軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

463.祝福の汽笛

楽しい時間というのは、どうしてこうも無情な速さで指の隙間をすり抜けていくのだろうか。

学術調査隊の面々は、この緑豊かなダーク・エルフの集落での異文化交流を、文字通り骨の髄まで堪能していた。あちこちから漂う香ばしい現地飯の匂いに釣られては腹を満たし、それぞれが己の欲望の赴くままに羽を伸ばす。まさに絵に描いたような楽園のひとときだった。

しかし、無慈悲にもわかれの 刻(とき) は近づいてくる。

「残念だけど、そろそろ帰らなきゃならないんだ」

「えーっ! ラルフっちぃ〜。もっといてよ〜、寂しいじゃん!」

すっかりラルフに懐いた――と言うよりは、遠慮という概念をどこかに置き忘れてベタベタと甘えてくるダルドーズ。その姿には、集落を統べる「長」としての威厳など微塵も、一分子も残っていなかった。

「ごめんよ、ダルっち。でも、僕もこれでも一国の公爵であり、領地を預かる領主なんだよ。さすがにこれ以上は長居できないんだよ〜」

二人は河辺に並べられた木製のデッキチェアに深く身体を預け、南国特有のひんやりとしたココナッツ・ジュースをストローで啜っていた。頭上をそよぐ風と、どこまでも青い空。客観的に見て、これ以上の「バカンス」がこの世に存在するだろうか。

そんな贅沢な空間に、場違いな大音声が響き渡る。

「わっハッハッハッハ! どうだ見よ! なかなかにいいサイズだろう!」

見れば、河面に浮かべた小舟の上で、一国の国王が満面の笑みを浮かべていた。その手には、まるで古代の怪魚アリゲーターガーを彷彿とさせる、凶悪な顎を持った巨大魚が跳ねている。

「陛下ぁ! いい加減にしてください、本当にそろそろ帰りますよーっ!」

小舟の端で、今にも泣き出しそうなほど必死に縋り付いているのは、完全に胃に穴が空きそうな表情をした腰巾着の家臣だ。

しかし、当の国王はといえば、

「もうちょっと! あと、もうちょっとだけだから!」

と、お気に入りの玩具を泥棒に奪われそうになった子供のように、完全に聞く耳を持っていなかった。

そのあまりにも締まりのない最高権力者の姿を眺めながら、ダルドーズがぽつりと呟いた。

「あのおっちゃんが、お前らの王国の長なんだな〜。なんだかさ……王国って、すげー楽しいところだって、なんとなく分かったぜ」

(確かに、否定はできないな!)

ラルフは心の底から同意した。

だが、それを口にすると王国の品厳が完全に崩壊するため、敢えて何も言わずに苦笑いを浮かべるに留めた。

確かに、一国の王が平気で魚釣りに興じ、毎晩のように庶民に混ざって安酒を呷ってはくだらないくだを巻いている。

さらには、ラルフ自身が治めるロートシュタイン領に至っては、もはや「カオス」という言葉すら生ぬるい状況だ。厳格な身分制度や階級社会の壁は存在するはずなのに、美味い酒と美味い飯を前にすると、誰もがその壁をハンマーでぶち抜くようにして笑い合っている。

(まあ、そうなった元凶は、自分の思いつき。あの『居酒屋領主館』っていうアットホームすぎる場所が原因だって自覚はあるんだけど……考えたら負けだな)

思考を放棄したラルフは、横を向いて笑いかけた。

「じゃあさ、今度はダルっちがウチの領地に遊びに来いよ! 極上の酒と飯で歓迎するぜ!」

「うーわ! マジで!? それ、やべー楽しそうじゃん!」

ダルドーズは褐色の肌に映える白い歯をニカリと覗かせ、少年のような笑顔を咲かせた。

ラルフはココナッツ・ジュースをもう一口。喉を潤す爽やかな甘みを感じながら、(案外、気の良い友をを得たのかもしれないな)と、胸の内でそっと思ったのだった。

最初は無理やり連れ出されたような形だったこの学術調査だが、これほどかけがえのない収穫があったのだから、今回の苦労もチャラにしてやろうと、ラルフは前向きに諦めることにした。

ちなみに、この広大な島には大小様々な部族が点在して暮らしており、ダーク・エルフだけでなく、屈強なリザードマンや、小柄なハーフリング、あるいは人間族の集落もあるようだった。しかし、このダーク・エルフたちとの交流が心地よすぎたせいで、他の地域まで足を伸ばす余裕は完全になくなり、ここでタイムアップ。

異種族たちとのさらなる邂逅は、またいつかの機会へとお預けとなった。

ふとラルフが視線を転じると、賑やかな声が耳に届く。

「すごーい。これ、すっごくキレイ!」

「えーっ! なんでこんなに鮮やかな色になるのぉ?」

ミンネとハルが、きらきらと目を輝かせながら、熱心に染め物をしているダーク・エルフの子供に詰め寄っていた。質問攻めにされた現地の子供は、照れくさそうに鼻を擦りながら、

