作品タイトル不明
02.孫を溺愛する老貴族
マテオ・ローレンス・ロックウェル。
貴族の名前をもらい、貴族の孫になってから早六年。
捨て子だった俺は、可愛い盛りの六歳児になっていた。
なんであの日に赤ん坊になったのかは今でも分からない。
なんであの日赤ん坊が橋の下に捨てられたのかもわからない。
なにも分からないけど、分からなくても何も問題はなかった。
俺を拾って、名前の一部をくれたローレンスじいさんが親代わりになって、俺を庇護してくれたからだ。
拾われた子供だから正式には貴族じゃないが、ローレンスじいさんが自分の名前を俺のミドルネームにしてくれたり、「マテオ」という古い言葉で「神の贈り物」という名前をつけてくれたりしたから、俺は世の中の九割九分の人間よりも安心安定な生活を送っていた。
この日も屋敷の寝室で目覚めた。
じいさんが俺だけのために建てた屋敷で、俺のと使用人のとで、部屋が20を越えるほどの広い屋敷だ。
そんな広い屋敷だから、当然俺一人じゃない。
「おはようございます、おぼっちゃま」
「ん」
「お手伝い、させていただきます」
朝起きた俺に、メイドのローラが現われ、着替えさせてくれた。
俺がベッドから降りてぼうっと立っていると、彼女が慣れた手つきで勝手に着替えさせてくれた。
着替えた後は、歯磨きもやってくれた。
じいさんに拾われて、貴族の孫になった俺が一番びっくりしたのが、この毎朝の歯磨きだ。
貴族は毎朝歯磨きをしていることに、ものすごくカルチャーショックを受けた。
しかも、「歯ブラシ」を使っている。
歯ブラシって言うのはものすごい高級品だ。
俺に使われているのは、木を削り出した取っ手に、豚の背中から取れる硬い毛を植えた物だ。
この毛がくせ者だ。
歯ブラシに使えるほどの硬い毛は、豚一頭分につき歯ブラシだいたい一本分しか取れない位の希少品。
だから歯ブラシはものすごい高級品だ。
これ一本だけで、庶民の稼ぎの三日分はする。
そこまで高価なもんで、貴族にしかつかえないような代物だ。
ちなみに、庶民の中にも歯磨きをする者はいるが、歯ブラシなんて高級品じゃなくて、指に麻を巻き付けてそれで磨くのが一般的なやり方だ。
当然、毛のブラシとちがって、細かい隙間までは磨くことができない。
髪と同様、歯にも金をかけているから、貴族は歯と髪で見分けるとよく言われている。
その歯磨きを、メイドが手慣れた感じで綺麗に磨いてくれた。
最後に顔を洗ってくれて、軽く香水も振りかけてくれた。
貴族は香水にもこだわっている。
香水は種類によって、つけてから最高の匂いになるまでにかかる時間が違う。
貴族は正午くらいに一番大事な人と会うことが多いから、それに合わせた香水をつけるのが一般的だ。
それは六歳児の俺も例外ではない。
そうこうしているうちに、朝の身支度が終わって、頭がしゃきっとして完全に覚醒した。
ちなみに一回気になって調べてみたが、この朝の身支度にかかる金額だけでも、庶民の一週間分の稼ぎくらいは使っている。
その時は貴族(の孫)ってすごいなって思ったもんだ。
☆
二十人くらいが入れるほどの食堂の中で、俺は細長い食卓の上座に座って、メイド達の給仕を受けて、朝食をとった。
今日も豪華な食事に舌鼓をうっていると、眼鏡にひっつめ髪のメイド長、ヴァイオレットが横に来て、一礼を挟んでから話し出した。
「申し上げます」
「なに?」
「先ほどご連絡がありました。大旦那様が昼頃においでになるとのことです」
「 おじい様(、、、、) が?」
俺は首をひねりつつ、聞き返した。
大旦那様――ローレンス・グラハム・ロックウェル公爵、つまり俺を拾ってくれたあの老人の事だ。
俺は心の中じゃ「じいさん」って呼んでいるけど、人前で口に出すときは「おじい様」って呼んでいる。
そのじいさんが来るって連絡だ。
「さようでございます」
「わかった、ご飯の後は本を読んでるから、来たら教えて。あと全部任せるよ」
「承知いたしました」
ヴァイオレットはもう一度一礼を挟んでから、身を翻して立ち去った。
その背中を見送りつつ、俺は微苦笑した。
また来るのかじいさん、と思った。
三日前にも来たばかりなんだがな。
☆
じいさんが来るまで、俺はヴァイオレットに宣言したとおり、屋敷の書庫で本を読んでいた。
