軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

433.国王陛下のラーメン①

「陛下……。今宵もまた、筆舌に尽くしがたい凄まじい芳香、もとい異臭ですな……」

深夜、静寂に包まれるはずの離宮。その一角にある厨房にて、宰相ニコラウスは顔をしかめ、鼻をつまみながら主君の背後に立った。

立ち込める湯気は、もはや魔力を含んだ霧のように視界を遮っている。

「ん? ニコラウスか。なんだ、貴様も腹が減って寝付けんのか?」

振り返ったのは、この国の最高権力者である国王ウラデュウスだ。

彼は、王冠こそ脱ぎ捨てているものの、その眼光は鋭く、手には巨大な錫杖――ではなく、巨大なシャモジを握りしめ、煮えたぎる寸胴鍋を力強くかき混ぜていた。

その腰には、どこで手に入れたのか、漆黒の布地に不気味なまでに存在感を放つ精緻な刺繍が施されたエプロン――『一杯入魂!』というロゴが躍る、出所不明の品が巻かれている。

「どうせ、また私を毒見……いえ、試食係にするつもりだったのでしょう? 夜の帳に紛れて私を叩き起こしにくる気配がバリバリと伝わってきましてね。先手を打ってこちらから参上した次第でございますよ。はいはい……」

「……お前、愚痴が混じって言葉遣いがおかしくなっているぞ? 自覚あるだろ? というか、わざとだろ?」

ウラデュウスは軽く鼻で笑い、再び視線を鍋の中へと戻した。

そこには、およそ王族の厨房には似つかわしくない光景が広がっていた。

「それにしても、また得体の知れないものをぶち込みましたな。もはやスープというよりは、新種の悪魔を召喚する儀式の祭壇か、あるいは禁忌の錬金術の失敗作に見えますぞ」

ニコラウスの皮肉も無理はない。

白濁したスープの表面には、砕かれた魔獣の骨がゴロゴロと沈み込み、その隙間を縫うように見たこともない香味野菜がプカプカと漂っている。

ウラデュウスが鍋の底からシャモジを掬い上げると、ドロリとした液体と共に、弾力に満ちた未知のブロック肉が姿を現した。

グツグツと煮え滾る鍋から立ち昇る蒸気は、生命の源を凝縮したかのような暴力的かつ野性的な香りを放ち、嗅ぐ者の本能を直接揺さぶってくる。

「クックック……驚くのはまだ早い。これはオークの背ガラをベースに、シーサーペントのアラで深みを出し、クラーケンの吸盤でコクを加え、仕上げにベヒーモスの"ゲンコツ"を叩き込んだ究極の出汁だ。ここ、ロートシュタインだからこそ手に入る、世界最高峰の素材だぞ」

自慢げにニヤリと微笑む国王。

すべては、居酒屋領主館の店主ラルフを通じて繋がった、規格外のネットワークによる賜物だ。

各国の重鎮や凄腕冒険者たちが持ち込む希少食材を、王の特権をフル活用してかき集めたのである。

本来、一国の主が厨房に立つなど言語道断。

だが、このロートシュタインという地においては、領主自らが酒場を営むという異常事態が日常と化していた。貴族も民も、その「自由すぎる風潮」に毒され、感覚が麻痺しきっているのだ。

今宵、ウラデュウスがその魂を懸けて挑んでいるのは、美食の極致――『究極のラーメン』。

麺は、ロートシュタイン製麺所から極秘にオーダーした特製の多加水麺。

タレ(カエシ)は、エルフの森で醸造された古式醤油をベースに、聖女特製の甘口蒸留酒を贅沢に煮詰めたものだ。

手際よく丼にタレを注ぎ、細かな漉し網を通して、魔獣の旨味が凝縮された琥珀色のスープを注ぎ入れる。

絶妙なタイミングで湯切りされた細ちぢれ麺が、まるで生き物のようにスープの中へと吸い込まれていった。

ウラデュウスは箸で丁寧に麺の列を整え、その上に厚切りのオーク肉チャーシューと、鮮やかな青ネギを添える。

「……できた。余計な飾りはいらん。これが、儂の答えだ」

厨房の片隅、普段は奉公人たちが使う質素な木製テーブル。

向かい合って座る国王と宰相の前には、黄金色の輝きを放つ一杯のラーメン。

「では……いただきます」

「いただきます」

領主館に通い詰めるうちに、すっかり身についてしまった異世界の作法を唱え、二人は同時に箸を伸ばした。

ズルズルッ……。

「……むっ!!!」

「ズルズル…………ズルズルズルズル!!」

口に含んだ瞬間、それは味覚への暴力となって襲いかかった。

麺に絡みついたスープから、多種多様な魔獣たちの旨味が時間差で波のように押し寄せる。「こんにちは!」「こちらからも失礼します!」と、脳内のニューロンを直接ノックしてくるような、味のビッグバン。

