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誰でもできる。そう、それで?

作者: 玉響なつめ

本文

「お前なんぞいなくても仕事は進むわ、馬鹿が! アムネジア、お前はクビだ、クビ! ついでに離縁してやる!!」

「はあ、まあそうですね。……よろしいのですか?」

「はははっ、むしろ困るのはお前だろう。僕はこの〝グローマ〟のトップで、子爵なんだぞ? それなりに裕福だとはいえ平民だったお前が、離縁によってキズモノになって平民に戻るんだからこっちは何も困らないさ!」

「まあそれはそうですけども」

高笑いしつつ罵倒にも似た言葉を発する男を前にアムネジアと呼ばれた女は怯えることなく飄々とした様子で小首を傾げた。

それは、モルド子爵家の所有するグローマ商会の会長室で相対しているのはそのモルド子爵であるカッサータと、その妻であるアムネジアであった。

それなりの歴史ある貴族家であったモルド家はその絶頂期から零落の一途を辿り商売に手を出したことで周囲に『貴族としての矜持を売り飛ばした家』などと揶揄されながら、なんとか繋いできた家である。

しかしながらカッサータの祖父と父、二代に亘り商才がまるでないのに見栄を張りたがるという、典型的な駄目経営者が続いたことで本当に、本当に風前の灯火というところまで落ちてしまったのだ。

むしろ祖父の代で終わってもおかしくなかったところで踏みとどまれたのは先々代夫人、そして先々代夫人に望まれて嫁いで来た、先代夫人リコッタのおかげであった。

彼女たちの尽力がなければカッサータが子爵を名乗ることも、この商会の商会頭として威張ることもできなかったのである。

そして、そんな偉大な女たちが繋いだのがアムネジアであった。

カッサータは真面目以外取り柄がなく、やはり商才の見込めない男……と早々に見切りをつけた先代夫人は商家のつながりで得た、国外の品を扱うことで勢いを持ったというアムネジアの実家と縁を繋ぎ、なんとか商会側から家を盛り立てて欲しいと願いを賭けたのである。

その分、先代夫人はアムネジアを大事にした。

嫁いで来てくれたお嫁さんというだけでなく、自分の跡取りとしてそれはもう大事にしたのだ。

(カッサータ様に特に未練もないからいいけれど……)

幸いにも、世話になったリコッタを最期まで看取ることができたので、アムネジアには本当に未練はなかった。

多少は商会のみんなに悪いなとか、リコッタが大事にしていた商会だからなとも思うが。

「大体記録や商売の段取りは母上のおかげでもうしっかりできあがっているんだ。お前一人いなくなったところでそう変わらない」

(そりゃそうでしょう、そのためのひな形なんですから……)

在庫管理やその他諸々、報告書などの確認に追われたリコッタと先々代夫人はみんなが てんで(・・・) バラバラにやってくることに業を煮やし、書式を作り上げて『これでやれ!』と自分たちが楽をするために頑張ったのだ。

そしてそれは時間と共に洗練されて今に至るのだが、そこにアムネジアも少しは加わっている。

主に他国の商品に関しての覚え書きや、単位の違いを加えただけなのだけれども。

そういう意味ではカッサータ本人が何か成し遂げたことがあるのか? と言われたら特にない。

祖母や母に言われたことはきちんとこなしていたし、商会の人々とも仕事に取り組んでいたのでまず間違いなく仕事はしていたが、それだけである。

貴族として夜会などで新商品の売り込みをすることもなく、ただただ場の空気を楽しみ仕事をアムネジアに託し、彼女に呼ばれて商会の顔として挨拶をする――それに苦言を呈されて冒頭に至ったのだ。

