軽量なろうリーダー

今日も明日も見て見ぬ振りを

作者: 2626

本文

家畜の方が人間よりも多いくらいにひなびた田舎町、モコタウンの町長の息子バーンはずっと気になっていることがあった。

右隣のローテ一家についてである。

祖母のマリー・ローテ、息子のマイケル・ローテ、嫁のリリー・ローテ。

マイケルとリリーには娘ミアと息子ジョンがいたけれど、三年前に都会に出ていって、それっきりである。

一年前、マイケルは酒の飲み過ぎが原因で事故死した。

今、ローテ家には嫁のリリーと祖母のマリーだけが暮らしている。

このマリーはすっかりぼけてしまっているようで、真夜中に突然大きな悲鳴を上げたりするので、バーンも驚いて飛び起きることがあった。

もっと酷い時は裸に近い格好で外を徘徊して、嫁に殺されると喚く。

本当に迷惑で嫌なばあさんだと、バーンは内心で不愉快に感じていた。

一方、リリーことリリーおばさんについては、バーンは大好きだった。

いつも朗らかで明るく挨拶してくれて、優しくて、料理上手できれい好きで、こざっぱりとしたおばちゃんなのだ。

バーンの母親や祖母もリリーおばさんとは格別に仲良くしていたし、バーンが幼い時、リリーおばさんの娘のミアと息子のジョンにもうんと可愛がって貰った記憶がある。

あんなに優しいリリーおばさんが、あそこまではた迷惑で汚いばあさんの面倒を見なきゃいけないなんて。

半分バーンは憤っていたし、半分は同情していた。

バーンは夕食の後、母親に頼まれて皿洗いをやっていた。

父親は家畜の様子見、母親は同じキッチンで明日の料理の下ごしらえをしていて、祖父母は既に寝ていた。

「おふくろ、あのさ」

バーンは何気なく、隣で野菜の皮をむいている母親に話し掛けた。

「リリーおばさんなんだけどさ。 どうしてあんなババアの面倒を見ているんだよ。 介護施設に入れちまえば良いだろう? 被害妄想ばかり言われて本当に可哀想だろうが、リリーおばさん」

バーンの母親はぴたりと包丁を動かす手を止めた。

それから、いつになく無表情でじっとバーンを見つめたのだった。

「……そうだね、あんたも十五になった。 だから、世の中にはこんなこともあるって知っておいた方が良いだろうね」

包丁をまな板に置くと、深い溜息をついて彼女は話し出したのだった。

あたしが嫁いできた時と同じ年にリリーさんも嫁いできた。

今から二十年も昔の話さ。

あたしは幸い、亭主も姑も舅も優しい、本当に良い家に来られたけれど……リリーさんのローテ家はそうじゃなかった。

マリーのクソババア(バーンは母親が人をクソババア呼ばわりするのは初耳であった)は変なところでしみったれでね。

自分は服やら宝石やらじゃぶじゃぶ買う癖に、リリーさんには生理用品さえ買わせなかったんだ。

生理用品が無い女がどんなに惨めな思いをするか、バーン、あんたには分かるかい?

毎月なんだよ。

言葉にならないくらい惨めな思いが、毎月のように何日も続くんだよ。

……無理矢理に分かれとは言わないけれどね、もしあんたが将来結婚したら、絶対に嫁さんにはあんな惨めな思いをさせるんじゃないよ。

マイケルの野郎は自分の酒を買う金は幾らだって……それこそ借金してでも用意した癖に、リリーさんが泣いて頼んでも知らんぷりした。

リリーさんのご両親は既に亡くなられていたからね。

今にして思えば、身寄りが無い彼女だからこそ、結婚したんだろうね。

何処にも逃げ場なんて無いことを計算ずくで、口説いて、結婚さえしちまえばこっちのもんだと。

……それこそあたしやお 義母(かあ) さんがこっそり生理用品を分けていなかったら、リリーさんはどんなに悲惨だったか分からない。

でもね、この程度は序の口だったんだよ。

リリーさんが妊娠したんだ。

リリーさんは喜んでいたよ。

きっとこれでマイケルも変わってくれる。

きっと孫が出来たらマリーお義母さんも優しくしてくれるって。

少なくとも孫にまで酷いことはしないだろうって。

リリーさんが最初に産んだのは女の子だった。

ヘレンちゃんって名前でね。

リリーさんそっくりで、本当に可愛い子だった……。

あたしも子供が欲しかったけど中々生まれなくて悲しかった時に、何度か抱かせて貰ってね。

ああ赤ん坊ってこんなに可愛んだって、凄く幸せな気持ちになった。

女が結局どれ程産みの苦しみを味わっても子供を欲しがるのは、あの小さな手を握ってやりたいからだろうね。

でもね、ヘレンちゃんは三才になる前に死んだ。

マリーってのは本当にクソババアでね。

ヘレンちゃんには酷いアレルギーがあったんだ。

バーン、あんたにもあったんだよ、卵のアレルギー。

あんたの場合は幸いにも軽かったし、大きくなったら平気になったけど、あの子はね、命に関わるクルミのアレルギーだった。

マリーは常々言っていた。

あ(・) の(・) 赤(・) ん(・) 坊(・) はマイケルに似ていない。

ちっとも可愛くない。

クルミのアレルギーだなんて、障害者と同じじゃないか。

そもそも女なんか産んで何の役に立つ。

「貴女だって女じゃない! この今時に何て古くさいことを言っているの!」

そうやってウチのお義母さんがたしなめたけれど、それで大人しくなるような殊勝さなんてマリーには無かった。

今はもう切り倒されているけれど、ローテ家の庭にはクルミの木があったんだ。

リリーさんが何もご飯が貰えなくてひもじい思いをした時に、落ちているクルミを拾ってよく食べたって話をしてくれたことがあったっけ……。

バーン。

マリーが、ヘレンちゃんに何をしたかはもう分かるね?

