軽量なろうリーダー

婚約者の身代わりで生け贄にされましたが、あなたでなければ無意味だそうですよ?

作者: ぽんぽこ狸

本文

放課後、寮に直接帰るのではなくどこか学園街で少し遊んでから帰ろうと友人のフェリクスと話をしていた。

それは何気ない出来事でいつもとさして変わらない一日だった。

しかしエルフリーデはなすすべなくさらわれた。抵抗する余地もなく、ふと気がついたら馬車の中に引き込まれていて、なにかをされて意識を失った。

目が覚めると聞き慣れた人の声が聞こえてきた。

「もうさっさと祭壇に置いてくれば良いだろ」

それは婚約者のイザークの声だった。

ぼんやりしている目をこすって体を起こそうと思ったが腕が背後で縛られているらしく、肩がじんと痛んで動かすことができない。

「……」

ぼんやりした目のまま、エルフリーデは自分の居場所を確認した。

どこかの屋敷のどこかの応接室のような場所で、目の前には向き合って話をしている二人の男性。

よくよく見てみればその応接室らしき場所には見覚えがあり、やっと思考が鮮明になってくる。

(イザークの実家……ロクスリー伯爵家のマナーハウスの応接室……ですね。それにしても……ああ、そういうことですか)

エルフリーデは「なぜこんなところに突然連れてこられたのか?」とは思わなかった。

むしろすぐにピンときた。

父や母からも何度か注意喚起の手紙をもらっていたし、友人のフェリクスに至ってはそれについて調べていた。

故にとても身近なことであり、それしかないといえるぐらい明確な理由だ。

「待て、イザーク、準備が整うまでの辛抱だ。それが終わればさっさと始末がつけられる」

「はー、めんどくさいな。そんな伝説の魔獣なんかいやしないさ。どうせもう寿命で死んでる」

「……そうは言っても、ご隠居たちは絶対にこの儀式を放棄させない」

「じーさん、ばーさんもさっさと死ねば良いのにな。ってかそんなに言うなら自分たちが生け贄になれってんだよ」

「まったくだ。我が家の大切な跡取りを、そんないるかもわからない伝説上の存在にくれてやるつもりなんかない」

イザークとその父親のロクスリー伯爵は、エルフリーデが起きたことになど気がつかずに、愚痴っぽく二人で会話を続けていた。

(やはり生け贄の件ですね)

