軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

7.兄がそんな性格だなんて聞いていません

私は馬車に揺られながら、一週間前の光景を反芻していた。

(ノワールの二人は、やっぱり最高だった……!)

ほのかに香る煙草の香り。秘密を共有するように低く交わされる囁き声。

そんな空間の中、ロザリア様をエスコートするダミアン。想像以上に艶やかで、どこか禁じられた美しさを帯びていた。

濃紺のスーツに身を包んだダミアン。どんな装いも似合うが、やはりスーツ。スーツは至高である。

すらりと伸びた背筋、均整のとれた体格、ひとつひとつが完璧な調和を奏でていた。

そして隣に立つロザリア様。深いガーネットのマーメイドドレスを纏い、髪は高い位置でシニヨンにまとめていた。白い肌のうなじがとてもえっちでした。

あの夜ほど、自分の目がカメラになればと願ったことはない。永遠に焼き付けておきたい光景だった。

(カノンに頼み込んで、本当によかった……!)

「ノワール」が想像以上の反響で、人手不足に陥っているという噂は耳にしていた。せめて少しでも力になれたら……そう思い、土下座までして臨時の給仕を申し出た。

決して、ロザリア様とダミアンの特別な夜をこの目で見たいからではない。

断じて違う。信じて欲しい。

(私は、とても素晴らしいものを見せてもらったけど……)

ちらりと目の前にいるロザリア様に視線を向ける。

彼女は馬車の外を見つめ、流れる街並みをぼんやりと眺めていた。

侍女としての務めは決して疎かにしていない。しかし勝手に「ノワール」で働いてしまったのは事実だ。

叱られる覚悟をしていたのに、ロザリア様はそのことに一切触れなかった。

そして最近のロザリア様は、どこかぼんやりとしている。上の空という言葉が一番しっくりくるだろう。

書類を見つめる目も、馬車に乗っているときも、食事をしているときも、彼女の意識は別の場所をさまよっているように見えた。

あの日、ダミアンと話して何かあったのだとは思う。

けれど私が盗み見していた限り、二人の間に険悪な雰囲気はなかった。二人の性格や今までのやり取りを考えても、衝突するような要素も思いつかなかった。

(一体、何があったのだろう)

ロザリア様に直接尋ねることも憚れて、一週間が経ってしまった。

せめてダミアンと話しているところを見れば、何か分かるかもしれない。そう思っていたが、彼は仕事で長期の出張中らしい。しばらくは会うことはできない。

(なんとかして元気になって欲しいのに……)

うつむくと、真珠がついたネクタイピンが目に入った。小さな真珠が、窓の光を受けて静かに輝いている。

今日は真珠の宣伝のため、ロザリア様はパーティに参加する。私はいつものようにエスコート役として同行していた。

馬車が停まり、従者が到着を知らせてくれる。扉が開くと、冬の匂いが鼻をくすぐった。

私が先に降り、ロザリア様に手を差し出すと、彼女の細い指がそっと私の手に重なった。

そしてパーティ会場までエスコートする。

シャンデリアの灯りが反射し、貴族たちの談笑があちこちで響いている。

馬車の中では口数が少なかったロザリア様も、会場に入った途端、表情を切り替えたように完璧な笑みを浮かべた。人々が彼女を中心に集まり、楽しげに会話を交わす。

「『ルストレア』の次の新商品は何ですの?」

「アクセサリーにしたいと考えております」

「まぁ楽しみ」

貴婦人たちは嬉しそうに声をあげ、商品の説明を熱心に聞いていた。

いくつか商品を紹介し終えると、彼女たちは満足そうに去って行く。

その後も次々と貴婦人たちがやってきては、様々な商品について尋ねた。そしてひと段落ついたところで、ロザリア様は小さく息をつく。

「少し休みましょう」

私は頷き、会場を抜けて廊下に出た。

華やかな音と香りが遠ざかると、そこは静寂だけが残る。私たちの足音だけが響いていた。

ロザリア様の足取りが少し遅く、どこか力が抜けているように見えた。私は思わず声をかけてしまう。

「あの、ロザリア様」

「何?」

「その……ノワールで何か、ありましたか?」

「……どこぞの侍女が私に無断で働いていたことかしら?」

「それは! 本当に!! すみません!!!」

自ら墓穴を掘ってしまったと頭を下げる。

ロザリア様は呆れたようにため息をつき、静かに窓辺へ歩いた。窓の外には整えられた庭園が広がっており、月明かりに花々が白く浮かんでいる。

その景色を見つめながら、手を窓枠に添え、ぽつりと呟いた。

「私は、何も知らないのだと、そう思っただけよ」

その声はひどく寂しげで、それ以上を語る気配がなかった。

(一体何のことだろう)

