが、王権が変わるとすんなりと現王権に頭を垂れた。ただ、ベルレアン侯爵は前王権の時代に戦争で大きな活躍をしたために、現在は腫れ物のように扱われていた。

有用な存在だが、王権が変わったとき特に異を唱えずにいたために、今もなお反乱を計画しているのではないかという根拠のない疑いのためだ。

テオドールの疑念は正しい。これは浮かれていたジゼルが全面的に悪いのだ。

「わ、私、初めてなんです! こんなにもドキドキして、冷静になんてなれなくて! 信じてもらえないのはわかります。だって、私もあなたの立場だったら信じないもの……。でも、あの、あなたがさっき現れたとき、血の気が引いて、」

「醜さに驚いて?」

「額が顕わになっていたので、その狭い額に胸がキュンキュンしてできればおでこにチューしたいと思いました!!」

「……」

すごい無言が流れたが、ジゼルだって恥ずかしいながらもすべての欲望を吐き出すしかなかった。信じてもらえないのなら、言葉を尽くすしかないのだ。

「それにその黒いシャツも、ただのシャツなのにそんなにも着こなせるなんて、分厚い体の持ち主であるからこそです! 先程の格好も素敵でしたが、そんなシャツとスラックスだけでこんなにも素敵に見えるなんて、どうしてですか!? もう自分がなにを言ってるかわからないですけど、とにかく好みなんです! ごめんなさい!!」

最後はもう羞恥で涙混じりだった。人生で一番の恥であるが、それでも言わなきゃテオドールには伝わらない。浅ましい考えを口にするのは、こんなにも恥ずかしいなんて知らなかった。

ジゼルは立ち上がって、食堂から飛び出した。無理だ。顔も見れない。こんな状態では食事も喉を通らない。眦から溢れる涙を手で拭いながら、自室へと走った。だが、ジゼルは運動音痴なのだ。見事にべしゃりと転んだ。

カーペットの上で転んだので痛くはない。でも、惨めな気持ちで胸がいっぱいになって、子供の頃みたいに大声で泣きたくなる。故郷にいる母に抱きしめられながら、すべての現実から逃れてしまいたい。

