軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

427.昼メシの魔物

「う、ウ~ン。どうしよう……。こんなの、一つになんて決められないわよ……」

新緑の頃の陽光が降り注ぐ領主館の庭先。

懊悩の声を上げ、一枚のチラシを前に身悶えしているのは、凄腕の運び屋マーサだ。

愛車である魔導二輪車:スクラバーに跨り、風を切り裂きながら王国中を、時には国境を越えて共和国までをも駆ける彼女は、その決断力の速さで知られている。だが今、ロートシュタイン領主への届け物を終えた彼女の前に立ちはだかったのは、人生最大級とも言える「選択」という名の壁だった。

「私のイチオシは、この肉汁あふれるハンバーグ弁当でーす!」

快活な声を上げたのは、居酒屋領主館の看板娘の一人、ミンネだ。弾けるような笑顔を向けられ、マーサの視線が揺れる。

「私は、絶対にシャケ弁当がオススメ! この焼き色の香ばしさを見て! あー、ご飯がいくらでも……ジュルリ……」

対抗するように、もう一人の看板娘、ハルが身を乗り出した。興奮で頭上の猫耳がピクピクと小刻みに震えている。

「ハンバーグ……。ええ、確かにあのデミグラスの誘惑は抗いがたいわね。でも、シャケの脂がのった身を想像すると……んんん、いけない! ヨダレが……」

マーサの手にあるチラシには、極彩色で描かれた弁当の数々が踊っていた。

それは単なる挿絵の域を越えていた。

瑞々しい素材の質感、立ちのぼる湯気の気配、さらには漂ってくる香ばしい匂いまでもが紙面から溢れ出してくるような、圧倒的な写実性。

更には、「マクノウチ」に「フカガワメシ」。という、未知の響きを持つ名称の数々に、魔物の肉を豪快に焼き上げた「オークステーキ弁当」、そして視覚から辛さが伝わる真っ赤な「チリチキン弁当」。

「ゴハン大盛りも無料でーす!」

「トッピングの追加もできまーす! 自分だけの黄金比を見つけられまーす!」

無邪気で容赦のないセールストークが、空腹のマーサを追い詰めていく。

本来の予定では、仕事終わりに目抜き通りの「マクダナウェル・バーガー」で馴染みのチーズバーガーを頬張るか、あるいは孤児院出身のエマが営む屋台で、とろけるチーズたっぷりのトルティーヤ・ロールをコーラで流し込むはずだった。

しかし、ここでまさかの伏兵である。

居酒屋領主館が、日中の空き時間を利用して孤児たちや共和国からの流民の女性たちを雇用し、「出前」と「お持ち帰り」の新業態を開始したのだ。

この、需要と供給を完璧に合致させる天才的なビジネスセンス。背後にあるのは、間違いなくあの風変わりな領主、ラルフ・ドーソンの閃きだろう。

「……それにしても、このトマトたまごハンバーグ弁当。色彩設計が暴力的すぎるわ。絶対に美味しいじゃない……。というか、この絵、本当に凄いわね。誰が描いているの?」

あまりに扇情的なイラストの出来栄えに、マーサは半分八つ当たりのように尋ねた。

「あ、それはね、ベルちゃんが描いてるんだよ」

「そう。ベルちゃん! すっごく絵が上手で、居酒屋のメニューの挿絵も全部任されてるの!」

「……あ! そっか! 確かにメニューにも料理の絵があったわね。あのおっとりした子が描いていたの? ……いや、それにしても、さすがに腕を上げすぎじゃないかしら?」

ベルとは。

ハルやミンネ、そしてトム、エド、エマ、レグたちと共に、ロートシュタイン領の孤児院で育ってきた、居酒屋領主館――最初期の従業員の一人だ。眼鏡をかけた控えめな少女の中に眠っていた類まれなる画才を、ラルフは見逃さなかった。その才能は今、領内に「料理の見本」という名の新たな文化を根付かせようとしている。

