軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

90

翌朝、目覚めると私は床に落ちていた。

「あ、おはよう。寝起きに悪いけれどここ周辺の地図に、バロウの家を中心にした場合あと残る二ヶ所の陣がどこになるのかを記してみた」

朝一番に目にしたリタチスタさんはそう口にして、床に転がった私へ地図を見せた。

昨夜は遅くまで外を出歩いていて起きるのがいつもより遅くなってしまった。

カルデノも私が起きたのと似たタイミングで起床したが、リタチスタさんはすでに身支度まで整えていて、何をどうしたのか陣の在り処を炙り出した地図まで作っていたのだから驚いた。

「えっと、おはようございます……」

「落ちても起きないくらいだ、ぐっすり眠れたようだね」

本当に睡眠を取ったのか疑うくらいに血色のいい顔とブラシを通して整った髪、服の襟さえ崩れていない。

むくりと立ち上がって服をパッパと簡単に払う。いつから床で寝ていたのか、体に痛みを感じる。

「早起きなんですね、驚きました」

「ああ、同じ部屋で他の人がいるってのが慣れないのかあまり眠れてないんだ。気にしないで。それより地図だよ」

再度、目の前に書き込みのされた地図を見せ付けられた。

「バロウの家で見つけた陣と大木に埋め込まれた陣の欠けた文字列からしてやはり三角形だと判明した。だから残る陣はあと二つ」

「はい」

地図で見て、ティクの森以外のあと二つの印はアンレンから少し離れた川の近くと、アンレンの端も端、家もあるかどうか怪しいくらいの場所。

「なら今日はその地図を頼りに残る陣を探すんだな?」

カルデノが言うとリタチスタさんは頷いた。

「ああ。キミたちの友達で昨日もいた、……ガジルだったかな? ガジルが来たら探しに行こうか。来るんだろう?」

「来るだろうが、その前にリタチスタは宿代を払わなきゃならないんじゃないか?」

そうだった、とつい今まで忘れてしまっていたようで、ベッドを貸してくれてありがとうと言いながら、リタチスタさんは部屋から出て行った。

勝手に宿泊した事の謝罪と、自分で一部屋借りに向かったのだろう。

その後はガジルさんと宿内で合流し、リタチスタさんが書いた地図の事を説明してからまずは川の近くの場所へ向かった。

目的の川岸は近くに道もなくひと気もなく、伸び放題の草が膝ほどまで高さを持っていて歩きづらい上に、家を探すのとはわけが違って陣がどこに設置してあるのか探すのに手間取る。

絶対にこの近くなのは間違いないが、リタチスタさんしか陣の位置を認識出来ないのは問題だった。

「これ、見つけられますか?」

草の根分けて、をまさか実際に体験する日が来ると思わなかった。見えない地面を探すようにしていたが、同じようにまだらに生えた細い木を一本一本調べていたリタチスタさんは少し考えて、口を開いた。

「バロウだって自分が探せなくなるんじゃ困るよねえ。ならちょっとでもいいから目に付きやすい物があったら知らせてくれないか? それを調べてみよう」

なら、と最初に言い出したのはカルデノだった。

「あの岩なんて目に付きやすいと思うが」

指差していたのは、川岸の岩。私と同じくらいの高さで丸々とし、この辺で一番目立った存在。

「調べてみよう」

リタチスタさんがさっそく岩を調べてみると、それに探していた陣が埋め込まれているようだった。

「これだ、あった」

「これがそうなんですか」

ティクの森では大木に、この川岸では大岩に陣は埋め込まれている。どちらも人の手では簡単に動かせない大きな物。

「ああ、多分これだね」

リタチスタさんは大きな岩を指先でトンとつつく。大木やレシピ本と同じようにワッと陣が広がり、二回目。いやバロウを尾行した時にも見ていたとなると三回目だろうか。数回目ともなるとガジルさんも驚かずただ眺めていた。

