軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

133

朝日が昇る少し前。

まだ街が眠りについている時間、宿のベッドでジグが身を起こす。

彼は無言で、寝起きの霞がかったような顔を押さえた。

「……随分と、懐かしい夢を見たものだ」

普段あまり夢を見ない彼にとってこういう事は珍しい。

もう十年になるだろうか。

傭兵団に拾われたばかりのあの頃は、ただただ強くなることに必死だった。それ以外に目を向ける気も余裕もなかった自分はしばしば周囲を呆れさせ、多くの人に助けられたものだ。

「……ふっ」

古い記憶に、らしくなく自嘲的な笑みを浮かべる。

今よりも自分が遥かに未熟だった頃。

今よりも自分がもう少しだけ、まともだった頃。

もう二度と、あの光景は甦らない。

あの魔海を渡ってもう一度元の大陸に戻ることは難しいだろう。しかしそれ以上に、今とあの時では状況が違いすぎた。

「選んだ道を考えれば、是非もない」

それを後悔したことはない。したことはないが……

「……行くか」

そのことを思い出すと、少しだけ気が重くなるのであった。

早朝の静まり返った街をジグが走る。

先日あれだけ走り回ることになったが、鍛錬を欠かす気にはなれなかった。

怪我をして動けないわけでもない以上、日課をこなさない方が逆に落ち着かない。

「よし、疲れは残っていないな」

よく食べ、よく眠れば次の日には動けるのが傭兵だ。

脚に筋肉痛はあるが、それで動きが鈍るような鍛え方はしていない。

「やはりあれぐらい無茶した方が効くな」

自分だけで鍛錬をしているとどうしても追い込み方が温くなってしまう。人間二人背負っての全力疾走など、まともな神経をしていては思いつかない。

だがそれだけ窮地に立たされた分の価値はあった。

「もう少し、重石でも付けるか……?」

比較的軽装とはいえジグの装備は決して軽くはない。

双刃剣は無論だが、手甲など各種防具に加えて消耗品まで含めればその重量はそれなりのものになる。

走るペースを上げるというのも考えたが、強みを生かそうと思うと速度よりも持久力の方が欲しい。

「……速度を上げて、重石を付ければいいか」

走りながら色々考えたが、結局諦めて雑な解決策に頼る彼のこういう所は昔から変わっていなかった。

「ライエルに笑われるな……」

見た夢のせいか、 あの時(・・・) のことを思い出したのか。

気障な彼の呆れたような苦笑を思い浮かべてジグは走った。

そうして鍛錬をしていたジグが足を止めるが、それは走り込みを終えたからではない。

「ここも少し前に来たばかりだというのにな」

目の前の建物を見上げる。

免罪官、ヤサエル=バーロンとの死闘を繰り広げた場所―――澄人教の教会を見上げながらジグが苦笑いした。

静かな早朝と教会の雰囲気も合わさって静謐な空気を醸し出している。

シアーシャが穿ち、ジグが蹴り破った正面扉は修復されていた。修復とは言っても丸々新しいものに取り換えたようだが。

まだそう日も経っていないというのに手回しのいいことだと感心する。

今回は殴り込みに来た訳ではないので、正面扉ではなく裏手に回る。

ほとんどない人目を避けるように勝手口に行き、その扉を叩いた。

早朝で本来ならば出なくても不思議はないはずだが、扉は開いた。

「はい、なんでしょう」

顔を出したのは人の良さそうな中年男性だ。

穏やかで一見無害そうな顔をしているが、その端々に隠しきれない暴力の気配を感じる。

彼はジグの顔を見ると穏やかな表情の端に冷たい色を浮かべてうっすらと笑った。

「おや、これはこれは……どうぞ中へ」

彼に招き入れられるまま、中に入って行く。

澄人教の免罪官はいなくなった。

彼だけでなく狂信的な信者もそのほとんどが姿を消し、この教会に訪れるのは一般的な教徒のみとなった。

時間がある時に祈り、悩みを相談する程度の一般的な教徒。

異教徒や亜人を排除するほど過激ではないが、嫌悪感や忌避感はそれなりにある者達。

ある日突然教会が空になっていたら彼らが混乱することは目に見えていた。

その対策としてバザルタはこの教会へ人を送り込んだ。澄人教の知識があり、比較的まともに見える人間を選ぶと教会で神父の真似事をさせた。

今この教会を運営しているのはそのほとんどがマフィアの構成員という状態になっていた。

教徒からすれば悪い冗談としか思えないだろうが、今のところそれが露見する様子はない。

「上手くやっているようだな?」

慣れた手つきで茶を用意する男に声を掛ける。

まだそう日も経っていないというのに勝手知ったるものだ。

