軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:勇者の前進

熱く、抱擁を交わす。

肌で感じる彼の熱。

首筋をくすぐる吐息。

自身の背中に回された腕に深い安心感を覚え、この上ない幸福が全身を包み込む。

一分か五分か、それとももう少し長い時間か。

彼の身体をギュッと抱き締めていたネルは、名残惜しい気分ではあったが、いつまでもこうしていられないので、彼の背中に回していた腕を解く。

「……ん、ありがと、おにーさん」

「おう、満足したか?」

「満足はまだかな? でも、気の済むまでそんなことしてたら、日が暮れちゃうからね。そこそこで我慢しないと」

おどけるようにそう言うと、彼はからからと笑いながら言葉を返す。

「ハハ、そうか、そうだな。俺も同感だ。本来なら人間どもにお前のことを渡したくないぐらいだしな」

「僕も、おにーさん達と一緒に、毎日ふざけながら過ごせたらいいんだけどね……ごめんね、後五年くらいは、待っていてほしい。それまでに、どうにか勇者をやめる算段を整えるから」

そうするための手段は、すでに考えてある。

後は、上司に相談するだけ。

「いくらでも待つさ。お前と一緒にいられるんならな」

そう口では何でもないように言いつつ、しかし少しだけ寂しそうな顔をする彼に、若干の罪悪感が湧いたネルは、彼の両手に自身の両手を絡め――。

「ね、おにーさん」

「ん?」

――つま先立ちをして、彼の唇に自身の唇を押し付けた。

まるで麻薬でも摂取したかのように、脳味噌が 蕩(とろ) ける感触。

絡ませた両手の指先に、お互い少しだけ、力がこもる。

しばしの間、その心地よい感触を味わってから、ネルは、ゆっくりと唇を遠ざける。

「大好きだよ、おにーさん。――それじゃあね、あんまりおバカなことをして皆を困らせちゃダメだよ!」

「ん、あ、あぁ……俺も、愛してるぞ」

気恥ずかしそうにポリポリと頬を掻く彼に、ニコッと笑ってネルは、辺境の街アルフィーロへと繋がる扉を開いた。

* * *

「ふふ……」

王都へと向かう乗合馬車の中で、ネルは先程の彼の表情を思い出し、外の景色を眺めながら小さく笑みを溢す。

いつもは平然とこちらを 揶揄(からか) うくせに、ああして不意打ちをすると照れるのだ。

あの顔を見られただけで、一か月くらいは彼の顔を思い出して我慢出来る気がする。

それ以降は……彼に貰っている、遠方でも会話ができる魔道具、『通信玉・改』を使用して騙し騙し仕事を熟しつつ、耐えられなくなったら休みを貰って帰ることにしよう。

今の自分はもう、彼と、そして彼の周囲にある心地の良い『世界』無しには、生きることが出来ないだろう。

以前にレフィと話した際、彼女もまた『昔の生活には、もう自分は戻ることが出来ない』と言っていたが、その気持ちがよくわかる。

それだけ、彼と共に生きる世界は楽しく、騒がしく、 満たされる(・・・・・) のだ。

きっとリューもまた、同じようなことは思っているだろう。

彼女は笑ったりふざけたりするのが好きで、重い話や生真面目な話があまり得意じゃないらしく、そこまで深い話をしたことがないのだが……今の生活を幸せに思っていないのならば、あんなに屈託なく笑うことは出来ないだろう。

「皆と一緒に、か……」

本当なら、自分ももう勇者の仕事を辞めてしまって、ただの彼の妻として生きていきたいとは思う。

あの迷宮に住まう仲間達と、毎日面白おかしく、ふざけ合いながら生きていければ、どれだけ最高なことか。

ただ――この勇者という役職もまた、自分でやりたいと決めた仕事なのだ。

これを中途半端に終わらせ、辞めるなんてことは出来ない。

……いや、全てを投げ捨て、あの迷宮まで逃げ帰れば、きっと勇者の職は勝手に解任されるだろうし、彼ならば何も言わず無条件で受け入れてくれるだろうが……それでは、自分の中の矜持が許さない。

