軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

387.冒険者と花

「よし、異常はなさそうだ」

春の柔らかな陽光が降り注ぎ始めた、ロートシュタイン東の森。しかし、木々の隙間を抜ける風にはまだ冬の名残が混じり、肌を刺すような冷たさが残っている。

冒険者ギルドの頂点に立つ男、ヒューズは満足げに頷いた。背負い籠を揺らし、金色の長い髪を春風に遊ばせるその姿は、一見すれば舞台役者のような端正な美貌を誇っている。だが、その背負った「小道具」のせいで、威厳はあえなく雲散霧消し、どこからどう見ても「山菜採りに来た近所のおっちゃん」という親しみやすすぎる風貌に成り下がっていた。もっとも、本人は露ほども気にしていない様子だが。

そして今日、この風変わりなギルマスには、あまりに規格外な同行者がいた。

「ブモォォォォォォォォォォッ!」

地響きと共に迫る、巨大なイノシシの魔獣。その突進が鼻先に迫る刹那、一人の男が不敵にニヤリと唇を吊り上げた。

大剣が陽光を反射して煌めく。

「ふっ、肉の方からやってきてくれたぜ!」

爆ぜるような土埃。

次の瞬間、タイラント・ボアの巨躯が、断末魔の叫びと共に沈黙した。

ヒューズは呆れたような、それでいて慣れきったような足取りでその人物へと歩み寄る。

「ヴォルフガング様……。それ、ギルドに卸されますか?」

問いかけた相手は、王国最強の「剣聖」にして元ロートシュタイン領主、ヴォルフガング・ドーソンその人である。

ヴォルフガングは「ヒュン!」と鋭く剣を振り、一滴の血も残さず大剣を清めた。

「いや、ラルフへの手土産にする。どうせあいつの店に集う、食い意地の張った客どもの腹に収まるんだ」

その脳裏には、愛すべき息子と、彼が営む居酒屋領主館でバカ騒ぎを繰り広げる、賑やかすぎる面々の顔が浮かんでいた。

そして、もう一人。

「見てちょうだい! レグナリスの花がこんなに! 前より群生地が広がっているわ。これもダンジョンの影響かしら?」

少女のように瞳を輝かせ、薬草採集に没頭しているのはジャニス・ドーソン。剣聖の妻であり、ラルフの母。そして、王国で唯一「魔女」の称号を戴く最高位の魔導士である。

「おっと。奥様、そちらは是非ともギルドへ。質の高いポーションの原料として重宝しますから」

ヒューズの懇願に、ジャニスは「あら?」と小首を傾げた。

「じゃあ、私が直接錬成したポーションを納品しましょうか?」

「あ、いや……その、魔女様直製のポーションなんて、うちのようなギルドでは買い取り価格の見当すらつきません。オークションで国が動くレベルですよ……」

冷や汗を拭いながら遠慮するヒューズだったが、ジャニスは屈託のない笑みを浮かべる。

「いいのいいの! 今夜も、ラルフのお店に来てくれるんでしょ? その時に渡すわね」

もはや「無邪気なお節介」の範疇を軽々と飛び越えた、抗いようのない善意の押し売り。ヒューズはこぼれそうになる溜息を必死に飲み込んだ。

(まったく、この一家ときたら……)