「そったらに珍らしのや? 普通だぉん」

と、独特の訛りで答えつつ、見事に真っ赤に染め上げられた織物を、さらさらと流れる河の水に浸して色をなじませていた。

「今度は、他のガキどもも、連れてきてやるか……」

ラルフは静かに呟いた。脳裏に浮かぶのは、ロートシュタインにある孤児院の子供たちの顔だ。どいつもこいつも、健気で、誠実で、そして少しばかり働きすぎなのだ。たまには、こうした大自然の中での息抜きが絶対に必要だ。

優しげな眼差しでそんな未来を思い描いていたラルフだったが、次の瞬間、ふとカイリーの美しい顔が脳裏をよぎり、途端にムッとした表情に変わった。

間違いない。

自分が留守にしているのをいいことに、またしてもラルフをモデルにした、あの不届きでけしからん「妄想書籍」を闇ルートで売り捌き、街に流布させているに違いないのだ。帰ったらまずは検閲だな、と固く心に誓う。

「そんじゃ、また会おうぜ〜」

邪念を振り払うように頭を振り、ラルフは新たな友に向けて、無造作に右手の拳を突き出した。

「ん? なんだ、その構えは?」

ダルドーズが不思議そうに首を傾げる。

「ダルっちも、こうして手をグーにしてさ、お互いの拳をコンってぶつけるんだよ」

「へー、何それ。王国の、ナウでヤングな挨拶なの〜?」

「違う違う。これはね……マブダチ同士の、魂の挨拶だよ!」

「そうか! 魂の挨拶か、よし、こうだな!!」

ダルドーズの顔にひまわりのような無邪気な笑顔が咲き、息揚々と差し出された拳が、ラルフの拳とコツンと小気味よい音を立てて合わさった。

またの再会を無言で誓い合う、男同士の少しだけ照れくさく、けれど熱い一瞬。

そうして、いよいよ調査隊は本当の帰路につくこととなった。

「陛下ぁぁぁ! 帰りますよーっ!! いい加減に船に乗ってください!!」

「もうちょっと! いま大物が突っついたから、もうちょっとだけぇぇ!」

やはりというか、あの釣りキチのオッサン国王を小舟から引き剥がすのには、もう一悶着も二悶着もありそうだったが……。

やがて、準備を終えた一行は二隻の巨大な魔導船へと乗り込んだ。

「あどなー!」

「へばなーー!」

岸辺に集まったダーク・エルフたちが、ちぎれんばかりに手を振って見送ってくれる。

「じゃーねー! また絶対にねぇ!!」

「今度はロートシュタインに遊びに来てねー!」

甲板の端から、ミンネとハルも精一杯に身を乗り出して手を振り返していた。どうやら幼い彼女たちにとって、言葉の壁など最初から存在しないに等しかったようだ。

船が出る直前、ダルドーズと様々な未来の話を交わす中で、ラルフはロートシュタイン領に新設予定の学校計画について触れていた。するとダルドーズは興味津々で、「なんなら、この集落の子供たちで行きたい奴がいたら、留学させるってのはどうだ?」という驚きの提案まで飛び出していた。

もしそれが実現すれば、ロートシュタイン領は今以上のカオス地帯へと変貌を遂げるだろう。ラルフの目には、そんな賑やかで頭の痛い未来しか見えなかった。

遠ざかるダーク・エルフたちに手を振り返しながら、エリカがふと思い出したように、隣で放心しているコール・ディッキンソンを睨みつけた。

「というかアンタ、全然役に立たなかったじゃない」

「うっせーよ! 無理矢理引っ張り出してきたクセに、そりゃあねーだろっっ!?」

コールは顔を真っ赤にして憤慨しているが、まあ、普段の無人島開拓という重圧から一時的に解放され、良い息抜きになったのではないだろうか。多分っ!

ラルフはそれを、極めて勝手に、そして前向きに解釈することにした。

「よーし! 面舵いっぱーい! しかし、気を抜くなよ。『 家(うち) に帰るまでが修学旅行』ってよく言ったもんだしな!」

「しゅ、しゅう……? え、ラルフ様、何ですかその言葉?」

アビエラ・グレイス号の重厚な舵輪を握るメリッサ船長が、聞き慣れない単語に戸惑いの声を上げる。

次の瞬間、二隻の魔導船――漆黒の船体を持つ『ウル・ヨルン号』と、純白の輝きを放つ『アビエラ・グレイス号』が、同時に高らかな汽笛を鳴り響かせた。

その太く重厚な音響は、鬱蒼としたジャングルの奥深くまで波紋のように伝播し、木々の隙間から鮮やかな極彩色の鳥たちが、驚いたように一斉に大空へと飛び立っていく。

それは、優しかった異郷の地に別れを告げるように。

再びの出会いを確固たる約束とするように。

そして、王国の民とダーク・エルフたちという、種族の垣根を越えた大いなる邂逅と共鳴を、世界が祝福しているかのような響きだった。

すると、遥か後方の岸辺から、

「ラルフっちーー!! 絶対、絶対に、ウチら会いに行くからな〜〜っっ!!!」

という絶叫が聞こえた。

見れば、ダルドーズが人目をはばからずブワッと涙を流して大号泣しており、そのあまりの見苦しさに、娘のリオーリタが完璧にドン引きした冷ややかな視線を送っているのが遠目からでもはっきりと分かった。

