作品タイトル不明
ひと時の休息《3》
「おにいちゃん、ちょっとこっちに来なさい」
突如、正座したイルーナが、ポンポンと対面の床を叩きながらそう言った。
「え、あ、はい」
促されるがままに、俺は彼女の前に座る。
何となく、こちらも正座だ。
「えーっと、どうしたのでしょうか、イルーナさん」
「いいですか、おにいちゃん。わたしは今、おにいちゃんに言いたいことがあります」
「な、何でしょうか、いったい」
どことなく真面目な顔をしているイルーナは、やはりいつもより真面目な口調で、話し始めた。
「おにいちゃんが、今とても忙しくしていることを、わたしは知っています。色々柵があって、日々大変だってことは、よくわかります。お疲れだってことも」
「は、はい」
「でも、今、おねえちゃん達も、大変です」
そこで、俺はイルーナが話したいことを理解し、姿勢を正す。
「おねえちゃん……レフィおねえちゃんと、リューおねえちゃんだけじゃなく、大人組のみんなです。おねえちゃん達は、そういうところ、おにいちゃんに負担掛けたくないって思ってるから、絶対に自分からは何も言わないけどね」
「……そうか」
ただ、それだけを答える俺。
「だからおにいちゃん、もうちょっと、みんなと一人一人の時間を作った方が良いと思います。おにいちゃんがみんなを本当に大事に思っているのは知ってるけど、今は、それをちゃんと態度に出した方が良いんじゃないかな。逆に、おにいちゃんの方から思い切り甘えても良いと思う」
イルーナは、周りがよく見えて、よく気付ける子だ。
だから、この子がわざわざ俺を呼んで、こうやって言うということは……きっとそれは、彼女の言う通りにすべき状況なのだろう。
一応俺も、体調を聞いたり、何かしてほしいことを聞いたり、女性陣のことは気遣っているつもりだ。
つもりだが、それでは、足りていないのだろう。
確かに最近、俺は忙しくしている。
だが、それは、言い訳にはならない。
何故なら、俺は、彼女らの唯一の夫なのだから。
皆に頼っても良いだろうし、泣きついても良いだろう。しかし、覚悟を持って夫となった以上、これは俺が果たすべき義務であろう。
義務なんて言うと嫌々やっているように聞こえるが、とにかく、俺のやらなければならないことの一つであることは間違いない。
「……そう、だな。そうするよ。ありがとな、そういうのを事前に、しっかり言ってくれるのは……助かるよ」
「んーん。いいの。家族だもん。わたしは、おにいちゃん達がいないと何にも出来ない子供だけど、でも、わたしでもみんなを見ることだけは出来るから」
……自分達だけで晩飯を作る、なんて言い出したのも、多分俺達の今の様子を見て、なんだろうな。
「…………」
「? どうしたの?」
「いや……イルーナは、しっかりお姉ちゃんなんだなって思ってさ」
「あー、失礼しちゃうな! 普段、自由気ままなシィやエン、レイ、ルイ、ローを見てるの、わたしなんだよ?」
「すまんすまん。頼りになるなって思ったんだ」
ぷくぅ、と可愛らしく怒るイルーナに、俺は笑って謝る。
ウチの子達は、皆自由人だ。
シィやレイス娘達は、言わずもがな。
大人しく見えるエンも、あの子は意志がハッキリしているので、これと決めたものには他者を気にせず邁進するため、物によっては最もあの子が自由人であるとすら言えるだろう。
で、放っておけば自由気ままにどこまでも行ってしまう彼女らを、それとなく纏めているのは、イルーナなのだ。
「わかった。しっかり顔を見て、ありがとうって言って、甘えるよ」
「ん、それがいいね! 今は、今しかないんだから、大切にしないと」
金言だ。
胸に刻んでおこう。
――この会話一つとっても、やはり、イルーナはもう、子供ではあっても、一から十まで俺達が面倒を見なければならない幼い子ではないのだ。
しっかりと、自分の頭で物事を、理非を考えることが出来るのだ。
「……もう、そろそろか」
「ん?」
「――イルーナ。そろそろ、学校に通うか?」
前世とは命の長さが違う世界だ。
故に学校一つ取っても、人間ならばまだしも、魔族とかのものとなると、『大体同じ年代』という括りで語られ、同学年でも歳が違うなどザラにある。
エルフなんかは、五十歳くらい歳に差があっても、同年代の括りだなんて話も聞いたことがある。
だから、イルーナ達をいつか外の世界に出さないといけない、なんて考えていても、「まあまだ先の話だ」なんて思っていたのだが……その先が、もう、来たのだろう。