「……ジゼル嬢」

後ろから声をかけられても、ジゼルは振り返ることができなかった。酷い顔だったから。放っておいてほしい、と示すようにジゼルはうつむいた。

ひょい、と持ち上げられて、あっという間に横抱きにされたとき、ジゼルは夢でも見たのかと思った。

そして顔を覗き込まれて、慌てて顔をそむける。手のひらで涙を拭うフリをして、できるだけ顔を隠すようにした。

「疑ってすまなかった」

「……いいえ」とジゼルは短く返した。涙声で震えて響いたそれが、本当に恥ずかしくて仕方がない。

「こっちを向いてくれないか?」

「……ごめんなさい」

「額にキスをしたいのでは?」

そう言われて反射的に顔を見てしまったのがジゼルの失態だ。たぶん「なんてことを!」と反射で言い返しそうになって、顔を向けたのだけれど。

テオドールは柔らかく目を細めていた。それだけで、声すら出なくなる。

真実の愛を見つけた婚約者も、こんな気分だったのかしら。こんなにもすべてを奪われる存在に屈してしまったのかしら。

義手ではない右手が、ジゼルの前髪に触れる。さらりと金髪を避ける仕草な優しい。現れたジゼルの額を見て、彼はまた小さく笑う。

「人のことが言えないぐらいには、あなたも狭い額じゃないか」

乾いた指先が額に触れて。分厚い皮膚が感触を確かめるように額を撫ぜる。

──あ、もう、こんなの、駄目。

それをとどめに、キャパオーバーでジゼルは意識を失った。

◇ ◇ ◇

ジゼルは眼前に並べられた朝食を見て、眉を釣り上げた。その表情の変化に気づいたテオドールはなぜか焦りだした。

「嫌いなものでも?」

「朝から肉。昨日の夜も肉でしたよね? お野菜が足りません」

そう言うと、テオドールが気まずそうな顔をしている。なので、ジゼルはすべてを察した。

「嫌いなのですか?」

「……いや、食べ慣れないだけで嫌いでは……」

「そういうのを嫌いと言うのです。昼食のメニューは私に決めさせてください。でないと昨日のように気を失うまで泣きます」

「……わかった」とテオドールは苦々しい顔で了承する。ジゼルが昨日気を失ったのを、泣き疲れたのだと理解したのだろう。

実際はテオドールの仕草に脳みそがいっぱいになって、強制的に意識が落ちただけなのだが。ジゼルはメレーヌに冷やされた目蓋を気にしながらも、温かいスープに手を付けた。

向かいのテオドールは心なしかシュン、としている。お野菜が嫌いな猛獣。それだけで笑ってしまいそうになった。

「テオ、私、あなたが大好きみたいです」

カチャン、とテオドールの持つスプーンが床に落ちた。でも、ジゼルは気にしない。これはジゼルの宣戦布告なのだ。

「あなたが自分を醜いと言うたび、私はその言葉を否定します。魅力的だと、あなたが生き延びた証だと、今あなたが私のそばにいてくれるのが嬉しい、と。あなたがあなたを否定するたびに、私はあなたを肯定します」

口がさない言葉は、いくら強靭な人間であろうと簡単に心に傷をつけていく。だからこそ、ジゼルは彼の隣でその傷に消毒液をぶっかけていく所存だ。

「だから、お野菜を食べて最低七十年は生きてもらわけなければいけません。あなたが『この義手も傷もかっこいいだろう?』と言うのを聞き届けねば、私だって死にきれません。だから、わかりましたか?」

テオドールは義手で顔を覆っている。耳が赤いのに気づいて、ジゼルの頬もポッと熱を持った。ただただ照れる時間が続いたあと、ジゼルは何事もなかったように「ほら、冷めないうちにいただきましょう?」と言って誤魔化した。

◇ ◇ ◇

結婚式が三日後に迫っているが、ジゼルは重要なことに気づいた。

この人、セルフケアが全然なってない!!

手はガサガサ、髪も適当に流してるだけ、たまに爪の端が欠けているし、目の上の傷が引き攣れて痛そうにもしている。だからジゼルは夜にテオドールの部屋に突入することにした。ケアセットを一式持ってだ。

テオドールはジゼルが突入してきた途端、顔を困惑に染め上げた。そしてジゼルの手の中にある化粧水や乳液や保湿クリームを見て、さらに顔をしかめる。

「いくら簡素な結婚式でも、一大行事です! きちんとそのガサガサのお手手もお顔もお手入れしなければなりません!」

「いや、そのベタベタするのが苦手なのだ……」

「そう思ってテクスチャの違うものをいくつか用意しましたわ! さあ、観念してくださいませ」

「てくすちゃあ?」

可愛い。慣れない言葉を繰り返す婚約者はとても可愛い。

煩悩を脳内で王国法全書でぶん殴ってから、ジゼルはベッドの縁に座る。左隣をポンポンと叩いて座るように促した。テオドールは重そうに体を動かして、隣に座った。それだけでベッドが深く沈むのだから、ジゼルは驚いた。

テオドールは風呂上がりでバスローブを見に包んでいるだけだ。あまりにも刺激が強すぎて直視できないので、ジゼルはテオドールの右手だけを見つめて手に取った。

皮膚のかさつきの度合いを指先で確かめると、「ゴホンッ」と咳払いが隣から聞こえた。だが無視する。ささくれはもちろん、ひび割れもしていた。

保湿クリームの中から一つを選び、テオドールの手に塗りたくる。そのたびになぜか隣のテオドールがぷるぷると乙女のように震え出すので不思議だ。

「どうですか? あまりベタベタしないのを選びましたが」

「……そ、そうだな。たしかにサラサラしていてあまり気にならない」

「よかったです。次はお顔ですわ」

ジゼルは近くにあった椅子を引きずって、テオドールの前に置いてから座る。そしてコットンに化粧水を吸わせて、テオドールの頬を片手で包んで、目を丸くする彼の顔にペタペタと塗布する。やはり乾燥が酷いので、乳液と保湿クリームも必要だろう。

