作品タイトル不明
護衛達の婚約(17)
――ヴィオラ・ルヴァンシュが魔香が悪いものだと知ったのは、何歳の頃だったのだろう。
最初はお遊びだった。いつも甘いお菓子やおもちゃをふたりぶん、きちんと持ってきてくれる叔父が「内緒だよ」と見せてくれた処方箋。とても難しいものなんだ、作ったりできない。そう笑われたから、びっくりさせてやろうと思った。それだけ。
自分でいうのもなんだがヴィオラは記憶力がよく、大の薬学好きだった。一瞬だけ見えた処方箋を丸暗記してしまったのだ。でも材料はわからないものが多かった。それにかわるものをふたりで考えてさがして、ああでもないこうでもないと実験を繰り返し、そしてできあがったものを、こっそりふたりで叔父に見せにいった。
そんな子どもじみた遊びが、地獄の始まりだとも思わずに。
ルヴァンシュ伯爵家は、いつもお金に困っていた。お人好しの両親は、数字に弱く、人を疑うことを知らない。あとから知ったことだが、叔父の仕込みもあったのだろう。不作が続いた領民への税をさげた。だが復興はならず、今度は蓄えを吐き出すことになった。頭のいいリラは、両親を助けたい一心で帳簿を引っ張り出し、計算をして、ここがおかしいあそこがおかしいと言っていたが、子どもの言うことだと相手にせず、資金援助を申し出てくれた叔父に任せっぱなしだった。今思えば叔父がすべて吸い上げていたのに、叔父を信頼していて誰も気づかなかった。そうこうしている間に、伯爵家はみるみるうちに困窮した。
みんなが幸せならそれでいいんだよ。両親のことは大好きだったが、その言葉は言い訳のように聞こえた。『皆を助けるために薬を売ろう』――叔父の言葉のほうが、子どもの自分達には正しく聞こえたのだ。
そう、薬だと思っていた。吸った人が元気になる薬。
賢いリラが、売るために様々な提案をした。携帯しやすく、あるいは強めは危険だから薄いものから取りそろえて、使用者にあわせたものをたくさん用意する。原価率は、販売率は。両親に言っても相手にされないから、販売ルートはひとまず叔父を頼る。
魔香売買疑惑に自分の子どもが関わっていると知ったとき、両親はどんな気持ちだっただろうか。
「私も気づくべきだった。ただリラに言われるがまま、ヴィオラの作っているものを売ってしまって。子どものやったことだと、陳情してみれば許して頂けるのではないか」
叔父はぬけぬけと言った。
真面目な両親は子どものやったことは自分たちがやったことと同じだと、叔父の言うことを丸呑みにして――あるいはただ言い出せなかったのかもしれない、だいぶ叔父への借金があった――魔香を作ったヴィオラを連れて、皇帝陛下に事情を説明するため馬車に乗った。
そして馬車の中で殺され、馬車と一緒に崖に落ちていった。
それをヴィオラは、叔父の雇った教会の人間に捕らえられながら見ていた。
自分だけ助けられた理由は明白だった。魔香を作るためだ。そしてリラが処分されなかった理由も明白だった。ヴィオラとリラ、互いに互いを縛り付けるためだ。
教会の協力で作った地下室は、リラとヴィオラ、どちらかひとりがブローチをつけて鎖につながれれば部屋の扉が開き、片方だけが出て行ける。そういう作りになっていた。中途半端な自由を与えたのは慈悲などではない。
まず、亡き兄の愛娘を育て家を建て直す立派な人物を演じて、自分へ疑いの目を向けさせないため。そして、自分が逃げたら双子の片割れがどうなるかわからない環境におくことで自殺をふせぐ。そして食事と、それなりの環境も与えた。どちらかひとりなら『リラ・ルヴァンシュ』として生きていける。
そうやってヴィオラとリラを飼い殺そうとしたのだ。
諦めて、魔香を作り続ければいい。そうヴィオラは思ったこともあった。だがリラは諦めなかった。
叔父に殴られれば「傷がつけば虐待をあやしまれる」とやり返し、ヴィオラが叔父の寝台に引きずり込まれそうになったら「お姉様に何かしたら目立つように死んでやる」と脅し、守ってくれた。リラとヴィオラはそっくり同じ顔だったが、叔父はどうにもうるさいリラが好みではなかったらしい。ヴィオラがこっそり仕込んだ毒薬で不能になった叔父に体中なで回されても耐えられたのは、リラがいたからだった。リラだけはこんな目に遭わせまいと、思えたからだった。
いつかきっと叔父の悪事を暴いて、ルヴァンシュ伯爵令嬢としてふたり、罪を償っていきていく。そんな夢をリラはくれた。
だが、逃げ場はなかった。
既に屋敷の使用人は叔父が取りこんだ魔香中毒者たちばかりになっていて、ほとんど意思がないか魔香ほしさに叔父に従う者ばかり。屋敷に閉じこめられている間に社交界での叔父の評判は高まっていき、今更小娘が声をあげたところで妄言と思われるのは目に見えていた。
皇帝陛下が代替えし、教会の勢力が弱まったとき、一瞬胸に希望が灯った。だが、今の皇帝は魔物を傷つける魔香を決して許さない、何かあればお前達ふたりが処刑されて終わりだ――そう笑う叔父に、何ができただろう?
