軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

425.働く王子さま!

王国の心臓部、峻厳な美しさを誇る王城の一角。

その一室には、およそ高貴な身分には似つかわしくない、重苦しく淀んだ空気が充満していた。

「兄上……。かったりーっす。あーもう、やってらんねー! ……って感じでありますよ、自分は」

ペンを投げ出す寸前の足掻きを見せたのは、第二王子ヨハネスである。端正な顔立ちをこれでもかと歪め、山積みにされた書類の山を恨めしそうに睨みつけていた。

「ああ。奇遇だな。……奇しくも、俺もだ」

第一王子アンドレアスが、死んだ魚のような目で短く応じる。

二人の手元では、休むことなく羽根ペンが走り続けている。カリカリという硬質な音だけが、広大な執務室に空虚に響く。彼らは今、心底げんなりとした表情で、終わりの見えないペーパーワークという名の戦場に身を投じていた。

「それにしても……兄上、聞き及んでいますか? 例の、幻のワインの話」

沈黙に耐えかねたのか、ヨハネスが救いを求めるように切り出した。

「ああ。あれだろう? 聖教国の古船から回収されたという、幻のボトル。……クソッ、またしてもラルフ公爵の、あの神がかり的な手腕による成果だというのか?!」

「そう! その通りですよ。何故、ロートシュタインという地には、こうも美味いモノや面白いコトが集まってくるのでしょうね……」

「まったくだ。……父上も、フレデリックも、ズルすぎると思わないか?」

アンドレアスの言葉には、深い羨望と少々の殺意が混じっていた。

彼らの父である国王はといえば、公務を放り出し、ロートシュタインに入り浸って酒浸りの日々を謳歌している。

第八王子のフレデリックに至っては、王位継承権などという重石をあっさりと投げ捨て、ラルフが営む居酒屋領主館にて、チャーハン職人としての求道的な生き様に邁進しているという。

さらに、母であるクレア王妃。彼女は彼女で、身分を隠して各地を飛び回り、冒険者の真似事をしながらモフモフ魔獣の保護活動に精を出している始末。最近では王都郊外に、「モフモフ自然公園」なる保護特区を創設すると息巻いている。

もはや、どこへ向かおうとしているのか謎すぎる……。

要するに、この国の王族は、あまりにも自由すぎるのだ。

そのツケを払わされる形で、生真面目な……あるいは逃げ遅れた王子二人が、書類仕事という名の「奴隷労働」に処され、この部屋に軟禁されている。

壁際を見れば、鋼の規律を体現したような近衛騎士団がズラリと並んでいる。だが、彼らは決して外敵から王子を守っているわけではない。主君であるはずの二人が、万が一にも逃走したりしないよう、その一挙手一投足を監視しているのだ。

うんざりしながらも、次の書類を手に取ったヨハネス。

だが、その内容を一目見るなり、彼は不快そうに眉をひそめた。

「おーい、文官。父上への謁見の陳情は、すべてロートシュタインの領主館へ転送しろと言ったはずだぞ?」

ひらひらと書類を突きつけるヨハネス。それに呼応するように、アンドレアスも自虐的な笑いを浮かべた。

「そうだぞ。今この王城にいるのは、執務という名の鎖に繋がれた哀れな王子さまだけだ。国王としての決断が欲しいなら居酒屋領主館に行けと言っただろう? 父上が酔っ払った時分を狙えば、すべて通るぞ〜。そう伝えろ!」

近衛騎士の数名が、ピクリと頬を震わせた。必死に表情筋を制御し、今にも吹き出しそうになる口角を鉄の意志で封じ込めている。

「ちっ、なんだよこの予算案は? ……何故、一介の男爵家の改装工事に、これほどの国費が計上されているんだ?」

「あー、それか。それもまた、ラルフ公爵の真似事だよ。……聞いた話では、ロートシュタイン滞在中に薬草採集の喜びに目覚めたとかでな。その趣味をこじらせて、ハーブティーが売りの洒落たカフェをオープンしたいと言い出したらしい」

「ふんっ! どいつもこいつも、"あの男"に感化されすぎなんだよ!」

吐き捨てるように言うアンドレアスだが、どの口が言っているのかと、誰もが心の中で突っ込んだことだろう。

その時、重厚な扉を叩く、軽やかなノックの音が響いた。

「誰だか知らんが、入れ!」

「よーし。もし不届きな賊だったら、この無愛想な見張りどもを全員なぎ倒してくれ。その隙に我々は、この監獄から華麗に脱獄してやるからな」

冗談とも本気とも取れる、限界ギリギリの発言。入室を許可された人物が、ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせた。