「馬鹿を騙して借金まみれにするよりも余程簡単ですとも。なにしろ、彼らは自分から騙されに来てくれているのですから」

神父役をしているらしいマフィアの男は悪びれもせずに言ってのける。

「導いている、だろう?」

「現実から目を背ける手引をしていることをそう呼ぶのなら、ですがね」

彼は随分と皮肉屋のようで、そう言ってせせら笑った。

まあその辺りの言葉遊びはどうでも良い。

騙されていようと、導かれていようと、本人たちが満足しているならばそこに差はないのだから。

「探ってもらいたいことがある」

こちらが本題に入ると男は茶を差し出して鼻を鳴らした。

「ヴァンノさんから、あなたには便宜を図るように言われています。金は取りますがね。……それで、何を調べればいいんで?」

「マフィア、あるいは裏と関わりのある冒険者をリストアップしてほしい」

ジグの要求に指で机を叩きながら男は思案する。

「曖昧ですね。もう少し条件を絞ってください」

「風の魔術を使える者がいること。刃蜂のいる森に出入りできる等級に達していること」

これに引っかかる者とカークから貰ったリストを合わせれば、より怪しい人物が浮かび上がってくるだろう。

無論確実ではないが、リストを片っ端から当たるよりも効率的になる。

「刃蜂……ははぁ、昨日の事件をギルド辺りにでも調べるよう頼まれましたか」

ジグの事情を察した男が訳知り顔で頷く。

彼はコップを傾け口元を隠しながら嘲るような声音で流し見た。

「今度はギルドの犬ですか。忙しい事ですねぇ、傭兵殿」

「金さえ払えばお前の犬になってもいいぞ?」

挑発を軽く返してやれば、つまらなそうに肩を竦める。

「……やめておきましょう。狂犬は私の手に余る」

「依頼主に対しては、忠犬なんだがな」

ジグは金貨を数枚置いて席を立った。

最後まで、彼の淹れた茶に手をつけることはなかった。

教会を出たジグは宿へ向かわず、繁華街から外れた裏通りを走る。

裏と言っても後ろ暗い連中がたむろしているほど深くはない、風俗街だ。

日が昇り始めた風俗街では一日の仕事を終えた娼婦たちが疲れた表情で煙草をふかしている姿が散見された。

その中の一人、栗色の髪の毛と艶めいた目元を隈で縁取った娼婦に声を掛けた。

「御苦労さん」

「……おや、ジグじゃないか」

娼婦は疲労で垂れた瞼を気だるげに持ち上げて笑みを浮かべた。

「あんたも毎朝、精がでるねぇ。偶にはうちでその精を出して行っても……いいんだよ?」

退廃的だが、男の劣情を誘う目でこちらを流し見る。

男を知り尽くしている夜の女の視線に何も感じないわけではないが、今は仕事が優先だ。

「また今度な。少し調べて欲しいことがある」

「……まったくあんたは。ここ来て女買わずに情報を買う奴があるかい。あたしと一夜過ごせば、それぐらいサービスしてやるってのに」

女としてのプライドを傷つけたのか、口を尖らせて文句を言う。

「勘弁してくれ。俺の様な若造があんたに抱かれたら、情報貰うどころか全部持ってかれる」

「……ふん。安くはしないよ」

へそを曲げつつも頼みを聞いてくれるあたり、ジグの印象は悪くない。

“ああはなるまい”と下に見られがちな娼婦たちだが、そんな彼女たち相手にも公平に接するジグの態度は好意的に受け取られていた。

ジグにとってみれば、人殺しよりもよっぽど真っ当な仕事というだけのことなのだが。

それに加えて、時折店の片づけで酒瓶の詰まった木箱を運んでくれたりなど、娼婦たちからの評判は良い。

こうした根回しも“娼婦の不興を買う傭兵は三流”というライエル含めた先輩傭兵たちの教育の賜物であった。

「では、頼む」

「今度は買ってよね」

娼婦の声を背に走りを再開する。

時折すれ違う娼婦たちと挨拶しながら宿へ向かう。

「ひとまずはこんなところか」

“情報とは焦った者から喰われていく”というコサックの言ではないが、本職でないジグに出来るのはこれぐらいだろう。時間はある、焦らず堅実にだ。

そして走りながら思い出すのは昨日のバルトの言葉だ。

“我らも直接目にしたわけではないのでこれは推測に過ぎないが……あれは、意図的に行われたものだと思う”

そう語った根拠として、あの魔術が飛んできた方向からは“戦闘音がしなかった”らしい。

それが本当なら、魔獣との乱戦になって流れ弾が当たったというには少し不自然ではある。

亜人の聴覚がどの程度鋭いかジグは知らない。しかし耳が長いだけのイサナ達が優れた聴覚を有していたことを考えれば、狼の耳を持つ彼らが人間より低いということはないだろう。

「きな臭くなってきたな」