軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旅券3

カスミのお陰か、はたまた条件がよかったのかアオギリ草探しは私が予想していたより遥かに早く終わり、井戸の横に積まれた山のようなアオギリ草をハイポーションに作り変える作業をこなしていた。

出来上がったハイポーションを一旦寄せて置いてドンドン次を作るといった方法で、アオギリ草と入れ替わるようにビンが増えて行く。

既に作業を始めて一時間ほど。水を引き上げる作業をずっとカルデノに任せてしまっていたため、合間に手のひらを開いたり強く閉じたりを繰り返す仕草が目に入った。口には出さずとも疲れていないわけがない。

「カルデノ、少し休憩しない?」

「ああ、うん。そうだな。少し疲れた」

最後に汲み上げた水を区切りに、家の壁を背もたれにして草むらの上へカルデノと二人で揃って腰を下ろした。カルデノはふうっと長い息を吐いて手の筋肉を解すよう振った。

「そう言えば、カスミをさっきから見ないな」

言われればそうだなと辺りを見回す。

「ほんとだ……、カスミー?」

周りに少し響くくらいの声で呼びかけると、まるですぐ隣にいたかのようなほど、すぐさま目の前に姿を現した。カスミは現れる時にも姿を消す時にも音が無い。

「びっくりした……」

そう、故にぎょっとする事は少なくない。

カスミはずいぶんと気分が高揚しているようで、目の前で小躍りしている。どうやら連日の買い物でココルカバンの中とは言え様々な場所へ行けたのが相当楽しかったらしく、アオギリ草を買い集め終わったと伝えた時には少し残念そうにしていた。

「ああそうか、このハイポーションを作り終わったらカフカに行くのを、楽しみにしてるんだな」

カスミは笑顔でコクコクと頷いて頬をさせる。

アイスさんに頼まれたポーションをすべて作り旅券を受け取れば、後は私達のさじ加減か、とため息が漏れた。

私には少しだけ気にかかる事がある。それはカルデノの故郷の事で、カルデノが故郷で唯一大切に思っていた人のお墓参りにと言っていたが、果たして可能なのだろうか。

カルデノがよそ者だと言うだけの理由で奴隷にして追い出してしまおうと発想が出来るのだ。それが再びカルデノを出迎え大人しくお墓参りをさせてくれるだろうか。

出迎えてなどくれなくていい。ただ静かに放っておいてくれたらいいのだ。

私が心配することではないかも知れないが、帰りたい場所のないカルデノにとって故郷を離れてからずっと心のより所だったのではないだろうか。物心ついた時から自分の味方はその人しかいなくて、奴隷にされて。でも初めて出会った時から今も、堂々として自分に自信があって、過去にカルデノの話す内容があったとは思えなかった。決してカルデノの話を嘘と言いたいのではない。

「カルデノ」

「うん?」

カルデノの方へ目を向ける。

「ずっとカルデノの味方でいてくれた人、女の人?」

「いや、男だ」

「そうなんだ」

カルデノを保護し面倒を見てくれたと聞いて、てっきり女性かと思っていた。

「あの人の名前はコルダだ」

空気が鉛のごとく重く肩に乗っている、そんな気がしてならなかった。

場所はアイスさんの部屋、約束のポーションとハイポーションを届けに足を運んだのだが、空気が変わったのはアイスさんの、やはりカフカに行くのを考え直してはどうかという一言でだった。左隣に座るカルデノへ目配せするが、カルデノの表情も渋い。

「それは、出来ません。どうしても行くという決意は今回作ってきたポーションの数からも、分かりませんか?」

「分からないこともないけれど……」

ソファに深く腰掛けたアイスさんは前のめりになって少し体を起こした。

「旅券は用意したわ。でも何故カフカに行くのか理由が知りたいの、私個人として。教えてくれたら旅券を渡してあげる」

「……旅券の引渡し条件はポーション二千個とハイポーション二千個だったはずじゃないですか」

「そう、じゃあ質問に答えるのを追加条件にするわ」

あまりに横暴だと思った。しかし旅券はアイスさんの手にあり、質問にどうにか、答えなければと考える。

「今後の私の人生を左右するほど、とにかく会わなきゃいけない人がいるんです。その為にカフカへ行きます」

「……あまり詳しい内容とは言えないわね」

それでも私の話した内容で満足したのか、それ以上追求はして来なかった。これ以上はいくら聞いても無駄と判断したのだろうか。

「私がこれほどまでカエデちゃんに旅の目的を聞くのは、少し思うところがあるからなのよ」

「その、思うところって言うのは?」

アイスさんは一息置いて、腕を組んだ。

「そうね、カエデちゃんがもう王都に帰ってこない可能性があるんじゃないかと思っているの」

私は首を傾げた。何故その考えに至ったのかが理解出来なかったからだ。私が何故と聞く前にアイスさんは言葉を続けた。

「カエデちゃんがリクフォニアから王都へ来たのは、リクフォニアに現れたドラゴンの討伐に図らずも貢献する形になり、単にその報奨金を受け取りに。そしてリクフォニアに戻る理由もないためそのまま王都での生活を続けている。そうよね?」