「本当にありましたね……」

正直、半信半疑なところがあった。地図だけで散らばっている陣の場所が分かるんだろうかと。

リタチスタさんが言った通り三角になるよう配置されている事も、それをリタチスタさんが見抜いた事も感心せずにいられなかった。

「だから言っただろう?」

リタチスタさんは得意げに笑う。

「ま、面倒な事に変わりないけど」

陣が分割されている事、分割された他の陣の場所の特定が出来たとしても、そもそも何故分割したのかがリタチスタさんにも分からないのだそうだ。

陣を分割すると言う手法をそもそも、少なくともリタチスタさんは聞き覚えすらないとか。

「なんで面倒な事をしたのか、バロウに聞ければ手っ取り早いんですけどね」

私の言葉が聞こえていないのかどうなのか、地図を広げてブツブツと他人に伝わるに満たない声量で何か呟いている。

「ん……?」

ふと、カルデノが陣を見ていた目をフイと別の場所へ向けた。

「どうかしたの?」

「いや。今誰かいたかと思ったんだが……」

私も倣うようにカルデノの視線の先を探して見るが、人などいない。ここは遮蔽物が少なく、あっても膝の高さ程度の草と疎らに生えた細い木。とても人が隠れるのに適した場所でない。

「気のせいか小動物じゃねえの?」

「ん、そうだな」

カルデノの言葉に反応して同じように辺りを見回していたリタチスタさんは、ガジルさんの言葉と共に興味を無くしたようにまた淡々と陣を書き写す。

見つける陣はあと一つ。それも地図を見ていれば簡単にたどり着き、今度はアンレンの端っこ。川岸があった方角とはまったく違う方向だ。

道の隅の人があまり踏まない地面に敷いてある石畳の一枚がそうだった。

石畳を侵食しつつあるコケを少し毟ってから、人の目があるなんて気にせずリタチスタさんは陣を展開し、それをまた紙に書き写す。

家も人も少ないとは家、まったくいないわけではない。ひそひそと近所の人がこちらを見ながら何やら話しているのも気になるが、私だって街中でこんな見慣れない物が広がっていればジロジロ見てしまう。

それより気になったのは、陣が埋め込まれていた物の事。

「なんだか、動かせない物ばかりでしたね」

ティクの森では大木。川岸では大岩。街の端では石畳。これがもし隠していただけの魔法石とかだったなら、リタチスタさんがサッサと回収するだけで終わりだったろう。

「言われればそうだね。大木も、年齢が関係してるんだろうと思ったらこれはただの石畳だし。いやまあ場所を少しでもしっかりとした三角に保つためかもしれないけどね」

相変わらずどうして広範囲に陣を設置したのか分からず終いなのだ。

陣を書き写し終わったリタチスタさんは、展開していた陣を収めようとしたのか石畳に指先を触れたが、いつものように広がった陣に変わった様子が無い。

「どうしました?」

「いや、ちょっと、陣が消えないんだ」

トントン、トントン。しつこいくらい叩いて、パッと、リタチスタさんはバロウの家のある方角を向いて目を見開く。

「あの、リタチスタさん?」

「この!」

急に目を吊りあげ、踵で陣の埋め込まれた畳を踏み抜いた。

「どっ、どうしたんですか急に!?」

踏み抜かれたと思った石畳は数センチ地面にめり込んだだけで割れたり、破損は見られなかったが。常人に出せる力ではない、おそらく魔法か何かを使いリタチスタさんは意図的に石畳を割ろうとしたのだ。