幼女ならば、安全を考え、家から出さずに家の中だけで学ばせても良いだろう。この世界は、そういう危険な世界だ。
だが少女になったのならば、保護者として、そろそろ先の道を示してあげなければならない。
これもまた、イルーナの……死んだ彼女の両親の代わりに、保護者となっている俺の、果たさねばならない絶対の義務だ。
「! 学校! 前から話してた、レイラおねえちゃんの里の?」
「あぁ、羊角の一族の里の、だ。まだそこまでは繋がってないが、魔界王都まではダンジョン領域の道が広がってて、だから近い内にあそこまで繋げられるとは思う。だから、毎日ちゃんとここへ帰って来られるようにはする」
「あれ、レイラおねえちゃんの話だと、あそこって寮みたいなのもあるんでしょ?」
「あぁ。もしかしたら、寮生活ってことになる可能性もある。けど、普通に自宅から通えるようにはしておきたいんだ。俺か、もしくは他の大人組の誰かが、何があってもいつでも迎えに行けるようにな」
「おにいちゃんは心配性だなぁ」
「家族だからな。それくらいは、したいのさ」
そう言うと、彼女はクスリと笑う。
イルーナ達の学校として、考えているのは羊角の里のものだ。
あそこは、この世界の教育機関において、トップレベルに設備も人も揃っている。色んなことを学ばせる場としては、最も適しているはずだ。
その辺りのことは、ウチの大人達と、特にレイラに話を聞いたり相談したりして、すでに決めてある。
「それに……イルーナを送るとなると、俺としては一緒に他の子らも送りたいからな。となると、ダンジョンにすぐ帰れるような環境は絶対必要なんだ」
「あ、そっか、シィとレイスの子達って、ダンジョンからあんまり長く離れられないんだっけ?」
「そうそう」
イルーナを学びに行かせるのなら、一緒にシィとエン、レイス娘達も行かせたい。
だが、その中でシィとレイス娘達は、『ダンジョンの魔物』だ。
ダンジョンの魔物は、一日二日、一週間くらいならばダンジョンから離れていても何も問題はないが、しかしそれがもっと長い期間になると、弱る。
ダンジョンが、俺達へ常に供給し続けている力が途切れるからだ。
ダンジョンの魔物は、ダンジョン内部にいる間一切食べずとも餓死しないが、外に出ればその限りではない。
そのことは、一番最初にダンジョンから埋め込まれた知識で知っているので、どちらにしろ扉はあそこの近くに一つ設置するつもりである。
ダンジョンの魔物に、教育なんて必要ないと言えば必要ないし、これが俺のエゴだと言われれば、その通りなんだがな。
……つっても、シィ達はまだ、良いのだ。
彼女らならば、たとえダンジョン外に行こうと、毎日面白おかしく過ごせるだろうし、勉強嫌いのシィでも、何だかんだ学校に行ったら楽しく過ごすと思うのだ。
スライムとレイスという、魔物としか評しようのない種族であっても、羊角の一族の里ならば、いや羊角の一族の里だからこそ、嬉々として受け入れてくれるであろうこともすでにわかっている。
では何が問題かと言うと、それは――エンである。
恐らくあの子は、この話に納得しない。嫌だと言うだろう。
何故なら彼女の種族は、『魔剣』だからだ。
学校に行くとなると、きっと彼女が俺に付いてあちこち行く機会は、非常に少なくなる。
だがあの子は、自らが『剣である』ということに自負を抱いている。
剣とは、それを扱う者がいて、初めてその本分を発揮することが出来る。
本分を発揮し、そして、自らの使用者を戦いから守るのだ。
だから彼女は、俺から離れるのを嫌がるし、俺自身彼女がいてくれないと戦えない。
色々武器は作ったりしてるが、俺の主武器は、エンだけなのだから。
……けど、良い機会、かもな。
エンは剣だ。
しかし、意思を持ち、肉体も有するようになった。
である以上、彼女はもう、『ヒト種』だ。ただの刀というだけではなく、ヒトになったのだ。
ならば、やはり俺としては、彼女に一度はヒト社会を学ばせたい。
「……エンをどうやって説得するかな」
その俺の言葉で、イルーナも俺が何を悩んでいるか悟ったのだろう。
「エンが怒ったら、仲裁はしてあげるね」
「イルーナさん、こちらとしては、怒る前に仲裁してほしいのですが」
「うーん、エンってそういうところ、結構頑固だから、どっちにしても怒るだろうし……とりあえず頑張って、おにいちゃん! ファイト!」
「……まあ、頑張るけどよ」
両手を挙げて応援するイルーナに、俺は苦笑を溢したのだった。
君の成長が、俺は……涙が滲む程、嬉しいよ。