遙か昔、このロクスリー伯爵家の領地に人の言葉を解するほど、強力な魔獣が出た。

領民や領主は恐れ、民を襲われる前になんとかしなければと動いた。

しかし魔獣は友好的で、百年に一度領主の家系から贄を一人捧げるならば、今後この森の魔獣を減らし領地に繁栄をもたらすと約束した。

それがロクスリーの伝説の魔獣。

そして現にロクスリー伯爵家の擁する森には魔獣が少なく、魔獣被害は国の中でも最小だ。繁栄は確かにもたらされている。

しかし今では、そもそも森の魔力が少ないから魔獣が出ないだけでは? とか、禁足地とするのではなく開拓するべきでは? と意見があがったり何かと話題の土地だ。

そして、その百年に一度の生け贄が今年なのである。

「それにしても本当によかったな。魔力が豊富で家格が低いちょうどよい女が見つかって。もし本当に伝説の魔獣様がいたとしても満足してくださるだろう」

「ま、それもそうだな。欠陥品みたいにぼんやりした女だけどな」

イザークはカラカラと笑った。

二人の言葉にエルフリーデは、やはりそういう目的でわざわざ求婚され婚約者となったのだと思う。

彼らは様々な方面から圧をかけて婚約を迫り、格下であるエルフリーデの実家のリンドグレーン子爵家はそれを断りきれなかった。

それになにも、生け贄にされると決まったわけではない。だから婚約を受け入れよう。そう言ったのはエルフリーデだ。

ロクスリー伯爵夫人になれるかもという野心があったわけではない。

単純に抵抗を続けては、父や母、兄までも路頭に迷うと思ったからだ。

だから受け入れた。こうなることは予測できていた。

エルフリーデは静かに体を曲げて、腕を背後で縛られた格好のままゆっくりと起き上がって彼らを見つめた。

「……目が覚めたか」

ロクスリー伯爵はどこか後ろめたいような声で目をそらしてそう口にする。

イザークは、面白がるようにそばに来て、エルフリーデのことをのぞき込んだ。

「やぁ、久しぶりだな。エルフリーデ。もう大体事情は察してるだろ? 今どんな気持ちだ?」

(気持ち……)

問いかけられてエルフリーデは少し考える、それから満を持して言った。

「腕が痛いです」

「ブハッ、ッハハハハ! ほらコイツ頭おかしいだろ、それとも強がってんのか? お前は今から魔獣の餌だ。いもしない伝説の魔獣を信じてる老害のお気持ちを慰めるために、森に放置されて魔獣に食われるんだよ!」

「……」

「せめて命乞いでもしてみろよ。それかお得意の魔法で抵抗してみるか? 良いぜ、そんな状態の女なんて軽く伸してやるよ!」

イザークはとても楽しそうにそんなことを言う。

父親であるロクスリー伯爵はそれを止めることもなく、まったく困ったという顔をしているだけだった。

しかし魔法を使おうにも杖がない。当たるかわからない上に、格上の貴族が二人もいる。

そんな状況で抵抗をしても意味などない。

それに、エルフリーデは特に抵抗したいとは思っていなかった。

「……」

縛られたままイザークの顔を見はするものの、ゆっくり瞬きをしてまだ少し眠たいなと思うだけで、なにも言わない。

「……」

「……はぁー、なんだよ。やっぱり、どっかおかしいんじゃないかこの女」

「よしなさい、イザーク。それが彼女なりの強がりなんだろう」

「そうか?」

イザークは腑に落ちないような顔をして、自分の一人がけのソファーへと戻り、それぞれがなにも言葉を交わさず無言の時間を過ごしたのだった。

準備ができた、そう使用人が合図すると、エルフリーデは彼らに連れられて馬車に乗った。

そこでふとエルフリーデは疑問に思ったことがあった。

たしか生け贄の約束がされた日付は明日だったはずだ。

調べていたフェリクスが、そういうわけで明日が山場だといっていた気がする。

それなのにもう森の中へとずかずかと入っていく。

連れられて、腕の痛みを感じながらもエルフリーデは歩きづらい獣道をひたすら歩かされた。

少し開けた場所に到着すると、そこには小さなベッドぐらいサイズのある石の祭壇が用意され、周りには花やら果実やら置かれている。

そこに上がれと言われると、なんだか、教会の祭壇に土足で登るみたいで少し罪悪感があったが、金属の小さな突起に両足をくくられる。

腕の縄はほどかれて、イザークもロクスリー伯爵もこれで良しととても満足げに去って行った。

「……」

しばらくしてあたりを見渡すと、あっという間に獣の気配に満ちていた。

魔法使いになるために学園に通っていたのでエルフリーデはある程度の気配の察知や戦闘は可能だ。

しかし道具もないし足も縛られている。

粘ったとしても粘っただけ、傷が増えて、痛みを伴い苦しむだけという可能性が高いだろう。

(なら、いっそのこと、大型で肉食の獣に……こう、首のあたりをゴリッと牙で押しつぶして折ってもらうのが一番……)