「魔法が発動してるんだ! バロウの家に向かってくれ! 私は先に行くから!」

「えっ、なんっ……!」

引き止める間もなかった。

ダッと数メートル走って飛び上がったかと思うと浮遊する魔法でも使ったのか、そのままの勢いで空高く弓矢のような勢いで飛び去ってしまった。

展開された陣は放置されたまま。

「カエデ、あれが見えるか」

カルデノが空を指差した。青空に紛れて溶け込むようで非常に見えにくいが、とても大きな陣が広がっていた。

「なにあれ……?」

石畳から広がった陣が、すうっと空に上がる。そして大きく広がった陣の輪の外径と外径が接してまるで歯車のように回転が噛み合う。

魔法を止めるため、リタチスタさんは石畳を砕こうとしたんだ。それなのに石畳は傷一つ負わず、バロウの家に行くほうが手っ取り早いと判断したんだろう。

「ボサッと見てる場合じゃねえだろ! 行くぞ!」

「あ、ああ! カエデ、背中に」

カルデノはハッとして私を背負うと、ガジルさんと共に全速力でバロウの家へ走り出した。

あのわずかな時間でリタチスタさんの姿は見えなくなっている。もうすでに到着したのだろうか。

「あれ、あれって転移魔法、だよね」

陣が、魔法が発動している。転移魔法が発動している。

カルデノの背に乗ったまま、空を見上げる。

空の青に溶け込む青い陣。そのせいか住人たちは異変に気付いていない。

けれど私は違った。心が乱れるようだった。

私が元の世界に戻るにはこれしかない、他の方法なんて一つもない。それが空に広がっていて、待ってと今にも口から言葉が出そうになり、ぐっと喉が鳴った。

「カエデ?」

「私、私帰れないの? あれって、だってバロウが転移魔法を使ってるんじゃないの、なら、バロウがこの世界から居なくなって、そしたらどうなの、リタチスタさんに頼れば大丈夫なのかな、どうなるのかな」

真っ直ぐ前を向いたままのカルデノから、歯軋りの音がした。

「大丈夫だ。リタチスタも先に行ったんだ。なにも心配いらない」

「ごめん、ありがとう」

自分で血の気が引いているのが分かる。くらりとめまいがする。

怖かった。カルデノの私を安心すこしでも安心させようとする言葉を聞いてなお、今はまったく意味を成さなくて、ただ自分の行く末ばかりが頭を埋め尽くす。

背中の揺れに身を任せていると見えてきたバロウの家。ところがバロウの家の一角が爆発でもしたかのように、書斎が外からでも丸分かりなくらいむき出しになっていた。これは、リタチスタさんが破壊した跡なのだろうか。

その破壊された書斎にバロウ、外にリタチスタさんがいてお互いに睨みあっていた。

「来たね」

「遅くなったな」

カルデノが言うとリタチスタさんは軽く首を横に振った。

「私が速かっただけだ気にしないでいい」

バロウは人数の増えたこちらが面白くないのか分かりやすく唇を噛む。

「なんでここに……」

「なんでって、さっきも言ったじゃないか。たまたま散歩で来ただけだよ、私もカエデたちも」

「適当な事を言うな!」

怒りに任せて一歩踏み出した足にバロウはハッとして、それとなく元の位置に戻る。本人はばれないよう、気取られない様動いたつもりかも知れないがそれは私にさえ不自然だと分かる動きだった。

それに気になるのが、後ろ手に何かを隠している事。

バロウは本当に、魔法さえなければ平均的な男性でしかないのだとリタチスタさんの言葉を思い出す。

「白々しい。放っておいてくれ俺のことは。ほっといてくれ」

「これを見て、放っておけって?」

リタチスタさんはフンと鼻で笑って頭上を指差した。大きな陣はバロウの家を中心に広がっている。

「まさか分割したのが大きく陣を取るためだとは思わなかった。分割して、端で繋いで引っ張って、こんなに大きな陣を作れるとは考えもしなかった」

「……探し出したんだろ、その陣全て」

「そうだよ。一つは壊そうとしたけどビクともしなかった」

リタチスタさんは大きく一歩バロウに近づいたが、バロウはその場から逃げる事はしなかった。

「さすがに放っておけないな。聞いたよ、カエデの事は放置して前世の居場所へ戻りたいって?」

バロウはそれを聞いて私を睨んだ。

バロウは前世の話なんて私以外の誰がする、と目星を付けられたのだろう。実際そうだが私は睨みつける眼差しに少し怯んだ。

けれど負けじと睨み返す。そんな風に憎まれる覚えは無い。自分が私に何をしたのか忘れているとは言わせない。

「そうやって脅すような顔をするんじゃない、そりゃあカエデだってバロウを信用出来なくて当然だろう? 私がバロウの情報をくれと言ったんだ」

「信用してもらえてるとは、最初から思ってなかったよ」

「負け惜しみかい?」

「違う」

バロウは苛立ちから目を細めた。

「カエデから聞いた話だと。なかなか通常味わう事の無い苦痛だったろうとは想像だけなら出来る」

共感しているような言葉だが、目はバロウの行動一つとて見逃さないような、鋭いものだ。

「けどなんでこの世界じゃダメなんだ? こう言っても信じて貰えないだろうけど、私はバロウたちと一緒に先生から沢山の事を教わるのが楽しかったし、それはバロウも同じかと思っていた。まあキミは部屋の隅に一人だったり気付けば出かけている日が多かったけど、無愛想な事の方が多かったけど、うるさいと追い払われる事もあったけど。それでも信用や信頼もあったじゃないか」