確かにアムネジア一人いなくなったところで、商会はどうにもならないだろう。

書式などは決められていて滞りなくみんなが丁寧な報告ができるし、見れば一目瞭然だと言われるくらいには画期的だったとリコッタが過去に教えてくれた。

今や周辺の商店ではどこも取り入れているというから、店員たちが戸惑うこともない。

そして先々代夫人の頃から人材育成にも取り組んでくれていたおかげで、優秀な人材は大勢いるからカッサータを支えてくれることだろう。

ただ、仕事のできないトップを据えていることから彼の尻を叩く存在がいないとゆるやかに衰退していくということだけが問題だっただけで。

そして、その『だけ』こそが最大の懸念であったからこそ、リコッタがアムネジアを嫁にと迎えたのだけれど。

リコッタがやっていた細々としたことを、カッサータは覚えられない。

だからリコッタは教えなかった。

本当は爵位を継いだ息子に全てを譲り渡したかったのだ、リコッタは。

けれど子爵の仕事ですら満足とは言えず、優秀な補佐たちを高額な給金で雇ってなんとかできているのだ。

そしてその給金の出所は商会であり、商会が潰れては子爵としての地位すら危ぶまれる。

それならば、商会はしっかりと自分のノウハウを引き継げる相手に……とリコッタが考えるのは至極当然な流れだったのである。

カッサータからしてみれば、アムネジア一人いなくなったところで何が不便なものか、という程度の認識であった。

確かに母親の残したものを全て引き継ぐには、自分の能力や時間があまりにも足りなかったことは彼も理解していた。

だが、もうそれも何年も前の話なのだ。

新米子爵として、会頭として頼りなかった時期はとうの昔に過ぎ去り、アムネジアを伴って母の 昔馴染み(・・・・) たちともしっかりと顔つなぎはできている。

商会の仕組みは祖母と母親のおかげで盤石であり、妻が必ずしもアムネジアでなければならないなんてことはなくなったのだ。

(そうだ、平民の……たかが商人の娘じゃなくたっていい。貴族位の娘の方が、これからの子爵家を盛り立てるなら、そっちの方が……)

商売をする貴族は、今となっては珍しくない。

一昔前――それこそ、カッサータの祖父の代あたりではまだまだ表立ってやるものではなく、裏で運営するのが主流だったが、むしろ現代においては『良い商会を運営している』というのは箔にすらなっている。

祖母と母親のおかげで、モルド家は持ち直した。

そしてグローマ商会は今や毎月黒字を叩き出すほどに成長した。

社交界では今やカッサータに熱い視線を送ってくれるレディーたちがいる。

その中でも最近商会でもお得意様になってくれた子爵家の令嬢と、いい雰囲気になっているのだ。

生粋の貴族令嬢で、美しく若い彼女が伴侶になればこれからもっと貴族としても伸びていく。

今いる従業員たちが今後も働き、後進を育ててくれれば仕組みはできているのだから商会も安泰だ。

(そうだ、口うるさいだけのアムネジアなんて要らない)

少し癖のある黒髪をキュッと後ろで束ね、最低限の化粧だけ。

冷静な性格と、つり目がちなせいできつめに思うその態度。

(僕はたくさん努力した。なのにいつだってこの女は見下してくる)

母であるリコッタが才媛だから、決して彼女の手を離してはいけないなんて何度も何度も、それこそ耳にたこができるほど言ってくれていたことなどもはや彼には遠い昔の話だ。

カッサータにとって、もはやアムネジアに対する価値など大したものではなくなっていたのだ。

母が残したノウハウとやらも、人脈も、すっかり手にした気になって。

だから口うるさいアムネジアさえ追い出せば――全てが薔薇色になると、そう思ったのだ。

思って、いたのだ。

そうしてあっさりとモルド家とグローマ商会から、アムネジアの名前は消えた。

程なくしてモルド家は子爵家の令嬢と再婚し、幸せに――は、ならなかったのである。

そう、アムネジア一人いなくなったところでいつもと同じだった。

朝礼があり、商品の搬入で在庫を補充し、店をオープンさせて接客する。

定時になればその日の売り上げと商品の在庫確認、予測を立てた発注をする。

倉庫は広くないから近場の仕入れはこまめに、遠方のものは一週間に一度。

連絡便はケチらず、搬入用の馬車や護衛はそれなりのランクでお願いすること。

何もかも、いつも通りだったのだ。

ただ、じわじわと客が離れていっただけで。

ベテラン勢はカッサータに理由を問われて、挨拶が減ったからだと答えた。

「なら、もっと店員たちに挨拶をさせればいいだろう」

「いえ、そうではなく。貴族の間でも季節の挨拶状を送りあったりするものだと伺っておりますが、先々代の奥様の頃より当商会でもお得意様にはご挨拶状などを送っておられました。それを下の者がやるわけにはまいりませんので……」