「ちわーす。ロートシュタイン領主、ラルフ・ドーソンでーす。勤勉な王子様方に、元気の出る差し入れを持ってきましたよー」

現れたのは、まるで近所の商家の出入り業者のような、あまりに軽妙な挨拶を飛ばす男。

この王国の欲望を掻っ攫ってしまった実質的な権力者の一人であり、大陸最強の魔導士。

王城をなんだと思っているのか? と問い質したい不遜さだが、今やこの「自由の体現者」を咎める勇気を持つ者など、この城には存在しない。

もちろん、二人の王子も。

「おおおっ、ラルフ公爵! 待っていたぞ! さあ、今すぐ謀反だ! その強大な魔力で城壁をぶち抜き、我らと共に革命の反旗を翻そうではないか!」

「そうだ! 今日こそが、我ら奴隷王子の 独立記念日(インデペンデンス・デイ) だ! 『ロートシュタイン王国』……いや、『ラルフ王国』の建国をここに宣言する!」

突如としてボルテージを上げる王子たち。

だが、ラルフは彼らの過激な誘いを完全にスルーし、持参した重厚な木箱をテーブルに置いた。

「例の、幻のヴィンテージ・ワイン……持ってきましたよ。それと、最高級のオーク肉も大量に。どうです? 今夜は、焦がしニンニク醤油をたっぷりと絡めたオークステーキ……。それから、薄切り肉をさっとくぐらせる『しゃぶしゃぶ』なんてのも乙ですよ。リグドラシルで採れたレモンやカボス、柚子といった柑橘を贅沢に使った、生搾りポン酢も用意しました。特別サービスのケータリング、始めちゃいましょうか」

「「…………ゴクリっ」」

二人の王子が、同時に喉を鳴らした。

幻影として、脳裏を埋め尽くす。食欲をそそる香ばしい香りと、酸味の効いたポン酢。

それが、彼らの理性を瞬時に焼き尽くす。

「まあ……革命は、明日でもいいか」

第一王子が、神妙な面持ちで椅子に座り直した。

「そう、ですね……。腹が減っては革命はできぬ、と言いますし。まずは目の前のメシを……。あ、いえ、書類を片付けましょう」

第二王子も、先ほどまでの反抗心はどこへやら、凄まじい速度でペンを走らせ始めた。一刻も早く仕事を終わらせ、美味い飯と酒にありつきたい。その一点のみが、彼らの労働意欲を支える原動力となった。

ドア付近でその様子を見守っていた宰相ニコラウスが、ラルフに向かって密かに親指を立てた。

実は、王子たちのストレスが限界を突破し、今夜あたり本当に城壁を破壊して脱走しかねないという予兆を察知した宰相が、ラルフに「ガス抜き」を依頼していたのだ。

ラルフは、心底面倒くさそうな顔をしながらも、王子たちに見えない角度で親指を立て返した。

その時だった。

「あっ!」

と、アンドレアスがペンを床に落とした。

ラルフが反射的に振り返る。

同時にヨハネスが、

「いけませんよ兄上。高価なカーペットにインクの染みが……」

と言いながら、潜り込むようにテーブルの下にかがんだ。

「ああ……すまない、手が滑った」

アンドレアスが立ち上がる。

その高い背が影を作った刹那――。

ヨハネスの指先から、シュッ、と鋭く風を切る音が響いた。

ラルフの左目が真紅の魔眼として輝く。

彼は背後も見ずに、飛来した「カード」を二本の指で完璧にキャッチした。

近衛騎士や宰相の肉眼では捉えきれなかったであろう、流れるような、かつ鮮やかな連携。さすがは、血を分けた兄弟。

ラルフは指の間のカードを翻し、内容を確認した。

それは、最近市井で流行り始めている、例のカードゲームの一枚。描かれているのは、どこか神々しい雰囲気を纏った『大魔導士ラルフ・ドーソン』の肖像。

そしてその裏側には、血を吐くような殴り書きでこう記されていた。

『ラルフ公爵。秘密裏に地下通路を掘り終えた。我らの脱出を補助せよ。成功の暁には、そなたに商業ギルドの隠し口座から金貨百枚を譲渡する――』

「…………」

ラルフは、猛烈な頭痛に襲われた。

(そこまでするか……?)

どうやらこの二人、王権という名の権威には、これっぽっちの未練もないらしい。

というか、ラルフを、ある種の、守銭奴と確信しているようだ……。

だが、このような力技の自由奔放は、国家運営において弊害が多すぎる。彼らが真に自由を渇望するならば、然るべき順序と根回しが必要なのだ。やり方が、あまりにも直情的で、そして間抜けすぎる……。

ラルフは、溜息を一つ吐き出すと。

「宰相閣下……。これ、"誰かの落とし物"みたいですよ」

無慈悲に、そのカードをニコラウスに手渡した。

カードに目を通した宰相の目が、冷酷に細められる。

「……ふむ。城内の騎士たちに至急通達。どうやら城内に、我々の把握していない不衛生な穴があるようだ。徹底的に捜索し、発見し次第……埋めろ。なんなら、コンクリートを流し込め」

「ラルフ公爵ッ! ひどい、あんまりだ!!」

「またしても、我らを裏切るというのかぁぁぁ!!」

絶叫に近い声を上げ、顔を真っ赤にして立ち上がる王子二人。

ラルフは、遠い目をして思った。

(というか、なんでこの二人は……僕が当然のように反王国派の味方をしてくれると思ってるんだ……?)

「我ら二人で、夜な夜などれだけ苦労して掘ったと思ってるんだー!」

「召し物の中にに土を隠して、少しずつ中庭に捨てるのが、ちょっと楽しみになってしまっていたのだぞー!」

哀れな王子たちの慟哭は、ワインレッドに染まりはじめた王城の窓を震わせた。