作品タイトル不明
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ジグが入院して三日目。
その間にこれといったトラブルは何も起きず、平穏に過ぎていった。
先日グロウとウルバスが見舞いに来たことがあったくらいだ。
その二人も詳しい話は治ってからまた後日と約束し、すぐに帰っていった。
その分ジグは治療に専念することができた。
体力が戻るにつれて怪我の治療は進み、大きな傷はほとんど塞がっていた。
そして、それに比例してジグの食欲が首をもたげていく。
それは、食事と呼ぶにはあまりにも大雑把で乱雑なものであった。
「……ここ、一応病院なんだけど」
ひきつった笑いをしたドレアが控えめに苦情を言うが、その言葉が届くことはない。
ジグは空腹と呼ぶのもおこがましいほどの飢餓感に突き動かされ、目の前の食料を貪り食っていた。
ひたすらに続いてやむことがない咀嚼音。
吊るしベーコンを一本抱えて食いちぎり、パンなどちぎるのも煩わしいと言わんばかりに一斤丸ごとかぶりつく。
ほとんど噛んでいるのかも分からない速度で咀嚼し、スープで流し込むと次の獲物へ手を伸ばす。
「よく噛んで食べないと、体に良くないよぉ……」
病人とは思えぬ、あまりにも無法な食事風景にドレアが肩を落とす。
話している間も惜しいが、幾度も世話になっている相手に無視はよろしくないと久しぶりに食事以外のために口を開く。
「安心しろ」
そう言って葉物野菜を一玉つかみ取ると、バザルタの者が回収してくれた剥ぎ取り用ナイフを突き立てる。手入れしているとはいえ人間や魔獣相手にも使用したものだが、気にした様子はない。
「今回は野菜もある」
ナイフを滑らせ豪快に真っ二つにすると調味料もかけずにかぶりついて見せる。
「あ、そうですか……」
一応前回の提言を考慮してくれたんだなと思いつつも、問題なのはそこではないことについては諦めることにした。
頭垂れるドレアを余所に食事を続けるジグ。
その病室のドアが開かれた。
「お待たせしましたーっととと……追加ですよ」
両手に食料の詰まった袋で満載にしたシアーシャがよろけながら入ってくる。
追加でどっさりと並べられた食料。それを見たジグは空にした椀を置いて満足気に頷いた。
「助かる」
シアーシャが空の椀にスープをよそってジグに差し出すと、困ったように笑った。
「これで近場の食品店は全滅ですね……」
今回負った怪我は今まででも一番の重傷だ。
回復術を掛ける頻度は増え、そのたびにジグの食欲は猛威を振るった。
既に周辺の露店が出す屋台飯など食い尽くし、昼時なのに店仕舞いしている。先程からジグが料理ではなく食材をそのまま食べているのはそのためだ。
調理などという手間を掛けている暇があったら少しでも栄養を体に取り入れたかったのだ。
それでも多少は何かあった方が良いだろうとドレアが提供してくれた塩と胡椒、それとマスタードのみの味付け。
治療中にシアーシャが作り置きできるスープのみ大量に用意しておき、パンやベーコンなど在庫のある物を手当たり次第に購入している状態だった。
「あまりにも大量の食糧を買い占めているものだから、僕が魔獣でも飼っているんじゃないかって憲兵が捜査に来たよ……」
「あはは……ご迷惑おかけします」
「いいんだけどね? 患者が良くなるために必要なことなんだから……ちょっとだけ、いつもの治療現場とは違うだけで」
しかしその甲斐あって、ジグの体は通常ではありえないほどの回復速度を見せた。
本来であれば半年は入院が必要で、そこまでしても完治に時間が掛かるほどの深手だったのだ。
名医がついて、整った医療環境があっても時間が掛かるであろう重傷を、大量の食事程度で済ませられるのであれば安いものではある。
繰り返すが、回復術は万能ではない。
かけられる者の体力を大きく消耗し、治し辛い負傷には時間が掛かる。