「はい」

右も左も分からなかったあの頃の私に、アイスさんという存在がどれほど大きかった事か。

「値段は安かったとはいえあの家を買う事も恐らくカエデちゃんには難しくなかったはずね、短期間で支払いを終えたのがその証拠だもの」

アイスさんの言葉は否定出来ない。ポーションという、戦う事を生業とする人に必需品の薬。それは毎日一つとして余すことなくお金に姿を変えていた。そうでなければ家どころかカルデノを買う事すら出来ていなかった。

「ポーションはどこへ行っても必要になる、それがカエデちゃんが作っている物なのよ。つまり王都での生活にこだわる意味はない」

誰しも仕事の有無だけがそこで生活する決め手とは限らない。アイスさんの話は極論的ではないだろうか。

「まるで私がカフカへ行って戻ってこないみたいに聞えます」

「そうよ。私が言いたいのはそういう事だもの。そうなって欲しくないのよ、カエデちゃんにはここに居て欲しいの」

「……」

もしカフカへ行ってバロウと会うことが出来たなら、私は勿論元の世界へ帰してもらうだろう。むしろ目的がそうなのだから帰るのが自然だ。そうなればアイスさんの言う事は必ずしも間違いとはならない。事実がどうであれ王都へ帰ってこないのだから。

何故私は、必ず帰ってくると思っていたんだろう。家があるのに帰ってこないわけがないと、何故思ったんだろう。

「カエデがカフカに行く事についてお前が何を思ってるかはどうでもいい、旅券はまだ渡さないつもりか?」

ヒクリ。アイスさんの片眉が一度痙攣する。

「黙っててくれる?」

「なんだと……」

アイスさんの冷めた一言にカルデノが過剰な反応を見せた。

「黙れと言ったのよ」

苛立ったような声の後腰掛けていたソファから立ち上がり、カルデノを見下す。

「聞えなかった?」

カルデノはその様子がおかしいとでも言うようにフンッと鼻で一度笑うと、負けじと睨み返した。

「何を苛立ってる、カエデが思い通り動かないのがそんなに面白くないか?」

「……!」

アイスさんはその言葉を聞いた途端カルデノの胸倉を掴み、自分と同じ目の高さまで引きずり上げた事でカルデノは立ち上がる形になった。

だがカルデノはその手を目にも留まらぬ速さで振り払い、逆にアイスさんの手首を捕まえた。

私はアイスさんの行動が信じられず目を見開いたが、カルデノの反応にも戸惑い思わず立ち上がった。

「ちょっ、カルデノ! アイスさんもどうして……!」

両者とも睨み合い微動だにせずいると言うのに、カルデノが掴むアイスさんの腕はどれほど力が籠もっているのか、小刻みに震えていた。それが一体どちらの力なのか、あるいはどちらともなのか。

「この手を離しなさい」

見たことも無いような鋭い眼光がカルデノを刺す。

「ア、アイスさ……、ねえカルデノ!」

二人とも私がまるで存在していないかのよう。止めようにも私の力では何にもならず、それよりもただ怖かった。

「離せと言ってるのよ! この馬鹿力が!」

言葉と同時に、空いた手に硬く握られた拳がカルデノの顔面に直撃した。人からは聞きたくない嫌な音が耳に聞えた時に自分で一瞬息が止まるのが分かった。

カルデノの手からアイスさんの腕が外れた。

「カルデノ!」

右頬を殴られたため私から顔を背けるような形で固まっていたカルデノが、ぎこちない動きでゆっくりとアイスさんへ向き直った。

「どっちがだ。この馬鹿力」

苦痛に歪んだ表情、そして口の端から流れる血がどれ程の衝撃だったのかを物語る。

「アイスさん! どうしてカルデノを!」

何故殴ったりしたのかと、私の質問は言い終わる前にアイスさんの恐ろしい目に拒まれた。

離れたい。今すぐこの場から逃げ出したい。無意識に目をそらした。

「と、にかくあの、約束は守りましたので旅券をお願いします。今日はアイスさん調子が悪いみたいですし」

尻すぼみになりながらも何とか伝えたい事は音となった。アイスさんは大きく息を吐いて、苛立ち紛れに前髪をかき上げた。無言で部屋の隅のクローゼットの前まで歩み寄ると中から紐で筒状に丸められた一枚の紙。それをそのまま遠い位置からポイとこちらへ投げ渡され、腕の中で何度か取り逃がしそうになるのを慌てて受け取った。