「ん? あれ、マーサ、まだいたのか? あー、なるほど。……二人の、猛烈な営業攻勢に捕まったんだな?」

背後から掛けられた、少し呆れたような、それでいて愉快そうな声。

振り返れば、屋敷から姿を現したラルフ・ドーソンが、全てを見透かしたような笑みを浮かべていた。

「ええ、その通りよ。まんまと、計算され尽くした罠に嵌まったわよ……」

マーサは降参と言わんばかりに肩をすくめ、ミンネとハルに苦笑いを返した。

「そりゃあ、災難だったな!」

ラルフはケラケラと軽快に笑う。

「しかし、貴方という人は。よくもまあ、次から次に新しい商売を思いつきますねぇ」

マーサは皮肉を混ぜつつも、敬意を込めて窓の向こうを覗き込んだ。

領主館の一階――日中は静謐だったはずの空間は、今や活気あふれる調理場へと変貌を遂げている。慌ただしくも楽しげに、孤児たちや女性たちが和気あいあいと弁当を詰め、盛り付けていく。そこには、労働の義務感を越えた、生きる喜びのような熱気が充満していた。

その時だ。

――ボボボボボボ。

澄み渡る青空に、独特の、しかし重厚な魔導発動機の音が響き渡った。

見慣れない異形の乗り物に跨り、土煙を上げて一人の少女が現れる。

「ラルフ様! 水上都市の養殖場にお弁当、届けてきました! これ、ラルフさまへの、チップだそうです」

少女は慣れた手つきで車体を止めると、銀貨二枚を差し出した。

マーサは思わず目を丸くし、少女と、窓の向こうににいるはずの人物を交互に見比べる。

「あ、あれ? エリカ……さん? じゃないわよね?」

「あ、ああ。似てるが別人だ。こいつはシェリーだよ」

ラルフが平然と紹介する。

「……もしかして、生き別れの双子?」

「あ、あの。はじめまして……。私は、シェイプシフターという魔物の、シェリーと申します。どうか、お見知りおきを……」

マーサの推測を裏切る、とんでもない自己紹介と共に、少女は深々と頭を下げた。

呆然とするマーサが再び窓の中へ視線をやると、そこには金髪のツインテールを振り乱し、凄まじい勢いで指示を飛ばす本物のエリカの姿がある。

そして、目の前には、気弱そうに金髪のサイドテールを揺らす、自称・魔物の少女。

「あ、うん……よろしくね。私はマーサ。運び屋をしてるの」

握手を交わしながらも、マーサの脳内処理は追いついていない。

「……いや、驚かないのかよ?」

今度はラルフの方が毒気を抜かれたようにたじろぐ。

「まあ、驚きましたけど。……でも、"ここ"なら、こういうことも『あり得るかな』って思えちゃいましたねー」

あっけらかんと言い放つマーサ。ラルフの滅茶苦茶さに対する人々たちの信頼、あるいは適応能力は、すでに常人の域を越えつつある。

「あー、うん。受け入れてくれるなら、それでいいけどさ……」

ラルフも、深く考えないことにした。

「それより! シェリーちゃん。その、それ! その乗り物は何なの!? バギーのようでもあり、戦車のようでもある……。こんなの、私だって初めて見たわ!」

魔導二輪車を愛し、機械を魂の相棒とするマーサにとって、シェリーが操る未知の車両は、食欲を一時的に上書きするほどの魅力を放っていた。

「……ああ、はい。これは、えーと……シサクヒン? とかで。確か、名前は……ケ、ケッ、……ケルレル?」

「『ケッテンクラート』だ」

ラルフが横から助け舟を出す。

「あ! そうそう! ケッテンクラートです!」

それは、ラルフが設計に深く関わり、「ジョン・ポール商会」に試作させた特注車両。

かつてラルフが前世で目にした、少女二人が終末世界を旅する物語に登場した、あの半装軌車の完全なるコピーだった。

「ええええっ! こんなレア物、ラルフ様から借りてるの!? ずるい、ずるすぎるわ! 私にも、私にもちょっとだけ運転させて! ねえ!?」