「目蓋の傷に引き攣れなどはありますか?」

「……あるが、もう慣れた」

テオドールの視線が明後日を向きながらもそう返すので、ジゼルは本当に無頓着なこの男を叱りたくなった。なので無言でペタペタとコットンをあらゆる場所に押し付けてから、今度は乳液を手に取った。

とろりとなめらかなそれを今度は手のひらで入念に刷り込むと、「近い!」とテオドールが仰け反った。なので、ジゼルは「当たり前です!」とさらに前のめりになる。

「お手入れをサボるからいけないのです! 傷の引き攣れも保湿が重要なのですよ!」

「わかった、わかったから手入れの方法だけ教えてくれ!」

「本当に毎日やってくれますか?」

「やる!」

その言葉にジゼルは身を引いて、テオドールの右手に残った乳液をこすりつけた。先程のガサつきがなりを潜め、だいぶ触れやすい肌質になっている。

「ちゃんとゆっくりと顔に刷り込むのですよ。適当に手早くやってはいけません」

「わかっている」

ムッとする顔も可愛く見えてきた。もうダメかもしれない、とジゼルは自分の脳に絶望した。

「結婚式では家臣のみ参加になるだろうが、あなたを良く思わない者も多いだろう」

ジゼルが打ちひしがれて無言だったせいだろうか、テオドールが珍しく話しかけてきた。

「どういうことですか?」

「王権に圧力を受けている状況をよく思ってない家臣もいるのだ。だからこそ、跡継ぎのいない俺を狙って後釜につこうとしていた人間も多い」

「となると、結婚が決まって彼らは大慌てですわね」

「あなたには信頼できる護衛をつけるが、式までは気を抜かないでくれ」

「わかりました。ではクリームの付け方を教えて差し上げます」

「まだ塗りたくるのか!?」

テオドールが絶望したように叫ぶので、ジゼルはにっこりと笑って「勿論ですわ」と断言した。

◇ ◇ ◇

さて、結婚式二日前、テオドールの言う忠誠心のない家臣はさぞ焦っていることだろう。跡継ぎがいなかったから今までターゲットは一人だけだったというのに、結婚相手と最悪跡継ぎまで増える可能性がある。となると、慌てて動き出すのは今だろう。

ジゼルは「ガサ入れですわ!」とテオドールに頼んで家の帳簿と、領地の税収の記録も確認した。五年分まで遡って見ていたので、目がチカチカする。

温めたタオルをミレーヌが目に当ててくれたとき、屋敷の侍女が「傍系のオーブリー様と商人の方がいらっしゃいました」と教えてくれた。

ミレーヌが「先約もしないで勝手なことを」と憤っているが、ジゼルはニコッと笑って「勿論、お通しして」と応接室へと案内するように支持する。

ジゼルも応接室へと向かうと、家臣であり傍系のオーブリーと、商人が立ち上がって挨拶をしてくる。

「侯爵家の奥方になられる尊い方へご挨拶申し上げます」

「お会いできて光栄です。結婚式を控えているために、ぜひ祝いの品をプレゼントしたく馳せ参じました」

オーブリーは四十代の優しげな男性に見えたが、目の奥は笑っていなかった。

「まあ、ありがとう。あなたの気配りに感謝いたします。オーブリー、これからどうぞよろしく頼みますわ」

「ええ、宰相殿のご聡明な息女を家門に迎えられたことを光栄に思います」

それから商人は多くの品を見せてくれた。大粒の宝石がこれでもかと連なるネックレスに、大きな真珠のイヤリング、さらには精緻なデザインのブローチと髪留めまで。つらつらとその来歴を語る商人は手慣れている。

