軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ヒロインの敗戦

自分はやはり正しかった。お仕着せを身にまとい、セレナ・ジルベールはひそかに笑う。

エルメイア皇国の皇城はただの廊下でも広く、華やかだ。天鵞絨の絨毯を踏み、回廊の絵画を眺めているだけでも、自分が生まれ変わったかのように感じる。運んでいるきらきらしたドレスも、最先端のものでうっとりしてしまう。

(あんな田舎の中年と結婚せずにすんだし、皇都にこられるなんて!)

拷問だと脅されたり牢に放り込まれたときは焦ったが、無罪放免にされたのはリリアの力なのだろう。

ただ、皇城勤めとはいえ、召使いというのはどうかと思っている。

今のセレナは死んだことになっていて、身分がないせいで女官にできないとリリアから説明はされた。「少しおとなしくしていて」とは言われたが、釈然としない。

(いつまで私にこんなことさせるつもりかしら……代理として働いてあげたのに)

このままでは、使用人扱いされていた実家にいるのと変わらない。

『あなたにお願いしたいことがあるの。ミーシャ学園に学生のふりをした半魔のアシュタルトという魔物が入りこんでいるわ。この香でその正体を暴いてちょうだい。そうすればあなたは聖剣の乙女の代理、英雄よ――』

そんな手紙の返事から始まった一連の仕事は、とにかく大変だった。

そもそもリリアの情報はわけがわからないものが多かった。特に、人間に扮した魔物の正体を暴くというあの甘い匂いのする魔香。吸いすぎると危険だという忠告の割に使用法も曖昧で量も少なく、試行錯誤させられた。夜の学園に忍び込んで、焚いてみたり振りまいたりして持続効果を調べたり苦労した。

婚約者がいるのにオーギュストに色目を使う女子に痛い目をみせてやろうと思ってケーニヒ教授の前で手紙を落としたのだが、その手紙と一緒に小分けした魔香を落としてしまったと気づいたときは焦った。ケーニヒ教授が職を追われて学園からいなくなって、どんなにほっとしたか。

だが、取り返せないかと見張っていたケーニヒ教授が魔香にのめりこんでいく様子を見て、これが人間にきくのではないかと気づけたのはよかった。男子生徒に配ったりして実験し、薄めれば快楽を引き起こしたり媚薬のような効果があることがわかったときは使えると思ったが、いかんせんそもそもの量が少ない。

(魔王様にたくさん使っちゃったしね)

どうせならみんなの前で魔物の正体を暴く。そうすれば誰もが自分を認めるだろう。白百合姫なんてそれにくらべればなんてことない――そう思い学園祭でしかけたが、それもずいぶん怖い思いをすることになった。

それだけ尽力したのだからリリアの友人、いや恩人として、どこかの公爵家の養子にくらい迎え入れてしかるべきではないのか。

「……でもまあ、いいわ」

ポケットから小瓶を取り出した。とりわけておいた魔香の原液だ。量にして一口分もない。

だが、これは切り札になる。

(あの時のみんなの態度。これって絶対、持っていたらまずいものよね? こんなものをリリア様からもらったって言えば……)

いざとなればリリアだって脅せる。

もちろん、ちゃんと自分を優遇してくれるならそんなことはしない。ふふっとセレナは笑って小瓶をポケットにしまった。

「落ち着いたら何をお願いしようかしら――あら?」

「……セレナ?」

思いがけない人物と回廊ですれ違い、驚いた。振り返った赤銅色の髪の青年も驚いた顔をしている。おとなしくという忠告などそもそも聞く気がないセレナは、以前と同じように話しかける。