ラルフは思わず、本日何度目か分からない苦笑を漏らすのだった。

二隻の船は、滔々と流れる大河を滑るように下降し、再び広大な大海原を目指す。

漆黒のウル・ヨルン号と、純白のアビエラ・グレイス号。対極の色彩を持ちながらも、等しく威風堂々と太陽の光を浴びて、海原の彼方へとキラキラと輝きながら進んでいった。

後日譚――、

この「国王自らが足を運んだ、前代未聞の海を越えた学術調査」の噂は、瞬く間に近隣の共和国や聖教国、さらには帝国へと伝播していった。

そして何を勘違いしたのか、各国の特権階級の間で、ある種のステータスや、最高級の余暇としての付加価値が自然発生的に生まれてしまったのである。

古代文明のロマンを追い求める遺跡調査、未知なる生態系に触れるフィールド・ワーク、そして大物の怪魚釣りや、巨大な魔獣を狩るビッグ・ゲーム。

窮屈な宮廷闘争や社交界での生活を強いられていた貴族階級にとって、この「過酷な大自然に挑む 知的冒険(ホビー) 」は、爆発的な大流行を見せることとなった。

自分の領地を飛び出し、わざわざ未開の地へ赴いて汗を流すことこそが、最先端のトレンドになってしまったのだ。

しかし、そんな加熱する冒険ブームに対して、冷水を浴びせるような、否、絶対的な冷徹さを持った発布が、ラルフ・ドーソン公爵の直筆によって成された。

各国が震撼したその文面は、以下の通りである。

『原郷文化不可侵に関する厳命』

各国の諸公、ならびに爵位を有する高貴なる者たちへ告ぐ。

我々が「未開」と侮蔑を込めて呼ぶ地にある独自の言葉、独自の信仰、そして彼らが生きるための 術(すべ) は、その大地が永きにわたる歴史の中で育んできた、侵されざる固有の宝である。

貴族たる者が、己の傲慢や目先の浅薄な利益のために彼らの 理(ことわり) を侵し、その文化の灯を消し去るような真似は、歴史に対する最大の暴挙であり、断じて許されるものではない。

本日より、以下の条項を絶対の法として命じる。

一、現地民の言語、祭祀、ならびに生活様式への不当な介入・強制の絶対的禁止。

一、現地民の同意なき物品の持ち込み、および先進技術の身勝手な押し付けの禁止。

異文明の尊厳を汚し、この命に背く愚か者は、我がドーソンの名において、『居酒屋領主館』への出入禁止処分に処す!

―― ラルフ・ドーソン

それは、言うまでもなく、世界のパワーバランスを揺るがすほどに効果抜群だった。

どれほど傲慢な大貴族であっても、美味い酒と美味い飯、誠実な温もりが約束されたあの聖域から締め出されることだけは、死んでも避けたかったからである。

こうして、未開の地の大自然と独自の文化は、海を隔てた二人の男の友情と、一通の厳命によって、完璧なまでに守られることとなったのだった。

もう一つ、余談だが ――

さて、この大々的な学術調査の成功とラルフの発布により、王国と南方諸島を結ぶ定期航路の開設は、もはや時代の必然となった。

そこで一つの、極めて現実的な問題が浮上する。

この長距離航路を進む上で、補給や休息、そして嵐を避けるための中継地として、一体どこが最も適任であるか?

地図を広げた者たちは、誰もがその中央にぽつんと浮かぶ、ある「点」に目を留めることになる。

そう。その通り。

かつてラルフたちによって追放された、あの男がイージーモード・サバイバル生活を送っている場所。

――コール・ディッキンソンの島である。

「どうしてこうなったぁぁぁーーっ?! え?! 絶対にラルフだろ?! またアイツがなんかしたんに決まってるぅぅぅぅ!!」

青い空と白い砂浜、豊かな大自然が残る美しい島に、場違いな男の絶叫が木霊する。

ハメハメハ大王気取りで、誰にも邪魔されない優雅な無人島開拓生活を夢見ていたコールの意図など、時代の荒波の前に綺麗さっぱり消し飛ばされた。

彼の島では、王国の威信をかけた大規模な港町の建設工事が、コールの涙を置き去りにして、もの凄い勢いで始まった。