軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第1081話 セイレーンの悲劇(3)

キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!

と、女の金切り声のようなおぞましい音が響き渡った瞬間、歌姫達の誰もが理解した。結界を破られたことを。

こんなことは初めてだ。エミリアが加入したのはつい最近だが、聖歌隊そのものはザメクの西部統一の初期から活動している。最古参の歌姫は、最初の頃の小さな支援部隊として各地の戦場を駆け回り、やがて加護の力と規模が拡大し戦略級の運用がされるようにもなり、多くの戦場を経験した歴戦の勇士でもある。

しかし聖歌隊の武力そのものの脆弱性を理解しているザメクは、決して彼女達に敵の凶刃が届かぬよう、最も安全な場所に配置するよう務めてきた。聖歌隊は不幸な事故を除いて、死者を出したことは無い。

そんな歌姫達の前に、今初めて恐ろしい敵が現れようとしていた。すでに、その正体も明らか。

砲火を潜り抜け、並び立つ艦隊の中を突っ切り、そして今、歌の女神の守りすらも打ち破り、その魔の手が『セイレーン』へとかけられる。

「ああ……魔王が、来た……」

それは誰かの呟きか。

あまりの恐怖に、足が竦んで倒れてしまった聖歌隊の少女かもしれない。

けれど、誰に教わる必要もなく、エミリアは直接その目で見た。

黒い風が吹き抜けた、次の瞬間。

歌の女神を象った船首、その上に降り立った黒の魔王の姿を。

「『 魔弾(バレットアーツ) ・ 全弾発射(フルバースト) 』」

かつて自分の目で見たこともある、黒い弾丸を放つ魔法によって、難なく護衛の兵士達を薙ぎ払い、悠々と魔王クロノは甲板へと上がり込んできた。

運良く難を逃れた兵士達は、ブラスターの銃口こそ向けているが、圧倒的な存在感と絶望的なまでの威風を放つ魔王に対して、トリガーを引けずに震えあがっている。

そんな彼女達を腰抜けの役立たず、などと罵倒する気はエミリアには全く起きなかった。まだ魔王ではなかった、アッシュという偽名を名乗っていた頃でさえ、ただの歩兵など束になっても敵わないことを知っているから。

「そこで止まれっ!」

「魔王め、ここより先は通さんぞ!」

「歌姫には、指一本触れさせない!!」

聖歌隊直属の護衛騎士団が総出でステージを囲み、果敢に魔王の前へと立ちはだかる姿を見ても、エミリアは無駄なことだと分かり切っていた。

彼を止められる可能性があるなら、聖剣の勇者ロイだけだろう。

「まずは目の前の仕事を片付けてくれ」

案の定というべきか、護衛騎士団は魔王本人ですらない、召喚した人型の 使い魔(サーヴァント) のような者に容易く蹴散らされた。

クラーケンのような長く巨大な触手を嬉々として操り振り回すメイドの子供と、聖歌さえかき消す呪歌を上げる少年執事。二人によって護衛騎士は圧倒され、ただ真っ直ぐに歩みを進める魔王を止めるために、刃を向けてその前に立ち塞がることすら出来てはいなかった。

そうして開かれた道を当然のように歩き、魔王は無力な歌姫だけが集まった舞台の上へと辿り着く。

数多の戦場を経験した歴戦の歌姫でさえ、すぐ目の前に迫った絶対的な死の具現を前に、腰を抜かしてへたり込んでいる。

けれど、そんなか弱い乙女のような反応が最も賢明であろう。精鋭とされる女騎士達でさえ、魔王へ挑むことすら出来ていないのだ。女神の加護を声に込めて歌うだけの自分達が、刃を手に歯向かったところで1秒の時間稼ぎにもなりはしない。

無力なまま、憐れみを誘うように震えて怯えた方が、魔王の慈悲を賜れるだろう。

無抵抗の女子供を平然と殺すような男ではないと、エミリアは知っている――――そう、だからこれも、彼の優しさを知った上での、単なるワガママでしかない。

下らない意地。幼稚なワガママ。そんな自覚がありながらも、それでもエミリアは不機嫌な子供のように、目の前にやって来た魔王クロノを睨みつけた。

「エミリア」

久しぶりに聞いた、彼が自分を呼ぶ声。

エミリア、とただ一言、この耳に届いただけで、自分のやってきたことが間違いではないと確信できた。

だって、本当にもう一度、会うことが出来たのだから。

「……クロノ」

アッシュ、とはもう呼ばない。

それは彼が、自分と一緒に捨てたモノだから。

今やパンドラの半分を征し、名実ともに魔王へと成り上がった彼にとって、カーラマーラで活動するための偽名など、何の価値もありはしない。

本当に大切なモノを全て隠し、偽りの名と身分のまま自分と過ごした時間もまた、今の彼にとって無価値だろう。

それでも、自分にとっては本物だったのだ。

あの欲望に穢れ切った街で出会って、心から信じられる。信じたいと。そう願っていたし……今でもそんな、馬鹿々々しい淡い期待感が頭の片隅を過ることに、嫌悪感すら覚えている。

だから次の瞬間に、自分の口から出てきたのは、心にもない虚勢の罵倒だった。

「何が魔王よ、結局アンタなんて、兄さんやザメクと同じ――――」

パァン!!