「オーギュスト! どうして皇城に? ……今着てるのって聖騎士団の制服じゃないの!?」

紫紺のマントに銀糸で彩られた紋章は、エルメイア皇帝直属の扱いになる最高峰の騎士団・聖騎士団の騎士に許された正装だ。頬をかいたオーギュストが曖昧に笑う。

「あ、ああ。ミーシャ学園やめて、聖騎士団の入団試験受けて……先週、配属が決まったんだ」

「すごい! 聖騎士団の試験ってとっても難しいんでしょ? エリートじゃない!」

しかも騎士爵を持つ、高給取りだ。手柄をあげれば領地も与えられる。

「あー……筆記試験はゼームスに色々詰めこまれたけどもう忘れたかな。はは」

「えっ? どうして……まさか皇都にいるの?」

「……。うん、まあ。あ、でも今はもう生徒会長じゃなくて――」

「何をしてる、オーギュスト。皇帝への謁見に遅れるつもりか?」

交差する回廊の右手から、貴公子然としたゼームスが現れた。驚いていると、オーギュストがほっとしたように笑う。

「悪い、今行く。じゃあ、セレナ」

「ちょっ、ちょっと待って! 半魔がこんなところにいるの、おかしいでしょ!」

殺されるか、牢にでも投獄されているのが普通のはずだ。だが袖をひいたオーギュストは眉をひそめて何も言わない。そのかわりゼームスが鼻で笑った。

「無礼なことを言わないでもらおうか。今の私はミルチェッタ公子だ。クロード様の取り立てでな」

「――は? 貴族ってこと?」

頬を引きつらせたセレナに、ゼームスはさらに続けた。

「ウォルトとカイルも皇都にきているぞ。今の奴らはただの護衛だが、いずれどこかの貴族の養子になるらしい」

「養子って……ど、どうして」

「いずれ皇帝になる方を守る近衛騎士が平民では格好がつかないからだろう」

皇帝――想像もしなかった言葉に、息を呑んだ。

「オーギュスト様、ゼームス様。クロード様がお呼びです」

また聞き覚えのある声が飛び込んできた。名前を唸るように呼んでしまう。

「レイチェル・ダニス……!」

上等な黒のお仕着せ姿のレイチェルがそこにいた。この皇城では一目置かれるドートリシュ公爵家のお仕着せだ。召使いとして放り込まれたセレナは、内心悪態をつきながら何度も頭を下げてきたのでよく知っている。

(どうして!? ドートリシュ公爵家なんて、どこにそんなコネが……!)

あそこの使用人は名家の出ばかりのはずだ。ダニス家など、地方の田舎伯爵でしかないのに。

「皇帝の謁見に立ち会われたいそうです。ご案内しますので、来ていただけますか?」

「わかった。行くぞオーギュスト」

三人がそろって歩き出したのを見て、セレナは慌てて追いかける。

「待ちなさいよ! どういうことなの、生徒会全員がそろって皇都にきてるなんて」

しかもそろって地位がセレナより高い。いや、セレナも時間がたてばそれ相応の待遇になるはずだが、それでもだ。

「おかしいじゃない! 何があったの、説明して」

セレナが尋ねているのに、三人とも何も答えない。その内に回廊から皇族が使用する応接間の前にたどり着いてしまった。衛士が三人に頭を下げるのを見て、かっとなる。セレナはあの衛士に、この洗濯物を頼むと投げられたことがあるのだ。

「ちょっと!」

「下がりなさい」

もう一度オーギュストの服の裾をつかもうとしたところで、冷たい声が割って入った。

レイチェルだ。信じられない気持ちでセレナはたちはだかったその姿を見る。

「こちらの部屋には、皇太子殿下と婚約者のアイリーン様がいらっしゃいます。騒ぎ立てるのはやめてください」

「なっ……ど、どうしてあなたにそんなこと言われなきゃいけないの! 何様のつもり」

「私はアイリーン・ローレン・ドートリシュ公爵令嬢の侍女です」

つまりアイリーン・ローレン・ドートリシュが皇妃になれば女官長と同等の権力を持つことになる。今のセレナに命令できる立場だ、という主張に他ならない。

「あなたはただの召使いです。ここに許可なく入ることはできません、下がりなさい」

「――どうしたの? 賑やかね、レイチェル」

内側から扉が開き、涼やかな声が響いた。両開きの扉を左右それぞれ開けたのは、ウォルトとカイルだ。その二人がまとっているのも制服ではない。いつか魔王の側近が着ていた、金色の飾り紐が美しい軍服だった。