そう疑問を抱いた瞬間、視界の奥に人影が見えた。長身の男がこちらに近づいてくる。

黒髪を短く整え、鋭い灰色の瞳が印象的だ。冷ややかな印象を受けるが、どこかダミアンを思わせる面影がある。私ははっと息を呑んだ。

(セドリック・サンベルク……!)

ダミアンの兄であり、サンベルク公爵家の現当主。

弟と似た端正な容貌をしているのに、纏う気配はまるで違う。穏やかさを感じるダミアンとは対照的に、セドリックの放つ空気はどこか鋭く、近寄りがたい。

セドリックはロザリア様の前で足を止め、静かに見下ろした。

「はじめまして、ヴァレンティーノ公爵令嬢」

「……お初にお目にかかります」

ロザリア様も顔を知ってはいたのだろう。完璧な作り笑顔で挨拶を返した。

セドリック・サンベルク

性格は冷徹で、合理主義者。感情よりも効率を重んじ、無駄を嫌う男だ。

原作ではフィローレとアランに冷淡に接し、読者の反感を買うほどの厳格さを見せていた。しかし陰のある美しい顔立ちと、「花キミ」では珍しい暴君のようなキャラだからか、コアだが熱いファンが多い印象だった。

(少なくともダミアンより人気があったな……)

前世の記憶を思い出し、複雑な気分になる。

キャラ人気投票ではダミアンよりセドリックの方が上位。グッズの展開数も多い印象だった。ちょっと冷たい男性の方がウケるという、市場の現実を突きつけられたことを思い出す。

「君か。ダミアンの恋人だという令嬢は」

「ビジネスパートナーとしてお世話になっておりますわ」

ロザリア様は仮面のように貼り付けた笑顔で答える。

セドリックは「はっ」と馬鹿にしたように鼻で笑った。

「中々物好きなんだな?」

「……どういう意味でしょう?」

「ダミアンは跡継ぎも残さず離縁した変わり者だ。まぁ公爵家としては後腐れがなく助かったが」

その瞬間、空気が変わった。ロザリア様が纏う温度が三度くらい下がった。

私も彼の無神経すぎる言葉に絶句する。

原作では詳しくは書かれていなかったが、セドリックはダミアンのことを軽んじていた。設定で知ってたとはいえ、こうして本人の口から聞くと、血の気が引くような心地がする。ダミアンとはこの一年間関わってきたのだからなおさらだ。

ロザリア様は、会話の価値がないと判断したのだろう。「私はこれで」と横を通り過ぎた。

するとセドリックが声をかけた。

「俺と手を組まないか?」

「は?」

ロザリア様は怪訝そうな顔で振り向いた。

その瞬間、セドリックは距離を詰め、ロザリア様を壁に押しつけた。

「ロザリア様!」

私が駆け寄るより早く、セドリックの口元が動いた。

私の足下から冷気が這い上がり、動きが止まる。視線を下げると、足首を透明な氷が覆っていた。

(氷魔法……!)

サンベルク家が得意とする魔法だ。ピキピキと音を立てて、氷の膜が広がっていく。私の額に青筋が浮かんだ。

(まさか初対面で魔法をぶっ放してくるなんて! 何考えてんのよこの男!)

