軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第17話 空白の責任者

監査室には鉄枷の音が遠ざかった後の静けさだけが残っていた。

王妃陛下は机の上の手配保証書へ視線を落とす。

「リゼット」

「はい」

「あなたが保管していた控えも、ここで確認できますか」

「はい。控えは王妃基金あてに回される前の仕分け束に紛れていたものです」

「では、原本と見比べてください。一応この場で確認しておきましょう」

「承知いたしました」

リゼットが黒い《保管箱》を開き、もう一枚の紙を取り出した。

机の上に、鈴で呼ばれた手配保証書の原本と、リゼットが保管していた控えが並ぶ。

その控えを開いた時、折り目の奥から薄い紙が一枚すべり落ちた。

紙質も折り目も違う。後から差し込まれた別紙のようだった。

端には、黒いインクがにじんだような跡があった。

けれど、紙には紋章名も署名もない。

そこには短く、こう書かれていた。

――白百合の門を閉ざせ。

――次は、銀の鈴を黙らせよ。

誰もすぐには喋らなかった。

王妃陛下の目が、静かに細くなる。

「お金を奪うためだけではない。白百合慈善院そのものを閉ざすことも目的だったのですね」

財務卿の腕の中で、猫が小さく鳴いた。

今だけは、誰も冗談を言わなかった。

王妃陛下は、その別紙へ視線を落とす。

「そして、次は銀の鈴を黙らせる、と」

その言葉で、監査室の空気が変わった。

銀の鈴。

それがただの道具の名ではないことを、この場の誰もが理解していた。

セドリックが何も言わずにレイベルナへ一歩近づいた。

前に立つのではない。

すぐ隣で、いつでも動ける位置だった。

「レイベルナ嬢」

王妃陛下の声は静かだった。

「残念ながら、すでに狙われているようです」

「……はい」

レイベルナは銀の鈴を握った。

怖くない、と言えば嘘になる。

だが、この紙を見た以上、ここで止まることはできなかった。

リゼットは別紙を机へ置き、原本と控えをもう一度見比べた。

「……もう一つ、確認すべき点があります」

「何ですか」

王妃陛下が問う。

リゼットの視線が、手配保証書の末尾で止まった。

「この文書を出した人の名前を書く欄が空白です。受付印、次へ回した印、受取欄はありますが、出した者の名だけがありません」

「こちらの控えも同じですわ」

レイベルナが確認して言った。

「原本も控えも、同じ場所だけが空白ですか」

王妃陛下は手配保証書を見下ろした。

「責任者の名がない偽の文書が、勝手に処理へ進んでいたということですね。これはもう、数人規模で済む話ではありませんね」

トマスは潰れかけた丸いパンを握ったまま、小さく言った。

「あの……では、この名前の欄を空白にした人を呼べばいいのではないですか?」

財務卿が目を細める。

「よい問いですな。国庫のためなら、私も今すぐそうしていただきたいところです」

レイベルナは手配保証書の空白を見つめた。

「⋯⋯それができれば良いのですが、今のままでは届きませんわ」

「届かない、ですか?」

「ええ。どうやら、《呼び鈴》は私が言葉で指定した相手をそのまま呼べるものではないようなのです。これまで呼ぶことができたのは、書類や記録に責任がはっきり結ばれていた相手でした」

レイベルナは、受付印と次へ回した印を指で示した。

「今この文書に残っているのは、受付印や受取欄などだけです。空白にした『責任』は、まだどこにも名や記録として結ばれていないことになります」

トマスは手元のパンをさらに握りしめた。

「では、呼び鈴でも分からないのですか?」

「分からないのではなく、まだ呼ぶためのつながりが足りないと言うほうがわかりやすいでしょうか。ここで鳴らしても、私が呼びたい相手には届きません。呼ぶには、その責任がどこに残っているのかを、しっかりと見つける必要があるのです」

財務卿が重く頷いた。

「つまり、呼び鈴は願望の鈴ではなく、責任の鈴ということですな」

「はい。ただ、私が『この人に責任があるはず』と思うだけでは足りません。その責任が、本当に書類や記録の上でつながっていなければ、音は届かないですわ」

レイベルナは銀の鈴を握った。

「だから、まずは書類の空白がどこを通ってきたのかを確かめます。責任がどこで切られたのかを見つけてから、きっちりと責任を取っていただきますわ」

名前が消されたのではない。

最初から、誰の名にも結ばれない形で作られている。

だからこそ、鳴らす前にこの空白の通り道を見つけなければならない。

王妃陛下は静かに頷いた。

「リゼットは監査室に残り、証拠の保管と確認を続けなさい」

「承知いたしました」

「そのうえで、今後はレイベルナ嬢の補佐として動くように。呼び戻した責任と証拠を、記録して守る者が必要です。正式な辞令は後ほど整えます」

王妃陛下は手配保証書の空白の欄へ視線を落とした。

「監査室長は、今は長期不在中でしたね」

「はい。地方監査へ出ておられます」

「ならば、その不在も利用されたのかもしれませんね。責任者の名が空白のまま文書が通った理由が、少しずつ見えてきました」

財務卿も猫を抱え直す。

「私は財務方として、偽の支払い処理を止め、正規の支援手配を急がせます。食料、薬、薪、衣類。今度こそ、余計な商会も口座も挟ませません」

レイベルナは顔を上げた。

「王妃陛下。私は白百合慈善院へ参りますわ。まずは実際の状況をこの目で確かめてまいります」

王妃陛下はすぐには頷かなかった。

机の上の別紙へ視線を落とす。

――次は、銀の鈴を黙らせよ。

「……レイベルナ嬢」

「はい」

「この文は、あなた自身を狙っているとも読めます。決して一人で動いてはなりません」

その言葉が落ちるより早く、セドリックが一歩前に出た。

「王妃陛下。同行の許可を」

迷いのない声だった。

レイベルナが思わず顔を上げると、セドリックはもう彼女の隣に立っていた。

前ではない。

後ろでもない。

すぐ手が届く距離で、同じ方向を見ている位置だった。

王妃陛下は静かに頷く。

「許可します。近衛隊長には私から話しておきましょう。……白百合の門を、閉ざさせてはなりません」

「承知しました」

セドリックは短く答え、レイベルナへ視線を向けた。

「許可は下りました。現地確認が終わるまで、護衛として同行します」

セドリックは机の上の別紙へ一度だけ目を向けた。

「あなたを狙う文が出た以上、離れる理由はありません」

その一言は、ただの職務の言葉にもとれるものだった。

そう分かっているのに、レイベルナは胸の奥が少しだけあたたかくなるのを止められなかった。

「では、お願いしますわ。セドリック卿」

「はい」

白百合慈善院を閉ざす。

それは支援を止めるためだけではない。

王妃基金の名を汚し、銀の鈴を罠へ誘い込むための一手だった。

レイベルナは机の上の別紙を見つめる。

――次は、銀の鈴を黙らせよ。

黙らせるつもりなら、その前に責任の通り道を見つける。

そう決めたレイベルナは、セドリックとともに白百合慈善院へ向かった。