口の中で百歌繚乱の花火が打ち上がったかのような、凄まじい錯覚に二人は襲われた。

「……へ、陛下……。これ、正直に申し上げて『ヤバい』です。語彙力を喪失するほどに」

「だろう!? 絶対にあの、ポンコツラーメン……いや、ラルフの……あやつのラーメンすら凌駕しているはずだ!」

二人は驚愕し、同時に歓喜した。

しかし、ひとしきり食べ終えた後、ウラデュウスの表情に一抹の寂しさがよぎる。

「……だがニコラウス。これほどの一杯を作りながら、誰の評価も聞けぬというのは、あまりに惜しいとは思わんか?」

ラルフや他の貴族に食わせることは容易だ。

しかし、王という肩書きを前にすれば、誰もが忖度した言葉を並べるだろう。

彼が本当に欲しているのは、王という仮面を剥ぎ取った「一人の料理人」としての、市井の人々の生の声なのだ。

その時、沈黙を守っていたニコラウスが、目を光らせてとんでもない提案を口にした。

「……陛下。そこまで仰るなら、やってみますか? 『屋台』を」

「お主、何を……。一国の王が商売など、そんなことが本当に許されるとでも?」

「どこを調べても、君主がラーメン屋を営んではならないという法はありませんよ。そもそも、あのラルフ・ドーソン卿を見なさい。あの方は現役の領主でありながら、今日も元気に包丁を握り、鍋を振っているではありませんか」

「む……。うむ。言われてみれば、確かに……」

そうなのだ。

あの若きカリスマ領主の行動が、この地の常識を根底から破壊してしまった。

最近では彼に倣い、副業として商売に手を出す貴族も珍しくはない。

ならば、国王が一杯のラーメンを売るくらい、この混沌としたロートシュタインでは「誤差」に過ぎないのではないか?

ウラデュウスの瞳に、子供のような野望の光が灯った。

――翌日。深夜の屋台街。

怪しげな熱気と煙が漂うその場所に、突如として異質な空気を纏った一軒の屋台が現れた。

「おい、あれ……見間違いじゃないよな? 絶対に、そうだよな?」

「ああ……。間違いない。だが、殺気というか威圧感が凄すぎて入りづれぇよ……」

遠巻きに見つめる冒険者たちが、冷や汗を流しながら囁き合う。

屋台の中で、とんでもなく偉そうに腕を組み、鋭い眼光で客を威嚇(待ちわび)している二人の男。お揃いの、あの漆黒の『一杯入魂!』エプロンを身に纏っている。

間違いなく、居酒屋領主館で時折見かける、この国の最高権力者とその腹心だ。

真新しい暖簾には、力強い筆致で『ウラちゃんラーメン』と書かれている。

確信はあった。

だが、目の前の光景がシュールすぎて、誰もが現実逃避を始めていた。

そこに、一人の酔っ払いが千鳥足で現れた。

「うぃ〜、ヒック! ……ぐっフッフッフ……。まさか、領主館の片隅で、あんな禁断のブラック・マーケットが開催されていたなんて……。まさに灯台下暗し! なるほど、これは捗るぞぉ……」

女騎士ミラ・カーライルである。

彼女は酔いで顔を赤らめつつ、手にした「薄い本」を恍惚とした表情で見つめ、口端から薄く涎を垂らしていた。

「お、お疲れ様っす、ミラの姉御!」

冒険者が恐る恐る挨拶を交わすと。

「見てない見てない見てない見てないぞー! 私は何も見てないぞー!? マスターと女騎士の濃厚な絡みを妄想した二次創作作品なんて、一文字も読んでないからな!」

ミラは電光石火の早業で、薄い本を背後に隠し、必死の形相で言い訳を叫んだ。

「は、はあ……(誰も聞いてねぇよ……)」

冒険者は生返事をするしかなかった。

この領地では、毎日毎日毎日が、理解不能な出来事のオンパレードなのだ。

「コホンっ、で? どうしたのだ、お前ら。何か、深刻な事件でも発生したのか?」

唐突に、職務に忠実な「王国の守護騎士」としてのキリッとした表情に切り替えるミラ。そのスイッチの早さは、ある種の才能と言えた。

「あ、いや。その……あれを見てください」

冒険者が指差す先。そこには、屋台『ウラちゃんラーメン』が鎮座していた。

……目が合う――。

店主(国王)からの、物理的な重圧を伴う視線が飛んでくる。

正直、気まずい。

死ぬほど気まずい。

普通なら、全速力で回れ右をして逃げ出す場面だ。

しかし。

夜風に乗って漂ってきたのは、これまで食してきたラーメンたちとは一線を画す、洗練された、それでいて野性味溢れる濃厚な香り。

それがミラの鼻腔を、暴力的なまでの誘惑で貫いた。

「……一杯、いただこう」

迷いはなかった。

次の瞬間、ミラは目にも留まらぬ速さでカウンターの席に腰を下ろしていた。

「「「いただくんかい?!」」」

遠巻きに見ていた人々が、思わず声を揃えて突っ込んだ。

だが、同時に納得もしていた。

自らの欲望に忠実であり、世俗の面倒な事情を一切合切無視できる彼女の豪胆さこそが、騎士ミラの魅力(?)なのだと。

「……ふむ! 騎士ミラ・カーライルよ。儂の、いや、『ウラちゃん』の究極の一杯、とくと味わうがよい!!」

ウラデュウスは、悪の親玉のような凶悪な笑みを浮かべ、平ザルを力強く振り上げた。

そこにあるのは、もはや屋台の風景ではない。

国を懸けた一世一代の勝負の場のような、異常なまでの緊張感。

それを遠くから眺めていた人々は、深いため息をついた。

「……どうする? ラルフ様、呼んでくるか?」

「いや。あの人のことだ。きっと『はぁ? 知らねーし。勝手にやらせとけよ!』とか言って、面倒臭がって来ないだろ……」

それは、ある意味で絶対的な、ラルフ・ドーソンへの信頼(?)の言葉であった。

深夜の屋台街に、新たな「伝説と困惑」が刻まれようとしていた……。