軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

悪役令嬢の旅の終わり

「……いくらなんでもひどいと思わないか」

めずらしくしょんぼりとクロードが言った。

夕食の片付けをレイチェルにまかせたアイリーンは、何度も同じ答えを返す。

「クロード様がキース様を怒らせたせいでしょう?」

「だからってあんまりだ。僕にとうぶん帰ってくるななんて」

「しかたないですわ。もう熱はさがりましたけれど、体調不良のクロード様を聖王の結界の外に出したら天候がどうなるかわかりませんもの」

「それはそうだが……」

寝間着で寝台に座っているクロードは納得できないのか、キースからの返事を見てため息を吐いている。

アシュメイル王国でそのまま静養を――と書かれているが、意訳すると『勝手にアシュメイル王国を訪問して風邪をひくような馬鹿は治るまで帰ってくるな』だ。おそらく、結局クロードがエルメイア皇太子としてアシュメイル王国を助けたという展開のつじつま合わせに奔走させられて、怒っているのだろう。丁寧な文面の端々に怒りを感じる。

かく言うアイリーンは宰相である父のルドルフから『帰ってきたら家族で食事をとろう』と心温まる手紙をもらった。万全を期して帰らないと多分、即死する。

「今はゆっくり休みましょう、クロード様。また戻ったらクロード様はお仕事ですし……そう、新婚旅行だと思って休んでください!」

「新婚旅行……こんな馬鹿騒ぎが……!?」

「ええ。そう考えると、レイチェル以外にも残ってもらったらよかったですわね。アイザック達、観光もせずに帰ったんでしょう。場所が変わると気分も変わるでしょうし……」

「ああ……まあ、いいんじゃないか。手をつないでいたし、抱き締めていたし。しいて言うならセドリックにまったく進歩がなかったな。僕の弟のくせに、情けない」

「……なんのお話ですの?」

ぱちぱちまばたいていると、クロードは肩をすくめて話を変えた。

「とはいえ、もう僕は動ける。聖王の方はどうなんだ?」

「クロード様と同じですわ。もう動けると寝台から抜け出そうとしては、ロクサネ様に見つかっているようで。でもロクサネ様に看病されてまんざらでもなさそうでしたわよ」

「その内、尻にしかれるな。聖竜妃はいい子にしているか?」

「ええ。この間水浴びをしてはしゃいでいましたわ。バアル様も根負けして寝室に入れることを許したようです。今ある寝室を増築して、あの子が眠る場所を作るんですって」

「あの子に絶対に一緒の寝台に入るよう命じておく。それが妻のつとめだ」

妙にさわやかな笑顔でクロードがそう言い切った。そんなことをしたら、バアルは誰とも閨を共にできないのでは――と思ったが、下手につついてこの二人がいがみ合い出すと、聖と魔の大戦争になるので黙っておく。

「復興の方も順調なようです。……意外と後宮の妃が頑張ってくれているようで。聖竜妃の世話も率先してくれているようですわ」

「そうか、よかった」

実は『この子に気に入られればエルメイア皇太子に見初められるのでは!?』という下心がある者も多いのだが、それも黙っておく。

「いずれにせよ、具体的な支援や交易は僕と聖王が条約に署名しないと動かない。……できればもう明日で、調整したいのだが」

「そう仰るだろうと思ってロクサネ様と明日で準備をすすめております」

「……君と正妃は仲がいいな」

「仲がいいというか、厄介な夫を持つ妻仲間ですわね」

「それは向こうの話だ。僕は厄介な夫じゃない」

多分、バアルも同じことをロクサネに言っているのだろう。

くすくす笑いながら、アイリーンは寝台脇の水差しの残りを確認し、灯りを落とす。本当ならレイチェルや使用人にまかせるところだが、できるだけクロードの世話を自分でしたかった。

