軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

146 ラニアルとエルクド

死亡したイレーネの身体が光に変化し、上に飛ぶ。一瞬だけ立った光の柱が天井をすり抜け、消えた。

血溜まりも何もかも消える。まるで最初からそこに誰もいなかったかのように。

「ラニアル・マドール……!」

レオンハルトの怒声に、ラニアルは不思議そうに首を傾げる。黒い髪がふわりと揺れた。

「えー? どうして怒ってるの?」

心底理解できないとばかりに肩を竦める。

「ここはダンジョンだよ? このあたしが、完全再生魔法をかけてから地上に送ったから、ぜーんぶ元に戻ってるよ。もちろん聖痕もなくなってる。死なないって本当に便利だよね」

明るく笑う。まったく悪びれる様子がない。

「ねえ、どうして死なないと思う?」

「ンなもん、ここがダンジョンの中だからだろーが!」

「うん、半分正解かな」

「……ラニアルさん、どうしてこんなことを」

ラニアルのイレーネの仕打ちはあまりにも惨い。

聖痕を与えて聖女にして、聖遺物を与えて苦しませて、殺して何もかも元に戻してなかったことにして。

あまりにも人を弄んでいるが、イレーネが帰ってこられなくなる前に助けてもいる。手段は手荒だが、理には適っている。

わからないのはラニアルの目的だ。

「んー? そうだね、リゼットには言っちゃおうか。ひとつはイレーネ様の願いを叶えてあげたかったから。イレーネ様の願いは、あたしの実験の目的と通じるところがあったからね。意気投合ってやつ」

「実験とは?」

「あたしの手で女神がつくれるかどうかの実験だよ」

リゼットは今度こそ言葉を失う。

(女神をつくる……?)

会話ができているのに、ラニアルの言っていることがわからない。

神を作り出せるはずがない。

ラニアルは両手を大きく広げる。世界を抱くように。

「あたしはね、世界に新しい女神を献上したいんだ」

声を躍らせ、子どものように無邪気に言う。

「大地の結界を強めるために、新しい女神をつくって、身体を千に引き裂いてバラまきたいんだよ!」

「……滅茶苦茶だ。正気じゃない……」

レオンハルトが呻く。

「いままでいろいろ実験したけどうまくいかなくて。今回も失敗しちゃったし。だからもう、直接リゼットにお願いしようと思って」

「私に?」

「ねえ、リゼット。あたしのためにも、世界のためにも、女神になって世界に溶けてくれない?」

深い森を思わせる緑の眼が、キラキラと輝いている。

ラニアルには、罪悪感も、自分の信念への疑いも、何もない。

まっすぐに、純粋に。自分の夢を語っている。それが良いものだと信じて疑っていない。

「――ラニアル・マドール。君は邪悪だ」

レオンハルトが剣と盾を構える。ラニアルを完全に敵と定めて。

「レオン……」

ラニアルは剣を見ながら、怒ったように頬を膨らませる。

「何言ってるの。ずっとされてきたことだよ?」

「お前こそ何言ってんだ」

ディーに聞き返され、ラニアルはふふんと笑う。

その表情が、無邪気なエルフの少女から、悠久の時を生きる老練な魔術師のものに変わる。

「聖女に女神の聖遺物を取り込ませて、女神化させて、大地に沈める。ずっと繰り返されてきたことだ。そうやって大地の結界は維持されてきたんだよ。今度はリゼットの順番だってことだよ。真の聖女様」

――初めて聞くことだ。

リゼットは到底信じられないが、ラニアルが嘘を言っているようには見えない。少なくともラニアルはそう思っている。心の底から。

「そんな怖い顔しないでよ。あたしは女神に忠実な、信心深いエルフだよ。でなきゃ、いまごろこの身体は焼かれているはずでしょ? あたしを悪にする前に、世界を、女神を恨みなよ。王子様」