友人であるラルフを筆頭に、この一族は「とんでもないこと」を、さも当然の日常として無自覚にやってのける。

振り回される側の身にもなってほしいものだが、どこか満たされたような、奇妙な高揚感が胸にあるのも事実だった。

「さて、もう少し奥へ行きましょう。お目当ての『ブツ』は、この先ですよ」

ヒューズの案内で、三人は再び歩み出す。目指すは、清冽な水の流れる渓流だ。

夕闇がロートシュタインの街を包み込む頃。居酒屋領主館のカウンターでは、驚愕の声が上がっていた。

「おー! すげぇ、採れたて新鮮な…… 山葵(わさび) だっ!」

現領主、ラルフ・ドーソンが目を丸くする。

「今が旬だろ?」と、ヒューズが得意げにカウンターへ並べた。

「花わさびまで……。ああ、もうそんな季節か」

ラルフは感慨深げに呟いた。食材の移ろいによって季節の巡りを知る。それは前世、日本人として生きた彼が最も愛した「風情」という感覚だった。

ふと窓の外を見れば、冒険者や騎士たちに囲まれた父ヴォルフガングが、タイラント・ボアの解体ショーを肴に豪快にビールを呷っている。

一方、店内に目を向ければ、母ジャニスが聖女三姉妹やクレア王妃といった、この列強諸国の頂点に(?)立つ女性陣とテーブルを囲み、優雅に白ワインを嗜んでいた。

「ラルフ様、小さい頃からあんな感じだったんですか?」

「そうなのよぉ。本当に公爵家を継げるのか、もう本当に心配で心配で……」

「でも、ラルフさまって、『あれ』だから良いのよね!」

「そうそう! アレだから良い!」

「「「ギャーッハッハッハッ!!」」」

高貴な女性にあるまじき豪快な笑い声が響き渡るが、ラルフはあえて耳を塞ぎ、努めて平静を装った。

その傍ら、カウンターでは別の商談が動き出していた。

共和国の通商会議議員、ワン・ハンセンが身を乗り出す。

「ヒューズ殿、そのワサビを私にも分けてはもらえんか? そうだな、その一束で銀貨五枚出そう」

「えっ、あ、いや……これ、ただの野草ですよ?」

ヒューズはたじろぐが、今の「ロートシュタイン産」というブランドは、連合国の間ではもはや一級品の代名詞だ。共和国では特権階級しか口にできない贅沢品扱いなのである。

そこへ、勝手口からヴォルフガングが戻ってきた。

「おいラルフ、これを焼いてくれ。我らがロートシュタイン冒険者の頼もしい長、ヒューズ殿への振る舞いだ。希少部位の 頬肉(チークテンダー) だぜ」

「いや、ヴォルフガング様、そこまで気を使っていただかなくても……」

憧れの剣聖と一日を過ごせただけで、ヒューズにとっては天にも昇る心地だった。だが、剣聖は不敵に笑う。

「いいから、遠慮すんな」

その隣で、ラルフが肉を受け取り、楽しげに笑った。

「やっぱり、シンプルにステーキかなぁ?」

(……本当に、何もかもそっくりだぜ)

ヒューズは改めて痛感した。

不敵な笑み、人を食ったような態度、そして他者を無自覚に、かつ徹底的に振り回す「はた迷惑なまでのカリスマ」。この親子は間違いなく血が繋がっている。

「サルヴァドルさーん! この肉、美味しく焼いてもらえませんか?」

ラルフが声をかけると、なぜか今日、店を手伝いに来ていた宮廷料理長サルヴァドル・バイゼルが、目を細めてオーブンの前に立った。

「ふふ、肉の焼き加減こそ料理人の真髄。ラルフ殿、火をお借りしますよ」

さらにジャニスまでが、楽しげに挙手する。

「あら、私もヒューズさんに今日のお礼がしたいわ! お肉に合うソースを、私の魔法で錬成してあげる!」

ジャニスは、トトトっと厨房に駆け込むと、手を洗い、

「このワサビとレグナリスを使いましょうか? ラルフ、バターとワインをちょうだい」

手際よく用意された材料を前に、ジャニスが薬師の道具を取り出す。

「《さあ、美味しくなーれ……美味しくなーれ。最高のソースに、なーれ!》」

詠唱と共に、材料が眩い魔力の光に包まれた。

それは「言霊の魔女」による、理を書き換えるほどの超絶技法。

カウンターの隅では、錬金薬学の権威アルフレッドが、血走った目でその光景を凝視していた。

「魔女殿の錬成……。まさか、実際にこの目で拝見できるとは……。これはもう、魔法などではない、神の領域だ……」

「ジャニス様、そこに 肉汁(ディグラス) を加えるのが最良かと!」

「あら、一流の料理人の意見は聞くべきね!」

「ラルフ殿、焼き上がりました! ミディアムレア、これこそが最強!」

「茹で野菜も添えよう! 盛り付けは……」

「待て待てラルフ殿! 貴殿の料理は味は良いが華がない! ここはプロに任せなさい!」

「うっせーなぁ、ここは下賤な酒場なんだって! まあ、そこまで言うなら、お任せしますよ」

「花わさびを一本、こうして隅に飾るのも素敵じゃない?」

「あっ! 良い! オシャレ!」

「ふふふっ、ラルフ殿、どうやら、美的センスは、母上殿から受け継がなかったようだな?」

「だから! うっせーよ!!」

和気あいあいと、しかし国家予算レベルの技術が投入された一皿が完成していく。

ヒューズはただ、何かの悟りを開いたような表情で、その共同作業を見守るしかなかった。

そして、

「お待たせ! 『ボア・ステーキ ~翡翠のワイルドソースを添えて~』だ!」

目の前に置かれたのは、芸術品だった。

外側は琥珀色に香ばしく、断面はルビーのように艶やかな肉。そこに鮮やかな翡翠色のソースが描線を描き、白く可憐なわさびの花が添えられている。

(……これ、本来なら一体いくらするんだ?)

剣聖が狩り、宮廷料理長が調理し、魔女様の特製ソースが添えられ、それを、大魔導士の営む店で口にする……。

普通に考えれば、それは、

王族すら跪くような究極の一皿なのだ……。

フォークを入れると、驚くほど容易く肉が解ける。

口へ運ぼうとしたその時、背後から突き刺さるような殺気を感じた。

振り返れば、そこには羨望と嫉妬に狂った数十人の客たちの眼光。

そしてカウンター内には、満面の笑みを浮かべる剣聖、魔女、宮廷料理長、そして大魔導士……。

(まともに、……味が、しなさそうなんだが……?)

あまりの重圧にヒューズが汗を流していると、隣に座った「自称・ヴラドおじさん」が、悠然と口を開いた。

「儂は魚を焼いてもらおうかの。そのソース、魚にも合いそうだ」

この空気を一切読まない大物っぷり。ヒューズは一瞬、彼を見習いたいと思ってしまったが……。

(あ、いや! 違う違う! この人、国王陛下だったわ!!)

ヒューズは心の中で、全力で自分の思考を否定した。

春先のロートシュタイン。

居酒屋領主館に流れる時間は、やはりどこまでも常識の圏外であった。