「それが旅券よ。そこのうるさい奴隷を連れて早く出て行きなさい」

「……」

とっさに言葉が出なかった。カルデノが顔の血を拭う姿を確認してふつりと怒りがこみ上げてきた。しかしその感情を表に出す事も憚る空気。

「……旅券、ありがとうございました」

私はカルデノの手を引いて部屋を出た。

家に帰ってすぐ、カルデノはふて腐れたように椅子に座り、頬杖をついてアイスさんに殴られた頬を軽く触っては顔をしかめる事を数度繰り返していた。

カスミは気休め程度ではあるがカルデノの頬を風で仰ぎ冷やそうとしている。

「……痛い」

「大丈夫? 今ポーション作って来たから」

布とポーションを用意しカルデノの隣に腰掛ける。頬も唇の端も腫れて赤くなる一方。

「さっき、アイスさんどうして……」

カルデノのアゴに布を当て、腫れた部分にポーションを流す。徐々に腫れが引いて行くのが見えて人心地がついた。

「私の言葉に腹を立てたんだろう。見下してる奴隷に図星をつかれたものだから」

「そうだったのかな」

「ささくれ程度だとしても、きっと私が邪魔だったろうな」

「カルデノが、アイスさんにとって?」

私は確かにアイスさんにお世話になりっぱなしだからと、アイスさんの頼みなら、アイスさんの言う事だからと素直に聞きすぎていた場所もあったかも知れない。カルデノはそんな私に一言注意してくれたり、私を心配もしてくれていた。

それでアイスさんの優しさは私が思っていたものとは違って。肩の力が抜けてしまう。

完全に腫れの引いた頬から水気をふき取り、少し突いて見る。

「どう? もう痛くない?」

「ああもう大丈夫だ」

「そっか、よかった」

にこりと笑顔を見せる。

「そう言えば帰り際に投げてよこしたやつ、ちゃんと旅券なんだろうな? まさかゴミを渡されてないか?」

「あ、まだ確かめてない」

まさかゴミを渡されるはずはないと、ココルカバンから受け取った旅券を取り出した。

筒状に丸められた紙は細い麻紐のような物で止められていて、結び目を解く。

中には私の顔写真や名前などが入っていて、一往復の権利しかない事が書いてある。それと四隅に赤い印のような物が入っていた。二センチほどの正方形、その中には文字とも模様とも取れるような不思議な形。

ハンコだろうか? しかし平面に打たれた物のはずなのに奥行きを感じてしまい、そっと指でなぞって見るもやはりただの紙。私は首を傾げた。

四隅の印全てがその不思議な感覚を味わわせて来るので、もしや魔法か何かの類だろうかと考える。

「カルデノ、この印って見たことある?」

カルデノにも見せて見るが、少し考えてから首を横に振った。

「旅券のような珍しい物を見る機会がなかったからな。私には分からない」

どう言った役割を持つか今のところ不明だが、手が込んでいるように思える。この旅券が偽物という事はやはりないだろう。

旅券を筒状に戻す。カルデノはテーブルの上から尚も送られるカスミからの風を手のひらで防いで遊んでいる。

もう旅券も手元にあり、いつでもカフカへ向かう事が出来るわけだが、その前に準備する事は何だろうか。アイスさんに言われるまで自分が王都に帰ってこない可能性を全く考えもしていなかった。ここに住む事をそれだけ当たり前に思っていたのだろう。

カフカでバロウを見つけ帰る事になればカルデノとカスミはどうするのだろう。この家はカルデノが住むだろうか。

「……カルデノ、カスミ。私もしかしたらこのままカフカで二人とは別れる事になるかも知れない、よね?」

カルデノはパッと視線を上げて私の目を見た。遊んでいた手が力なくテーブルに伏し、カスミも大きく目を見開いて私を凝視する。

「……ああ、そう、か。……そうだな」

長く間を空けて、それからようやく内容を理解したように返事をしたカルデノ。

「まだ分からないけど、可能性の話はしておきたくて」

しかし伝えたところでカルデノが何か言ってくれるわけではなかった。私がこの世界に来た時持っていた荷物など背中に背負って終わるリュックサックひとつ。それさえ持って居なくなれば私はもう、存在しなかった事になる。この世界に私が存在しているのがおかしいのだ。無いはずの物がいつの間にかあって、それがまた無くなる。何も変わりはしない。