くだらない矜持かもしれないが、それでも自分は勇者だという自負が、確かにこの身の内側には存在するのだ。

せめて、勇者として確かな仕事をしたと、自分はこれだけの功績を残したのだと、胸を張って言えるだけのことをしなければ、自信を持って辞めることなど出来やしない。

自信を持って、自分は勇者ではなく彼の妻であると言うために、今はこの勇者という役職を本気で熟すのだ。

そうしてこそ、魔王の嫁として相応しい存在だと、自分の中で折り合いを付けることが出来るだろう――。

* * *

「帰ったか、ネル。休暇は満足出来たか?」

「はい! 長く休みを取らせていただいて、ありがとうございました!」

教会本部に戻り、出迎えてくれた上司に、ネルは感謝の念と共に小さく頭を下げる。

「ふむ、その様子だとしっかり英気を養うことが出来たようだな。それならば何よりだ、お前にはこれからも頑張ってもらわねばならん」

「休ませていただいた分は、しっかり働きますよ! ――それで、カロッタさん。一つお話があります」

「うん? 何だ、改まって。次の仮面とのデートのために、休みの相談か?」

「ち、違います!」

ワタワタと手を振って否定するネルに、周囲の他の聖騎士達が笑い声を溢す。

若干頬を赤くしてから、ネルはコホンと咳払いし、先程よりも真面目な表情を浮かべて言葉を続ける。

「魔物の討伐依頼、国境沿いの小競り合い、治安活動、その辺りの仕事をいっぱい回してほしいんです。特に、魔物の討伐依頼があれば、何でもやります」

「ほう…… 実績作り(・・・・) か?」

ネルの狙いをすぐに察し、そう言うカロッタに、彼女は「敵わないな」と苦笑を浮かべてから言葉を返す。

「そうです。今までの僕は、仕事と言えばほとんどこの王都の中でのみのものでした。まだ僕が新米だからというのが理由だとはわかっているんですが……今度からは、もう少し難しい仕事を回してほしいんです」

「それで魔物の討伐依頼か」

「はい、強い魔物の討伐は、すぐに知れ渡りますから。ここ最近のゴタゴタ続きで、討伐の滞っているものが多くあると聞いてますし」

魔物とは、人々のすぐ身近にある脅威だ。

それ故、人々を脅かしていた強大な魔物が討伐されたとなれば、すぐに噂は広がっていき、何もせずとも勝手にどんどん知れ渡っていく。

少し前、教会が威信を回復させるべく、迷宮攻略に乗り出したのと同じ理由である。

ただそれには、自分にまで回ってくるような、かなりの強さを持つであろう魔物を討伐しなければならない訳だが……まあ、魔境の森の魔物達の、ちょっとおかしな強さを知ってしまった今ならば、それ以外の魔物など可愛いものだと半ば本気で思っている。

勿論、油断は大敵であることは重々理解しているものの、実際のステータスとして、あそこに棲息している以外の魔物など大した強さは持っていないのだ。

そのことは、自分の夫の魔物狩りに付いて行き、魔物達のステータスをたくさん教えてもらって、よくわかっている。

それに、仮に自分の実力ではどうしようもない魔物が相手だったとしても、彼が「もし危険があれば躊躇せず使え」と言って渡してくれている、数々の道具が今の自分にはある。

それを自分の功績のために使用するのは、ちょっとずるいとは思うが、自分が対処出来ないような魔物を放置していては、甚大な被害が出ることは間違いないだろう。

ここだけは、自分の中の矜持には我慢していてもらいたい。

「お前の申し出は理解した。だがそうなると当然、魔物狩りだけではなく、紛争の場にも多く出ることになる。それはわかっているのか?」

「大丈夫です。今の僕ならば、 誰にも怪我させず(・・・・・・・・) 場を収めることも出来ますから」

あまり我を前に出さないタイプのネルが、珍しく自信を前面に押し出している様子を見て、カロッタは少し驚いたように目を丸くする。

「……変わったな、ネル」

「やりたいことと、目指したいものが、僕の中でしっかり形になっただけですよ」

気負った様子もなく、ただにこやかにそう言うネルに、カロッタはしばし考える素振りを見せてから、口を開いた。

「そうか……わかった。では、今まで以上にビシバシ働いてもらうことにしよう。自分で言ったのだ、その覚悟は出来ているのだろう?」

「勿論です。精一杯頑張らせていただきます!」

ネルは笑顔で、しかし確かな決意と共に、コクリと頷いた。