作品タイトル不明
皇帝夫妻の一日目・1
目をさましたら、冬が春になっていた。
ぴんときた侍女の勘にしたがい、いつもより早く身支度をすませて、皇帝夫妻の寝室へ向かう。
レイチェルの勘を裏付けるように、両開きの大きな扉の前に、皇帝の従者であるキースも既にいた。
挨拶もそこそこに、キースが苦笑い気味に寝室を指さす。
「あかないんですよ、扉」
「あかないですか……」
「ちなみに古城のほうは森に花が咲き乱れて虹がかかってます。結界内だから余計、影響が出やすいんですよね。皇都全体もこの真冬に春の陽気になってますよ。……寝室が花畑になってないといいんですがねえ」
「それは……掃除が大変ですね」
だが、掃除をするにもこのあかずの寝室をなんとかしなければならない。
扉が開かない原因は言わずもがなである。
「さて、どうやっておびき出しましょうか。護衛にスキスキダンスでも踊らせますかね」
「こちらからの声は届くでしょうか?」
「少なくともクロード様には聞こえていると思いますよ。私めも声をかけてるんですが返事がない。邪魔するなってことだと思いますが。子作りは皇帝の大事な仕事ですし」
こんこんとキースが扉を叩いたが、やはり返事はない。キースが両腕を組む。
「さて、どう説得したものか。今日は新皇帝の大事な一日目。さぼりも遅刻もまずいです。同じことをアイリーン様もおっしゃっていそうですが」
「……アイリーン様……ご無事でしょうか」
「申し訳ないですがそれに関しては保障しかねます」
真顔で言われて、レイチェルは少し考えこんだあと、顔をあげた。背筋を伸ばして、寝室の扉に向かって声をかける。
「おはようございます、クロード様、アイリーン様。お支度の時間です。扉をあけていただけませんでしょうか、クロード様。でないと、アイリーン様の今夜のお支度ができません」
扉の向こうは沈黙したままだ。だが微妙な手応えを沈黙から感じ取る。少なくとも、クロードが耳をかたむけてくれた気がした。
「アイリーン様が体調を崩しては、クロード様も心配でしょう。私達にどうぞおまかせくださいませ」
「――キースと違って、なかなかうまい説得だ」
寝室の中から声が聞こえたと思ったら、扉が勝手にあいた。
廊下に花が流れ出てきた。キースの心配どおり、寝室は一晩で花と新緑が萌える楽園へと模様替えされていた。さわやかな風にかぐわしい花のにおいがまざり、清涼な空気が漂う。
「離れがたいが、まかせよう。ちょうど困っていたんだ。泣きやんでくれなくて」
真ん中にある寝台の上で上半身をさらしている皇帝兼魔王が妖艶に微笑む。
途端に、寝室が失楽園に早変わりした。
「ああ、やっぱりこうなってますよね……」
諦め半分に花を荒らして歩くキースに続いて、レイチェルも急いで寝台へと向かう。
アイリーンはクロードのかたわらで横になっていた。頭から真っ白なシーツにくるまっていて、顔は見えない。
「アイリーン様」
「……レイチェル?」
やや掠れた涙声と一緒に、シーツの隙間からアイリーンが顔をのぞかせる。
クロードが愛おしげに目を細めた。
「なんだ、泣きやんだのか?」
「……」
「恥ずかしがらずに顔を見せてくれ、僕の可愛いアイリーン」
「……」
「困ったな。今朝からずっとこの調子で、僕と喋ってくれないんだ」
少しも困っていない顔で、輝やかんばかりの笑みをクロードは浮かべている。にやついているように見えないから、美形は得だ。しかも上半身だけとはいえ、まぶしい裸身をさらしているのだから、だいぶ慣れてきたレイチェルでも目がつぶれそうである。
「それとも、昨夜の僕に何か不手際があっただろうか?」
「朝っぱらから不埒な真似はそこまでです、我が主」
主の色気などものともしないキースが、クロードに裾の長い上着を羽織らせた。
「不埒? 妻と愛し合っただけなのに?」
「あなたの存在自体が不埒で不道徳で卑猥です。はい、さっさと支度をしましょう。まずは湯浴みです」
クロードに袖をとおさせ、腰帯をさっさと結ぶキースの手つきは慣れている。クロードのほうも慣れていて、憂鬱げに首をかしげた。
「だが、妻に挨拶もしてもらえないままでは不安で仕事へ行けない」
「自業自得です。挨拶もしてもらえないような真似をしたんでしょう」
「どれのことだろうか?」
「――っ全部に決まってるでしょう!」
いきなりがばっと起き上がったアイリーンに、さも驚いたというような顔を作ったあとで、クロードが薄く笑い返す。
「なるほど。どうりで、僕には心当たりしかないと思った」
ぶちっとアイリーンの血管が切れた音が響いた気がした。
「このっ……!」
「ア、アイリーン様。落ち着いて」
枕を振り上げたアイリーンを背後からレイチェルは制する。それと同じタイミングで、キースがクロードの首根っこをつかんで立ちあがらせた。
「はい、もう行きますよ。お仕事です」
「待ってくれ、もう少し妻と語らっていたい」
「大丈夫です、また夜はきますよ」
意味深にキースはレイチェルに目線を流した。あとは頼む、というその視線に頷き返し、クロードに頭をさげる。
「おまかせください」
「そうか。……そうだな、ではまかせよう。アイリーン」
「なんですか!?」
「愛している。僕が悪かったから、機嫌をなおしてくれ」
素早くその頬に口づけをひとつ落として、クロードはさっさとキースのあとに続いて寝室を出て行った。
残されたアイリーンは、怒りと羞恥をごちゃ混ぜにした表情で、口をぱくぱくさせたあと、ぼすんとまた寝台に突っ伏す。おそるおそる、レイチェルは声をかけた。
「ア、アイリーン様……?」
「――あんなの、普通じゃない……」
「何が――」
尋ねかけて、口を閉ざした。真っ赤になった顔を両手で覆って、半泣きでアイリーンが繰り返す。
「絶対、あんなの、普通じゃないわ……そうでしょうレイチェル!?」
「……。湯浴みのあと、朝食にしましょう」
「お願い、話を聞いて!!」
聞いてはならない。
世界でいちばん尊敬する主人だが、聞いてはならないことだってあるのだ。