そして部屋の中から出てきた令嬢に、皆がそれぞれ頭を下げる。息を呑んだ。

あのとき、自分を打ち負かして白百合姫になった女だ。

瞬間、一気に頭の中でいろいろなことがつながった。女だったアイリ・カールア。あれがもし白百合姫だとしたら、つまり――。

「――あなた、どなたかしら?」

優雅な微笑を口元に浮かべて、アイリーン・ローレン・ドートリシュがそう言った。

学園祭で互いの姿を見ている。覚えてないわけがない。誰何することでセレナを嘲笑っているのだ。震える拳を握った。

何もかも茶番だ。こんな馬鹿な話があっていいわけがない。

「一体、どういうことなの!? こんなっ――」

勢いこんで糾弾しようとした喉元に、剣が突きつけられた。

「下がれ」

オーギュストだ。冷たい声が信じられなくて、呼吸が止まる。

生徒会で一緒だった。差入れしたり、色々面倒だってみてあげた。あんなに仲良くしていたはずなのに。ゼームスも何も言わない。魔物のくせにどうしてえらそうにしてるのか。カイルとウォルトに至っては、視線一つよこさなかった。

「オーギュスト、おびえさせては可哀想よ。――全員、そろったわね。クロード様、謁見の間へ向かう時間ですわ」

「ああ」

「クロード様……!」

部屋の奥から現れた美貌の魔王に、セレナはすがる目を向けた。彼が最後の希望だ。

仲介役をした自分に何かと目をかけてくれていた。薬の効果だって、何か残っているかもしれない。

「私です、セレナ・ジルベールです! ミーシャ学園でお仕えしたっ……あの、これってどういうことですか!?」

「セレナ・ジルベールは死んだだろう」

感情のない返答に、ふと寒気がした。

ジルベール家なんて貧しい田舎の爵位は惜しくなかった。縁を切ってリリアに取り立ててもらう方がよっぽどいい、そう思っていた。アシュタルトだったという濡れ衣を着せられても、家の連中へのいい復讐になったと笑いが止まらなかったくらいだ。

けれど、もしリリアが取り立ててくれなかったら? しばらくおとなしく、そう言ったあの笑顔の裏に、疎ましさはにじんでいなかったか。

小瓶が入ったポケットを触る。これは切り札ではなく、命綱ではないのか。

(私――ひょっとして、何か間違ったんじゃ……)

つい数ヶ月前まで同じ学生だった面々を見る。皇太子立ち会いで皇帝へ謁見するということは、ここに集まっている彼らはゆくゆく皇帝になるクロードの側近になるのだろう。

そして今のセレナは、ただの召使い。

何も言わないセレナの前を、アイリーン・ローレン・ドートリシュが横切る。咄嗟に手が出た。だがそれをウォルトに取られる。

それでも怒鳴らずにいられなかった。不安と怒りで。

「あんたが! あんたが私をはめたのね、この恥知らず! セドリック様からクロード様にのりかえただけじゃなくっ……クロード様、だまされてます! こんな女じゃ、あなたは幸せになれな――」

魔王が自分を見た。そして何の感情もこもらない瞳で、指を鳴らす。

――召使いが皇城の肥だめに落ちる、些細だが当人にとってはとても不幸な事故が起きたのは、その直後のことだった。

迎え撃つ満々だったアイリーンは、消えたセレナに目をまばたいた。そしてそっと横のクロードを見上げる。

「……どこにやりましたの? まさかまた」

「なんのことだ?」

涼しい顔にため息を吐いた。だがすぐにレイチェルから注意が飛ぶ。

「アイリーン様、もうすぐ謁見のお時間です」

「わかっているわ。レイチェル、謁見のあとのお茶の用意は森の城の方でお願い」

「おまかせください」

侍女になったレイチェルは想像以上の優秀さだった。元々礼儀作法は完璧だし、ドートリシュ公爵家で侍女の立ち回りを学び、皇城の女官長も経験したメイド長からかわいがられている。

オーギュストは半泣きになりながらも聖騎士団の入団試験を突破してくれて、今までに縁のなかった組織につなぎをもたらしてくれた。リリアの息がかかっているマークスの入団より早いというのは、大きな一手になるだろう。