「信用や信頼なんて関係ないどうでもいい」

「……ほう?」

本当にどうでもいいのか定かではないが、その一言でリタチスタさんは肩眉をピクリと跳ね上げた。

先ほどと比べても目つきはまるで、今にも飛び掛る猛獣のように鋭く、雰囲気も剣呑としたものに変わる。

「俺は今までずっと一人で、生まれ変わったなんて誰に打ち明ける事も出来ないでここまで来たんだ。報われたっていいだろ、故郷の土を踏みたいと願う事の何が悪いんだ。このために俺は生きてきたんだぞ」

「悪くないよ」

優しい言葉、優しい声色。猛獣の目をして優しげなリタチスタさんをバロウは不気味そうに見つめた。

「全然悪くない、キミが先生との約束を忘れてさえいなければね」

「また約束……。だから言っただろ俺は先生と何も約束なんてしてない。お前の勘違いだ」

「勘違いなんかじゃない」

食い気味に否定され、バロウはこの時初めて自分の言葉を疑ったように目を泳がせて必死に記憶の中を探していた。

「先生が死の間際、キミになんて言って死んだのか本当に覚えてないのかい?」

「死に際……?」

信用や信頼がどうでもいいと自分で言いはしても自分の先生の死に際、覚えていないわけがなかったのだろう。

バロウはそれまで思い出さなかったのが嘘のように、あ、と口を開いた。

開いただけで、何を言うもなくパクパクと動く口はリタチスタさんの目にどう映ったのか、表面だけに笑顔を浮かべた。バロウが約束を思い出した事が嬉しかったのか、はたまた取り繕ったのか。

「思い出したかい? それでキミは先生に何て返事したんだった? それも覚えているだろう?」

「……そんな事で」

リタチスタさんに問われて素直に答えたりはしない、やっと搾り出したみたいな、細い声だった。

ここにリタチスタさんが立っている理由を理解した途端、バロウは到底信じられないと言いたげに表情を歪めた。

「そんな事とは笑わせる、お互い様じゃないか。私は死人との約束一つ。キミは死んでもう何の繋がりもない別世界の土を踏むため」

あ、これは訂正。リタチスタさんはピッと人差し指を立てて言いながらまた一歩大きくバロウに近づく。

「自分の念願のためカエデを巻き込んだのは、悪い事だね」

「…………」

バロウは罪悪感に苛まれる眼差しを私に向けてきた。そんな目を見たくない。今更なのだ。

「けど、それでも俺は諦められない」

バロウは後ろ手隠していた何かを胸の前に出す。大きな晶石。見覚えのあるそれは私がホルホウでメロに貰った、珍しく大きな晶石。

「あっ……」

私が手を伸ばすのと同時に、バロウは晶石を足元にゴトンと落として転がした。

途端に、ズンと空気が重たくなる。まるで油の中にでも浸かっているような纏わり付く気持ち悪さ。

「な、なにこれ!?」

同時にバロウの足元に、自分一人だけを囲うような円が浮かび上がった。小さな円は良く見ればとてつもない密度の文字。陣だ。

「分かってたんだ記憶が必要なことは。俺の前世の記憶はもう曖昧で役に立たない。だからカエデさん、キミの記憶を少し貰っておいた」

「か、勝手になにしてるの!?」

いつ、どこで、どうやって。どれだけ怒りを滲ませてもその疑問に答えてはもらえないだろう。

空気の重さにカルデノもガジルさんも苦しそうにしていて、カスミは私の肩にへばりつく様に蹲っていた。

そんな中で一人、リタチスタさんだけは自分のあと数歩先にいるバロウを睨む。

ゴウと風が吹き上がる。

「俺一人ですまない。けど俺の家に異世界間の転移魔法について必要なものはすべて書き残してきた。リタチスタが探ってるのに気づいてたから、今やらないと取り返しのつかない事になると思ったんだ」