突然の衝撃に、エミリアの頭は真っ白になった。

頬を打つ物理的な威力は、頭を揺らす。けれど、そこには脳震盪を起こすほどの衝撃もなければ、そもそも大した痛みすらない。ただ頬を打った音が高らかに響き、目の覚めるような程よい力加減のビンタで叩かれただけ。

だから衝撃的なのは、自分がクロノにぶたれた、という事実に対するモノが最も大きい。

どうして。何故。何でぶたれた。

聖歌隊の歌姫という厄介な敵に回った自分を、殺しに来たはずだ。

わざわざ『セイレーン』に乗り込んで、己の手で殺したいほど憎んでいるだろう。

事実、エミリアは歌姫としての力でロンバルト艦隊を守った。その戦果は本物で、クロノが現れるのがもう少し遅れていれば、敵の結界を消滅させ連合艦隊に多大な損害を与えていたに違いない。

殺されるほどのことをした、自覚はある。どれほどクロノ個人が優しかろうと、一軍を預かる大将としては絶対に見過ごせない一線は、とうに越えてしまっている。

けど、それでいいと思った。そう思ってしまうほど、自分が自棄になっていることも、分かっている。

そして分かっていても、自分の衝動と行動は止められず……

「お前はこんなところで、何をしている」

「えっ、あ……」

何って、そんなのこっちが聞きたい。

カーラマーラを逃げ出して。兄が帝国の騎士として仕えて活躍していると知っても、帰ろうとは思わなかった。拾ってくれた一座の好意に甘えて、自暴自棄の放浪を続けていたに過ぎない。

そしてロンバルトで、歌の女神の強い加護を授かり……この力があれば、今や魔王となって遥か遠い存在と化した男と、再び相対することが出来るかもしれない。

そんな希望とも願望ともつかない、どうしようもない思いだけ。

会ってどうする。会ってどうなる。どうなりたい。

その先のことすら考えられない短絡的な衝動のまま、ここまで、こんなところまで突っ走って来てしまったのがエミリアだ。

「カーラマーラに帰りもせず、ロンバルトで歌姫などと祭り上げられて、俺に喧嘩を売るなんて、馬鹿な真似を」

「だ、だって……それは……」

パァン!! と、再び頬が叩かれる。

「言い訳するな」

「あっ……はぃ……」

絵に描いたような、理不尽な暴力と言い分。

普通ならば、尊厳を傷つけられたと激怒するか、あまりの恐怖に心に傷を負うか。そうなるはずだし、そういったシーンを貧しい子供の頃に何度も目にしてきた。

自分はただ、強い兄の庇護があったから平穏無事に生きて来られただけで、歌姫として戦場で活躍しても、それで自分自身の身も心も強くなったなどとは欠片も思えない。

だから、怒りでも恐れでもない、この胸の奥から湧き上がって来る感情は――――

「エミリア、お前は俺のモノだ」

自分の気持ちを確かめるよりも前に、抱きしめられる力強さと、唇が触れ合う熱い感触に、エミリアの正気はレムリア海の遥か彼方にまでぶっ飛んで行った。

◇◇◇

「エミリアを取り戻したいでしょう」

ロンバルトの東征宣言と、あのエミリアが聖歌隊の歌姫となった、という情報が出揃った日の晩のことである。

俺は寝室で、リリィにそう言われた。無表情で。

「ああ、ずっと探していたし、心配していた。けど、明確に敵となって相対するなら……」

「いいのよ、クロノ。私はそんな思いをさせるために、聞いたんじゃないの」

それ以上は言わせない、とばかりに俺の唇に人差し指で触れるリリィ。

カーラマーラで記憶を失い、右往左往の四苦八苦していた頃のことは、おおよそ話している。それはナンバーワンアイドルだったエミリアとの出会いから、二人きりのライブ、そして最後に会った時のことも。

