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君を愛することもある

作者: 瀬嵐しるん

本文

今から十五年前のこと。

初夜の寝室で夫は言った。

「君を愛することもある」

「左様でございますか」

わたしは、そう答えた。

他にどう答えようがあっただろうか。

嫡男として生まれた夫は恋多きことで有名だった。

伯爵家は財政も健全で悪い噂などなく、当の本人も見目好く社交上手である。

それにもかかわらず、なかなか婚約者が決まらなかった理由のひとつは彼の性癖だ。

貴族男子のみが通う学園を卒業した後、後継教育の傍ら恋人をとっかえひっかえ。

相手は平民あり貴族ありと、身分の貴賤を問わず。

ただし、二股はしなかったらしい。

次の相手に気が移れば今までの恋人に謝罪し、いくばくかの慰謝料を払い、きっぱり別れるのだ。

しかも未亡人を恋人にすることはあれど、生娘に手をかけることはない。

そういうところは、次期伯爵としてきちんと線引きしていたようだ。

恋多きことは皆に知られていたが、関係が拗れて女性を泣かせたとか間男になったとか、そういった噂は一度も聞かなかった。

「僕はこれからも、恋人を持つと思う」

「はい」

「だが、妻は君だ。

君を疎かにすることはない。

もし、そう感じたら遠慮なく言ってほしい。

もちろん、他にも気になったことは何でも教えてくれ。

僕らは家族になったのだから」

では、さっそく確認しようではないか。

「愛すること、というのは閨を共にすることでしょうか?」

「そうだ」

「理解いたしました。

では、初夜をいたしましょうか?」

「うん、そうしよう」

こうしてかなり事務的に、わたしたちの初夜は営まれた。

それから頻繁ではないものの、わたしたちは夜を共にした。

しかし、三年経っても子供には恵まれなかったのである。

夫は相変わらず恋人を切らすことはなかったが、同時に貴族の責務を疎かにすることもなかった。

夫婦として招待された夜会には同じ馬車で参加したし、そこで恥をかかないような装いも十分用意された。

「君に似合うと思って」

「素敵。ありがとうございます」

時々贈られる小さなジュエリーも、好みを把握した品の良いものばかりで、わたしは素直に礼を言ったものである。

よほど自分のことを語りたい人間以外は、家の中の細かい事情など、よそには漏らさない。

ところが、表面的で断片的な事柄だけで話を組み立て、勝手な物語を作り上げる者は少なからずいる。

特に女ばかりの茶会では、恋人を持つ夫に冷遇されている妻だと決めつけて話しかけられることがよくあり、煩わしい思いをしたものだ。

「旦那様は秘密の恋人に夢中で、お寂しいでしょう?」

旦那様には確かに恋人がいるが、他のことが眼中にないわけではない。

次期伯爵として必要な執務は十二分にこなしていたし、恋人との逢瀬についてもどこへ行くとか何時に帰るとか、所在も所要時間もはっきりさせていた。

当然のことだ。

もしもそうでなければ、緊急事態に対応できないではないか。

それに秘密ってなんなのだ?