瞳を輝かせ、獲物を見つけた猛獣のように身を乗り出すマーサに、シェリーは完全に気圧され、タジタジになって後ずさる。

ラルフは「やれやれ」と静かに溜息をつくと、肩をすくめた。

「……いいぞ。シェリーも休憩の時間だ。どこか景色のいい場所で、マーサと弁当でも食べてこい」

「やったぁ! さすがラルフ様! 話がわかるー!」

マーサが歓喜の口笛を吹く。

「あ、あの……えっと、その……まだ配達の仕事が残って……」

困惑するシェリーだったが、ラルフは優しく、しかし有無を言わせぬ手つきでチラシを彼女に手渡した。

「いいから。……好きな弁当を選べ。休むのも、メシを食うのも仕事のうちだっ!」

「あ、あの。でも、このラルフ様へのチップは……」

再び差し出された銀貨に対し、ラルフは背中を向けて手を振る。

「いらん。それは、お前が自分のために取っておけ……」

「え、ええぇ……」

魔物として生まれ。今はこうして衣食住を保障されるだけで満足していたシェリーにとって、正当な報酬として「金」を受け取るという感覚は、まだ酷く実体のないものに感じられた。

しかし、マーサがその背を快活に叩く。

「シェリーちゃん、何が食べたい? そのカッコいい乗り物に乗せてもらうお礼に、私が好きなのをご馳走してあげる!」

いつの間にか、マーサはシェリーという存在を、同じ「道を走る者」として受け入れていた。

「え、あ、はい……じゃあ……このチリチキンを。エリカさんがオススメだと言っていたので」

「よし! じゃあ私は、あのトマトたまごハンバーグ弁当! もちろん、ご飯は大盛りでね!」

ようやく下された決断。悩み抜くより、一刻も早く「ケッテンクラート」という未知の怪物を操ってみたい。その好奇心が、彼女のエンジンを全開にさせていた。

「はーい! お待ちくださーい!」

「『トマたま大』と、『チリチキン』、承りましたーっ!」

ミンネとハルの弾けるような復唱が響き、手際よく弁当が用意される。

受け取った弁当を抱え、マーサは慣れた身のこなしで運転席に跨った。

ハンドルを握る感触を確かめるその姿は、相棒であるスクラバーを操る時と何ら変わりない。荷台には、少し不安げに腰を下ろしたシェリー。

「シェリーちゃん! 門を出たところの草原まで行こうか! あの泥溜まりの近く、小さな花が咲き始めていて凄く綺麗なんだよ!」

「あ、は、はい! お任せします! あの、その……お花が綺麗だなんて、私にはまだよく分からないのですが……」

「ハッハッハッハー! 君も、花より 団子(メシ) 派か! あー、見かけはそっくりでもエリカさんよりずっと可愛くて素直じゃない! シェリーちゃんったら〜!!」

「あぅぅぅぅ……恥ずかしいです〜」

魔物として生きてきた彼女にとって、初めて経験するストレートな親愛。シェリーは顔を真っ赤に染め、慌てふためきながら、揺れる荷台の上で身を縮めた。

こうして、凄腕の運び屋と、はにかみ屋の魔物は、変わりゆく季節の風に吹かれながら、郊外へと向かう「少女昼飯"小"旅行」へと旅立っていった。

その微笑ましい光景を、目を細めて見送っていたラルフだったが――。

直後、背後でバン!

と激しく扉が開く音がした。

「……ねえ。今、誰かあたしの悪口を言わなかった? ねぇ……?」

黄金のドリルツインテールを揺らしながら、麺打ち棒を武器のように構えたエリカが、鋭い眼光でキョロキョロと周囲を睥睨する。

ラルフは精一杯のポーカーフェイスを装い、無言のまま遠くの空を見つめ続けた。

その頬を一筋、冷や汗が伝い落ちる。

(エリカの、この理不尽なまでの勘の良さ、なんなんだよ……?!)

そんなことを思いながら、彼は静かに、嵐が過ぎ去るのを待つのだった。