軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

371.ラヂオの夜

夜の 帷(とばり) がしっとりと下りたロートシュタインの屋台街。

淡い燐光を放つ魔導灯の光が、石畳に柔らかく注ぎ、穏やかな喧騒が街の空気を優しく包み込んでいた。その一角で、元冒険者の三人娘――通称「ポンコツ三人娘」が切り盛りするラーメン屋台も、今夜の主役を待つように静かに営業を続けている。

現在、カウンターに腰掛けている客は二人だけだった。

「お待たせーっす! “血のラーメン”並盛り一丁、上がり!」

快活な声と共に、末っ子気質のジュリが身を乗り出すようにして、真っ赤なトマトスープが波打つ丼を客の前に置いた。

「ん~! これよこれっ! この芳醇な香りがたまらんなぁ」

立ち上る熱い湯気を肺いっぱいに吸い込み、至福の表情で顔を綻ばせているのは、驚くべきことにこの王国の国王陛下その人だ。お忍びの装いとはいえ、その身に纏う気品までは隠しきれていない。しかし、この領地の人々は既に驚くことさえ忘れたかのように、彼を街の景色の一部として受け入れていた。

「少しスープが残っているけど、もうちょっと営業してみる?」

寸胴の中を覗き込み、丁寧な仕草で残りを確認するのはパメラだ。

「まあ、いいだろ。儲けは少しでも多い方が、明日の仕入れに響かないからな」

マジィが男勝りな、しかし温かみのある笑顔を浮かべて応じる。

「ところで、ヴラドさん。居酒屋領主館の方は、まだ本格的な営業再開はせんのですかなぁ?」

国王陛下に対して、まるで旧知の友人のように気さくに声をかけたのは、隣席の客だ。上等な召し物を身に着け、流暢な人語を操るその人物は、豆腐作りのプロフェッショナルとして知られるゴブリンのブンタだった。

「ズズズズーッ、モグモグ……。ふむっ、あちらも既に殆どの準備を終え、今は内装工事の最終段階だと聞いている。明日か、遅くとも明後日には再開できるだろうな」

「ふふっ、そうなればラルフ様も、また目が回るような忙しさになりそうですな」

そう言って、ブンタもまた旨そうにラーメンを啜る。

種族の壁も階級の垣根も、一杯のどんぶりから立ち上る湯気の中に溶けていく。そんなざっくばらんなやり取りは、このロートシュタイン領においては、ごくありふれた光景だった。

すると、食器を洗っていたジュリが、ふと思い出したように声を上げた。

「あっ! そろそろ時間っすよ!」

彼女は濡れた手を素早く拭き取ると、屋台の隅に掛けられた小さな箱のような魔道具を手に取った。期待に目を輝かせながらスイッチを入れ、慣れた手つきでダイヤルを回す。

ピー、ザーザザッ……ウィ~ンウウウゥ……。

ホワイトノイズが響いたかと思うと、少しだけくぐもって歪んだ、しかし聞き慣れた少女の声がスピーカーから流れ出した。

『――あーあー。どうも、皆さん。“エリカのレディオ・ハイタイムス”、はじまるわよ……』

それを見上げた国王が、どこか誇らしげに口角を上げた。

「ほう……。お前たちも、"ラジオ"を買ったのか?」

「はい! 発売されたその日に、一番乗りで買いましたよ!」

マジィがにこやかに答える。

「いや~、相当並んだっすね~。少し後ろにいたデューゼンバーグ伯爵が、売り切れで買えなくて、地面を叩いて悔しがってたっす!」

ジュリが得意げに胸を張り、当時の熱狂を語る。その間も、魔導ラジオからは金髪ドリルのツインテールを揺らす不遜な少女、エリカの淀みのない語り口調が響き続けていた。

『――この番組は、ポンコツラーメンの提供でお送りするわ……』

「ああ、なるほど。お前たちがスポンサーの番組か。道理で熱心なわけだ」

国王は納得したように大きく頷いた。

――話は少しばかり遡る。

数日前、水上都市の王族専用離宮にて。

「これは……また。とんでもないモノを発明したものだな……」

国王は、ロートシュタイン領主ラルフ・ドーソンが持参したその「箱」を前に、驚きと呆れが混ざった表情で目元をひくつかせていた。

「まあ、そうなんすよね~。この前のコール・ディッキンソンが起こした占拠事件の時に、急造で作ったんですよ」

ラルフは事も無げに説明する。

反乱鎮圧のために組織された戦車部隊。その連携を密にする作戦遂行のため、彼は魔石による魔導同調を利用した即席の通信機を開発していたのだ。

すると、宰相のニコラウスが鋭い眼差しでその装置を見つめた。

「陛下……これは、マズイですよ。遠方の人間と瞬時に話せるですと? 軍事的な戦略のみならず、あらゆる社会構造、組織の在り方を根本から変えてしまう可能性を秘めています」

