作品タイトル不明
23
青い空を、鳥が飛んでいく。
クロードは椅子に座り、テラスから外の景色をぼんやり眺めていた
隠れ屋敷から居住を皇城に移されたのは視察のすぐあとだった。魔物にさらわれても無事戻ってきたことから、魔物がクロードの命令をまだきくのではとレスターが推測し、それを確認するために聖なる結界も張られてはいない。色々それらしい建前を並べられたが、要は囮だ。
だがそういう扱いに怒る気力もわかない。
横の小さなテーブルに用意された紅茶はとっくに冷めている。片手で足る数に絞りこまれた令嬢の姿絵に至っては、興味も持てない。もう舞踏会は三日後だと言うのに。
椅子に深くかけ直した。上等な椅子のはずなのに、どうも座り心地が悪い。姿勢が悪いのかと頬杖を突いてみるが、逆にそのせいで頬に走った痛みを思い出してしまった。
ため息が出る。最初は忘れようと努力もしてみたが、無理だったので諦めた。宣言通り、彼女がぱったりこなくなったのも原因だろう。
(まあ、いいんだが。僕に会えば処刑される身の上なわけだし……)
――でも、平気で命を賭けて会いにくる彼女にひそかに優越感を抱いていた。
そう考えて、またため息が出る。
「……ひょっとして僕は危険な思考の持ち主なのか……?」
「それは今更ですよ、気にしなくていいのでは?」
ぼんやり見つめていたテラスの方から声がして思わず身を起こした。だが、テラスに降り立った二つの姿はどう頑張っても女性には見えない。声も違う。
がっかりしたクロードは、人を呼ぶこともせず目を細める。一人は見覚えがあった。
魔物だ。一週間ほど前、再度起き上がった魔物を一撃で沈め、自分の望み通りすぐに姿を消した人物。確か名前は――。
「ベルゼビュート、だったか」
「! 王、俺の名前を……呼んでくれるのか……!」
「そっちは? 悪いが僕は記憶がない、名乗れ」
「キースと申します、我が主。もうそろそろいじけてらっしゃる頃かと思い参上しました」
「……我が主? いやそれ以前に、誰がいじけているんだ」
「ああ、いけませんねえ」
そう言うなり、眼鏡をかけたキースと名乗る男が、クロードの椅子を触りだした。
「角度が違います。クッションもこういうのよりは、こちらの方がお好みでしょう」
「は? 何を勝手に」
「はい、これでいいです。どうぞお座りください」
眉をひそめつつ座り直してみると、ぴったり自分の体に合うことに驚いた。くつろいだ気持ちでそのまま腰かけ、足を組み直してしまう。まるでずっとそうしてきたかのように。
「お茶も駄目ですねえ。持ってきてよかったです。淹れ直しましょう、いつものを」
てきぱきとキースが動き回り、身の回りを整え出す。魔物のベルゼビュートの方も部屋の奥に足を踏み入れ、本棚を勝手にあさりだした。それが不思議と不快ではなかった。
心地よい椅子のせいだろうか。それとも漂ってくるお茶の匂いに、覚えがあるからか。
「なんだ、この本棚は。王のお気に入りの本がない」
「……ここは僕の自室だと言われたんだがな」
「ああ、小さい頃お住まいだった部屋なのは間違いないですよ」
「……お前はひょっとして、僕が小さい頃を知っているのか?」
「ええ、もちろん。あちらのベルゼビュートさんもよく知ってます。だから気にする必要はありません、魔物を拒んだことを」
驚いたクロードの前で、キースは静かにお茶を淹れ直している。
「彼らは慣れてます。昔もあったんですよ、皇太子として人間に認められようと、クロード様が魔物達を遠ざけようとしていた時期が。でも魔物達が助けにくるもんだから、ほだされたんですよねえ。ほんとにあなたは、好意を向けてくる相手に弱い」
「……。そう、なのか?」
「そうですよ。人見知り激しいんですけどねえ、目立つ顔してるくせに」
判断がつかないが当たっている気がして、黙ったまま出されたお茶をすする。おいしい。
「で、アイリーン様との婚約を破棄をなさるんですか?」
そのままお茶を噴き出しそうになった。むせる横で、キースがわざとらしいため息を吐く。
「それならそれでいいですが、いらないっていうのは言いすぎです。私め、女性を無駄に傷つけるよう教育した覚えはありませんよ」
「ちょ……待て、違う。僕はそんなことは言ってない。彼女が迫ってきて困るから、これ以上、近づいて欲しくなかっただけで……!」
「でしょうねえ。どうせアイリーン様を気にしすぎてもう振り回されたくないとか思ったんでしょう。それがおかしな形で魔物に伝わってしまったわけですね」
見通されてすぎて怖くなってきた。いやそれ以前に、普通に会話しているのがおかしい。
だが、キースは何の気負いもなく、クロードに自然と話しかける。
「でも人の気持ちは一つではない。だからベルゼビュートさんはアイリーン様を助けたんでしょう。他の魔物も、今、必死でアイリーン様のご機嫌をとってますし」
「ま、まさかそれが僕の気持ちだとでもいうのか?」
「ではなんにもお気になさってないと、我が主は?」
聞き返されて口をつぐむ。気にしていないといえば、嘘だ。頬をはたかれたのは理不尽だったし、かかわりたくない思いもまだある。けれど彼女はあの時。
