軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

97.生魚事変

ラルフは機嫌よく厨房で包丁を踊らせていた。エルフたちの移住と、発酵食品工場の設立など、忙しい日々ではあるが、せっかく醤油が手に入ったのだ。どうしても作りたいものがあった。その食材をまな板の上で切り分けるたびに、前世の日本人としての血が騒ぎ、高揚感を抑えきれない。

「だん! だん! 気になるぅ♪」

思わず、いつからか口ずさんでしまっていた歌に、ラルフはハッと我に返る。

「何が気になるんです?」

背後から聞こえたアンナの声に、ラルフはビクリっ! と反応してしまった。相当恥ずかしかったのだろう、彼の顔はみるみるうちに赤くなる。

「あ、アンナ……えっと、いつからいたの?」

「月明かりさえ、まぶしいね。とか言ってたあたりからですね」

アンナの言葉に、ラルフはぼっ! と火が噴き出るほどに顔が赤くなった。顔を覆ってしまいたい衝動に駆られるが、アンナの冷ややかな視線がそれを許さない。

「それ、何作ってるんです。見たところ、生の魚ですか?」

アンナは、まな板の上の魚に目を向けた。鮮やかな赤身と、透明感のある白身が並べられている。

「そのとおり。これはまた革命だぞ!」

ラルフは、得意げに胸を張った。

「まさか、生のまま食べるとか言い出しませんよね?」

アンナの問いかけに、ラルフは不敵な笑みを浮かべた。

「そのまさかさ!」

「正気ですか? お止め下さい!」

アンナは、思わず声を荒げた。生の魚など、この世界では食べられる代物ではない。食中毒の危険性を考えれば、当然の反応だ。

「大丈夫なんだって。僕を信じなさい! 先ずは、魚好きな国王さまを”おとす”。くっひっひっひっひー」

ラルフは、悪巧みをするかのような笑い声を上げた。

彼の目の前には、美しく切り分けられた魚の切り身と、艶やかに炊き上がった米。ラルフは、それらを巧みに組み合わせ、寿司を作り上げていた。

彼の頭の中では、国王がその味に舌鼓を打ち、やがてその美味しさに「堕ちていく」様が描かれているのだろう。

そして、その様子を、居酒屋領主館のカウンターから、一人の客がじっと見つめていた。彼の表情には、警戒と、そして何かを確信したかのような光が宿っていた。

しばらくして、王城の一室。

宰相のニコラウスは、 草の者(スパイ) からの緊急の密書を受け取った。その書状は、極秘の暗号で記されている。彼は震える手でそれを広げ、解読表に従い、その文を読み解いた。

「リョウシュ、ラルフ、ドーソン、ゴランシン、コクオウサマヲ、オトス、センゲンセリ」

宰相は、その最後の数文字を読み終えた途端、目を見開いた。

「国王さまを、墜す?!」

宰相は立ち上がり、椅子がガラガラと音を立てて倒れる。彼の顔は、蒼白だった。

「まずい! 国王陛下は今ロートシュタインに滞在中だ! そして、少し前にロートシュタインはエルフを招き入れたと情報があった。エルフ族は、千年ほど前に起こった人族と亜人族との大戦で、いまだに人族に恨みを持っていると聞く。それをあの公爵が利用したとでもいうのか?! そう言えば、公爵は 獣人の娘(ハル) をいたく気に入って登用している! そして、ラルフ・ドーソン公爵が手に入れたという、"世界を変えるアーティファクト"! すべてが繋がった!」

ニコラウスの頭の中で、点と点が結びつき、一つの恐ろしい結論へと収束していく。彼の悪い予感が当たってしまった。

「やはり、やはりそうなのか。ラルフ・ドーソンめぇ!」

宰相は、怒りに震える声で叫んだ。彼の脳裏には、ラルフの不敵な笑みが浮かび、それが彼をさらに追い詰める。

そして、ニコラウスは、血走った目で近衛騎士に命じた。

「騎士団と軍に伝えろ! ラルフ・ドーソン公爵が謀反を起こした! 全兵力を向かわせろ! 敵はロートシュタインにあり!」

その伝令は、瞬く間に王都を駆け巡り、騎士団と軍が召集された。

その伝令を、別な場所で聞いていたデューゼンバーグ伯爵はというと、意外な反応を見せた。

「ふんっ! あの小僧めっ、いつかやるとは思っていたわ。しかし、こんなに楽しい"祭り"に私を誘わんとはな? まったくいけずな奴だ。……急ぎ伝えろ、デューゼンバーグ家はロートシュタインに付くとな!!」

デューゼンバーグ伯爵の顔には、憤慨と、しかしどこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。彼にとって、これはラルフとの「遊び」の延長なのだろう。彼自身がラルフの経済的な手腕には一目置いており、その才能がこの王国で活かされることを望んでいたのだ。

一方、カーライル騎士爵はというと、

「ほう⋯⋯。あの小童領主がのぅ。さて、どちらに付くのが楽しい、か? ⋯⋯やはり、せっかくの戦だ、盛大な方が良いよなぁ。⋯⋯うむ! カーライル家はロートシュタインに付くぞ!」

そして、グレン子爵もまた、

「ふむ。当然、ロートシュタインに付くが? 何か問題でも?」

と、兵を上げてロートシュタインにつくことを表明した。

何故か、ロートシュタインに付くという貴族たちが多かった。

彼らもまた、ラルフの持つ革新性や、ロートシュタイン領の活気に魅せられていたのかもしれない。あるいは、ラルフがこれまで築き上げてきた、貴族間の人脈が、ここで思わぬ形で活かされたのだろう。

王都とロートシュタインを結ぶ街道で、両勢力が睨み合う事態に発展する。緊張感が高まり、一触即発の空気が流れていた。

「えっ?! 内紛?!」

当事者であるラルフは、事態を全く理解していなかった。彼はただ、美味しい寿司を国王に食べさせたいという一心だったのだ。

しかし、こんなこともあろうかと、ラルフは秘密裏に製造し、用意していたものがあった。ジョン・ポール商会の倉庫から、ごおっという轟音と共に、新型魔導戦車:ブラック・タイガーが四十台、出撃した。

後に、ラルフ曰く、「戦車は火砕流の中だって進む!」と言ったとか言わなかったとか。

キャタピラーというこの世界では理解不能なオーバーテクノロジーに加えて、88mm魔導砲を搭載した異形の戦車、それらが轟音を上げて街道を進軍してくるロートシュタインの新型魔導兵器を目の当たりにした両勢力は、正直ドン引きしていた。

戦意喪失どころか、もう何が何だかわからず、混乱状態に陥った。

彼らの常識を遥かに超えた兵器の出現に、兵士たちはただ呆然と立ち尽くすばかりだった。

しばらくして、ロートシュタインの離宮で、寿司の味と美味い米酒に酔い潰れていた国王が、事態を聞いて慌ててやって来た。

「何か、行き違いとか、勘違いがあったのでは?」

国王は、呑気な、しかし一番真っ当なことを言った。

その一言で、緊迫した事態はあっけなく収束した。両軍は、まるで狐につままれたような顔をして、各自の領地へと引き上げていった。

この一件は、王国史のもっとも恥ずかしい事実として、「ロートシュタイン 生魚事変」として記載されてしまった。

そして、ラルフ・ドーソン公爵は、その後の歴史において、「奇人」として、いや、「美食の革命者」として、その名を刻むこととなるのだった。