流石は宰相、彼はこの発明が持つ劇薬のような側面を即座に察知していた。

「して、ラルフ。これは例えば、ここロートシュタインにいながらにして、王都と繋がることは可能なのか?」

「あ、いや……。魔力同調ってのは非常に微弱な、いわば極超短波のようなものですから。その距離は無理かなぁと。せいぜい、ロートシュタイン領の街中をカバーできる程度の範囲ですねぇ」

ラルフは平然と答えたが、その内心では密かに舌を出していた。

(まあ、中継技術さえ使えばできなくはないんだけどね……)

実のところ、ラルフはこの魔石を用いた通信技術の理論を、魔導学園に入学して間もない頃に完成させていた。しかし、彼は前世の記憶を通じて知っていたのだ。すぐに、手軽に、誰とでも繋がれる世界の「弊害」を。

情報伝達のコストが極端に下がることで、人々が担う仕事の密度は加速度的に増していく。ハイスピード化した社会の中で、人は効率化という名の下に馬車馬の如く働く運命を辿る。それは、領地を運営するラルフ自身にとっても例外ではない。無駄な連絡、終わりのない調整事項、ワーク・ライフ・バランスという天秤が大きく傾く未来。そして、運び屋のマーサのような職種を、技術革新という名の荒波が飲み込んでしまう。