そう考えてエルフリーデはいそいそと髪を束ねてうなじが見えやすくなるようにと片方にまとめて手前側に持ってきた。

下を向いて、灰色とも言えるくすんだ銀髪にゆっくりと手ぐしを通す。

きっとすぐに獣が襲ってくるだろう。

「キャウンッ」

そう考えた途端だった。ふと悲鳴のような鳴き声が聞こえて、周りの草木がガサガサと揺れて、一気に気配がなくなる。

残る気配は、鳴き声のしたほうにある、一つだけ。サクサクと芝生を踏みしめる音がして、気配はエルフリーデの目の前にやってくる。

ずっしりと重たい威圧感がやってきて、心臓がぎゅっと押しつぶされているみたいに血の気が引いた。

「……っ」

ゆっくりと髪を抑えたまま顔を上げると四つの足を地に着いた状態でも人の背丈より随分と大きな灰色のオオカミがじぃっとエルフリーデのことを見つめていた。

真っ赤な瞳は魔獣の証だ。

キラキラと魔力の光を孕んでいて、その瞳に美しさを見いだす人間は案外多い。

エルフリーデはその魔獣を見て、唖然としてから思った。

(首、出した意味が、なかったですね。……正面から来てしまいましたし)

ならば前から一撃で致命傷を与えられる場所とはどこか。

ふとそう考えてぐっと上を向いてみた。

顔面からいかれるのはさすがに怖いと思ったのだった。前からもかみつきやすいようにしたらどうか。

そういう思いつきだった。

『ち、違うじゃん!!』

しかし上を向いて急所はここだとアピールしているエルフリーデに対して、魔獣は叫んだ。

『違うじゃん! 違うじゃん! 違うじゃん! 違うじゃん!! お前全然ロクスリーじゃないじゃん!!』

まるで、癇癪を起こした子供のような声で叫んだ。

『お前じゃないよ! お前じゃないじゃん! 違うじゃん!! 嘘じゃん! 約束破ったじゃん!! 楽しみにしてたのに!!』

ぐっと上を向いた頭を戻して、エルフリーデはぽかんとした。

地団駄踏むみたいに飛び跳ねて地面をたたきつけている巨大な魔獣はきっと伝説の魔獣そのものだ。

『楽しみにしてたのに!! 違うじゃん! なんだよ! なんだよっ! 違うじゃん!!』

「……」

『っ違うじゃん!!』

最後にいった魔獣の声は、癇癪を起こして怒りながら悲しくなってしまった子供の声そのもので、エルフリーデは鼻の奥がツンとしてしまうほど悲痛な声に聞こえてしまった。

その赤い瞳がエルフリーデを見つめて涙をにじませているように見える。

幼く小さな子供に見える。

つい、手を伸ばした。

彼の頭にそっと伸ばして、触れると思ったよりも柔らかな毛質で、けれどコシがあって、先ほど自分の髪に手ぐしを通したように、すっとすいてまた頭に手を乗せた。

『違うじゃん!』

「……そう、ですね」

そうすると彼はエルフリーデの存在を今思い出したみたいにはたとエルフリーデを見つめて、抗議するみたいに言った。

魔獣と話すのは初めてだったが、なんとなくで言葉を返す。

するとまたすねたように彼は大きな口をカパリと開けて言った。

『違うじゃんっよ!』

「……そうですね」

『違うのに……何してんの』

「悲しそうに見えたので」

『……こそばゆいよ』

「落ち着きましたか」

問いかけると魔獣は『ん~……ん』と否定とも肯定ともとれない声を出しながら鼻をヒクヒクと動かしてエルフリーデの首元に顔を近づける。

『ん~? ん……僕さぁ、わかる? ロクスリーが欲しいんだ。約束してるんだ』

匂いを嗅いで首をかしげて、なぜかエルフリーデの体に頭を押しつけた。

『むか~しね。僕、ロクスリーの奴らに家族みんな殺されたんだ。僕は仲良くするっていったのに、森のみ~んな殺して』

そうして彼は舌足らずな声で事情を説明し始めた。

仕方なく、エルフリーデのためにそうしてやっているような口調だった。

『でも僕が強かったからね。僕だけ残って、ロクスリーの奴らは皆殺してやろうと思ったんだ』

「……」

『でも本当はそれだけじゃ足りないくらいず~っと苦しませたいぐらいだったんだ。そうしたら知らない魔法使いがやってきて……百年にいっぺんなら僕にロクスリーをこれからさきずっと何人も何十人も殺していいから、今はロクスリーを殺さない約束をしようって』

頭を押しつけられたのでなんとなしにエルフリーデは彼のことをなでた。

そうしながら考えた。

(つまりええと伝説は間違っていて……生け贄の要求は家族を殺された彼の復讐……ということですか?)

