軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

60 アンネガルド、焦る

エミリアのお披露目会には、付き合いのある他国の貴族たちもお祝いに駆けつけていた。

北の隣国であるホランド王国のランバルド侯爵とその長女アンネガルドもロマーン王国を訪問していた。

各国から訪れた貴族たちはお祝いの品と言葉を届けたあとは、自分の領地の特産物をロマーン王国に売り込むことも忘れない。

ランバルド侯爵も夜会で顔を合わせたロマーン王国の貴族たちと歓談し、互いの特産品の輸出入の相談をしていた。

まだ十一歳のアンネガルドは夜会には参加できず、お城に用意された客用の部屋で読書をしていた。

客たちが入れる区域には図書室も含まれていて、手続きをすれば部屋まで本を持ち出すことができる。

アンネガルドが今読んでいるのは、他者によってまとめられたマリアンヌの半生記である。

豊かなロマーン王国は周辺国の憧れの存在で、そのロマーン王国の『隠された宝』と言われるのが公爵夫人マリアンヌだ。

各国の要人が訪問してもチラリと顔を出したり出さなかったりで、王弟の妻として華々しく目立つようなことがない。貴族同士の付き合いが苦手らしいと聞いたことがある。

公爵様がそんな妻を溺愛していることは、ホランドの貴族たちの間では有名な話だ。

マリアンヌが数年間は全く貴族の集まりに姿を見せなかった時期もあり、「病気なのでは」という憶測が流れたこともあった。

マリアンヌの名は世界各国に知られている。その名を知らしめたのは彼女のたくさんの発明品だ。

今ではどの国でも走っている自動走行機は彼女の発明品だし、気球も、郵便事業も、種飛ばしの遊び道具も、考え出したのはマリアンヌだ。

「今は公開庭園や療養所、大浴場も運営なさっているし、すごい方よね」

本を読み終わったアンネガルドは「はああ」と感動のため息をついた。

以前公爵家を訪問したときに、マリアンヌは肩に力が入っていたアンネガルドを、おっとりと優しい笑顔で見守ってくれた。

「私はマリアンヌ様の足元にも及ばないけれど、あんなふうにおっとりと優しい大人になりたい。とんでもない天才なのに、それを自慢するような様子は全然なかった。優しい母親って感じだったわ」

そう独り言をつぶやいて、読み終えた本を返しに図書室へと向かう。

図書室は他国からの客が泊まる部屋からは少し遠いが、退屈しているアンネガルドにはちょうどいい運動だ。

別の棟にある図書室のドアを開けると、古い本の匂いがする。アンネガルドはこの匂いが好きだ。

受付で借りていた本を返してから書架の間を歩いた。

趣味の刺繍の図案集を二冊手に取り、最近子供たちに文字を教えていることから教育に関する書物を探した。

大規模な教育の仕組みではなく、アンネガルドが手掛けているような小さな教育の現場について書かれている本を読みたかった。アンネガルドはロマーン語を読むのも話すのも達者だ。

(あの本はどうかしら)

目当ての本は踏み台がなくても届きそうだが、爪先立って腕を思いきり伸ばしてやっと届くか届かないかの場所にあった。

(んー、もう少しで届くのに)

そう思って左手を書架にかけて右腕を伸ばしていると、スッとその本を取ってくれた人がいた。

「ありがとうございます」と振り返って、アンネガルドは固まった。

そこには、あいかわらずキラキラしい雰囲気のニコラスがいた。

アンネガルドは笑顔を浮かべる途中のような、中途半端な表情で会釈をした。

できれば会いたくなかった。

いや、本当は会えて嬉しいのだが、『ハロルドの婚約者披露を利用して、ニコラスと会う機会を狙っていた』と思われないか、不安だった。

アンネガルドの心配は完全に取り越し苦労なのだが、以前ニコラスに一目惚れしたあげくにサックリ断られたことは忘れられない。

「ありがとうございました。失礼いたします」

「今、忙しい? 少し話ができるかな」

その場を立ち去ろうとするアンネガルドに、ニコラスが声をかけた。

アンネガルドは忙しくはない。むしろ暇を持て余している。

だが、(話ってなに?)という不安が湧き上がる。

「忙しくなかったら、少しだけ時間をください。図書室でおしゃべりするわけにいかないから」

そう言ってニコラスがアンネガルドの目をまっすぐ見ている。

「わかりました」

アンネガルドは小声で答えた。

今、アンネガルドの胸の中は、嵐のようにいろんな思いが飛び交っている。

(話ってなにかしら。私にどんな用事? 注意されるとか? でも私は注意されるようなこと、何もしてない)

本を借りる手続きをしている間、ニコラスは無表情にドアの前で待っている。

貸し出しカードに名前を書いている間も、ニコラスがアンネガルドを見ていて、視線を全身で意識しながら、アンネガルドはサインを終えた。

秋になって過ごしやすい季節なのに、背中と額に汗が出る。(これが冷や汗なのね)などと思いながら、ニコラスの後ろを歩いた。少し前に偶然出会った時も思ったが、ニコラスは別人かと思うほど背が高くなっている。百七十センチはあるだろうか。アンネガルドの身長は百五十三センチなので、以前公爵家を訪問した時よりも身長差が広がっている。

スタスタと歩いていたニコラスが案内した場所は、お城の庭の一画にあるベンチだった。

ベンチを囲むようにツルバラがドーム状に誘引されていて、少しだけ周囲からの視線を遮っている。ちょうど秋バラが咲く時期で、小ぶりな赤い花がたくさん咲いていた。

「きれい……」

「きれいだよね。僕、ツルバラが好きなんだ。香りもいい。ツルバラって、人間に伸びる先を決められて従っているように見えるけど、ツルバラが人間を利用しているようにも見えて興味深い」

「ツルバラが人間を利用、ですか」

(そうだった! ニコラス様はマリアンヌ様に一番似ていると言われる天才なんだった。私、この話題についていけるの?)

アンネガルドの焦りには気づかず、ニコラスは「ツルバラだけでなく、栽培されている植物たちは人間を利用していると思う」という話を続けていた。