セドリックは私を冷たく一瞥したあと、ロザリア様の顎に手をかけた。怒りが胸の奥で爆ぜる。必死で動かそうとするが、足は床に縫い止められたままだ。びくともしない。

「商会やブランドの立ち上げ……あのダミアンと組ませるには惜しい。俺と手を組めば、もっと上に行ける」

「願い下げですわ」

ロザリア様はセドリックを睨みつけながら、吐き捨てた。赤い瞳がまっすぐセドリックを射貫く。

彼は楽しそうに笑い、再び小さく呟いた。するとロザリア様の頬に、白い霜が広がった。氷の膜がじわりと肌を覆っていく。彼女はそれでも眉一つ動かさず、睨み返していた。

(動け動け動け動け動け動け……!!)

全身の血が逆流しているような怒りが渦巻いた。心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響く。

──パキンッ!

氷が割れる鋭い音が、静寂を切り裂いた。白い欠片が宙を舞う。

次の瞬間、私はセドリックの前に強引にねじり込み、立ちはだかった。息を荒げながら、睨みつける。

彼は片眉をあげ、「ほう」と感心したように呟いた。

「もう少し強めに拘束するべきだったな」

「……お引き取りを。セドリック様」

張り詰めた沈黙を破るように、遠くからざわめきが聞こえてきた。

靴音や声がだんだん近づいていくる。招待客の誰かがこちらへ向かってきているのだろう。

この国では、正当な理由なく他者に魔法を行使するのは御法度だ。セドリックもそれを分かっているのか、肩をすくめ、やれやれと両手をあげた。

「随分とかわいい忠犬だな?」

「……」

「まぁいい。俺の側につかなかったことを、いずれ思い知ることになる」

含みのある言い方だったが、ロザリア様も私も沈黙を貫いた。彼の挑発に乗ってはいけない、それだけは明確だった。

彼はくるりと踵を返し、ひらひらと片手を振った。

「気が変わったら、いつでも来い。俺は寛大だからな」

そう言って、去って行った。

彼が完全に去ったのを確認し、ロザリア様の状態を確認した。

「ロザリア様、大丈夫ですか!?」

「えぇ」

頬に傷はないが、冷気で少し赤くなってしまっている。

私は小さく息を吐き、感情を殺した声で提案した。

「セドリック様の件、セルドア様に報告しましょう。理由もなく魔法を使うなんて、前代未聞です」

「……言い分はわかるわ。けど、今回はやめておいて」

私は言葉を失う。「何故」と問おうとして、はっと気づく。

ロザリア様は、セドリックが去った方向をじっと見つめていた。長い沈黙のあと、かすかに唇が動く。

「サンベルク家との亀裂をつくるのは避けたいの」

彼女の頭に誰が浮かんでいるのかは、言葉にしなくても分かった。

私は怒りを胸の奥に押し込み、小さく頷いた。ロザリア様は、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。

「セドリック様は随分と……ダミアン様を嫌っているのね」

「そう、でしたね。あんなに優しい方なのに」

「私は彼から、兄弟の話など一度も聞いたことがなかった……」

ロザリア様は瞼を伏せた。長いまつげが頬に落ち、吐息のような声で続ける。

「私は、本当に、何も知らないのね」

その呟きは空気に溶けるほど小さかった。ロザリア様の指先がかすかに震えているのを見て、私は思わず彼女の手を握った。

ロザリア様の手はとても冷たかった。私はその手を包み込みながら、彼女の寂しさが少しでも和らぐように願う。

「きっとダミアン様は気を遣われて、何も話されなかったんだと思います」

「……そうね」

ロザリア様の相づちには覇気がない。私は思わず声を張る。

「だってセドリック様! 三十歳超えてるのに、あんなことするんですよ!? ダミアン様もあんな兄のことを話したくないはずです!」

怒りをあらわにする私に、ロザリア様は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた。そしてふっと肩の力を抜き、笑みを零す。

「ソレイユ、それ聞かれたら打ち首になるわよ」

「っ」

慌てて両手で口を塞ぐ。その様子を見て、ロザリア様はさらに笑った。彼女の笑顔を見ることができたので、よかったと胸を撫で下ろす。

だけどその笑みには、まだ寂しさが滲んでいることに気づいていた。

私の推しにこんな顔をさせるセドリックに、怒りが腹の底から湧き上がってくる。

(もう二度と、ロザリア様の前に現れませんように……!)

憤りながら、そう強く念じた。

しかしそんな私の願いを嘲笑うかのように、数日後、事件が起きるのである。