そしてその知らない魔法使いとは王族だ。

彼は、「約束した」と簡単な言葉を使っていたようだが、きっとそれは契約の魔法だろう。

ロクスリー伯爵家の人間を皆殺しにしない代わりに百年に一度、生け贄を捧げる。

『だから僕、ロクスリーじゃないと意味ないんだ。僕はロクスリーを殺したいの。お前じゃないの。ずっと楽しみに待ってたんだ。それなのに違うじゃん、お前、違うじゃん?』

言いながら彼はぺたんと座っているエルフリーデの膝の上に頭をのせて、なでられるのもまんざらではないと言う様子だった。

『楽しみにしていたのに、何だよ。なんだよっ! 僕、待ってたのに!』

すねているように言う彼はぺたんと耳を寝かせて、なでやすいようにしてその長い鼻をエルフリーデの腹に突き刺してぐりぐりと押しつけていた。

少し腹が痛かった。

そして、同時に、なんとなく当時の王族の狙いがわかった。

(……でも言ったら、全部を台無しにしますし、きっと……ああ、でも。私……)

『どこの誰なの、お前ったら、こんなところで足をつながれて』

「エルフリーデと申します」

『そう、僕はロルフだよ。おとーさんとおかーさんがつけてくれたとても良い名前だよ』

「……ところで、ロルフ」

『なぁに命乞い? ひゃ~、タベナイデって』

ロルフは目を細めてエルフリーデを見上げた。

彼はどうやらエルフリーデに懐いてくれているようだった。それがエルフリーデは嬉しくて、別にいっか。と思った。

(人が死のうと、何だろうと、偉人の知恵が無駄になろうと。どうでも……良いですね)

「いいえ、約束を破られたのですから、その契約はきっと無効ではないですか。ロクスリーの人間は捧げられなかった。それは契約違反のはずです。とすれば、あなたは皆殺しにしても良いのでは」