「……泣いていたんだ」
言葉が転がり出た。初対面の相手に――ああ、初対面ではないのか。記憶がない、わからない。でも言葉はそのまま続く。椅子が心地いいせいだ。
「……それを見て、僕は……嬉しくて」
あのしたたかな彼女が涙を浮かべるほど深い傷をつけたのが自分だとわかって、考えるより歓喜した。ため息と一緒にうなだれる。
「……僕はおかしくないか?」
「いえさすがです。感動しました。ね、ベルゼビュートさん」
「? 王のやることに間違いなどないが」
「そうか? ……なんだか魔王っぽくないか?」
「大丈夫です、それ最初から仕様です。魔王関係ないです」
そうなのか。なんだか納得してしまった。
「もとから僕はこうなのか……そうか……」
「そうですよ。……ただねえ、問題はそこじゃないんですよ。アイリーン様のお仲間が、わりと本気であなたを暗殺しかねない状況なんです」
物騒な話に固まってしまった。ほら、とキースが続ける。
「我が主ってば今、魔力もないし、味方もいないし、魔王には戻らないって魔物も拒んでるしで、完全に詰むじゃないですか」
「詰むのか」
「詰みますね。だから、もうそろそろ私めの力が必要でしょう。何かお手伝いできないかと思ってきました。あなたの護衛も心配してますよ」
「護衛……護衛がいたのか? 僕に」
「ええ。あれはアイリーン様が連れてきた者達ですが、あなたよりに教育したので信用していいです。そんなわけで注意してください。アイリーン様の下僕は今、全員あなたの敵です」
「……ちょっと待て。その、彼女の下僕というのは、どれくらいいるんだ?」
キースの言い方だと、相当いるように聞こえる。嫌な予感がした。
「広場にいたでしょう? 魔物以外の全員と、あと他にも」
「ぜ、全員!? しかもまだいるのか!? 一体、何人……まさか全員男か!?」
「……まあ、ほぼ」
キースが苦笑している。あまりのことに、頭がぐらぐらしてきた。
「彼女は僕の婚約者だったんだろう……!? そんなことが許されるのか?」
「では、どうしましょうか我が主。彼女は舞踏会には出ないと言っています。このままだとあなたが破棄する前にふられますね」
からかうような言い方に、頬杖をついた。その顔を見てキースが続ける。
「ぶすっとしてもだめです。きちんと命令なさらないと下は動けませんよ」
「……」
「本当はわかってるんでしょう? 嘘を吹き込まれていることも、利用されていることも」
察しのいい従者を、目を細めてにらむ。警戒はいつの間にかとけていた。
「だからなんだ。もし僕がだまされているなら、僕の記憶喪失も意図的なものだということになる。だとしたら、下手に刃向かうわけにはいかない。僕は魔力とやらも持ち合わせていないんだ。もう、魔王ではな――」
焦げ臭いと思った時にはチェストから火の手が上がっていた。クロードより先に原因に気づいたキースが怒鳴る。
「何やってんですかベルさん!」
「チェストに妙なものが仕込まれていたので消毒した。人間共め、こりもせず」
燃え上がるそのチェストは、確かどこかの貴族の見舞い品だった。驚きはしない。皇城へと住まいを移した時点で、命を狙われると理解していた。だがこうもあっさり仕掛けられてしまうということは、誰かが手引きしたか、見逃したのだ。
(あるいは、魔物が助けにくるかためしたか)
――自分はためされている。だから期待に応えようと思っていた。
だがそれも、もうそろそろ潮時かもしれない。
「だからっていきなり燃やすとかもう少し考えて行動してくださいよ、毎度毎度!」
「知ったことか。王にとって危険なものはすべて排除せねば」
「……ベル。今すぐ火を消せ」
それが命令だと気づいたのは、命じたあとでだった。戸惑いもなく、美しい顔立ちをした魔物が一礼する。それだけでふっと壁まで燃え移った火が消えた。
魔物が自分の命令をきいたのだ。
「ご命令を、王」
それどころか、クロードの内心を見透かしたように請うて跪く。肩をすくめたキースも、その横に同じように跪いた。
魔物の王に戻ることは簡単だろう。だが、自分は皇帝にならねばならないのだ。――それがどうしてなのか、忘れていても。
「……僕には僕の味方が必要だ。キース、お前が言うその護衛は人間か?」
「かろうじて人間ですね」
「本当に人間の味方がいないんだな、僕は。まあいい、ならその者達を僕の護衛に呼べ。ベル、お前は城に戻り僕にかかわるなと魔物達に厳命しろ。僕が魔物を使えると知られたくない」
「承知した、王」
「ご命令はそれだけですか、我が主」
ちらと顔を上げたキースの目が笑っている。クロードは渋々命じた。
「……彼女を舞踏会に連れてこい」
「彼女とは?」
「アイリーン・ローレン・ドートリシュだ! ……彼女に聞きたいことが――笑うな! 本当にお前は僕に仕えているのか!?」
ベルゼビュートがちょっと困った顔をしている。まさかと疑いかけたその時、笑っていたキースの唇が、美しい弧を描いた。
「私めにお任せを。――あなたの望みはすべて叶えて差し上げますよ、我が主」