作品タイトル不明
369.肉の欲
居酒屋領主館の再建作業はここ数日、猛烈な勢いで続いていた。
様々な思惑が入り乱れ、以前にも増して広大な 伽藍(がらん) へと生まれ変わろうとしているその建築物は、今はまだ、夜風が吹き抜ける無骨な骨組みに過ぎない。
しかし、このロートシュタインの民にとって、壁がないなど、些末な問題だった。
領主館の庭園には、いつしか連日連夜、人々が吸い寄せられるように集まり、焚き火を囲んでバーベキューという名の野外狂宴が催されていたのである。
そんな、ある夜のこと。
「――コレも、食ってみるか?」
ラルフの父、ヴォルフガング・ドーソンが、事も無げにマジック・バッグから取り出したのは、目を疑うほど巨大な「尾」だった。
「あ……。それって……」
ラルフは瞬時に察してしまった。
それは先の「コール・ディッキンソンの乱」の最中、父が鮮やかに斬り落とした、灰色の魔獣――ワイバーン、"ゲータースキン"の身体の一部であったことに。
ラルフは思わず、庭の隅で小さくなっている「元の持ち主」へと視線を向けた。
そこには、かつての威厳など微塵も感じさせないほど身を縮こまらせ、ガタガタと震える巨躯があった。
その姿は、まるで凶悪な動物虐待の現場を切り取ったかのような、あまりにも不憫な構図である。
さらに、ラルフの愛竜である紅きワイバーン、レッドフォードが、なんとも言えないシンパシーを込めた眼差しでそれを見つめていた。
「……いや、親父。さすがにそれは可哀想すぎるだろ?」
呆れ果てるラルフ。
だが、その横で焼きたての丸鶏を豪快に咀嚼していたヴィヴィアン・カスターが、魔獣生態学者としての冷徹な「真実」を告げる。
「モグ……モグ。心配ない。ワイバーンの尻尾は、自切・再生が可能だ。しばらくすれば、また立派なものが生えてくる。モグ……」
(そうなんだ……トカゲかよ……)
ラルフは、知られざるワイバーンのシュールな生態に頭を抱えた。
しかし、いくら再生すると言っても、本人(本竜)の目の前でその肉を食らうのは人道的に、いや、魔獣道的にいかがなものか。
躊躇うラルフを尻目に、ビールを呷っていた女騎士ミラが、青い目をギラリと輝かせた。
「おっ! 久々にワイバーンのテイル・ステーキが拝めるのか!? いやあ、本当に久しぶりだなぁ……! ジュルリ……」
無意識に、その食欲に満ちた視線がレッドフォードへ向く。
ビクッ! と、紅き竜が目に見えてたじろいだ。
「ああ、そうだ! この灰色の種は、尾を鞭のようにしならせて攻撃する習性がある。ゆえに、先端付近が特殊な軟骨組織になっているのだ。……そこは、希少部位だぞ」
ヴィヴィアンの解説が、火に油を注ぐ。
「ほう……。軟骨……だと?」
ラルフの左目が、怪しく赤く明滅した。
そして――。
「ふむ、軟骨とな? なんとも芳しい響きではないか……」
ボンジリの串を片手にしたファウスティン・ド・ノアレイン公爵までもが、ねっとりとした視線をゲータースキンへ向けた。
「軟骨か……なら、唐揚げで決まりだな」
「梅肉と合わせるのも一興。あの酸味がコリコリとした食感を引き立てる……」
「クセになるんだよなぁ、あの歯ごたえ。さて、ワイバーンの『コリコリ』はどれほどのものか〜?」
「ジュルリ……」
周囲から漏れる生唾を飲み込む音。
二頭のワイバーンにとって、それは地獄の底から響く悪魔たちの 合唱(コーラス) に他ならなかった。
(えっ、ちょっ……! 何なんだよここ、人間ってこんなに怖かったのか!?)
戦慄するゲータースキンに、レッドフォードが必死にテレパシーを送る。
(し、心配しないで! 大丈夫! 多分……でも、ご主人様たちが空腹で『新しい肉』を求め始めたらおしまいだよ! 絶対にダメ! だから、代わりの獲物を獲ってくるんだ!)
(そ、そうかっ! わ、わかった……!)
