作品タイトル不明
【11】カルロス・シュタイゼンの回帰(カルロスside)
逆行前の時間。
カルロス・シュタイゼンにとって、アンジェリーナは、 自慢の(・・・) 妹だった。
彼女は、シュタイゼン公爵令嬢として申し分がない。頭脳も、母譲りの容姿もだ。
カルロスは父と同じ青髪で、アンジェリーナは母と同じピンクブロンドの髪。
兄妹にしては似ていない髪色だが、二人の瞳は同じスカイブルーの瞳をしている。
その瞳の色が、最もカルロスとアンジェリーナを兄妹だと示していた。
シュタイゼン公爵家は、規範的な貴族家庭だ。
父の忠誠心は王と国家にあり、家門の進退こそを優先する、貴族らしい貴族と言える。
カルロスもアンジェリーナも、そんな父に特に不満を抱いてはいなかった。
多少、母が病で亡くなる前は、もっと『家族』という繋がりが強かったようには思う。
アンジェリーナの性格も、母の死で少し大人しくなったようだ。
その後、アンジェリーナは王太子の婚約者に選ばれ、より高位貴族令嬢らしく育っていった。
大きく崩して笑顔を浮かべることはなくなり、淑女の微笑みで周囲に応対する。
そんな妹の姿にもカルロスは、特に不満などはない。
レオンハルト王子とだって妹は上手くやっていると思っていた。
アンジェリーナならば、きちんと、かの 方(かた) をお支え出来るだろう、と。
事実、二人には、そうして支え合わんとする戦友のような関係が垣間見えた。
カルロスには婚約者が居ない。
通常は、嫡男の婚約者を決めてから、妹の婚約者を決めるものなのだろう。
だが、アンジェリーナは兄より先んじて王太子の婚約者となり、未来の王妃となった。
そのため、家門の進退を見据えた政略結婚は、カルロスの担当となる。
別にその事にだってカルロスは不満を抱いていなかった。
ただ、彼はアンジェリーナという完成された貴族令嬢を身近で知っていたのだ。
だから、自分の婚約相手も、妹ほどでなくとも妹のようには『賢い女』であればいいなと思った。
カルロスの婚約者候補は、彼が王立学園2年生に上がった後でも、まだ大勢居た。
レオンハルトの婚約相手はアンジェリーナで決まっているのだが、それでも己が、己の娘が、と思う家門が多く、婚約者を決めていない令嬢が、まだ多く居たのだ。
シュタイゼン家とは敵対する派閥、その筆頭たる公爵家、ローディック家の令嬢サンディカもそうだった。
一つ年下、アンジェリーナと同じ年齢のサンディカにも未だ婚約者が居ない。
公爵令嬢と、嫡男たる公爵令息が婚約を決めていないことで『カルロスとサンディカの婚約が』という噂も立った。
カルロスは 一顧(いっこ) だにしなかったが。
当時の情勢では、アンジェリーナを未来の王妃と据えるシュタイゼン家が、ローディック家と手を結ぶ理由がなかった。
二大公爵家を同時に脅かすほどの家門の台頭があれば、その可能性も生まれるが、現時点で筆頭の侯爵家であっても、そこまでに至らない。
「カルロス。学園で誰か気になった令嬢はいるか?」
「はい、父上。気になった令嬢、ですか。……特に居ませんね」
「そうか」
「引き続き、父上の方で見定めていただいて構いません」
「分かった。そうしよう」
カルロスが恋愛感情に『現を抜かす』といったことはなかった。
彼は、常に冷めた感情で周囲を見ている。
学園では、彼の事を『氷の貴公子』などと呼んでいる者が居る。
青い髪と、その誰に対しても冷たい態度がカルロスをそう呼ばせているのだろう。
当人であるカルロスが、その渾名を気にする事はないのだが。
カルロスと結ばれたいと願う令嬢は多く居るのだが、その心の『氷』を己ならば溶かせる、などと自惚れる令嬢たちが、彼の感情を動かせた事はなかった。
「……つまらないものだな」
すべて完璧だった。整っている。不満はない。
アンジェリーナも自慢の妹だ。彼女は将来、優秀な、素晴らしい王妃となるだろう。
次期シュタイゼン公爵という目から見ても、妹は支えるに足る存在だ。
生来、カルロスは感情が乏しい男だった。特にトラウマがあるワケでもない。
最も心を動かされたのは母の死であるが、それも彼はそこまで動じず、淡々と受け入れられた。
アンジェリーナの方がまだ感情があるだろう。妹は母の死に涙していた。
その後、彼女もまた母の死を受け入れていったが。
アンジェリーナは、その時からカルロスに近くなったのかもしれない。
甘えが抜け、高位貴族らしい女になった。
それは王妃教育を受けることによって、より洗練されていった。
「……俺は」
カルロスに不満はない。だが、空虚だった。己が真に求めているものが何か掴めなかった。
