軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

343.コードネーム:M

ロートシュタイン領が誇る高級宿、マリアンヌホテルのエントランスに、一台の魔導車が静かに停車した。

ハンドルを握るのは、有能なメイド長アンナ。その横顔は、彫刻のように冷徹で美しい。

「なるほど。一応は、V.I.P待遇で、ということですか……」

隣に座る主、ラルフ・ドーソンに対して、彼女は淡々と、しかしどこか含みのある声で呟いた。

「まあ、一応は共和国の要人だからな。なるべく気を利かせてはいるつもりだ」

助手席で肩をすくめるラルフ。

ここへ連行され、軟禁状態にあるのは、先日、冒険者たちに拿捕された共和国諜報機関のトップに近い人物だ。

二人は魔導車:ロードスターを降り、ホテルの奥へと足を進める。

目的の一室の前には、警護のための領兵が二人、槍を携えて立っていた。

「ごくろうさーん!」

ラルフは気安い態度で、彼らにチップとして銀貨を一枚ずつ握らせる。

「あ、ありがとうございます!」

少しだけ頬を緩ませる兵士たち。だが、その金は今夜、ラルフが営む居酒屋領主館での飲み食いに消え、結局は彼の元へ還流する運命にあるのだが……。

コンコンコン、と控えめにノックの音が響く。

「ど、どうぞぉぉぉぉ……っ!」

何故か震えた、湿り気を帯びた入室許可の声。二人は顔を見合わせ、不思議に思いながらも意を決して扉を開いた。

「お邪魔しますよーっと」

ラルフが足を踏み入れると、そこには少年のような小さな男が、涙をダラダラと流しながらベッドに腰掛けていた。

その傍らには、ロートシュタイン出版の話題作『殲滅の魔導士』。

ラルフをモデルにした半自叙伝だが、どうやらこの男、物語にえらく感動してしまったらしい。当の本人――ラルフは気恥ずかしさから一度も読んだことがなかったが、「終盤は涙なしには読めない」という噂だけは聞いていた。