『!』

「ああ、でも今腑に落ちましたが、契約で百年に一度、ロクスリー伯爵家の人間を捧げないといけないということは、契約の日は期日なのでしょう。その日までにと言う期日」

『?』

「つまり、明日の朝になったら殺していいと思いますよ」

『! ……ほ、ほんと~?』

「あなたの契約をしたという記憶が正しければ、本当だと思います」

『正しい! 正しいよ! だってずっと覚えてるもん! ほんとだよ!』

ロルフはなんだか楽しくなってきたようで尻尾をぶんぶんと振り回し『ほんとだよ!』と繰り返しながら前足をあげてはついて、あげてはついてを繰り返している。

体が大きいので迫力のある喜びようだった。

『明日! 明日? 明日!』

「明日です」

『あした!』

そういう会話をしばらく繰り返し、エルフリーデは同じように何度も答えてやった。

それから、風の魔法を操るロルフに縄を外してもらって、その丸くなった腹の上で眠った。

朝方目が覚めると、ロルフは律儀にエルフリーデのことを待っていて彼の背中に乗って森を後にしたのだった。

ロルフに乗ったエルフリーデが通ると、人々はたちまち悲鳴を上げて逃げていく、蜘蛛の子を散らすようにとはまさにこのことを言うのだなとエルフリーデは考える。

そして、逃げ出すのは何も一般の村人たちだけではない。

屋敷を守っている兵士も仕えている使用人も余すことなく駆けだして、たまに腰が抜けて立てなくなっている人もいたが、ロルフは何もせずに通り過ぎる。

首輪をつけられて元気に散歩をする犬のようにいる人間を当たり前のこととして受け入れて素通りする。

もとよりロルフはどうやら人に対して攻撃的な魔獣ではないらしい。

そんなロルフをあそこまで怒らせるのだからロクスリー伯爵家の人間はそれほどのことをしたのだろう。

屋敷の前に到着するとロルフはフスフスと鼻を動かしてそれから『あれ~?』と言って首をかしげる。

耳がぴょこんと揺れて、『あ!』と何かに気がついたように走り出した。

彼が走ると大きく揺れて、馬とはまったく違った乗り心地だった。

屋敷からつながる石畳の道の先、そこにはロクスリー伯爵家の家紋がついた馬車が全速力で走っている。

ロルフは軽々と馬車に追いつき、馬車と馬の接続部分をスパッと風の魔法で切り離す。

驚いた馬がそのままあらぬ方向へと走って行くと、馬車はゆっくりと停車する。ある程度速度が落ちると御者は叫びながら飛び降りて、馬と同じ方向へと走り去っていった。

ぽつねんとこのされた馬車、扉は一つだけ、その前でロルフはエルフリーデのことを下ろした。

ロルフはそれから腰を下ろして、なでろとばかりにエルフリーデの脇腹に鼻先を激突させて、エルフリーデは腕全体を使って彼の頭をわしわしなでた。

『あ~、あ~! なんかすごい嬉しい! なんか嬉しい!』

「……」

ロルフはたった一日でエルフリーデにべったりと懐いていた。

きっと元々、仲間に飢えていたのだと思う。

『よしよし、いいいよ。僕さぁ、こいつら殺しちゃうから。ほかのところにいるロクスリーもね。そしたらどこに行く? ほかにも人間食べに行く?』

言いながらロルフはエルフリーデの細腕から抜け出して、馬車に両前足を引っかけてガタガタと揺すった。

中からは情けない悲鳴が聞こえてきて、さらにじゃれつくようにどんと上に彼が乗ると馬車がミシミシィッと激しい音をならす。

中からは雪崩のようにロクスリー伯爵家の一家が飛び出してきた。

『うはぁ! いっぱいだ! エルフリーデ、ロクスリーがいっぱいいるよ! 全部殺すよ! 全部食べるよ!』

「逃がさないように気をつけてくださいね」

『逃がさないよ! 逃がさない! 逃げたら燃やしちゃおう!』

「お、俺たちがなにしたって言うんだ!」

「お助けを、お助けを、神様」

「っ……っ!」

ロルフは馬車から飛び降りて、『ウォン!』と短く吠える。するとたちまち馬車は燃え上がりむわりとした熱気がエルフリーデの頬をなでた。

その様子を見て隙をうかがっていたロクスリー伯爵も縮み上がって腰を抜かす。

ガクガク震えて小さくなり、言葉を失う夫人と寄り添って涙を流した。

燃された馬車の木がはぜる音がする。

ロルフは脂汗をかいて必死に祈るロクスリー伯爵夫妻の頭をその大きな手でぐいぐいと押して、口を開けて歯と歯の間に咥えるみたいにしてロクスリー伯爵の顔を口に入れた。

「ぎゃぁ!!」

「ひいぃ」

「と、父さっ」

ロクスリー伯爵は上半身をすっぽり口の中に収められて、ぎこちなく暴れてそれから必死に言葉を紡ぐ。

「おおお、お許しください! お許しください! まさか、血縁でなければならないとは、そんなことがあろうとは、ほほほほほっ本当に思って、なくて」

『れも、ただ殺すのつまんないな~』

「いまっ、今からでも、むむむむ息子をぉっ」

ロルフの口の中でロクスリー伯爵は息子を差し出すと叫ぶ。

そんな命乞いを気にせずにロルフは食べ物を咥えているからか、うまく言葉を発することができないが楽しげにエルフリーデに言った。

「は、はぁ? はぁ!? ふざけんな! ふざけんなって! 何言ってんだよ!」

口を開いて、汗まみれよだれまみれになったロクスリー伯爵は青白い顔のままでブルブル震えていて「おおおおおっ」と言葉すら発せない状態になっていた。

「ってか、おい! なんなんだこれ! 何なんだよこれ! あり得ないだろ! エルフリーデ!」

そんな中でも威勢のいいイザークは、めざとくエルフリーデのことを見つけて、混乱のさなか怒鳴りつけた。

「お前が生け贄になったはずだろ! 何で俺たちがこんな目に遭わないといけないんだ! お前がっ、お前が」

「……生け贄には確かになりましたが、それはあなたの家系への復讐らしいですよ」

「俺の家系って、だからってそんなっ、俺は何もしてないだろ! 理不尽だろっ」

「それを言うなら、何も関係がない私をあんな状態にして置いていったあなた方が一番理不尽で容赦がないのでは」

「それはっ」

「まぁ……でも、イザーク」

イザークはエルフリーデにつかみかからんばかりの勢いで睨みつけてくる。

それにエルフリーデは小さく笑みを浮かべて答える。

「私は、どうでも良いですよ。あなた方が死のうと、私が死のうと特になんとも思いません。あなたが言ったとおりの欠陥品ですから。私はロルフに懐かれたのが嬉しいので、彼が喜ぶならそれでいいかなと思っています」