リラがルヴァンシュ伯爵令嬢として生き直すことを、叔父の悪事を暴くことを諦めたのはその頃だった。そのかわり、ふたりで逃げよう。そのためにリラが計画を立てた。ヴィオラに上質の魔香を作らせ、それをリラの手で売り飛ばし、逃走資金をためる。叔父の命令ではなく、自分自身で犯罪に手を染めた。叔父の手は教会があった頃ほど、もう長くはなかったのが幸いした。
それが現実的だとは、ヴィオラもわかっていた。
でも、どうしても許せなかった。リラまで一緒に堕ちてしまうことが。
リラを社交デビューさせたらどうか、と叔父にすすめたのはヴィオラだった。リラは抵抗した。嫁に出されたが最後、ヴィオラと逃げる機会はなくなる。何か不都合があれば嫁ぎ先を巻きこんで始末されるかもしれない――リラの懸念はもっともだ。おそらく叔父もうまく魔香を売りさばくようになったリラをそろそろ始末したいと思って、ヴィオラの話にのったのだろう。危険な賭だった。
だがヴィオラはリラを説き伏せた。
最後のチャンスよ。ひょっとしたら、叔父ではなくあなたを信じて助けてくれる人間が現れるかもしれない。そうしたらふたりで助かるかもしれないじゃない。
ふたりで逃げる。それがリラの妥協の産物によるものだとわかっていたから、そそのかした。それにもし、叔父に魔香売買疑惑を向けることができたら、強制的にこの屋敷の中が暴かれるかもしれない。
逃げるついでだと、リラは不興を買う覚悟で、禁色のドレスを着て舞踏会へ行った。魔香のことをその場で言ったところで叔父は逃げる。だから悪目立ちすることを選んだ。
叔父はあぶないことをしたリラに激怒して、帰宅するなりリラを殴りつけた。だが、リラはいつ皇后から釈明に呼び出されるかわからないうえ、見合いをするなら人の目にふれる機会が増える身だ。顔はもちろん、腕や背中の傷もふやせば危険だ。その分、ヴィオラが寝室に引きずり込まれる日が多くなったが、リラが殴られないなら幸せなくらいだった。
アイザック・ロンバールが見合いを受けてからは、完全に暴力はおさまっていた。何せ皇后陛下の腹心と言われている臣下だ。あやしまれるわけにはいかなかっただろう。監視もヴィオラの想像どおり、ゆるくなった。
リラはぶつぶつ言いながらも楽しそうだった。口紅をもらったと、ヴィオラに持って帰ってきてくれた。皇后陛下の腹心だからってなんだ、叔父のことも見抜けない無能なら利用してやるだけだ――そう息巻いていたくせに、ひょっとしたらこちらをさぐるためにきてくれたのかもしれない、そう言い出した。
そんなふうに妹が言い出す相手なら、会いたくもなるだろう。
そして運命が自分に味方をした瞬間を、初めて感じた。
使用人も叔父も見破れないのに、彼はヴィオラとリラを見分けたのだ。
彼がアイザック・ロンバールでないという確信があったわけではない。ただ、リラのふりをして潜り込んだドートリシュ公爵家で、そう呼ばれている人物の横顔を裏口近くでちらりと見る機会があっただけだ。あのときは皇后陛下に謝罪させようと叔父に連れて行かれたのだが、屋敷に入ることすらかなわず、苛立った叔父が八つ当たりで蹴倒したテーブルの菓子やら何やらを頭からかぶることになって大変だった。
ともかく、大事なのは、アイザック・ロンバールではないということだ。
偽者を送りこんでいるということは、自分達はあやしまれている。なのに泳がされている。それはきちんと背景を調べてくれる、という証左だった。
叔父はそんなことも知らず、劇場で皇帝に直訴するつもりらしい。そしてヴィオラはリラのかわりに「約束の時間なのにアイザック様が迎えにきてくださらなくて」と訴える役を叔父からあてられている。
なんて滑稽な喜劇だろうか。
赤いドレスを着て、口紅を塗る。いつだって殴られるのはリラで、ヴィオラの肌は傷もしみもなく美しい。だがその中身は腐っている。きっと中身が外見に出るのなら、腐臭がするだろう。
にこやかに果物ナイフを一本拝借したって、魔香でぼんやりしている使用人は気づかず、叔父に命じられたまま会場へ向かう馬車に乗せてくれる。
叔父は捕まる。
リラの願い通り、悪事は暴かれる。
そして、魔香を作り続けた自分は処刑されるだろう。
でも、リラは、両親を、ヴィオラを、誰かを守ろうとしただけだ。
そんな尊い思いが、優しくて賢い妹が罰されるのが世の中なのだとしたら、世の中のほうが間違っている。
でも何せ、あの男は口がうまいから。
「――では、君の姪がすべて仕組んだことだと?」
ほらやっぱり、悪あがきをしようとしている。
ここで逃がすわけにはいかない。口紅を引いた唇がゆがむ。
だから神様、月夜の庭で出会った黒い魔法使いとだけは会わせないでください。
惨めで悔しくて零した涙など、リラにさえ見せたことはなかった。誰にも見せたくなかった。妹を不幸にするだけの自分に、泣く資格なんてない。
でもあの夜、あの瞳に映った自分は嘘みたいに綺麗で、誰かに大事にされてもいい妖精みたいな女の子に見えた。
そんな勘違いは、きっと自分を弱くしてしまうから。