大きな負傷をすればそれだけ体力も失われ、その回復を待たなければならないが、傷が塞がらなければ体力も戻らないという堂々巡りを起こすことも少なくないのだ。
余程高価な滋養・強壮薬でもあれば話は別だが、そんな貴重なものは金だけ積めば手に入るという訳でもなく、一般に流通することはほとんどない。
ジグが元々持つ魔力に頼らない回復力と底なしの体力、強靭な内臓があって初めて可能な芸当なのだ。
(美味い)
口こそ食事のために動かしているが、ジグは飢えを満たすために占拠されていた思考が味覚を楽しむまでに余裕が出来ていた。
“生きるためならば泥水だろうと啜り、ドブ鼠だろうと食らう”
そんなことを平然と口にする彼だが、状況が許すならばやっぱり食事は美味しい方が良いに決まっている。
料理というより食材だが、それでも今の彼には十分だった。
噛みしめるベーコンは塩辛いだけだが、今はそんな雑な味がありがたい。
作られてから時間が経ち、冷えて岩のように固いパンも顎を動かすことで食べ応えと満足感をもたらしてくれる。
採れたてというだけが売りの生野菜もかぶりつけば汁気と瑞々しさが口中に広がり、口をリセットしてくれた。
空腹こそ最高のスパイスとはよく言われる言葉だが、やはり物には限度があるということか。
そうして食べ続けること一時間。
「……うむ、満足した」
追加の食糧までしっかり食べ尽くし、大鍋のスープを一滴残らず平らげたところでようやくジグの飢餓は満たされたようだ。
腹をさすりながらシアーシャが淹れてくれた食後の茶を飲む。
「私、いつジグさんのお腹が弾けるんじゃないかってひやひやしていましたよ」
「……実は俺もだ」
入れたそばから食料が体内で燃えていくかのようにいくら食べても止まらず、正直ちょっと怖くなった。
「それに治るからと言っても、毎回この散財はまずい……」
この三日間で一体いくら食費に使ったのか、想像するのも恐ろしい。
先日武器を新調したこともあってジグの財布事情は既に限界まで 逼迫(ひっぱく) している。
ドレアに治療費を払ったら宿代すら怪しくなる金額しか残らないだろう。
一応こういう時のために現金に換えられる宝石類はあるが、緊急用なのでなるべくなら手を付けるのは控えたい。
「もうすぐ退院できるだろうから、すぐに仕事をせねばな」
「そんなに無理しなくても……私貸しますよ?」
「依頼人に金を借りる護衛がどこにいる……気持ちだけ受け取っておこう」
そんなやり取りをしているとジグは病室に近づく気配を感じた。
歩幅や足音の立て方がドレアではない。
そうして近づいてきた足音の主はジグの病室をノックして断りもせずに扉を開けた。
「やぁ、どうも。思ったよりも元気そうだ」
くたびれたトレンチコートに粘ついた笑みを浮かべる男。
バザルタの幹部、ヴァンノが部下も引き連れずに病室に入って来た。
「部下の報告じゃあ、結構な重傷って聞いてたんだがね?」
「大袈裟だな。見ての通り、もうすぐ退院する。……それで?」
まさか見舞いに来たわけでもあるまい。
本題に入れと促す。
ヴァンノは葉巻を取り出し、ここが病室であることを思い出して渋々懐にしまうと語りだした。
「免罪官、ヤサエル=バーロンの死亡を確認した。信徒はほぼ全滅。生き残りはほとんどいない……あんた本当にとんでもない奴だな」
「襲われたから、殺した。それだけだ」
ジグが白昼堂々襲われたことは周知の事実だ。
苦情を言いに行った先でさらに襲撃を受け、それをすべて撃滅した。
言葉にしてしまえば今回の事件はそれだけのことに過ぎない。
「あれだけ殺して、それだけってことはねえだろうよ。……まあ、いいさ。おかげでうちはあいつらの 縄張(シマ) を好きにできる。その代わりあんたの正当防衛の証明と、憲兵共に鼻薬を嗅がせておく……悪い取引じゃねえ」
目障りな宗教団体が消えたことで得られる利益は大きい。
澄人教が押さえていた場所は立地もよく、商売をするのにうってつけだ。
この街は既に勢力圏が決まっていて大きく動くことが少ないため、こういう機会は滅多に回ってこない。