ここまで暴かれ今しかないと思って、今転移魔法を使おうとしていたんだ。

足元の陣が光を放って空の陣まで繋がる柱となり、その光の柱の中にバロウは立っている。

グラグラ揺れる視界でもなんとか、バロウを捉え足を踏み出す。

「まっ、待って、待ってよ! 一人で行く気なの!?」

叫んだ。自分だけが取り残される恐怖で喉が絞まる。

バロウなしで本当に元の世界に帰れるのかだって分からないのに。

「そんな無責任なことってないでしょ! なんで! なんで!」

あの光の柱がきっと、この世界とバロウを隔てている。そんな気がした。

壊れた家の瓦礫を越え、溢れる物を避けてやっとの事でバロウの目の前にたどり着き手を伸ばした。私もそちらへ行きたかった。自分一人だけが望んだ通りの道を辿ろうとしているのが腹立たしくて悔しくて。

でも、バロウを包む光の柱は質量を持って私の手を拒んだ。

「え……」

まるでガラスでも触っているみたいに、手は光をすり抜けない。バロウは私を見下ろしている。

「……すまない」

変だ。悪い事をした奴が罪悪感に塗れた表情をするなんて変だ。これは子供のいたずらじゃない。自分が起こす行動がどんな結果を招くか、私がどうなるか、簡単に想像出来るずなのに。

笑って、泣いて、怒って、家族がいて、友達がいて、誰かに期待されて、何かに期待して、これからの未来に思いを馳せる十七年の人生を生きた人間を一人、歩いたって飛んだって帰れない、知らない土地に放り出した癖に。

私が死んでたってきっと別の人を呼び出した癖に、どうでもいい癖に! どうなったっていい癖に!

すまない? 当然だ済むわけがない!

なのに私の手じゃ何も出来なかった。何度叩いても何度蹴っても叩いても光の柱はビクともしない。

「なにを勝手に行ける気でいるんだ!」

私の後ろから光の柱へ、拳が飛んできた。

リタチスタさんだった。リタチスタさんの右手の拳が光の柱を殴った。すると柱は見る見る細かいヒビが入り、弾けて霧のように霧散した。

たった一瞬の事で風が止み、光が消える。

場は沈黙で満たされた。

「ど、どうなってる……」

沈黙を破った震える声は、バロウのもの。

「なんで、なんで注いだ魔力が消えたんだ! リタチスタ!」

バロウはリタチスタさんに掴みかかった。

「私はお前をその故郷とやらに行かせてやる気はさらさらない」

力いっぱい肩を掴まれているだろうにリタチスタさんは抵抗らしい抵抗を見せない。悔しそうに歪めたバロウの疑問に答えないまま、ただ無表情に見た。

「お前の許可なんていらない! 今回の準備まで今まで、どれだけの時間を費やしたと思ってるんだよ!」

怒り狂うバロウの剣幕は凄まじく、歯をむき出して声を荒げる。

でもそんな様子がおかしいのかリタチスタさんはにんまり笑ってバロウの胸倉を両手で掴み、逆に逃がさないよう固定した。

「そうだね、必要な魔力を集めるだけでどれほどかかったかな。何回改良を重ねただろうね、何度頭を悩ませただろうね、大変だったろうね。幼い日から今までどれだけの時間を費やしただろうね。何をどれほど犠牲にしただろうね。でもお前が先生との約束を忘れていたんだと確信した瞬間からこうなる事は決まってた。約束なんて、しなければ良かったんだ」

バロウは歯を食い縛って泣きそうになりながらリタチスタさんから手を離す。リタチスタさんも突き飛ばすように手を離し、その勢いでバロウはフラフラと数歩後ずさって、尻もちをつく。