だからこそ、彼はこの技術の運用に、極めて慎重な「ブレーキ」をかけていたのだ。

「ふむ……。ならば、少し便利な娯楽用の魔道具といった所か? いや、本当にそうなのか?」

国王は何度も首を傾げた。この未知の技術が、社会にどのような変化をもたらすのか、まだ完全には想像がつかないらしい。

「まあ、遠距離通話なら、あの共和国の諜報機関が使っていたような魔獣媒介の魔導技術も既にありますし……。それほど革新的なものではないと思いますよ、多分」

「ふむ……で、これを使った何か、新しい儲け話でもあるのか?」

国王がニヤリと不敵に微笑む。

こうして国王が積極的に投資する形で、王族肝いりのプロジェクト――「ロートシュタイン放送局」が爆誕したのである。

――時を戻し、再び静かに賑わう屋台街。

ラルフが発明し、ジョン・ポール商会から華々しく発売されたラジオからは、今や街の夜景に溶け込むような透き通る歌声が流れていた。

『――太陽が沈んで~♪ 冷たい夜が来る~♪ サソリの火を追いかける~♪ 夜の蜃気楼♪』

近くの広場に並べられたテーブルでは、冒険者やドワーフたちが酒をチビチビとやりながら、その旋律に静かに耳を澄ませていた。

吟遊詩人ソニアの弾き語りが終わると、ラジオの向こうでエリカの声が弾む。

『――それ新曲よね? なんだか物悲しくて、でも綺麗なメロディーだわ。あたし、好きよ』

『あ、はっ、はひっ! あの、その、東大陸を渡っていた、隊商の人から聞いたお話に着想を得まして……。そ、その……。作ってみひゃした、その、ひょく(曲)でしゅ!』

どうやらソニアは極度の緊張状態にあるらしく、噛み倒している。歌唱時の堂々とした姿とは裏腹に、フリートークは壊滅的に苦手なようだ。

『そうなのね。確かに、異国の夜の砂漠に冷たい風が吹き抜ける 様(さま) が思い浮かぶような、良い歌詞だったわ。ありがとう』

エリカの進行は驚くほど堂に入っており、既にベテランの風格さえ漂っている。

『はひっ! ろういたひましてっ(どういたしまして)! あっ!』

『それでは今夜はこの辺で。またお会いしましょう。お相手はあたし、エリカと……』

『ヒョニアれすッ! あっ!!』

自分の名前すらまともに発音できないまま、放送は賑やかに幕を閉じた。

すると、ポンコツラーメンの屋台に、新たな来客が現れた。

「よう。まだやってるか?」

冒険者ギルドのマスター、ヒューズだった。

「どうぞ! まだありますよ!」

「いらっしゃいっす~!」

看板娘たちに賑やかに迎え入れられ、彼はカウンターに腰を下ろす。すると国王が声をかけた。

「ん? ヒューズ殿、仕事終わりかな?」

「おや、ヴラドさん。……そうです。書類仕事が山積みでしてね。……で、ラジオを聴いていたら、急にここのラーメンが恋しくなりましてね」

自らの肩を揉むヒューズの言葉に、三人娘は顔を見合わせて笑う。これがラルフの言っていた「広告宣伝の効果」というやつかと、彼女たちは確かな手応えを感じていた。

すると、ラジオからは別の番組が流れ出した。

『――あー、どうも。こんばんは……。俺ぁ、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵だ……。俺の番組、“夜の公爵ホットドッグ・レディオ”は……えーっと、どこだっけなぁ? ……あー、そうそう。“ブンタの豆腐”の提供だ』

その衝撃的な提供クレジットに、国王、ヒューズ、そして三人娘は、目玉が飛び出しそうな勢いで屋台の隅に座るゴブリンを見た。

しかし、ブンタはただ「フッ」と軽く、ニヒルな微笑を浮かべるのみであった。

ラジオからは、ファウスティン公爵の渋い声が続く。

『――ふん、なるほどねぇ。お悩み相談か……めんどくせーけど、まあテキトーにやってみるか。……では、一通目のお便り。ラジオネーム、“もうポンコツと呼ばないで”さんからだな。……“素敵な彼氏が欲しいです。どうしたらいいですか?”……だとよ』

吐き捨てるように言う公爵の声。

屋台に集う全員の視線が、そっと、無表情のままジュリへと集中した。

ジュリは努めて平然を装っているが、顔面からは滝のような汗が流れ、瞳孔は完全に開ききっている。

『――素敵な彼氏ってなぁ。素敵の定義が主観的すぎて何とも言えんが……。まずは、君自身が素敵なレディになる努力をしてみたらどうだ? それは何も姿形だけじゃなく、心の在り方だってそうだと、俺ぁ思うぜ。それが素敵な出会いを導くかも知れんなぁ。……では、“もうポンコツと呼ばないで”さんに、神のご加護を……』

「お、おおぉ……」

そこら中から、小さくも感銘を受けたような声が漏れた。予想に反して、あまりに真っ当で紳士的なアドバイスだった。

『――では、二通目な。ラジオネーム、“罵られたい冒険者”さんからだな。……“自分には好きな女性がいます。しかし、それは決して叶わない、禁断の身分違いの恋なのです。あの聖魔法を纏い、二本の聖剣を振るう高潔な彼女の姿を見た時から、その姿を思い出す度に、この胸は焦げて……”……って、ハァ……』

読み上げの途中、重苦しいため息を漏らすファウスティン。

屋台の人々は、今度は一斉にチラリと国王を見た。すると、

「な、なんだよ?! 別に儂の嫁のことだなんて、誰も言ってないではないかっ?!」

国王が唾を飛ばして反論するが、周囲はただ無言で見守るのみ。そして、ラジオは非情な宣告を下した。

『――俺からは一言だ。娼館へ行け! 以上だ。……ん? は? なんだよラルフ、まだ番組の途中だろ? は? 何がマズイってんだ! ちょっと待て、おいっ……! 引っ張るなっ!』

ザッ……というノイズと共に、ラジオは強制的に沈黙した。

「さて、そろそろ儂は帰るとするか」

気まずさを振り払うように国王が立ち上がる。

「俺も朝が早いですからな……」

ブンタも立ち上がり、カウンターに銅貨を置いた。

「それじゃあ、暖簾下げちゃいますね。どうぞ、ヒューズさんはごゆっくり~」

パメラがテキパキと片付けを始める中、ヒューズは満足げにラーメンを啜り終えた。

「ふん……。ラルフ様よぉ。自分で新しい仕事を作っておきながら、そのクセ自分自身は楽にだらけて過ごしたいなんて。……あいも変わらず、全く、どうかしてるぜ」

矛盾を抱えながらも世界を動かしてしまう友人の顔を思い浮かべ、ヒューズは微苦笑を漏らした。ロートシュタインの夜は、新しい技術と変わらぬ人情を乗せて、ゆっくりと深まっていく。