作品タイトル不明
龍の里《1》
――恐ろしい場所だな、あそこは。
遠くから見えていた、 咢(あぎと) のような谷に近付くにつれ、そこから発せられる『圧力』の強さを感じられるようになっていく。
この感覚は知っている。
魔境の森で、やべーヤツと遭遇した時に感じる本能的な危機感と同じものだ。
これは多分、というか間違いなく、チラホラと姿が見えるようになってきた龍族達から感じているのだろうが……その龍族達はというと、だんだんと飛び回っている数が多くなっていき、何だか慌ただしくしているのがここからでもよくわかる。
レフィが近付いて来ていることに気付いたか。
「ユキ、この先は儂から離れるなよ。大丈夫じゃとは思うが、万が一があってはならぬ。エン、儂とお主で、しっかり此奴を守ってやるぞ」
『……ん。頑張る』
「わかった。頼む。エンも、ありがとな」
情けなくはあるが……この場所で最も弱いのが俺だ。
大人しく、今回はレフィに守られるとしよう。
エンも、俺はこの子がいないと戦えないからなぁ……己の非力さが虚しくなってくるぜ。
内心でそんなことを考えながら俺は、担いだエンと共にレフィに付いて飛び――やがて、谷の前に辿り着く。
レフィは何もない場所だと言っていたが……確かに人工物、いや龍工物らしきものはほとんどない。
だが、霊峰という言葉がピッタリ来るような、高く屹立する二つの山脈の間に出来た谷を、丸ごと住処として利用しているこの光景だけで、圧倒される凄まじいものがある。
とにかく、規模がデカいのだ。
自分達が過ごしやすいようにか、山脈の崖を繰り抜いた、龍の巨体が丸々入るような洞穴があったり、生活空間らしい平らな足場があったり。
龍工物はほとんどないが、しかし何本ものどでかい柱と一段一段がアホ程高い階段が崖を沿って作られており、奥まで続いている。
何となく……全体的に、神社のような雰囲気のある場所だ。
そして、やはり目につくのは、里に住む龍族達。
見渡す限り、全部で百五十くらいだろうか。
その全員からひしひしと視線を感じるものの、誰もこちらに話し掛けようとはしてこない。
彼らの視線に含まれているのは……畏怖か。
魔境の森の龍達と、大体同じような反応だな。
いや、彼らよりも、その度合いは強いかもしれない。
「ここが、レフィの生まれ故郷か……」
「うむ。六百年くらいはここで過ごしたかの。その後は、以前お主も会った精霊王の爺の仕事を幾らか手伝ったりしながら、色々と飛び回ってここ以外の快適な地を探し、最終的に百年くらい前に魔境の森で過ごすようになった感じかの」
「へぇ? 精霊王の仕事の手伝いって、何をやってたんだ?」
「あの爺は、自然界を破壊しかねないような生物の退治を仕事にしておってな。儂の手伝いも、基本的にはそれに関連したものじゃの。冥王死龍の話はしたじゃろう? 彼奴のような、強大な力を持ちながらトチ狂った阿呆を相手にする時は、自身が負けた時の保険を考え儂を呼んでおったんじゃ」
「ほー、傭兵みたいでなんかカッコいいな」
『……ん。カッコいい』
エンと揃ってそう言うと、レフィは小さく笑う。
「カカ、そうか、格好良いか。お主らがそう言うのであれば、精霊王の爺には感謝せねばならぬな。――こっちじゃ。まず、会うべき者がおる」
そして、勝手知ったる様子のレフィの案内で里の中を飛ぶこと、数分。
『これは……懐かしい者が来たものだ』
レフィが降りた先にいたのは――ゆっくりと首を起こし、こちらに顔を向ける、一匹の 老龍(・・) 。
少しくすんだ鱗に、ところどころひび割れた爪。
口元からは長い髭が生え、目蓋が垂れており、一目でその生きた年月を感じさせる風体をしているが……その瞳だけは爛々と輝いており、老いを感じさせない若々しさを感じさせる。
『レフィシオス。久しいの』
「フン、まだ死んでおらんかったか、ローダナス」
老龍の言葉に、さっそく悪態を吐くレフィ。
だが、彼女の口調にあまり悪意は感じられない。
我が嫁さんにとって、この老龍はそんなに嫌いな相手ではないのだろう。
『フフフ、まだまだ死なんよ。後三千年は生きる。――それにしても、お前さんは随分とちんちくりんになっておるのう。流石に儂も、驚いたぞ。ここ千年で一番の驚きだ』
「言っておくがの、それは儂がおかしいのではなく、お主らがおかしいんじゃ。お主らは、何もしなさ過ぎる」
『ふむ、それもまた真なるかな。我らの在り方は、確かに変化に乏しい』
と、そう言って老龍は、まじまじと俺の顔を覗き込む。
『して……なるほど。あの愚か者をやったのはそちらの魔王か。てっきり、お前さんがやったのかと思っていたが』
「儂は何もしておらん。全て儂の旦那がやった。全く、本当にいい迷惑じゃったぞ。何をしておるのじゃお主らは」
『それに関しては、何も言い訳出来ん。迷惑を掛けたようで申し訳なかった。知らぬ間に、里の外の者に唆かされておったようでな。詳しく話すと長くなる。――しかし、旦那か。まさかお前さんから、そのような言葉が聞ける日が来ようとは』
愉快そうに笑い、老龍は俺に向かって口を開く。
『名前を聞かせてくれぬか、新龍王よ。儂は、ローダナス。この里で最も老いた龍である』
名:ローダナス
種族:古代龍
レベル:89?
レベルが890台……それでも、レフィよりは低いのか。
……いや、俺、何でもかんでも自分より強い相手はレフィを比較対象にして見てしまうのだが、多分我が嫁さんの方がおかしいんだろうな。
この老龍も、俺のことなど赤子の手を捻るレベルでぶちのめすことが可能だろうし、なんかちょっと、安心してしまったのは良くないだろう。
この里にいる間は、気を張っておかんとな。
「俺はユキだ。よろしく頼む。……あー、一つ聞かせてほしいんだが、ローダナスはどれくらい生きてるんだ?」
『ふむ……あまり覚えてはおらぬが、一番古い記憶で六千年程前のものであろうかの。少なくとも、ヒト種の文明が十度くらい移り変わったことは覚えておるがー……』
古い記憶を呼び覚まそうとしているのか、首を捻ってそう言うローダナス。
六千年……確かにそれは、文明が何度も移り変わりを繰り返す長さだ。
それを見てきたとなれば、どこかの文明の文献には、このじーさんのことが書かれていたりするかもしれない。
いつかレフィと、長命種の生きざまについて話したことがあったが……まさしく、生きた伝説か。
『して、お前さん達は、何をしにここへ?』
「今回、色々あって俺が龍王になったから、一度くらいは挨拶に来た方がいいかと思って訪問させてもらった。後は、レフィ――レフィシオスが俺の嫁さんになったから、その報告も兼ねて、って感じだ」
「うむ。お主らを見返してやろうと思っての。この儂にも夫が出来たのじゃということを、しっかりとわからせてやりたくてな」
『フフフ、そうかそうか……随分と良き様になったな、レフィシオス』
しばしの間、感慨深そうにレフィを見つめ、それからローダナスは言葉を続ける。
『話はわかった。よく帰ったな、レフィシオス。そして、歓迎しよう、新龍王ユキ。まずは……そうじゃのう。新龍王の名を、 龍歴(・・) に刻み込むことから始めようか』