どの勢力も弱った場所を虎視眈々と狙っているためどうしても食い合いになってしまう。
それを総取りできたことの意味は決して無視できるものではなかった。
「ちょいと、勢力バランスも崩れちまうかもしれねえなぁ?」
これから得られる利益と、それに慌てたやつらがどう動くのかを想像するだけで笑いがこみあげてくる。
「約束通り、あんたの仕事に支障が出ないためのフォローはさせてもらうぜ」
「ああ、頼んだぞ。話はそれで終わりか?」
ジグに言われて視線を彷徨わせたヴァンノ。
彼はその目を隣で我関せずと茶を飲むシアーシャへ向けた。
「ところでよぉ、そっちの嬢ちゃんは紹介してくれねえのかい?」
ねっとりとした視線を這わせながらシアーシャを値踏みするヴァンノ。
当の本人は小首をかしげるとカップを置いて自己紹介する。
「シアーシャです、冒険者をやっています。ジグさんには護衛兼、冒険者業を手伝ってもらっています」
「あぁこりゃどうもご丁寧に。ワシはヴァンノいうもんですわ。そちらの兄さんとは仕事でちょいと、ね」
社交辞令的な挨拶だけ済ませると、ヴァンノは意味ありげにジグを見る。
「へぇ、護衛をねえ?」
彼の視線の意味が分からないジグではない。
おそらく彼であればすでに調べはついていたであろうが、実際にこうして顔を見て、看病しているのを見ればただの護衛関係ではないと考えるのは自然な成り行きだろう。
単なる依頼人以上に、シアーシャはジグの弱点たりうる。
ジグの危険性を理解しているからこそ、その手綱を握りたくなるのは人を使う立場の 性(さが) ゆえか。
「ヴァンノ」
「何ですかい、兄さん?」
無駄に争うのは好まない。特に財布の寂しい今は。
だから警告は一度だけ。
それで分からないならば、後は好きにすればいい。
「シアーシャの目を、よく見てみろ」
「……目ぇ?」
言葉の意味を測りかねたヴァンノだが、ジグの声音から何も考えずに言ったわけではないと判断する。
そして今一度、シアーシャに視線を向けた。
墨を落としたように艶のある黒髪。
白く瑞々しい肌には傷一つなく、まさに玉のよう。
下品にならないほどに出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる理想的なスタイル。
そのかんばせは女性の魅力と少女のような愛くるしさが絶妙なバランスで同居している。
「……ふん」
なるほど大した美人だ。
これだけの上玉ならばこの傭兵が入れ込むのも分かる。
立場上女には困らない自分をしてもこれだけの女はそうそうお目にかかれない。
そして、なにより美しいのは目だ。
蒼く、どこまでも深いその瞳。
その瞳を見ていると、まるで吸い込まれてしまいそうで背筋がゾクゾクしてくる。
もっとだ。
もっと見てみたい。
そう脳が指示するままに身を乗り出したところで、
―――その瞳の奥に眠る、混沌を見た。
「―――ッ!?」
全身が金縛りにあったように強張る。
本能的な恐怖が自分の体を深く支配しているのをどこか他人事のように理解した。
何故これに気が付けなかった?
頭に冷や水を掛けられたようだ。
背筋に感じていたものが寒気だと、今更ながらに気づく。
本能が危険だと警告を発していたのに、どうしてここまで気づけなかったのか?
目を逸らせ、今すぐに。
そうしなければと思っていても、体が動かない。
呼吸が苦しい。
息を吸って吐く、ただそれだけのことがうまくできない。
「シアーシャ」
それを救ったのはジグの一声だった。
「はい?」
呼ばれたシアーシャの視線が外される。
「……っ、はぁ、はっ」
たったそれだけのことで、自分の体に自由が戻って来た。
さっきまで感じていた寒気と金縛りが嘘のように解けている。
「……兄さんよぉ」
絞り出した声は、自分でも分かるほどに掠れていた。
だがそんなことに構っている余裕はない。
こんな……
「あんた、一体何を連れているんだぁ?」
こんな、化け物を!