「は?」

「良いかなと思います」

「頭おか――」

イザークが何かを言いかけると、先ほどまでロクスリー伯爵夫妻にちょっかいをかけて遊んでいたロルフがやってきて彼を前足でなぎ払った。

イザークは途端に吹っ飛んだ。

何を言おうとしていたかなどまったくわからない。

背後の馬車まで飛んで行き、「おぐっ」とヘンテコな声を漏らして髪に火が燃え移って濁音混じりの声で叫んだ。

それにやっと両親が気がついて、彼を抱えてなんとか水の魔法の魔法具で火を消す。

そして治療もしようとしているところが見えたが、ロルフがノシノシとそばへと寄るとおびえてロクスリー夫妻はイザークを手放して後ずさりしていく。

「クソ、クソォ、痛ぇ、よくもっ――…………」

ゆっくりと起き上がって、顔を上げる彼は恨み言を口にしようとしていた。

しかし、ロルフが間近でじっとのぞき込んでいるのを見てしまうと、喉が詰まって声が出ないようだった。

次第にブルブルと震え始めて、エルフリーデも、それを小さく笑みを浮かべた表情のままじっと見ていた。

「…………」

『僕さぁ、食べたら、すぐに殺しちゃうから~。 ちょっとでも死んじゃうから~』

「っ……っっ」

『こうして、こうして、足を~』

そう言ってロルフは前足でイザークの放り出されている足をかきかきと寄せてくる。

「っひ、っ」

それからずしっと体重を乗せて、ぐっと押した。バキッと生木を燃やしたみたいな音がした。

「っぶ、ぶぐ、ぐあ、あ……あああっ」

『折ったり、いろいろしてさぁ、僕さぁ、今まで楽しんでて』

「あああっ、あっっ、あ、ああ……っ、ゆ、許してくれ」

『ユルシテクレ』

「っ、あなんでも、なんでもするっ」

『ナンデモスルッ!』

ロルフは楽しげに、イザークの言葉をまねして、ぴょんと跳ねた。

それから……とてもイザークをいたぶって、イザークは謝罪を多方面に繰り返しながら涙をまき散らし、最終的には虫の息になった。

『よし! よぉし! いっか、この子はいっか、見ててエルフリーデ食べちゃう!』

エルフリーデにロルフは元気に報告した。

食べるのを偉いねと褒めて欲しそうな幼児に見えた。

そしてふと、今までまったく心が動かなかったのに、イザークを見てエルフリーデははたと思った。

『いい? 見てて?!』

「……」

『エルフリーデ?』

「……あの、あのロルフ」

『何? 見てて?』

「あのね、ロルフ」

『なぁに』

首をかしげて問いかけるロルフは、イザークをちょっと噛んだので、口の周りが真っ赤だった。

まさしく化け物じみていて、おぞましい姿だった。

「小骨が刺さって健康に悪そうです」

『……』

「少し……いえ、大分、人間って豚や牛と言った草食動物に比べて肉も少ないですし、食べるのに適しているとは言えないんですよ」

『……』

「きちんと処理したものと違って血抜きも十分にされていないでしょうし……折れた骨が喉に刺さりそうで……」

『……』

「……」

『…………やめとく?』

「そう、ですね。私の実家にいけばまずはおいしいお肉ぐらい用意しますよ」

問いかけられてエルフリーデは少し考えて答えた。

なんせエルフリーデはロルフに懐かれたのが本当に心底嬉しかったから。

動物に懐かれたのなんて初めてで、少なくとも人にもあまり懐かれないたちだ。