グイグイと袖を引かれ、目を落とす。カスミが潤んだ瞳で私を見上げていた。

「カスミ……」

カスミの震える口が開いた。その声を聞くためそっと耳を寄せる。

帰るのか、居なくなるのか、会えなくなるのか。そう問われて頷く以外に出来なかった。

私は帰る。ここから居なくなる。二人に会えなくなる。

「あ、でもカフカに行ったからってすぐ帰れるかもまだ分からないし」

だが分からないからこそ、準備はしておかなければならない。

カスミはきっとこれからもカルデノと行動を共にするだろう。私が気にかかっているのは現在のカルデノの状態。奴隷であるという事だ。例えカルデノが奴隷の証である首輪を取り外す事が出来ても、それだけでは奴隷から解放された事になならない。しっかりと奴隷から解放する事が必要になる。そのタイミングはカフカに向かう前でなければならない。

「カルデノ。奴隷を解放するには、どうしたらいいの? 出来るよね?」

カルデノは目を大きく見開いた。

「解放?」

「そう。カフカに行く前にカルデノを奴隷から解放したいの。もしカフカで私が帰ることになったら、カルデノが奴隷から解放される機会がなくなるから」

「……」

カルデノは何も言わず、ただ見開いた目で私を穴が開くほど見つめて来る。

「あ、あのごめん。もっと早くそうするべきだったんだろうけど」

私の判断の遅さに不満があったのだろうかと慌てて弁解するが、カルデノは眉間にしわを寄せ、小刻みに首を横に振る。怒っているだとか苛立っているだとか、そうではなくもっと別の感情がその表情にはあった。

「本当に私を、解放するのか?」

「え。う、うん……」

「……そうか」

カルデノは大きく息を吸いながら片手で両目を覆った。そして静かに長く息を吐いて、そっと手を下ろす。

「奴隷解放には、その奴隷を買った金額の五割が必要だと聞いた」

「そのお金さえ払えばカルデノは奴隷じゃなくなるんだよね?」

「ああ、そう……。そうだ」

カルデノの声は震えながらも弾んでいた。普段から奴隷である事実に何の感情も持っていないように感じられていたが、その弾んだ声がカルデノの気持ちを切々と語っていた。

好きでいつまでも奴隷である現状を保とうと思うはずもない。今までどれほど気持ちを押し殺していたのか、考えるだけで胸の奥がギュッとしめつけられた。

「カエデ、ありがとう」

カルデノはテーブルに額をつけるほど深く頭を下げた。

「そんな、頭なんて下げる必要……」

カルデノの肩を掴んで体を起こさせるが、見えた表情はやはり険しかった。その顔を見て私は途端に不安になった。カルデノは奴隷解放を確かに喜んでくれて、それなのに何故こんなにも険しい表情をしているのか

「私は今が一番楽しい。生きて来て一番だ。それが奴隷の枷も外れるなんて、嬉しいんだ何もかも」

「じゃあどうしてそんな顔してるの? もっとこう……、笑ったらいいのに!」

「自分で今どんな顔してるか、分からない。こんな嬉しい事は初めてなんだ」

分からないはずがない。カルデノは私に何度も笑顔を見せてくれた。あのままの笑顔を見せてくれたらそれでいいのに。

気が付くとカスミがカルデノの頬を持ち上げていた。片方だけ口が釣りあがっていて、とっさにもう片方の頬を私が摘んで持ち上げた。

「わ、笑えてるよほら!」

カルデノはその手を振り払うなどしなかった。でも、強引だったかとそっと手を離す。カスミも私の行動を真似するように一拍置いて離した。カルデノはうつむき肩を震わせる。

まさか。まさかだがカルデノが、泣いている……?

「あっ」

違う泣いてない。むしろ逆で笑いを堪えている。そっと顔を覗き込めばそれは確信に変わった。カルデノは唇を噛んで口から空気が漏れないよう堪えていた。

「カ、カルデノ、ふふ、笑ってる」

釣られて私も笑い、パッとカルデノが顔を上げた。

「ふたりが、笑わせようとするからだろう……」

その声までも笑いに震えていた。