もしも俺が全てを忘れたままだったなら、勘違いなんかじゃなく、本当にエミリアと駆け落ちしていたかもしれない。

少なくともあの日あの時、エミリアの口にした言葉は本気だったはず――――けれど、今の彼女が何を考え、誰を思っているのかは分からない。

それでも俺にとってエミリアは、たとえ記憶喪失が故の交流だったとしても、確かに心を通わせた大切な女性だ。

「だがエミリアは、ただの聖歌隊の隊員じゃない。いきなり隊長でセンター独占するスーパーエースだ。恐ろしく強力な加護を授かっている」

「うん、使徒並みとはいかなくても、国を代表する英雄を名乗れるだけの能力はあるわね」

「聖歌隊はロンバルト軍の守りの要。戦場でエミリアが歌姫としての実力を発揮すれば……もう俺の個人的な感情で庇える範囲を超えるだろう」

ロンバルトとは帝国軍だけでなく、ルーン海軍の力も大きく借りることとなる。たとえ神輿同然だったとしても、俺はエルロード帝国皇帝、魔王として全員の命を預かる立場。

俺自身が血反吐を吐いて苦しむだけで済むならいいが、決して他人の血でもって贖うような真似をするワケにはいかない。大勢の人々をパンドラ大戦に巻き込めるのは、そこに大義があるからだ。

「だからと言って、クロノが余計に思い悩む必要はないわ。私はね、むしろ聖歌隊がエミリアの力に頼ってくれて良かったと思ってるの」

「どういう意味だ」

「クロノが一声かければ、あの女は寝返るわ。ルルゥみたいに、簡単にね」

いや流石にそれは無理筋だろう。ルルゥは妖精だからこそ説得が成功した奇跡的な事例であって、エミリアは俺と知り合いだからといって、責任ある立場を放り捨てて味方を裏切るような真似はできないだろう。

そもそも、何て言って引き込むつもりだ。金も名誉も、生粋のアイドルである彼女には響かない。

戦場でなくたって、エミリアと再会したら何て声をかけるべきか分からないのだ。

俺には聖歌隊の歌姫となったエミリアを説得できる材料など、実の兄であるゼノンガルトくらいしかない。

お兄ちゃんはウチで元気にやってるよ、エミリアも戻っておいでよ。そう言ったところで、とても笑顔で頷いてくれるとは思えない。

「魔法の言葉を教えてあげる」

「ま、魔法の言葉……?」

それって洗脳効果あるヤツ? 俺そういうの上手に扱える自信ないんだが。

「大丈夫、とっても簡単よ。あの女には、ただ一言こう言ってやればいいの――――」

◇◇◇

「エミリア、お前は俺のモノだ」

出会い頭にビンタして、有無を言わさずそう言い放て。そしてキスしろ。

ありえん暴力クソ男ムーブとしか思えないが、それが最善にして唯一、エミリアを説得する方法だと力説したリリィを、俺は信じて実行した。

してしまった。本当にやっちまったぞ……どうすんだコレ、罪悪感ハンパ無いんだが……これでダメだったら一生黒歴史で心の傷確実だぞ!

「うん……そう、だよね……ゴメン……」

エミリア認めた!?

な、なんで……なんでこの流れで、こんな暴論が通るんだ。全く意味が分からない。

いや、逆に考えるんだ。分からなくていいさって。恐らくエミリアは混乱しているんだ。自分でも自分が何を口走っているのか、よく分かっていないに違いない。

ビンタされて、強く迫られているから、反論もできずにただ頷くしかない精神状態――――いや、そうか、エミリアはアイドルとしては緊張もプレッシャーも全て跳ね除けるプロのメンタルだが、俺達のように血みどろの死闘を繰り広げる戦闘要員ではない。そもそもエミリアは、俺が第一階層でゾンビ相手にしていた時点でキャアキャア騒いでいたからな。助けた子供達に慰められるほど泣き叫んでいた。

そんな弱さも抱えているエミリアが、この状況下で冷静さを保っていられるはずもない。

そう、やはりエミリアは混乱しているのだ。

だから、そこを利用する。混乱に乗じて、このまま勢いで流し切る!