「なんだってんだよ……」

それからリタチスタさんは放心状態のバロウを半ば引きずるようにして壊れた書斎からバロウの家へ入ったので、私たちもここ残されるわけに行かず後に付いて行く。

バロウは今日転移魔法を無事発動させるつもり計画だったのだろう、すでに身の回りの片付けが済んで、家の中はこざっぱりしている。

「丁度良い。バロウ、キミこの世界から姿を消すつもりだったんならもう、どうなったって構わないね?」

「……俺は、でもまだ……」

言いかけたのにリタチスタさんは乱暴にバロウを床に放って、尻餅をついた状態のバロウの目の前で屈んで視線を合わせた。

「うんそうかそうか、もう何もかもどうだっていいか! よしなら今からギニシアへ行こうか!」

「は? ギ、ギニシアなんて、何しに」

バロウはギニシアに行くと聞いて、苦々しい表情を見せた。

「先生の墓前に両膝ついて陳謝するんだ」

「……それで先生が許してくれるって?」

口角の片方を吊り上げて見上げるようにリタチスタさんを睨む。

「そんなの知るもんか。先生はもう亡くなって言葉を話さない。許す許さないなんて感情もないよ」

普段より幾分低い声に、バロウは怯んだ。

「なら、なんで」

「そりゃあ私の気が少しは晴れるからね」

かと思えばまた普段の調子。

「はん、先生の墓を使って身勝手なこったな」

今度こそ馬鹿にしたような笑い方をしたバロウに、リタチスタさんは拳を高く振り上げて口だけ器用に笑って返した。

「ハハハ、なら今すぐ先生のもとへ行って直接謝罪するかい? キミがまた生まれ変わるか興味があるなあ。今度は前世と同じ場所に生まれ変われるかも知れないぞ」

「……いっ、いやいらない」

ゾッと、バロウの顔色が青ざめた。

「そう怯えなくたって、冗談じゃないか」

表情の中に、明らかに無機質な冷たさがあった。

「せ、先生への謝罪が済んだら俺はどうなる? 今のお前を見ていると冗談抜きで殺されかねない」

「決まってるだろう、カエデを元の世界へ返してあげる手伝いをしてもう。そう言う約束なんだ。私は約束を破らないからね」

「…………」

約束という単語に敏感になっているのか、バロウはビクリと肩を跳ねさせ、口を閉ざした。

「あ、当然バロウ、キミもカエデと帰る一緒に行くなんて無理だぞ。先生との約束は果たしてもらうから」

「約束って、研究を引き継ぐこと、だったな」

いつまでも尻餅をついているわけにも行かず、バロウは立ち上がろうと床に手を付いて体制を立て直す。

「よかった本当に思い出せてたんだね」

リタチスタさんは立ち上がろうとするバロウに手を貸そうと差し出したが、バロウはその手をバチンと強めに弾いて一人でスッと立ち上がる。

「そんな約束あんまりだろ」

「なにが?」

「先生の研究は常に最良を追い求めるものだった。なら、それは死ぬまで研究は終わらない。どっち道約束を果たすなら俺が元の世界に戻るなんて出来ない」

リタチスタさんは、バロウが元の世界に行きたいと願って実行する事自体はとがめていない。約束を果たさず居なくなる事をとがめている。

約束さえ果たせばどうしたって構わないと言いながらバロウの異世界間転移は不可能なものだ。それを理不尽だ何だとリタチスタさんに説いたが、リタチスタさんは小さく首を傾げた。

「だから言っただろう。約束なんて、しなければ良かったんだって」

バロウは今度こそ何も言わず、俯いた。

私も思うところがあった。もし、もしバロウがアルベルムさんと約束せず断っていたなら、約束にここまで執着するリタチスタさんは今ここに居なかった。バロウはあのまま私の目の前から消えていただろう。

気が付いてゾッとした。

「どうせ今ので魔力は溜め込んでた分まで全て使ってしまったんだろ。私やバロウだけでおいそれと準備出来る量じゃない。そこで、ギニシアに行けば先生のかつての弟子たちが集められるから、協力して貰おう」

「え、じゃあ本当に今からギニシアに戻るってことですか?」

「そうだよ」

冗談も本心も全てがごちゃ混ぜなリタチスタさんなのでどうだろうと考えていたが、すぐギニシアへ行く事は本当のようだ。

「私たちは先に行ってる。すまないけどカエデ、地下のあの布を念のため回収しておいてくれるかな。それから準備が出来次第追いついて来て。関所を通って国境の街のルドで待ってるよ」