ウォルトとカイルを、クロードの護衛という形で取り込めたのも大きい。教会も一枚岩ではなくセドリック側の人間がいるのだ。“名もなき司祭”として優秀な人間を二人引き抜いたことは必ず今後役に立つ。

ゼームスはミルチェッタ公国の公子として認められた。これはクロードのお手柄だ。ミルチェッタ家の汚職についての証拠を集め、ミルチェッタ公国を事実上乗っ取ってしまったのだ。そしてゼームスを公子として認めるよう迫った。ゼームスが半魔であること、その叔父の悪事を公表したうえでだ。

その頃からゼームスは、クロードを「魔王」ではなく「クロード様」と呼ぶようになった。つまりは、そういうことなのだろう。

いずれゼームスは、魔物と人間が住む土地を作る第一人者になる。聖剣の乙女の故郷がそういう土地になるのは、政治的にもとても大きな意味がある。

とはいえ、まだミルチェッタ公主は存命なので、ゼームスはまず皇都でドートリシュ宰相について政治を学ぶことになった。住居は本人の希望により元廃城、つまり魔物達と一緒だ。ベルゼビュートが妙な対抗意識を燃やし、キースは先輩面しているが、それなりに仲良くやっているようだった。

そんな彼らを皇帝に目通りさせる。それはいずれクロードの側近になるのだと公言するのも同じだった。

セドリックとリリアも陣営を固めている。特にリリアは見事に1の攻略キャラを落としていた。こちらも負けない人材をそろえる必要がある。

「アイザック達は皇帝に謁見させず、今までどおりの扱いでいいのか?」

謁見の間に向かいながらクロードが尋ねる。アイリーンは頷いた。

「ええ。そのままがいいそうです。わたくしもその方が助かりますわ。味方が全員皇城にいるというのも危ないですし、ジャスパーは皇城の人間の悪事を暴く方が好きだと」

「確かに彼らは皇城よりオベロン商会で働いている方が楽しそうだ」

「ようやくミルチェッタからこちらに戻れたんですもの。仕事はたくさんありますわ」

「ああ。……ところでアイリーン。仕事ばかりで君への仕置きがまだなんだが」

実は数度目になるこの問いを、アイリーンはにこやかに流した。

「それは謁見を無事終わらせてから考えましょう?」

「……。君は日に日に僕を後回しにするようになってないか?」

「痴話げんかはあとにしてくださいよ、魔王様にアイリちゃん」

すぐそばにいるウォルトがおどけたようにつぶやく。カイルが渋面になった。

「ウォルト、アイリじゃない。アイリーン様だ」

「だってなんか抜けないんだよ。お堅いこと言わない。な、オーギュスト」

「お、俺は頑張って直そうと思ってるよ! アイリは女の子だし――あ」

言ったそばからアイリ呼びになったオーギュストに、アイリーンは微笑む。

「公私で使い分けてくれるならアイリでかまわないよ、オーギュスト」

「――ドレス姿でアイリの口調はちょっと嬉しくない……」

「そうか? かわいらしいと思うが」

真顔で答えたクロードにただ一人、冷静につっこんだのはゼームスだった。

「クロード様。そういったことはあとで存分に。仕置きでも何でもすればいいので」

「そうだな」

そうだなじゃない。だがもう皇帝が待つ謁見の間の扉が迫っていた。

クロードの婚約者として皇帝に拝謁するのは、実は初めてだ。ふと、さきほどのセレナの罵声が耳によみがえった。かつてはセドリックの婚約者で、今はクロードの横に立つ自分を、皇帝はどう見るだろう。

「アイリーン」

クロードの柔らかい呼びかけと一緒に、額に柔らかいものが当たった。

一拍おいて飛び跳ねるようにしてうしろに下がる。額に手を当てて真っ赤になった。額に口づけされたのだ。

「な、な、な、何を、こんなところでっ……!」

「大丈夫だ、君は僕にふさわしい」

――このひとは、やはりずるい。

悔しさを胸に、アイリーンは前を向く。

「当然です」

「では行こうか、アイリーン」

新しく得た仲間を連れて、まっすぐに、皇帝への道を。