「分かればいいんだ」

「んっ……」

いや何も分かってはいないだろ、と思いつつも俺はエミリアを優しく抱きしめ、撫でる。鎧は着たままだから、ちょっと強めに抱き寄せたら痛いだけ。色んなとこトゲトゲしてるしな。

細心の注意を払いながらエミリアの体を抱きしめれば、抵抗する素振りもなく、黙って俺の胸の内に納まってくれる。

俺にはどうもリリィが言うように、エミリアはまだアッシュに未練タラタラだから、強く迫れば簡単に靡く、という理由に心から納得できない。できないが、リリィがここまで言う以上、実際にやる価値があると踏んだ。

聖歌隊を止めるため劇場艦を撃沈するなら、艦隊のど真ん中に守られている『セイレーン』を直接叩けるのは、『暗黒水雷戦隊』だけ。どの道、俺が乗り込んでいくなら、エミリアに対して説得コマンドをかける余地はある。

成功すれば撃沈の手間を省いて『セイレーン』を乗っ取れる。失敗すれば予定通りに沈めるだけ。

そして何より、俺自身にエミリアの身柄を確保するチャンスが出来る。

最初から殺しに来るのと、助けられる可能性があるのとでは、気の持ちようも違ってくる。リリィはその辺を見越して、気を利かせた提案をしてくれたワケだ。

だから俺は、その可能性に賭けるためにビンタもするし、黒歴史確定の台詞だって吐いてやる。

「ずっと探していた。どれだけ心配したと思ってる」

「だって……私のことなんて、忘れて……」

「忘れるわけないだろ。お前こそ、俺を忘れてこんなところにまで行き着いたんじゃないのか」

「忘れてない! 忘れられるワケないじゃない! 忘れられないから、ずっと苦しかったの……貴方のことばっかり、考えて……」

「なら、もう俺から逃げるなよ。お前は俺の、俺だけの歌姫だ。俺のために歌え、エミリア」

「うん、分かった……分かったよ……愛してる」

エミリア、やっぱおかしいぞ。

目の端に涙を浮かべながらも、憑き物が落ちたような安心しきった表情で漆黒の胸甲に頬ずりして、愛の言葉を口にする姿に、正直ちょっと引く。

なんか、ごめん……落ち着いたら、もう一度ちゃんと話をしよう。

そのためにも、まずはこの戦いを終わらせなければ――――

「そこまでだ、魔王クロノ。エミリアさんを離せ」

それはまるで、リリィがすっ飛んできたかのように、虹色の輝きと共に飛来した。

静かな怒りが込められたような少年の声音が届いた時には、甲板の上にその姿がある。

蒼白の衣装に翻るマント。そして手にする光り輝く聖剣。

「来たか、聖剣の勇者ロイ」

「魔王クロノ、この僕が相手だっ!!」

なるほど、これは確かに使徒並み。いや、純粋に個人の戦闘能力だけなら、自由自在の飛行能力に聖剣の剣技を持つロイは、マリアベルやミサを確実に超えている。全盛期の第七使徒サリエルを前にしたかのような、隙の無さ。

それなりの時間、魔人化フィオナと戦っていたにも関わらず、負傷どころかさしたる疲労も見えないと来た。

勇者ロイ、見た目は幼い少年ながらも、その強さの底はまだ知れない。

「ああ、いいだろう。勇者と魔王、正々堂々の一騎討ちと行こうではないか――――エミリア、下がっていろ。今度は、俺が帰って来るまでちゃんと待っているんだぞ」

「うん、私、待ってるね!」

追い討ちのようにエミリアにキスを送ってから、ステージから退避させる。

他の腰を抜かしている歌姫達も邪魔だったが、気を利かせてエミリアが声をかけて下げさせてくれた。

そうして彼女達が舞台上から離れる間に、勇者ロイは先ほどの俺と同じようにゆっくり甲板を歩いてくる。

ロイとしても、下手にエミリアや他の歌姫を人質に取られれば困るのだろう。俺が見逃すのをいいことに、彼女達が離れるのを待っているようだった。

そうして、歌姫全員を追い出し、煌びやかな舞台の上には新たな役者が立つ。

勇者と魔王の対決など、本当に脚本通りのような展開だ。

だが、これを望んでいた。俺も、ロイも、そしてザメクも。

舞台で対峙する俺達の姿を、誰もが固唾を飲んで見守っているが故の静寂が訪れる。

護衛騎士団も戦う手を止め、ヒツギとワイスも邪魔が入らない限りは手を出さないだろう。

ここにいる全員が理解しているのだ。帝国を率いる魔王と、ロンバルト最強の勇者。この二人の直接対決が、そのままこのレムリア海戦の勝敗を決めると。

「四帝会談にて、すでに名乗りは交わした。始めようか、勇者ロイ。自慢の聖剣の力、見せてみろ」

「とくと見よ! ランスロットの守護神、偉大なる大精霊が宿りし聖剣『サロスダイト』の力を――――盟約霊剣 ・七の型『 閃(ひらめき) 』」

初撃で切り捨てる。

そんな気迫を感じさせる、凄まじい早さの剣技が正しく閃光と化して向かってくるが、すでに俺は加護を発動させていた。

「――――『 黒の魔王(オーバーエルロード) 』」