作品タイトル不明
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棚の上にまるごと痛み止めの薬が残っている。リュックは、寝台脇に小さな椅子をよせて座った。
「もう痛みはありませんか? 熱は?」
「平気だ。おかげさまでな」
そう答えて身じろぎしたそばから、顔をしかめている。わかりやすい嘘だ。
「それより、サーラは」
ちらと衝立の向こうには、彼の妻がいる。他国の将軍だというその患者は、彼女が目覚めるのをずっと待っているのだ。
「目覚めません。彼女は医療が及ばない領域での昏睡ですから」
「……」
「大丈夫だろ。セレナが力、わけてるって」
素っ気なくそう言ったのは、この部屋の監視を一任されているオーギュストだった。
「それは、どれくらい大丈夫なんだ。一生このままでは」
「わかるわけないだろ、そんなの」
「無責任な……!」
「無責任? だったらここからさっさと出てけばいいだろ。どこへ戻る気かしらねーけど」
いつも人なつっこいオーギュストが、この将軍――アレスだけには容赦がない。嘲笑を向けられたアレスは、かっと何か言い返そうとしたが、すぐに唇を噛みしめてうつむいた。
ぴりぴりした空気に嘆息して、リュックは話を変える。
「あなたの左足の話をしても大丈夫でしょうか?」
「……ああ。動かないんだろう、もう」
「埋めこまれた聖石と神経や筋肉が癒着してしまっています。こうなるともう、サーラ様でも治せないと思います。神の娘の力は聖石を元通り直すことはできるでしょうが、破壊ができない。それに破壊できたところでその足から聖石を取り除くというのは、そこで足を切ってしまうのと同義です」
将軍という仕事を考えると、足が動かないのは致命的だ。アレスが自嘲に似た、力のない笑みを浮かべた。
「――そうか。これで、見事なお荷物になるわけだな、俺は……」
「ただし、あなたの足を動かす可能性が、ひとつだけあります」
アレスが眉根をよせて、こちらを見た。
「聖王様です。彼なら、埋めこまれた聖石をそのままで、あなたの足を動かす道具として新たに力をふきこみ、作り替えることができるかもしれない」
「……バアル様が……?」
「あくまで推測ですが、可能性は高いです」
「――それなら、バアル様ならサーラを目覚めさせられるんじゃないのか!? つ……!」
身を乗り出そうとしたアレスが、顔をしかめる。リュックは肩をすくめた。
「やはり、まだ痛みがありますね? 体も熱い」
「そんなことはどうでもいい! サーラを、アシュメイル王国に戻せ! 今すぐ」
「できるわけないだろ、この状況で。聖王様は国を守らなきゃいけないんだから」
「バアル様はサーラを愛している! ならきっと……!」
「いい加減にしろよお前! さっきから自分に都合のいいことばっかり!」
ずかずかこちらにやってきたオーギュストがアレスの胸ぐらをつかんで持ちあげた。
「聖王様によく頼もうとか思えるな、自分が何したのか忘れたのかよ! 聖王様が好きだった女を寝取って、自分が捨てた婚約者を押しつけといて、助けろ!?」
「そ、それは」
「俺のことだって覚えてないんだろ! でもセレナに何したか、俺は忘れてな――」
「はい、静かに」
ぷすっとオーギュストの腕に注射を刺すと、三秒ほどしてへにゃりと床に膝をついた。
ついでにアレスの口の中に痛み止めと熱冷ましの薬を素早く水と一緒に放りこみ、鼻と口を押さえる。目を白黒させたアレスがばたばたと暴れたが、所詮けが人だ。
「んー、んー!」
「いいですか、医者の言うことはよくききましょう。はい、呑みこめましたね」
「リュ――リュックさん、これ、何……」
「大丈夫、三十分ほどしたら元に戻りますから、たぶん」
「たぶん!?」
「よく耳をかっぽじって聞いてくださいね。俺にはあなた方の確執など、まったく関係ありません。ですので、仕事の邪魔をしないでください。俺の仕事はアレスさん、あなたを可能な限り健康体に戻すことです。あなたの奥さんも含めてね」
げほげほ咳き込みながら、薬を飲み干したアレスが、涙目でこちらを見あげる。
「な、なら……」