困った人だと言う顔をよくされるだけで、こんなに慕ってくれる人なんてめったにいない。

さらにはそれをこんなにわかりやすく出してくれる人など初めて出会った。

だからこんな汚いもの食べてほしいとは思えなかった。

骨はボキボキだしきっと喉に刺さる。食べたってきっと何の足しにもならない、くだらないものだ。

そんなものはロルフには必要ないだろう。

だってもう、こんなに毛並みもよくて大きくて強くてよい子なんだから。

「……食べる必要はないと思います。それより食べていておいしいもの食べましょう。ロルフ」

『……いいよ。エルフリーデがそう言うなら、良いよ~。僕さぁ、エルフリーデってなんか好きだよ』

「そうなんですか」

『うん。だってさぁ、おかーさんと毛色が同じでしょ。僕とも同じでしょ。それって家族みたいだよね』

「そうかもしれません」

『家族みたいじゃんね!』

元気に言ったロルフはたしかに灰色の毛色をしていて、エルフリーデは静かに笑って「そうですね」とゆったりと返したのだった。

さてはてこれから、どのようにしてエルフリーデの実家に帰ろうか。

ロルフに乗って行っても良いけれど、行く先々の人々を皆怖がらせる訳にはいかない。

そう話しているとロルフは困った顔をしてシュルシュルと縮んでいき、小さな子オオカミの姿になった。

毛並みがさらに柔らかくてとても愛らしかった。

そんなときに、ロクスリー伯爵邸の前に真っ黒な馬車が止まって、しばらくの後に中から、これまた真っ黒なローブを着たフェリクスが現れた。

彼は、ローブのフードを外して信じられないものを見るようにエルフリーデを見た後、とても複雑そうな顔をしてエルフリーデのことを抱きしめた。

泣いてはいなかったと思うが、普段こんなことをする人ではない。

「間に合ってよかった」

フェリクスはそう言って、しばらくは近くにあるフェリクスの実家のアークライト侯爵家のお屋敷に身を寄せるべきだと言い、従うことにしたのだった。

身を寄せている間、フェリクスには新鮮なお肉を用意してもらって、小さな魔獣の姿になったロルフに食べさせた。

満足そうでエルフリーデも嬉しかった。

それから世間は大騒ぎになった。

事の発端は、ロクスリー伯爵家の三人が騎士団に助けを求めていたことだった。

彼らはやってきた騎士団の魔法によって一命を取り留めたが、王族が取り決めた約束通りの生け贄を捧げなかったことは、国王も重く捉え、対策費用として多額の支払いを課せられている。

身代わりの生け贄の話が露見しロクスリー伯爵家は体裁を保つために婚約を和解金を支払って破棄した。

エルフリーデは自由の身となったが、すぐに両親がやってきて身を守るためにフェリクスと婚約することになった。

本当はもう少し高位の人間の方がよかったらしいが、時間もなかったし、あのとき助けに来てくれたのはフェリクスだ。

伝説の魔獣を従えたからと言ってエルフリーデを取り込もうとしてくる人間に力を貸そうなどという気は毛頭ないのである。

しかし、まぁ、フェリクスは大変そうだった。

「だって、さすがにあの状況下で君が抱えている生き物が伝説の魔獣だなんて思わないだろ。俺はてっきり、一人でなんとか屋敷から抜け出して、なんかなんとなく魔獣を拾ってんのかなって感じで」

