軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84..カニと道化師

水上マーケットの岸辺に上がった二人、ラルフとランドルフ第七王子は、真っ赤に茹で上がったカニの山を目の前に、無我夢中で貪り食っていた。

ここは、共和国を追われた難民が開いた小さな店で、本来ならば王子と公爵が膝を突き合わせるには相応しくないような場所だ。だが、二人ともそんなことはまるで気にしていない。むしろ、目の前のカニの殻をほじるのに忙しく、世間のしがらみなどどこへやらといった風情だった。

開け放たれた大きな窓からは、湖上を滑る湿った風が吹き込み、店の中を通り抜けていく。水上マーケットの賑やかな喧騒が、遠くから波のように寄せては返す。時折、遊覧船の汽笛や、屋台から上がる威勢のいい声が聞こえてきた。

「なるほどなるほど。そりゃあヒドイ女に引っかかりましたねぇ」

ラルフが手元のカニのハサミをパキッと軽快に割りながら、相槌を打った。

「そうだ! 本当にそうなのだ! わかってくれるか、ラルフ公爵!」

王子の派手派手な服は、先ほどの落水でずぶ濡れになったため、店の窓の外に干させてもらっている。

今の王子は、ラルフが露天で買ってあげた貫頭衣を着ていた。

共和国の少数民族の伝統品なのかもしれない。かなり良い生地で、黒地に灰色の蓮の花が大きくあしらわれている。見た目に反して、意外にも高級品なのだ。

王子の口の周りは、カニの汁でベトベトになりながらも、彼はヤケ食いに近い勢いでカニを頬張っている。

先ほど、「あのヒドイ女」であるエリカと再会したという記憶は、ラルフの魔法によって見事に消去されている。しかし、王子の中に燻る鬱憤は、消えることなくそのまま残っているようだった。

「良い男ってのはねぇ、女に騙されてなんぼ。みたいなとこありますから」

ラルフは、いかにも含蓄深そうな台詞を吐いてみた。

椅子はなく、敷物の上に胡座をかいて向き合う二人。前世が日本人だったラルフは、畳文化に馴染みがあるため、胡座など慣れたものだ。ランドルフも特に気にする様子もなく、むしろ慣れているかのように見える。

しかし、ラルフは前世でそれほど色恋に通じていたわけではない。つまり、適当なことを言っている自覚があった。

相当に適当を言っている自覚はあったが、王子の愚痴の相手をするには、これくらいが丁度良いだろう。

「もぐもぐ、ふむっ! ラルフ公爵! 私はそなたにもっと早く出会いたかったぞ!」

なぜかランドルフ王子は、ラルフの言葉に深く感じ入るものがあるらしい。その目は、まるで心の友を見つけたかのように輝いている。そして、

「えーい! 食べづらいにもほどがある! 食べられる身が少ないではないか! おいっ! 主人! もっとよこせ!」

カニの追加を注文した。

「おっちゃん! すんません。この、川海老のオイル煮? これ下さい」

ラルフも負けじと追加注文をする。彼の食欲もまた、この場の気安さに誘われてか、旺盛になっていた。

「もぐもぐ、あっ! これ美味っ! なにこれ美味っ!」

ランドルフ王子は、塩茹でそのまま、チリソースを付けて、マヨソースを付けて、と色々試しながら楽しんでいる。その表情は、先ほどまでの激昂ぶりとは打って変わって、ただの美食家だ。

「女なんざぁね。星の数ほどいるんですよ。忘れちまいましょうよ」

ラルフは、なんだか年寄り臭いことを言っている自覚があった。だが、効果はあったようだ。

「ふん! 奴隷に落としてやった小娘なぞ。もう知らん。今頃、鉱山にでも売られて、くたばっているだろうな!」

そう言って、王子はペロリと唇を舐めた。彼の言葉には憎しみが滲んでいるが、「もう知らん」と言う割には、これでもかというほど愚痴が溢れまくっている。いかに、あの"小娘"が彼にとって深く心に刺さっているかが窺えた。

そして、ラルフは心の中で呟いた。

(知らん言う割には愚痴が溢れまくるほどに気にしてないか? そして、その小娘は、今現在、すぐそこで、カレー饅頭を売ってるがな!)

その光景を思い浮かべ、ラルフは密かに口角を上げた。

「ふむ。このような下賤な店にははじめて来たが。なかなか良いな。ゲッぷ!」

柑橘のジュースを飲み干した王子が、満足げに胃をさすった。彼の表情には、新鮮な体験への喜びが満ちていた。

「まあ確かに。王都では経験できないかもしれませんね」

ラルフは静かに頷いた。王族がこのような庶民的な店で食事をする機会は、まずないだろう。

「それにしても、この服は、なんというか、下賤ながら、着やすいし。いいかも、だな」

王子は、新調したばかりの貫頭衣の生地を触りながら、そう呟いた。彼の言葉は、貴族としての矜持と、着心地の良さへの素直な感想が入り混じっていた。

下賤とは言うが、アレよりは良いのでは?

と、さすがのラルフも口にはしなかった。

ラルフは、店の窓に干された王子の召し物を見た。赤、青、黄色、緑、紫、金色、銀色。様々な色がこれでもかとばかりに詰め込まれている。その色彩の氾濫は、まるで子供が色鉛筆を全部使って描いた絵のようだ。前衛的過ぎやしないか? どういうデザインなのだ?

「王都では、ああいう召し物が流行っているのですか?」

すると、王子は胸を張って答えた。

「むっ。気になるか? やはり気になるかぁ! そーだろうなぁ! あれはな、王都の一流の仕立て屋を十人も呼び寄せて作らせたのだ! この世に一着だけの仕立て物だ!」

王子はここぞとばかりに、得意げにこたえた。

「あー。なるほど」

ラルフは、全てを悟ったように思った。前世で、「船頭多くして船山に登る」という言葉があったが、まさにそれなのだ。多くの者が口を出し、意見を出し合った結果、どうにもチグハグなデザインになってしまったのだろう。ラルフは別にファッションに聡いオシャレさんではないが、その理解はできた。

"仕立て屋多くして、王子、 道化師(ピエロ) になる"。

と言ったところか。