「メレーヌ、あのお菓子は?」

「準備しております」

「あなた、プディングはお好き?」

商人にそう聞くと、彼はにこやかに「勿論、大好きです!」と答える。そしてオーブリーだけが怪訝そうな顔をしていた。

メレーヌがジャムクッキーをお客様に出して、ジゼルもまた自分のクッキーを摘んだ。

「こういう素朴なビスケットが好きなのよ。ご飯もジャケットポテトが好きでね、おかしいでしょう?」

「ジャケットポテトは自分も大好きですよ。ああいった料理は無性に食べたくなるときがあります」

「そうよね」

ジゼルは静かに紅茶を飲み、顔を強張らせているオーブリーを見た。

「それで、オーブリー。わざわざ敵国の商人を連れてきた理由をお聞かせ願えるかしら?」

空気が一瞬で凍りついた。オーブリーがぎこちなく笑い、「何をおっしゃってるやら」とシラを切る。

「デセールをプディング、クッキーをビスケット、さらにベイクドポテトをジャケットポテトと呼ぶのはあの国しかないでしょう? この国の商人なら『それはなんでしょうか?』と聞くもの」

「たったそれだけで私達を疑うのですか?」

オーブリーの問いは正しいが、こちらは証拠を掴んでいる。

「いえ? ただ密入国させたのはまずかったわね。しかも五人も。出身国を偽るのは重罪よ。しかも小競り合いの続く隣国からね」

「証拠のない論争は意味がありませんよ、奥方」

「この商人への確たる証拠はないけれど、あなたが武器を密輸しているのは知っているわ。帳簿の付け方が下手くそね。毎年市場の価値は変わるというのに、小麦を一ベニーから三ベニー上下させるだけ。不作の年はさらにやりすぎたわね。海外から仕入れた、と書いてあるけど、その国もまたその年は凶作よ。たしかに黄金の麦畑、と呼ばれる国であったけどね」

わなわなと体を震わせたオーブリーが立ち上がる。なので、ジゼルもまた立ち上がって、愚か者の末路を見届ける。

「宰相の娘であり帳簿の鬼と恐れられた私にずいぶんとお粗末なものを見せてくれたわね? そして私が敵国の商人を引き込んだという冤罪を吹っ掛けるつもりだったのでしょう?」

「それこそ冤罪です! 私のような忠実な家臣になんたる仕打ち!! この件は厳重に抗議させていただく──ウグッ!!」

「法の前に恥を知りなさい!!」

王国法全書の背で横っ面を殴ると、オーブリーが床に沈んだ。まだ「うう……」と呻いていた。ので、ジゼルは覚えていた一節を唱えた。

「王国法第十五条第六項、国家反逆を企てたものは一族郎党連座で処罰される。また、それに関与したものも同罪である!」

ジゼルは背幅十五センチの本でオーブリーを殴り倒した。追い打ちの脳天打撃である。それを見て商人は震え上がっていたので、ミレーヌに目配せして護衛騎士を呼ぶ。即座に捕まった二人に、ジゼルはいい汗をかいたとばかりに額を拭った。