「たとえ君の言っていることが正しいとしても、リゼットには指一本触れさせない」

「頭が固い……あるいは執着が強い……うん、愛だね!」

胸を張って自信満々に言う。

リゼットはユニコーンの角杖をしっかりと握ったまま、ラニアルを見つめた。

「ラニアルさんのおっしゃりたいことはわかりました」

「リゼット、彼女の言うことなんて聞かなくていい」

「いえ、もしもラニアルさんの言葉が真実なら――」

聖遺物を取り込んだリゼットが、女神化し、その身体の破片によって世界の結界が保たれるなら――……

「私が死ぬまで待ってください」

「……んー?」

「生きているうちに身体をバラバラにされるのは困ります。ラニアルさんにとっても、世界にとっても、今日でも八十年後でもそう変わらないでしょう?」

死後の身体に執着はない。

もし何かの役に立てるなら、引き裂かれようともかまわない。

「……あら? 女神化するということは、ずっと意識が残るということでしょうか? それはなかなか安眠できなさそうですね」

「……お前、のんきだな」

ディーが呆れたように呻く。

「ヒューマンの寿命って五十年ほどだよね。長生きするつもりだな~」

「エルフの方々に比べれば、ずっと短いです」

その短い人生をリゼットは精いっぱい楽しんで生きたい。自由に。

そうやって生きて、満足して死ねれば、身体くらい世界と女神に喜んで捧げる。

「ラニアルさん、死後の話はひとまず置いておきましょう」

「置いていいのかよ」

「いいんです。それよりもラニアルさん、いますぐ地上の封鎖を解いてください。関係ない人をたくさん巻き込む必要はないはずです」

ラニアルの目的の中では、地上の人々を巻き込む必要は微塵もない。

「封鎖はあたしのせいじゃないんだけどなー」

「えっ、そうなんですか?」

「わぁ、素直ー。信じてくれて嬉しいよ。ま、やったのはあたしだけど」

「なら解除もできますよね」

「ううーん、どうしようかなー」

ラニアルは困った顔で唸る。交渉の余地はありそうだ。

「ラニアル・マドール……さっきから貴様は何を言っている……」

ずっと傍観者だったエルクドが、苛立ちの滲んだ声でラニアルに問う。

ラニアルは寂しそうな顔で笑い、一瞬だけ振り返った。

「ラニアル・マドール! 女神とはなんだ!」

「ラニって呼んでってば」

困ったように言う。エルクドに背を向けたまま。

「ねえ、エルル。あたしはエルルが好きだよ。大好き」

「……奇妙なものだ。大魔術師もそんな下等種のような感情を持つのか」

「うん。この感情はきっと奇跡だよ」

「――僕が聞きたいのはそんなことじゃない!」

エルクドの苛立ちが爆発する。

「困ったなあ……そうだ! リゼット、あの本を返してくれたら地上の封鎖は解いてあげる」

「話を聞け!」

「宝箱に大事に入れてたら、一緒にダンジョン内に設置しちゃったみたいなんだよね」

リゼットがディーに目配せすると、ディーは舌打ちをしてアイテム鞄の中から一冊の本を取り出した。第二層の宝箱から手に入れた本だ。

「ほらよ」

投げる。

「それは――!」

エルクドの魔術による見えない手が、空中に浮かんでいた本を強奪する。

本を手に取ったエルクドは、何かに取りつかれたように必死でページをめくっていく。

「そんなわけがない……だがこれは、確かに僕の……どうして、これから先のことまで書いてある?」

ぶつぶつと言いながら親指を噛む。皮膚が破れて血が滲んでも噛み続ける。

(もしかして、エルクドの書いたもの……?)

本というのは、著者のあらゆる考えと経験が詰まっている。

だがその本には著者の知る由のない、未来のことまで書かれているようだった。

銀色の目がリゼットを睨む。

「読んだのか?」

「いえ、その文字は読めませんから」

女神の恩寵のおかげで言葉は通じるが、恩寵はあくまで会話にしか適用されない。

「ラニ、これはどういうことだ……」

ラニアルを見る表情には、恐怖が浮かんでいた。よく知っている相手のはずなのに、理解できないという恐れと戸惑いが。

「ここは、なんなんだ……僕は、誰なんだ……? う、あ……ああああ……」

エルクドは崩れ落ちるように、その場にうずくまる。頭を抱えて苦しげな声で、ずっとひとつの言葉を繰り返す。

リゼットの名前を。

「――リゼット……リゼット……リゼット……?」

繰り返し紡がれていた言葉に、強い感情がこもる。

暗闇の中をさまよう魂が、何かを見つけたかのように。

「はぁ……さすがに妬けちゃう。記憶は巻き戻してるはずなのに……リゼットの存在は、もうエルルに深く刻まれちゃってるのかな……」

ラニアルはうずくまるエルクドの背後に立つ。

エルクドの端正な顔に苦痛と絶望が浮かんだ。

「いや、だ……僕は、外に……」

「外なんてロクなものじゃないよ」

つまらなさそうに言って、這って逃げようとするエルクドの背中に手を突き刺す。ごそごそと手を動かし、体内から赤い塊を引きずり出す。

それに口づけをして、ラニアルは笑う。

「エルルは、あたしと一緒にダンジョンの底にいた方がいいよ。ずーっとね」

エルクドの身体が力を失い、床に伏した。