「……」

「どっちにしろ、もう時間がないと思ってたし、早くその場を離れて、生け贄の儀式のときに君がいなければ、君の婚約者が生け贄になって、君が解放されるって思ったんだ」

フェリクスはあのときのことをそんなふうに語って、拳を握る。

「でも蓋を開けてみたら君はもう一回生け贄にされてるしロクスリー伯爵家は大変なことになってるし、君は伝説の魔獣連れてるし!」

「……」

「今だって、庭園で伝説の魔獣が遊んでるし! 君は致命的にぼんやりしてて相変わらずだし、せめてなんか言ってくれよ! あのときさ、俺が誘わなければエルフリーデはさらわれなかった訳で」

フェリクスはビシッとお茶会をしているガゼボの外側を指さす。

そこには飛んだりはねたりして蝶を追い回しているロルフの姿がある。

彼は勢いよくそのまま続ける。

「結局、君はさらわれて! こんな大事になって君は怖い思いした上に問答無用で俺と婚約させられたんだ」

フェリクスはしょんぼりして後ろめたいみたいに視線をそらす。

エルフリーデは生け贄事件があってからも今まで通りフェリクスと接していたが彼の態度は少し違った。

その理由がこれらしい。

「……」

「謝ったって謝りきれない。いくら君が、まったく気にしてなさそうでも俺は自分が許せない」

そんなふうに吐露したのだった。

しかし別にフェリクスには何の責任もない。

エルフリーデの事情はエルフリーデだけの問題で彼が負うものなど一つもない。

しかしここまで言ってくれる、そうして苦しそうに吐き出す。

その気持ちがどんなものかエルフリーデは知っていた。

フェリクスが助けに来たとき、していた表情も、強く抱いた声音も彼の感情をとても強く教えてくれた。

きちんと見ていれば、あまり気持ちを口にしない彼のことを、大分ぼんやりしているエルフリーデにも理解できた。

そしてやっぱりエルフリーデは自分に懐いてくれている人のことが好きだ。

なぜなら、少し心がじわっと温かくなってこんな自分も捨てたものじゃないと思えるから。

「それでも、助けに動いてくれたのはあなたです。来てくれたのもあなただけ。私はそれが嬉しいです。その気持ちが嬉しいですよ。だから申し訳なく思うことなど何一つありません」

「……でも、別に俺は君を助けてない」

「助けてくれていますよ。あの状況で放り出されていたら、私きっとまた実家を盾にとられて、望まない人との結婚をしていましたから」

「……」

「あなたとなら……嬉しいです」

エルフリーデは少し微笑んでフェリクスを見た。

嬉しいの言葉を受けてフェリクスは言葉を失って視線をそらし少し耳が赤かった。

「お、俺も――」

『エルフリーデ! 捕まえた! チョウチョって味しないね!』

フェリクスがなにかを言いかけた瞬間、ロルフがとっとこと走ってやってくる。

ふわりと風の魔法を使って足場を作り、ぴょこんと跳ねて、エルフリーデの膝の上に収まった。

「そうなんですか。不思議ですね」

『不思議だね~!』

短く会話をしてそれから撫でてやって、再度フェリクスの方を見ると彼はとても複雑そうにエルフリーデのことを見つめている。

首をかしげると「なっ、なんでもない!」そう言ってごくごく紅茶を飲んだのだった。

『変なの~! 顔が赤いよ!』

「そういう日もあるんですよ」

『変だね~』

「人間は皆変な生き物なんですよ」

『そうなんだ~』

エルフリーデとロルフはそうして会話をした。フェリクスの思いがきちんと言葉にされるのはまだまだ先のことなのだった。