「あ、ああ、そういうことか……」

カッサータもそういえばアムネジアがよくやっていたなと思い出す。

その度に最終確認しろだの、カッサータもサインだけでいいからしろだの言っていた。

当時は煩わしいし面倒臭いと思っていたが、現妻もそう言えば折々に周辺の貴族たちに挨拶をと言っては手紙を書いていた気がする。

(……妻に頼むか)

家にいてくれる花のような妻に市井の仕事なんて泥臭いことはさせず、女主人としての役割だけを頼みたかったが……なんてカッサータは思っていた。

だが、そう簡単な話ではないことを彼は理解していない。

家に帰りそれを告げられた妻が『それはよろしいですが、どなたともわたくし、つながりなどございませんわ』と新しく関係を築くには時間がかかる、と至極真っ当なことを行ってきたのである。

これにはカッサータも『あっ』と声を上げた。

アムネジアはリコッタが挨拶回りでお得意様たちに正式に紹介したカッサータの妻であった。

後妻となった令嬢は、再婚であるがゆえに 貴族の(・・・) 身内だけで済ませた。

当然、そこに再婚したことや、再婚相手に関する連絡をお得意様たちにしていない。

本来それはカッサータが披露目をすることで、繋ぐはずの縁であったのに、だ。

お得意様への不義理が続けば、足が遠のくのは当たり前のこと。

そうして売り上げが少しずつ減っていく、その危うさの片鱗を理解し始めたカッサータだがそれはあくまで入り口にしかすぎないことを彼はまだわかっていなかった。

程なくして、グローマ商会が事業を縮小したという話が広まった。

新商品を打ち出しても宣伝は上手く行かず、同じように商売している貴族たちからあっという間に追いつかれ、そして追い越されていく中でなかなか効果的な案を打ち出せなかったようであった。

「ま、なるようにしてなったのよね。きっと」

それを人の噂で知ったアムネジアだが、元夫がどうしているのかなど彼女の興味はもうそこまでなかった。

きちんとお得意様情報も、挨拶状の作り方も、彼女はカッサータに引き継ぎ書として手渡したのだ。

手渡した後で彼がそれをどう扱うかなんてことまでは、アムネジアの知ったことではない。

(……とりあえず離婚したって噂は聞かないし、お相手の貴族家がお得意様と関係がどこかしらにあるといいわね)

それまでに見放されないといいけれども。

リコッタや実家から聞く話に寄れば、貴族はその権力で商人を庇護してくれることもあるが切り捨てると決めたらとても早いから、と。

(昔はあんな人じゃなかったのになあ)

少しだけ、寂しさを覚える。

アムネジアだって最初からカッサータのことを『どうでもいい』なんて思っていたわけではない。

そうでなければいくら見合いだからといっても、結婚を承諾することなんてなかった。

結婚した当初は、互いに支え合っていけたらいいと言っていたカッサータに『もしかしたらいい関係を築けるかもしれない』と思ったことだってある。

だが子爵位を継いだあたりから、カッサータは傲慢な態度が鼻につくようになっていた。

リコッタが体を悪くしたこともあって、アムネジアも介助にかかりきりになっていたから止められる人が少なかったのも事実だ。

それでも、あの傲慢さはきっと持って生まれたものに違いない、とアムネジアは思う。

仕組みを作ってくれた、記録があるから大丈夫。

カッサータはそうやって甘く見ていたようだが、確かにそれがあるから誰がやってもそれなりの形にはなっただろうが、やはり主人が愚かでは持ち直すのは大変なのだ。

(先々代の負債を、今代で返せたとして……先々代までは貯蓄があっての二代で衰退でしょ? じゃあカッサータ様たちはどのくらい持つのかしらね)

せめてお店のみんなだけでも権利を買い取って独立できたらいいのだけれど、とアムネジアは呟いた。

こんなこともあろうかと、リコッタが古株の従業員たちに『万が一、息子が愚かなことをしでかしたら法に則ってあなたたちの誰かを頭に、この店と従業員の暮らしを守るのよ』とその方法を教えていたのだからきっと大丈夫だろうと彼女はそっと息を吐く。

「……私にもいい出会いがあればいいんだけどなあ~……」

そう呟いたアムネジアには、もう元夫の顔もよく思い出せなかったのだった。