やりきった顔をしていたジゼルだが、いきなり飛び込んできたテオドールに驚いた。

彼は引きずられていく家臣と商人に目もくれず、膝をついてはジゼルの手を取る。

「怪我は!?」

「ありませんよ?」

「なぜあんな無茶なことを!」

「あっちから仕掛けてきたのです。それに私には強大な武器があるので大丈夫です。父は常々、私に『法で殴れ』と教えてくれました」

ジゼルがテーブルに置いた王国法全書を見つめると、「法はあなたの体を守ってはくれない!」とテオドールは怒鳴った。さすがにジゼルもびっくりする。

「だ、大丈夫です、あれはいい武器なのです。脳天に落としたり、背表紙で横からぶん殴ると効果てきめんです!」

「あの重さじゃあなたの腕を痛めるだろう! こんなことはもうしないでくれ、心臓がいくつあっても足りない……」

そう言われると、ジゼルは何も言えなくなってしまう。ただ、「ごめんなさい、無謀だったみたいですね……」と謝るしかないのだ。

さらには「あなたが無事でよかった」と大きな体にすっぽりと抱きしめられてたので、ジゼルは「味をしめちゃいそうだわ……」と少しだけ思った。

やはり法で殴るのは有用な手段である。

◇ ◇ ◇

さて、結婚式の前日だ。朝から屋敷は騒がしい。簡易的な式だとしても、家臣を呼ぶには体裁を保つ必要がある。なので、ジゼルも家から持ち込んだ花嫁衣装をフィッティングして、直すところがないか侍女たちにチェックをしてもらった。問題はなさそうだ、と聞いて、ホッとする。

しかし、ここで嵐が現れた。

「ジジ!!」

「殿下!?」

元婚約者の第三王子だ。真実の愛に目覚めたのに、なぜかジゼルの部屋へと飛び込んできて目を見開いた。

「ああ、ジジ、とても綺麗だよ……! 僕がどれだけ愚かだったか気づくまでだいぶ君を待たせてしまったね、悪かった……」

ウワッ……という顔をしたメレーヌに「テオを呼んできて」と囁くと、メレーヌは静かに部屋を出ていく。

部屋にはまだ侍女たちが残っており、ウェディングドレスを着たジゼルの前に立ちはだかっているが、王子の不興を買う可能性がある。

「大丈夫よ、扉の前で待っていて」

不安そうにこちらを見つめる彼女たちに小さく笑って、ジゼルは元婚約者に向き直った。

「真実の愛を見つけたと言っておりましたが、どうしてここへ?」

「真実の愛などまやかしだったんだ、あの女は詐欺師だった」

でしょうね、としかジゼルは返せない。明らかにその手の商売の女性だったので、その女性ものぼせ上がった高貴な男に迷惑したことだろう。だからこそ、「このどうしようもないバカ!!」という思いのままに王国法全書でぶん殴ったのだから。

「今なら間に合うよ、ジジもあんな男と結婚するのは嫌だろう?」

「いえ、婚約破棄はすでに成立しております。そしてすでに新たな婚約者も選定されたとお聞きしました。不義の誘いを頷くわけにはいきません」

「君の愛する王国法全書をきちんと読んできたよ。婚約破棄の無効は可能だ。君の過失により婚約破棄となったが、僕が君の過失を『ただの痴話喧嘩』だったと言えば収まるのさ!」

おバカさんなのにきちんと王国法を読んだのか、という驚きよりも、「余計なことを」という気持ちの方が強い。なのでジゼルはニコッと笑った。

「あ、私、真実の愛見つけましたので!」

「まさかあの怪物を愛したのか!?」

「私にとっては怪物ではないので。むしろどストライクど真ん中、法であなたを殴ったことをまったく一ミリも後悔しておりません。やだ、私ったら英断、という気持ちしかないのです」