それこそ、その心が動くには誰かの『助け』が必要なのかもしれない。
自分のような何事にも冷たい人間は、何を望み、何を願って生きていくのか。
このままで良いのか。カルロスは、どこかに引っ掛かりを覚えていた。
王妃教育を受けて、冷たい仮面を被った高位貴族となっていくアンジェリーナには『同志』のような感情を抱いていたのだろう。
表に感情を見せぬ冷たさで、そうかといって貴族であることを忘れる事はなく、高潔に。
アンジェリーナがそう在るならば、と成長していく妹の姿に、カルロスは己が肯定されている気がした。
己もまた、このままでもいいのだ、と。
……けれど、彼はメルクに出会った。
『もっと自由に生きていていいと思います!』
『なに?』
『えっと。その。なんだか、とても窮屈そうに見えた、から?』
『俺が、か?』
『あの、もう少し、思ったように生きてみたって許されるんじゃないかなって! ほら、私たちって学生ですし!』
『……君は一体、何を言っている?』
『あ、その。だって! 花が咲く期間は、とても短いんですよ!』
『は……?』
カルロスは意味が分からなかった。一体、彼女が何を言いたいのか。
『う、その。ですから、私の言いたいことは、それだけです! それでは!』
『……おい?』
ワケの分からぬまま、その黒髪の女子生徒は、逃げるようにカルロスの前から去っていった。
『……何だったのだ』
カルロスは、ただ疑問に思うだけだった。一体、彼女は何を自分に伝えたかったのか?
どうやら、あの黒髪の女は、他の令嬢たちとは異なり、自分との関係を望んでいたワケではないらしい。
確かに花が咲く期間は短い。そのことを彼女は、詩的に表現したかったのだろうか?
だとしても何が言いたいか、まるで分からなかったが。
そうして、いつしか彼はメルクに惹かれていった。
……そして。カルロスは『ある瞬間』から。
妹のアンジェリーナに対する評価を一変させる事になった。悪い方向に、だ。
そのきっかけは、メルクが与えたものだった。
その時から、カルロスは、大きくアンジェリーナに失望し、それまでの彼女に対する敬意も反転した。
「アンジェリーナ、お前は……」
嫉妬で歪んでしまったのか。だとしても許される事ではない。
逆行前の時間では、何とか公爵家の体面を保つ事は出来た。
「……皮肉なものだな」
逆行後の今、アンジェリーナは驚くべきことに『あの』バルツライン辺境伯を婚約相手に選んだ。
まるで、運命がそうさせるように。
確かに今の時点でのアンジェリーナは、メルクに何もしていないのだろう。
だが、逆行前に抱いた彼女への疑念は容易に拭えるものではなかった。
カルロスは王立学園へ通い、アンジェリーナの様子を警戒しながら見守っていた。
以前の時間のような事にはなってはならないと。だが、以前とは異なることもある。
もしかしたら、彼女はこのまま何の問題もなく過ごすのかもしれない。
「……アッシュ・バルツライン、か」
カルロスが、辺境伯の 為人(ひととなり) を知ったのは、今回の時間が初めてだ。
もちろん、まだ彼の全てを知ったワケではないけれど。
今のところは、アンジェリーナと仲睦まじく過ごしているらしい。
その姿は、レオンハルトの婚約者だった彼女とは比べられないぐらい、微笑ましいもので。
「…………」
アンジェリーナは、アッシュに恋をしているのだろう。あの、妹が。
まるで年相応の女性の姿だと、カルロスは思う。
「王妃教育を……、受けていないからか。それとも、相手が……」
恋をしているだろう、アンジェリーナ。その気持ちが理解できないワケではない。
前の時間のメルクに対する恋情が、確かにカルロスにもあったのだ。
だが、ある時から、彼は、メルクに対して、それ以上に罪悪感を抱いていて。
実の妹によって彼女が貶められた事を、それを止められなかった自分を、後悔していた。
「はぁ……」
前の時間とは、様々な事が変化している。
今は、アンジェリーナが誰かに迷惑を掛けないように、と。
今度こそは彼女の暴走を止められるように、カルロスはそう考えて学園生活を送っていた。
そして、そんな時だった。
「カルロス・シュタイゼン。少し、いいか?」
「……ドラウト教諭?」
カルロスは、学園の教師ニール・ドラウトに話し掛けられた。
そこでカルロスは伝えられる事となる。己の時間が、なぜ過去に回帰したのか。
そして、自身が抱いていた……大きな『間違い』を。
カルロス・シュタイゼンの回帰した人生は、この時から、また大きく変化する事になるのだった。