爺婆の葬式ならまだしも、幼子の葬式なんか地獄と変わらない。

リリーさんは半狂乱だった。

半狂乱でマリーに詰め寄って、だけれど平手打ちされて倒れた。

あたし達だってリリーさんを庇って、マリーを詰ったさ。

だけどあのクソババアはいけしゃあしゃあと言ったんだ。

「証拠も何も無い癖に! 名誉毀損よ! 訴えてやるわ!」

……マイケルは何をしていたのかって?

葬式の後は酒がたっぷりと出るんだ。

娘が死んだってのに何もせず飲んだくれて、いつものように知らんぷりだったよ。

リリーさんがおかしくなったのはその後だった。

それまではあたし達にマリーの愚痴をこぼして、どうにか耐えていたみたいなんだけど。

いつもニコニコするようになった。

すぐに次の子を妊娠して。

ミアちゃんも女の子だったんだけど、マリーの仕打ちに耐えながら働いて育てて、ジョン君まで産んだ。

マイケルの借金を返して、働いて、働いて、育てて、育てて。

あたし達はいつリリーさんが倒れちまうのか心配で溜まらなくて、何度も声をかけたんだけど、リリーさんは怖いくらいの笑顔で『大丈夫です!』って……。

バーン、覚えておきな。

人間がただただ『大丈夫です』って言う時は、いつだって何か背後にある時なんだから。

そうこうしている間に、やっとあんたが産まれてくれてね。

冗談抜きで痛くて死ぬかと思ったよ。

でもあんたを無事に産むまでは絶対に死ねるかって、死に物狂いで頑張ったんだ。

手のかかる子だったけど、涙が出るくらい可愛くて愛おしくて嬉しかった。

だけど……リリーさんはこの幸せと愛情を一度失ったんだって思ったらね、声にならないくらい痛ましくて……。

あたしだったらマリーのクソババアと刺し違えていたかも知れないよ。

……。

ミアちゃんとジョン君も大きくなってね、都会の寮付きの有名な学校に入った。

あんたも二人には遊んで貰っただろう?

覚えているかい?

ああ、それは良かったよ……。

マリーのクソババアが散々そのことを自慢していたけれど、本当に頑張ったのはリリーさん達だって誰もが知っていたからね。

いつになく大雪の降った去年の冬のことだった。

飲みに出かけたマイケルが帰ってこなかったのさ。

あんたは風邪を引いていたから詳しいことは知らなかっただろうけれど。

モコタウンの全員で探したら……大雪が降っていたからよく見えなかったんだろうね、道を踏み外してドブに落ちて足を折って、でも大雪の所為で声も届かなくて。

たった一人で凍死していたよ。

マリーは大泣きしていた。

だけど誰もが天罰が当たったんだって、マイケルのために泣くヤツはいなかったっけ。

良いかいバーン。

死んだ後に周りから見限られるような人生を送るんじゃないよ。

マリーのクソババアはリリーさんを責めた。

雪の日に飲みに行かせたお前の所為だって殴りかかろうとした。

あたし達で止めたけれど、泣いて暴れるから抑えるのが大変だったよ。

あたしもお義母さん達もリリーさんを慰めて、「悪いことは言わないからもうローテ家から出て行った方が良い」って忠告した。

あんなやり方で幼子を殺し、しかも簡単に暴力を振るうマリーのクソババアと二人っきりになったんだ。

今度こそリリーさんが何をされるか分からないだろう?

ミアちゃん達も「一緒に都会で暮らそう!」って誘ってくれたんだ。

でも、リリーさんは「ここに残って最期までお義母さんの面倒を見る」って……。

誰がどう説得しても、頑として首を縦には振らなかったんだ。

マリーが夜中に大声で泣きわめいたり、突然に悲鳴を上げたり、裸に近い格好で外を徘徊するようになったのは、その半月後だった。

バーン。

もう分かるだろう?

リリーさんが今、マリーのクソババアに何をしているか。

逮捕はされないように、体に傷を付けないやり方を選んでいるんだろうね。

お待ち、バーン!

良いかい。

良くお聞き。

絶対に、止めさせようとかするんじゃないよ。

リリーさんはこの好機を二十年近く狙っていたんだ。

少しでも邪魔したらあんたでもただじゃ済まないだろう。

……ヘレンちゃんが殺されるのを止められなかったあたし達に出来ることは、今日も明日も見て見ぬ振りをするだけなんだから。