「は、はい、……分かりました」

嫌がるバロウを引きずって再び壊れた書斎から外に出て行ったリタチスタさんの背中を見送り、怒涛の展開でろくに口も開けなかった私たちは揃ってため息をついた。

「魔法を使う連中って案外、強烈なんだな。俺今まで勘違いしてた」

ガジルさんにいたってはあるかも分からない額の汗を拭う素振り。

「リタチスタさんの事を言ってるなら、多分あの人は少数派だと思います……」

バロウは結局、リタチスタさんが目論んでいた通り魔法を阻止された。

リタチスタさんもこれが目的で私を必ず元の世界に戻すからと約束してくれていたし、私にとって不利益なところは一つもない。

けれど妙な気分。バロウが転移魔法を使えなかったからってザマ見ろとは思わないし、だからって安心感もない。ただ心臓がドクドクといつもより大きく脈打っていた。

私たち三人は壊された書斎に戻って景色の良くなった部屋を見渡す。

「それで、リタチスタの言っていた地下はどこに? この書斎なのか?」

カルデノが足で小さな瓦礫を転がしながら言った

「うん、こっちだよ」

幸いこの書斎の状況であっても地下への入り口は塞がっていなかった。クローゼットの床を上げると地下へ続く穴が姿を現した事で、カルデノとガジルさんは揃って、おお、と声を漏らす。

ココルカバンから出したランタンに火を入れて、それをガジルさんがヒョイと取り上げた。

「暗くて危ねえから俺が先に行く」

「はい、お願いします」

本当に、きっと何度見たって真っ暗な穴は怖くて最初の一歩を梯子に下ろすなんて私には出来る気がしない。

地下に下りて、リタチスタさんが書き写していたあの布を畳んでココルカバンに詰め込む。

これで良しと梯子へ向かう傍ら、ガジルさんが物珍しそうにキョロキョロしているのが気になった。

「どうかしました?」

「いや、こんな魔術師の、何て言うんだろうな、仕事場? みたいのを初めて見るからな」

この箱なんだろうな、とガジルさんが蓋を開けたのは、前回来た時私が確認した、晶石しか入っていない木箱だった。

「あれ、残ってる……」

てっきり先ほどの魔法のために使い果たした物かと思っていたが、もしかしたらこれ全てが、足りていたにも関わらず私たちを遠ざけるために買いに走らせた分なのかも知れない。

「へえ、なら貰って行こうぜ。どうせここ、もう誰も戻ってこなさそうな雰囲気だったじゃねえか」

リタチスタさんが私に約束してくれた、必ず元の世界へ帰る。そのためにもきっとまた沢山の魔力が必要になるだろう。

この木箱に入った晶石に魔力が入っているのかいないのかは判断出来ないながらも、こうして保管してるくらいなら使えるものだろうと貰っておく事にした。

探せばあるもので、バロウの家にあったココルカバンを使って無事全ての晶石を持ち出した。

心残りなく身支度を整え、ギニシアへ戻るため駅に到着。私たちは見送ると言ったガジルさんと少し話をした。

ここからルドまでの道のりは遠く、リタチスタさんの空飛ぶ荷台があれば早かっただろうが、きっとバロウと二人で話したいこともあるんだろう。

「色々とお世話になりました」

ペコ、と頭を下げるとカスミもココルカバンからコソッと手を出して大きく振った。それに応じるようにガジルさんはニッと笑顔で歯を見せた。

「世話になったなガジル」

「おう、気にするな。俺も楽しかった」

一拍置いて、本当は、と再度口を開く。

「俺も一緒に行こうかなーとか考えてたんだけどな。別の世界がどうとかってなんか面白そうだし」

「面白そうですか?」

それはまあ、いきなり言い出されたら興味はわくだろう。私だって自分の事でなかったら……。いや自分の事でも今まで無い光景に心躍ったのは一度や二度じゃない。

「おっと、あんたはそれで大変な目に遭ってんだったな。軽口言って悪い」

いえ、と私は首を横に振った。

「……カルデノと会ったのが、あんたで良かった。元の世界に帰っても心残りがないよう、これからも仲良くしてやってくれ」

初対面ではお前がカルデノの友達なんて冗談だろうと表情で語られただけに、こう言ってもらうのは嬉しかった。

「おい、親みたいな事を言うな。もう行こうカエデ」

照れ隠しなのか余計なお世話と思っているのかカルデノは顔を大きく背けた。

馬車の時間も確かに迫っていた事だから、私は最後にもう一度挨拶をした。

「じゃあガジルさん、本当にお世話になりました」

「ああ、元気でな」

カルデノも最後に何か言わなくていいのかな、と外に一足早く向かっている背中に目を向ける。カルデノはピタリと足を止め、振り返った。

「ガジルも、元気でな」

「おう、また遊びに来いよ」

私たちは馬車に乗り込んだ。