またここから戻れば、クロードとゆっくりする時間もなくなる。

「では、明日は忙しいですわよ。早くおやすみになってくださいませ」

「――アイリーン」

手を取られた。振り向いて、淡く照明の落ちた寝台でけぶる赤の瞳に固まる。

「君は今夜、ここで眠ればいい」

その意味がわからないアイリーンではない。

「……で、ですが、ここは……その、わたくし達は客人で……」

「関係ない。むしろ夫婦なのに寝室を別にされて殺意を覚えた。だがここが一番安全だ。王宮には聖王の結界を残すことにしたんだろう」

「でもわたくし、湯浴みもまだですし」

心も体も準備がまったくできていない。今からレイチェルを呼んで最速で準備を整えるべきか。でもそうすると台無しな気がする。

おろおろしている間に、ぐいと引っ張られ、寝台の上に落ちた。いたずらっぽいクロードの赤い目に笑われる。

「自分から口づけをしてきた、あの勇ましさはどこへいった?」

「あ、あれはその場の勢いというか……」

「あれで僕の計画は台無しだ。初めては、君が一生忘れられないようなものにしようと思っていたのに、あんな乱暴に奪われてしまった」

その言い方が頭から火が出そうなほど恥ずかしい。

「そ、それを言うなら、その……わ、わたくしだってびっくりしましたわ」

「ああ、驚かせてしまったか。練習が必要かもしれないな」

「れ、練習って……」

するりとクロードの長い指がおりてきて、唇をなぞられた。

「怖いことはしない。大事にする。――君が欲しい」

愛しい夫に欲しいと請われて、自信がないと断るなんて妻失格だ。

何より、女は度胸である。ぐっと拳を握って、アイリーンは頷いた。

「わ、わかりましたわ……ですがクロード様、一つ約束をしてくださいませ」

「なんだろうか」

「もし調子が悪くて」

「風邪なら問題ない」

「で、ですがクロード様はその……他にも問題を抱えてらっしゃるでしょう?」

クロードが一度目をまたたいた。

「……前にも言ったが、ここは聖王の結界の中だ。今の僕は普通の人間と変わらない」

「わ、わかっております。クロード様のその症状は、普通の男性だからこそのもの」

ここが妻の頑張りどころだ。アイリーンは力強く訴える。

「ですから今回失敗しても、自信を失わないでくださいませ!」

「…………」

「わたくしが必ず治します! ……クロード様?」

「……一つ、確認をしたい。お互いの認識について」

今更なんだろう。怪訝に思いつつはいと頷くと、クロードが優しく髪をなでてきた。

「君が言う、僕の問題とはなんだ?」

「……そ、そんな。口にしろとおっしゃるの?」

「口にできないようなことか」

「あ、当たり前です。だ……男性の、その、そんな、あからさまに口にするなんて」

「――ひょっとしてあれか。君は僕の男性機能に問題があると?」

あからさまな言い方に怒ろうとしたが、妙に迫力のある笑顔に押されてまばたいた。

顔をうつ伏せたクロードが、肩をふるわせて笑っている。

「そうか。――そうかなるほど、そうきたか」

だが目が笑っていない。これは、まずいやつではないだろうか。

「ふ、ふふふ。ここがアシュメイル王国でよかった。――エルメイア皇国だったら、危うく衝撃で城を吹き飛ばすところだった」

「あ、あのやっぱり今夜はやめておきましょう!」

震えあがったアイリーンは起きようとしたが、すかさず両肩を押さえこまれた。

「君をくれるんだろう?」

赤い瞳があやしくきらめく。ぞっと背筋が粟立った。

「ま、まさかクロード様……あの……」

にっこりと笑い返されて、わけがわからないなりに自分の勘違いを悟った。

そうなるとクロードのこの怒りは――思い当たって、ざっと頭から血の気が引く。

「お、お待ちくださいクロード様! 冷静に、冷静に話し合いましょう!」

「僕はいたって冷静だ。さて、どこから君を味わおうか」

「わたくしは食べ物ではな――いたっ、かまないでくださいませ! ちょっまっじゃあ体の問題ってなんだったんですの!?」

「君が愛しくてもうどうにかなりそうだ。全部受け止めてくれるんだろう?」

「せ、せめて手加減を! 手加減をお願いします! お願いですから、クロード様……っ」

「魔王! 貴様、水竜に何を命じた!?」

寝台の上に突然現れたバアルに、クロードの動きが止まった。

「ロクサネといよいよという時に、あれのせいで台無しだ! やっとというところで、よくも……!」

「……。この状況が見えないのか? それはこちらの台詞なんだが」

「はっ余が邪魔されたのにお前を見逃す道理はない!」

クロードの怒気をものともせず、両腕を組んで言い放つバアルは大物だ。ゆらりと起き上がったクロードの下から、そろそろとアイリーンは抜け出る。

「やはり君とは決着をつけなければいけないようだ」

「望むところだ。二度と余の邪魔をできぬようにしてくれる」

「だからそれはこちらの台詞だと言っている……!」

そのまま始まった剣戟の音に、アイリーンは深く嘆息した。

「な、何事ですかアイリーン様! ってクロード様にバアル様……」

「放っておきなさいレイチェル。この宮殿はその内壊れるから、皆を避難させておいて。わたくし、今晩はロクサネ様のところで眠るわ」

「は、はあ……い、いいんですか?」

「いいのよ」

背後では剣を打ち合う音に、家具や窓硝子が割れる音が混ざり始めている。何やら怒声と罵声が飛び交っていたが、規模が大きいだけの子どもの喧嘩だ。

にぎやかな音を背後に聞きながら、アイリーンは呆れ半分、愛しさ半分で笑う。

「クロード様にもああいうところがあるっていうのは、わりと新鮮だから」

クロード・ジャンヌ・エルメイア皇太子の最初の功績は、長らく不安定だった隣国アシュメイル王国との国交を回復させたことだった。魔竜退治の逸話で知られる聖王バアルとの関係は親友だったとか恋敵だったとか色々語られているが、魔王クロードが贈った水竜は聖竜妃という位を与えられ、のちのちまでアシュメイル王国を守護し続けることになる。

だがよき隣人としての第一歩となる条約調印のその日、聖王と魔王がぼろぼろの格好でそれぞれの妻に引きずられてやってきたことは、気の利く書記の手によって、記録から綺麗に葬り去られたのだった。