突風が吹き荒れ、二頭のワイバーンは逃げるように夜空へと消えていった。
風圧で髪を乱されたラルフが、間の抜けた声を出す。
「あれ? あいつら、こんな暗くなってから散歩か?」
その傍らへ、ぐい呑みを片手にした国王ヴラドが、好奇心に目を細めて近づいてきた。
「ラルフよ。どうするのだ? この巨大な食材を」
「ふむ……。まずは豪快に輪切りにしてステーキ。軟骨は、やっぱり唐揚げですかねぇ。残りはミンサーにぶち込んで、特製ワイバーン・ハンバーグなんてどすか?」
「ほう。……ちなみに提案なんだが、ワイバーン肉は、刺身にはできんのか?」
米酒を愛する国王の、つまみに対する探究心は底知れない。
「うーん、寄生虫や菌の問題がありますが……。まあ、僕の魔法で滅菌・浄化すれば、いけますね!」
魔導研究者としての結論が出た瞬間、庭園は狂乱の渦に包まれた。
身分を忘れ、冒険者やドワーフと酒を酌み交わしていた貴族や重鎮たちが、一斉に身を乗り出したのである。
「ワイバーンの刺身だと!?」
「そんな禁断の珍味が食えるのか!」
「ならば炙りにしろ! 寿司にして握るのだ!」
もはやオークション会場と化した庭園。
「金ならいくらでも払う! その尻尾の一部、儂に譲ってくれんか?!」
と叫ぶグレン子爵。
「ふん! ヴォルフガングにできて、儂にできんことはない! ワイバーンの尻尾を一刀両断……。どけ、この魔剣スペクトラムの輝き、見せてくれるわ!」
と剣を抜くカーライル騎士爵。
謎の対抗意識と、ハイエナの如き食欲が、巨大な尾を瞬く間に解体していく。
それからしばらくして。
ドォォォォン!
ドォォォォン! と、地響きと共に巨大な影が二つ、庭に落下した。
「おっ、これは……クラーケンか?」
とラルフ。
「こちらはシーサーペントですね。しかもこのサイズ、変異種でしょうね」
と、アンナが事務的に分析する。
「海の魔獣も素敵ですけれど。やっぱりワイバーンの肉は、この野性味あふれる脂が絶品ですわ! ……ムシャムシャ……」
クレア王妃が、滴る肉汁を拭いもせず、至福の表情でステーキを頬張っている。
「でも……尻尾って、切ってもまた生えてくるんですよね?」
ポツリと呟いたのは、ヨランダ・カームだった。
彼女はすでに、炭火で炙られた軟骨の魔力――その抗い難い"コリコリ感"の虜となっていた。
「ん? ああ、理論上はな。……ん? そうか、確かに、そうだ……な」
何かに気がついたヴィヴィアンが、上空から戻ってきたゲータースキンを、まるで「二毛作の畑」を見るような目で見上げる。
「お、おい……! いや、やめとけって。さすがに可哀想だろ……」
ラルフは苦笑いしながらも。
……ながらも……、
(ん? 無限に……。肉が、手に入る?)
チラリ、と二頭のワイバーンを見た。
そして、そこに集う美食の怪物たちも――ムシャムシャと肉を喰らいながら、チラリ……、と彼らを見た。
(ちょ、ちょ待てよっ! は、話が違うじゃないか?! いつから我ら誇り高き竜種は、家畜以下の収穫作物に成り下がったんだよ!?)
震えるゲータースキンに、レッドフォードが絶望的な提案をする。
(あ、ああ……。もうこうなったら! ……ゲーターちゃん。お願い、今すぐ尻尾生やして……?)
(ハァあ~?! 無理だよ! どうすりゃいいのさっ?! それに、斬られるの、あれすっごい痛いんだよ! レッドフォードさんが差し出せばいいじゃん!)
(え〜、嫌だよ〜。本当に再生するか確信持てないし、……何より痛いのは嫌っ!)
(ちょ! なーんで自分ばっか?! ちょっとそれ! ズルくない〜?!)
すると、
「《もっと食べたいなぁ! こんなに美味しいお肉、食べられない人達がいることが、本当に不幸ですわね!》」
と、ジャニス・ドーソンの無邪気な言霊が心の内から無意識に人々に伝播してしまう。
そして、ザッ、ザッ、と芝を踏む音。
ワイバーンたちが振り向けば、背後に迫る、意識があるのかどうかも怪しげな、刃物を持った"捕食者"たちの、虚ろな視線。
二頭の意思は、かつてないほど完璧に一致した。
(よ、よし! もっと……もっと狩るぞ!)
(なんだよここ?! なんなんだよ?! ちょっと待って! アアアアァ! もっと狩るぞォォォォ!!!」
再び、突風を巻き上げ、夜空へと消えていく二頭。
「ん〜? ……あいつら、すっかり仲良くなったのはいいけど、一体……何をしてるんだ?」
ラルフは首を傾げる。
そして、今宵もロートシュタイン領には、供給過多なまでの魔獣肉が溢れかえるのであった。