物語で読んだような自分の憧れの愛憎劇を、よその夫婦関係に投影しないでいただきたいものだ。

あと、少しもお寂しくはない。

次期伯爵夫人として義母に教わることは山ほどあったし、わたしは子爵家の出であるから、そもそも出遅れている。

夫が恋人にかまけてくれている間に、その遅れを取り戻すことが出来るならありがたいくらいだ。

そもそも、恋多き相手にあえて嫁いだのがわたしである。

夫が婚姻後も恋人を持つのは想定内に決まっている。

婚姻前、貴族家の間をたらい回しにされてきた釣り書きを受け取った時、両親とも『断っても大丈夫だから』と真剣に言った。

だがわたしは『ぜひ、お受けしたいと思います』と答えた。

それまでも夜会で実際に見てきた彼は、非常に紳士であった。

ダンスでも会話でも、身分で差別する雰囲気が全くない。

それはもちろん男性同士の会話の様子でも同じで、自分より年下の男爵家の令息であろうと、あるいは高齢の公爵様であろうと同じように丁寧に接していた。

給仕や警備の者たちにまで同じ態度とはいかないが、それでも居丈高になったりはしない。

社交界に出て数年も経てば、差別的で威圧的な貴族男性など見飽きるのが常だ。

そんな中で彼の態度は、わたしにとって好もしいものだった。

わたしという人間は、さばさばしてバサバサした性格である。

あまり殿方に好まれるようなタイプではない。

そんなところを取り繕いもしないわたしに、初めての顔合わせの時、彼ははっきり訊いた。

「夫が恋人を持っても平気だろうか?」

「恋人の範疇ならば、気にすることはありません」

「そうか。わかった」

そして婚約は成立したので、彼もわたしの性格について許容できたのであろう。

何の問題もない。

さらに日が経ち、婚姻後三年を過ぎて子供が出来なかったことを、あれこれ言う者もいた。

可哀そうに白い結婚なのだろうとか、離縁されるのではないかとか。

だが、夫は離縁など言い出さなかったし、日々はそれまでと同じように過ぎて行った。

婚姻五年目に、夫は伯爵位を譲られた。

忙しくなったこともあり、しばらくは新しい恋人を作らずにいた。

ところが、それから八か月ほど経ったころ、夫の最後の恋人が膨らんだお腹を抱えて伯爵家に乗り込んできたのである。

驚く夫の横で、わたしは彼女を客間でもてなすよう使用人たちに指示を出す。

夫の恋人はわたしを見て、少々怯えたような顔をした。

夫と相談して、彼女を敷地内の別館に滞在させることにする。

メイド頭によれば、大勢のメイドに世話されるのには恐縮しているが、別館周囲に警備の者が常に配置されていることには安心している様子だ。

やがて子が生まれ、親子の鑑定をしてみれば父親は別人だった。

平民では子と親の関係を鑑定することはほぼないので、結果を告げられた彼女はひどく驚いていた。

「……申し訳ございません。

伯爵様にはとてもよくしていただいたのに、恩を仇で返す様な真似をして」

切羽詰まった彼女は、すべてを打ち明けた。

夫と別れてすぐ、知り合った男と関係を持ったという。

やがて彼女の事情を知った男は、生まれてくる子供の父親を誤魔化して金を引き出すよう脅した。

臨月が近づいた彼女は他に頼る者もなく、伯爵家にやって来たのだ。

彼女と連絡がつかずに苛立った男は、敷地の外をうろついたせいで怪しまれ簡単に捕縛された。

過去にさかのぼって調べてみれば案の定、強請り集りの余罪が多く、鉱山での強制労働の刑が下される。

彼女は子供を連れて、修道院へ行くことになった。

今のところ修道女になる予定はないが、雑用係として子供を育てながら働くことが許されたのだ。

扱いが過酷にならぬよう、夫は寄付をはずんでやった。

「よろしかったのですか?」

「うん、少しだけど夢を見させてもらったからね」

「左様ですか」

夫は子供を作りにくい体質であった。

「こんなことも起きたし、もう、恋人を持つのは止めにしよう」

「若い時分から励まれましたから、そろそろくたびれる頃合いでしょうか?」

「ひどいな」

そう言いながら、夫は笑っていた。

「お子が欲しかったのですね」

「種なしのくせに、性懲りもないよね」

種なしではない。

医師の話では種はあるのだが、活力不足らしい。

夫は伯爵家の跡継ぎだ。

ひょっとすると多くの恋人を持った理由は、その体質を補いたかったからかもしれない。

さすがに口にするべきことではないけれども。

「姉上は息子を三人産んでいて、みんな健康だ。

養子に来てもらえないか、相談してみようと思うがどうだろう」

「いいお考えかと思います」

それから本当に恋人を持たなくなった夫は、わたしと過ごす時間が増えた。

週に何度か、庭を散歩するのが習慣になりつつある。

「君は……僕が恋人にかまけている間、何をしていたの?」

「伯爵夫人としての務めを」

「その中で楽しいことはあった?」

「ええ、ありましたよ」

夫との子作りに期待はなかったが、子供は嫌いではない。

それで、平均的な貴族婦人よりも孤児院に力を入れてきた。

「伯爵領の孤児院に、絵の才能がある若者がいたので支援したり」

「それは、君の恋人?」

「いえいえ、まさか。

わたしは貴方という夫だけで手いっぱいです」

夫は目を丸くする。

若者は画商に目をかけられるようになり、なんとか独り立ちできたので、孤児院時代からの仲良しの女の子と婚姻したのだ。

「自分で産んではおりませんが、伯爵領の子は皆わたしたちの子です。

特に、親のいない子には親代わりのつもりで、なんでもはしてやれませんが、出来る範囲で気にかけておきたいと思うのです」

「ああ、そうだな。

僕も今度、孤児院の慰問に同伴してもいいだろうか?」

「ええぜひ」

婚姻から十五年が経ち、お陰様でわたしたちは平穏な日々を暮らしている。

散歩はすっかり日課になり、今日も夫の隣を歩く。

「僕は君を愛していると思う」

「たぶん、わたしも貴方を愛していると思いますわ」

甘くもなく辛くもない愛という言葉。

わたしたちは、どこか似た者同士だった。

愛だとか恋だとか、そういうものより前に貴族の義務があり、それこそがわたしたちの絆だったのだ。

情緒不足かもしれないけれど二人の間ではそれでうまくかみ合って、お互いそれなりに幸せに歩いてこられたと思う。

「父上、母上、ただいま帰りました」

「お帰り」

「お帰りなさい」

息子は養子に来てから八年が経つ。

今は貴族学園に通う傍ら、後継教育も受け始めていた。

「画家の先生は?」

「そろそろお見えになるわ」

件の孤児院出身画家は、すっかり売れっ子だ。

デビュー前から支援をした縁で、婚姻十五周年の記念に家族の肖像画をという話が出たときに、描かせてほしいと申し出てくれたのだ。

「この前、学園で美術館に行ったとき、神話の神々の絵を拝見しました。

直接お会いできるなんて、とても楽しみです」

「今日は打ち合わせだけだから、少しなら雑談もできると思うわ」

「いいんですか?」

息子は目を輝かす。

「失礼のないようにね」

「はい!」

「そろそろ、応接間の方へ……」

散歩に付き添っていたメイドが促す。

「そうね、……わたしこのままで大丈夫かしら?」

画家とその妻とは気心の知れた仲と言えるが、今日の彼らはお客様なのだ。

メイドはわたしの身なりにさっと目を走らせて小さく頷く。

それなら安心と思ったところで夫が言った。

「君は、今日も変わらず綺麗だよ」

「うわぁ、父上、年頃の息子の前で遠慮もなく……」

「事実を告げただけだ、何の問題もない」

問題はあった。

年甲斐もなく頬に上った血を、どうしてくれるのだ。

「少しだけお化粧をお直ししましょう」

メイドが出した助け舟に乗り、わたしはその場を逃げ出した。