「ですが、現状アシュメイル王国に何かを頼むというのは不可能です。そしてその左足では奥さんを運んでアシュメイル王国にたどり着くことすらできないでしょう。できたとしても、その頃、奥さん栄養失調で死んでると思いますよ。医を志す者としては認めがたいですが今、彼女が眠ったままですんでいるのは、なんだかよくわからない不思議な力のおかげです」
持ってきた道具や薬の類いを鞄にしまいながら、リュックは立ちあがる。
「奥さんを助けるには、あなたは他人の力を借りなければならない。わかりますか?」
「……」
「ですが誰もあなたを助けようとはしなさそうだ。何があったか俺は知りませんが、これがあなたの今までの人生の評価なんでしょう。自業自得とも言います。一切治療法もなく、つける薬も出せませんので、ご自分でなんとかしてください」
「――俺は、いいんだ」
やっと呼吸が整ったらしいアレスが、小さくそう言った。
「俺はいい。ただサーラを助けたい……」
「だから、そういうのが自分勝手だって言ってるんだよ!」
わりと強めの鎮静剤を打ってやったのに、まだ叫ぶオーギュストは頑丈だ。
リュックは大きく息を吐き出した。医者の領分ではないし、自分自身の仕事ではない。
(でも、アイザックさんがあれですからね……)
彼ならきっと。
そう思って、リュックは口を動かす。
「聖王様に頼む手段を、アイリーン様なら持っているかもしれません」
はっとアレスが顔をあげた。
「そして、ハウゼル女王国に対抗する戦力は足りてません。俺が言えるのはここまでです」
「……」
「じゃあ、オーギュストさん。見張り頼みますよ」
「この状態で……!?」
床を這って壁に背を預けて座ったオーギュストが、信じられないという顔をする。それをリュックは鼻で笑い飛ばしてやった。
「アイリーン様の下僕なら、こんなことくらい平然とのみこんでください」
どいつもこいつも下僕根性が足りない。
一笑して、リュックは部屋を出る。こっちは忙しいのだ。容態こそ落ち着いたが、キースがまだ目を覚まさない。
それにいちばんの頭痛の種は――。
「戻りましたよ、アイザックさん」
面会謝絶の札をそのままにして、リュックは診療室の寝台にいる患者に声をかける。
まだ意識が戻っていないことになっているアイザックは、ちらと視線を向けた。
「将軍、どうだった?」
「そそのかしておきましたよ。これでアシュメイル王国もまきこめるかもしれません」
「そうか。魔王パパ様は?」
「アイリーン様が口説き落としたみたいです」
「そりゃさすがだわ。……従者は間に合わなさそうだな」
「そうですね……」
「まあ、どっちかっていうと戦力というよりメンタル的な支えだから、いいけどな」
起き上がったアイザックの怪我は、頭のこぶと右腕の骨折だけだ。これも瓦礫の下になって負った怪我ではなく、フェンリル達に助けられた際の負傷で、最初かつぎこまれたときは目を回していたが、最初から深刻な状況ではなかった。
それを重傷、意識不明の面会謝絶で通してくれと言い出したのは、他ならぬアイザック本人だった。彼が言うならば何かあるのだろうと、リュックはそれを受け入れた。
でも今、それをほんの少し、後悔している。
「……これから本格的に作戦を立てるそうですが、どうするんです?」
「どうするもこうするも、俺は意識不明の重体でーっす」
「でもアイリーン様の片腕はあなたでしょう」
「こういうときに裏切り者が出しゃばると、余計混乱する。火種のもとだ」
その懸念はもっともそうに聞こえるから、厄介だ。
「レスターって奴は馬鹿じゃないから、大丈夫だ。俺の仕事は終わった。もう出番はない」
「……そうですか」
何も言わず、リュックは引き下がる。
これは荒療治が必要だろう。いったい、何に気をとられているのか――行方不明中の可愛い女の子のことか、それともアイリーンを悲しませるとわかっていてやらかすのが二回目だからか。
いずれにせよ、こういう状況でリュックがどう行動するかを読めないこと自体、アイザックの思考が正常でない証拠だ。
(俺がアイリーン様をあなたなしで戦場に送り出すわけがないでしょうに)
まったく、誰も彼も下僕根性が足りない。
自分を見習って欲しいと、リュックは大きく息を吐き出した。