「あの怪物め、君を洗脳したのか……!」

さらに話が通じなくなっている。ジゼルが殴ったせいだったりするだろうか。まさか法で殴り返される自体になるとは、抜かったとしか言いようがない。

「こんな忌まわしい場所を早く出よう、君の洗脳を解いてやる!」

ジゼルの腕を強く掴んで、第三王子は部屋を出ようとする。あまりの痛さにジゼルは顔を歪めた。

「やめてください!」

「ジジ、君は騙されてるんだ! 可哀想に、僕がすべて助けてあげよう!」

「もう騙されてもいいんです、むしろ騙されたい!!」

「ああ、あんなにも冷静だった君がおかしくなってしまった……!!」

「俺の花嫁に何が御用ですか、殿下」

メレーヌが間に合ったらしい。ジゼルは胸を撫で下ろし、テオドールを見つめる。腕を掴まれたままのジゼルを見て、テオドールは深く眉根を寄せて鋭く王子を睨みつけた。

「……彼女になんて無体を。いくら殿下とはいえ許せません。厳重に抗議いたします」

「ジゼルは僕が連れていく。お前のような醜い男の隣に置いておけるか」

「殿下!!」とジゼルは悲鳴じみた声で叫んだ。

許せない、王国法全書が手にあったらタコ殴りにしてやったのに!!

「殿下とジゼルは婚約破棄をされたはず。一度反故にされた婚約がまた成されるとでも?」

「ジゼルが僕を殴ったから、ジゼルの過失で反故になっただけだ。僕がその蛮行を許せば問題ない!」

「しかし、すでにジゼルは俺の婚約者です。それも破棄できると?」

「ジゼルの意思があれば問題ない! 彼女は嫌々ここに来たのだから!」

「ふむ……」

テオドールが考え込み、ジゼルの胸が嫌な焦燥感に駆られる。

──嫌、嫌よ、テオドールに捨てられるなんて嫌!!

「テオ、嫌、私、あなたの隣に居たい……!」

「ジジ、正気に戻るんだ! クソッ、いったい彼女に何をした侯爵!」

「すみません、彼女の性癖に俺がドンピシャだったらしく……」

「は?」

空気が一瞬で凍りついて、王子が目を剥いて固まっている。

「『俺を愛する人なんかいない……』みたいな陰鬱なオーラと傷跡、そしてくたびれた体格の良い男性がジゼルの好みなのです。偶然俺が合致したため、殿下には申し訳なく思います」

「バカな嘘をつくな!!」

「彼女にはこの目の傷も義手もかっこよく見えるらしく……まさしく俺と出会ってしまったのが彼女の運の尽きでしょう……」

「戯言を……! 黙れ!!」

ついには王子がジゼルを離し、剣を抜いた。

テオドールに向けて駆けていき、その剣を振り下ろす様をジゼルは止められなかった。

しかし。

「おっと手が滑りました、失礼」

テオドールが王国法全書を掴んだ手で、綺麗に王子の脳天をぶん殴ったので、王子は床に沈んでしまった。

カラン、と床に落ちた剣の音が哀れだ。

「ふむ、このことは『義父から法で殴れ』と教わったため、と報告しよう。しかし随分な威力だ。本の縫製がしっかりしているのだな」

「テオ!!」

ジゼルがテオの胸へと飛び込むと、テオは王国法全書を放り出してジゼルを抱きとめた。

ついでに王国法全書はまた綺麗に王子の後頭部に落ちてトドメを刺している。

「あなたが法で殴る姿、惚れ直しましたわ!」

顎を目一杯逸らして、背の高いテオドールの顔を見つめる。そうするとテオドールがジゼルの体を抱き上げて、片腕に乗せてくれた。

その力強さに胸がキュンキュンしてしまう。

「そ、そうか……。ではまた不届な者がいたら王国法全書に頼ることにしよう」

「ああ、どうしましょう、あなたにキスしても? ダメだわ、もうどうしようもなくあなたが好きなの!」

「それは額に?」

「あなたが許してくれるなら!」

「ではこちらに」と唇を寄せられて、ジゼルは柔らかく触れる熱に抗えなかった。

心臓が爆発しそうなのに、テオドールが顔を離して柔らかく微笑むので、今度はジゼルがたまらず頬にキスをした。

「こちらの間違いでは? あなたを好きな男への褒章は?」

そう唇を指して不満げにテオドールが言うので、ジゼルは人生で初めて大輪の花のように笑う。そして言うのだ。

「そちらは結婚式で飽きるほどキスしてさしあげます!」と。