ちょっとした酒場ほどの広さはある書庫の中に、所狭しと本棚が並べられて、ぎっしり本がつまっている。
貴族の孫になってよかったって思う事は結構あるが、その中でもこの「本を無制限に読める」事が群を抜いて嬉しいことだ。
本は、高いんだ。
一般庶民なんかじゃ、一家に一冊でもあればもうそれは家宝ものだ。
とにかく高いんだ。
紙の質を揃えたり、同じ大きさにカットしたり、表紙とかを装丁したりと、どれもこれも金がかかってしょうがない職人による手作業だから、どうしても高くなる。
更にそれだけではない、内容の大半は手書き――いわゆる写本だ。
人の手で書き写して、更に内容が間違ってないかというチェックも人の手でやる。
ここでも金がかかる。
最近は「木版印刷」なんてのもあるが、これも金がかかってあまり出回らない。
更に「精霊版」と呼ばれる、人の手によるものじゃなくて、精霊の手による本がある。
そういうのはさすがに貴族の屋敷にもない。
大半が国が所蔵している、国宝級のお宝だ。
そんな、「精霊版」以外の本を俺はとにかく読みあさった。
暇さえあれば本を読んでいた。
そうしているのは、俺が「貴族」じゃなくて「貴族の孫」だからだ。
今はじいさんの庇護の元にいるが、ロックウェル家にはちゃんと跡継ぎがいる。
じいさんの息子と、ちゃんと血が繋がっているじいさんの孫だ。
ロックウェル家はそこに受け継がれていく、俺は名目上ただの居候だ。
いずれ、先にじいさんが死んで、俺は自分の力で生きていかなきゃならない。
そうなった時のために、俺は出来るだけ知識を蓄えようと思っている。
知識ってのは武器だ、武器は多ければ多いほどいい。
だから俺は今日も。
じいさんが来るまで、本を読みふけっていた。
「おお、ここにおったのかマテオ!」
しわがれた声、しかし嬉しそうな声とともに、じいさんが書庫に入ってきた。
部屋にはいって、まっすぐ俺の所に向かってきたと思ったら、こっちの返事を待ちきれないとばかりに俺を抱き上げた。
70すぎの老人と、六歳の男の子。
傍から見れば祖父が孫を可愛がっているという、微笑ましい光景だ。
「下ろしてよおじい様、また腰を痛めちゃうよ?」
前にも俺を抱っこして腰が イッ(、、) ちゃった事があるから、俺は子供口調で、心配する様子でそういった。
すると、心配されたじいさんはますます嬉しそうに破顔した。
「なんのなんの、孫の抱っこで腰をいわすのならむしろ本望じゃ」
そんな本望あるか!
と脳内で脊髄反射で突っ込んだけど、もしかしてあるかも知れないなと俺は思った。
世の中というのは不思議なもので、自分の子供よりも孫の方が可愛い、なんて老人はいくらでもいる。
そういう経験がない俺でも分かるくらい、ありふれた話だ。
俺をひとしきり抱っこした後、じいさんは俺を下ろした。
そのまま目線の高さを合わせて、目をまっすぐ見つめながら問いかけてきた。
「元気にしてたかマテオよ」
「うん」
「そうかそうか。うむ、今日も本を読んでいたようじゃな」
「うん、今日はもう二冊も読んだよ」
「そうか、すごいなマテオ。まだ昼なのに今日でもう二冊か」
「うん。ありがとうおじい様、たくさんご本を集めてくれて」
俺はじいさんの目をまっすぐ見つめながら、本気で感謝の言葉を口にした。
本気で感謝しているのだ。
ここの本は、俺が本好きだと知ったじいさんが俺だけのために集めてくれたものだ。
貴族の孫として、高級な魚をくれるだけじゃなくて、超高級な釣り竿と釣りの仕方も教えてくれるじいさん。
感謝しかないのが本音だ。
「ふふ、マテオは相変わらず不思議な目をしているのう」
「そう?」
俺は小首を傾げて、すっとぼけた。
じいさんが俺を拾ったときも言っていた、不思議な目。
そこはあまり深く掘り下げられると困るから、俺はいつもすっとぼけていた。
「自分じゃ分からないよ」
「ははは、それもそうじゃな」
じいさんは呵々大笑した。
ものすごく愉快そうに大笑いした。
「本当にありがとうね」
「なんのなんの。本も、どこぞで収納されたまま腐っていくよりは、読んでもらった方がうれしい物じゃ」
じいさんは俺をまじまじと見つめたまま、手を伸ばして頭を撫でてくれた。
貴族の孫――貴族。
俺はこの人――国で三人しかいない皇帝に次ぐ大権力者に孫として。
ものすごく、溺愛されている。