「ううう……ラルフ、ラルフ・ドーソン公爵。貴方は、貴方という人は……。サイン下さい」

「……はいはい」

呆れながらも、気さくに応じるラルフ。

「それと、差し入れを持ってきましたよ。ハンバーガーにフライドポテト。あと……本当に酒も飲むんすか? 一応、年齢確認させてもらえます?」

「し、失礼な! こう見えても私は大人だ! ラルフ殿ともあろうお方が、そのような差別的発言をするとは……!」

「は、はぁ……すみません。ですが、ハーフリング? でしたっけ。あまり王国では見かけない種族なもので」

驚くべきことに、共和国の闇を統べる男は亜人族であった。排斥の風潮が強い共和国において、彼が行政執行機関の要職に就いているのは異例中の異例と言える。

「王国は昔から獣人族が多いからな。我々の"血の記憶"の中には、根源的な彼らに対する恐れがある。……ようは、相性が悪いのだよ」

そう語りながら、男はハンバーガーをモリモリと食べ、赤ワインをラッパ飲みし始めた。軟禁生活の数少ない娯楽を謳歌しているようだ。

「だってよ。領主館に連れていって、ハルに会わせてみるか?」

悪戯心が芽生えたラルフがアンナに振ると、彼女は小首を傾げた。

「どういうことでしょうね? 猫とネズミ、ヘビとカエル、のような関係でしょうか」

「モグモグ……まあ、そのメイド殿の例えが正解に近い。我々が、まだ森に住まう原始の住人だった頃、彼ら獣人族は捕食者だった。……だから、どうしてもな……」

フライドポテトをモシャモシャと咀嚼し、野生の記憶を語る諜報局長。

「そんな、か弱い種族の貴方がトップだなんて、ずいぶん出世したんですねぇ?」

ラルフが皮肉混じりに口にすると、彼は得意げに鼻を鳴らした。

「まあな。我が一族は放浪の民で、主に 隊商(キャラバン) を率いていた。祖父の代から、共和国というお得意様のために、『もう一つの商売』を始めたのさ」

「なるほど……。見えてきたぞ。その商品は『情報』ということですね? 行商人なら怪しまれずに国境を越えられる。商人同士の強固なネットワークを有効活用したわけだ」

「流石はラルフ・ドーソン。恐るべき情報処理能力だ。もし貴方が共和国に生まれていたら、私の隣にいて欲しかったよ」

「運命っていうのは残酷ですな! ……それで、どうです? そろそろお名前、教えてもらえませんか?」

ラルフが鋭い眼光を飛ばすが、男は心底困ったように頭を下げた。

「う……あの、本当に! それだけはご勘弁を! 本当にマズいんですって!」

これほど頑なに拒むのは、諜報の長として何らかの制約があるのかもしれない。ラルフは深追いを諦め、肩をすくめた。

「まあ、呼び名がないと不便です。……それじゃあ、貴方は『M』とお呼びすることにします。コードネーム:M。どうです? カッコいいでしょ?」

「え、エム……? まあ、よくわからんが、それでいいです……はい」

ラルフの前世のスパイ映画のパロディであることに、彼は知りようはずもない。ラルフは不敵に笑い、部屋を後にしようとするがふと思い立ち、振り返ると。

「夜はウチ――居酒屋領主館でご馳走しますよ。王族の皆様も、貴方に会えることを楽しみにしています。……迎えを寄越しますから。くれぐれも! 脱走なんて考えないよう……。うちのレッドフォードは、動く標的を追いかけるのが大好きなんでね……」

「は、はい……」

そのとてつもない迫力と、貴族らしい遠回しな脅し文句に、素直に従わざるを得ない。

そして、夜の帳が下りた居酒屋領主館。

「おっ? ちびっこいヒト族が増えたな」

「ほら、モツ焼き食うか?」

大きな口を開け、鋭い牙を見せるリザードマンの戦士たち。彼らに囲まれたMは――。

「ギャアアアアアアア!!!」

凄まじい逃げ足でラルフの背後に隠れた。やはり、本能的な恐怖は嘘ではなかったらしい。

すると、

「あんた誰よ? チビね。何? もしかして、ここで働きたいわけ?」

金髪ドリルツインテールを揺らすエリカが、不遜な態度で問いかける。

「チビって言うなぁ! この差別主義者が! お前だってチビじゃないか!」

「あんたねぇ! レディに対して口の聞き方がなってないわよ!」

「誰がレディだ! どこにレディがいるんだ?! このチンチクリンがぁ!」

「なんですってぇ! 叩(たた) っ〇してやるわ! 表に出なさい!」

麺打ち棒を振り回すエリカに、ラルフがため息をつく。

「エリカ。この人はお客さん。それに、レディとしての自覚があるなら、そんな物騒な言葉を使うなよ……」

まるで子供の喧嘩のような騒ぎが一段落し、Mはテーブル席へ案内された。

最初は借りてきた猫のように居心地悪そうにキョロキョロとしていたが、見知らぬ冒険者に勧められた蒸留酒。

更にはあの恐ろしいリザードマンが勧めてくれた(話してみたら、案外気のいい連中だった)ニラレバ炒めを口にするうちに、アルコール成分が、彼の脳内のガードを粉砕した。

いつの間にか、王族や商人、冒険者といった客たちに囲まれ、Mの口は軽く、……いや、かなり、軽くなりすぎた。

「ゲッハッハッハ! ナニソレ? そんな 人民統制(シビリアン・コントロール) を信じてるなんて……。共和国の議員も一枚板じゃないよ! あのコール・ディッキンソンが、何かやらかした方が、利がある連中だっているのよ! 実は、例の"聖教国革命"を快く思ってない神官が金を回しててさぁ……いやぁ、調べるの苦労したんだからねぇ!」

赤ら顔で国家機密を、爆笑しながら喋りまくるM。

(よー喋るなぁ、おいっ!)

ラルフの無言のツッコミが炸裂する。

さらに情報を引き出そうと、ウラデュウス国王や聖教国の司祭が、極上の酒を次々と勧める。

「ささっ! コレは、米の蒸留酒ですぞ!」

「コチラは、聖教国で今最も売れている、ブランデーです。是非、ご賞味あれ!」

「あ~悪いねぇ! それじゃあ、ウチの部署が掴んだ、帝国の皇帝陛下の秘密、暴露しちゃおっかなぁー!!」

と、少しばかり、調子に乗りすぎてしまったM。しかし、

「あそこでスープカレー食べてるオッチャン。皇帝陛下よ」

エリカが指差した先。

奥のテーブルで、平民風の格好で静かにカレーを味わう紳士。

「……あっ、す、すみませんでした……」

一気に酔いが醒めたM。

ここは列強諸国の重鎮たちが「普通」に飲みに来る、「普通ではない場所」なのだ。堅苦しい職務の日々の中では味わうことのない心地良さに、つい忘れてしまっていた。

そんなMの目に、隣のテーブルで賑やかにスイーツとも言えるサンドイッチを食べる聖女三姉妹が映った。

「このピーナッツバターサンド、ヤバい! これまた革命でしょ!」

と、トーヴァ・レイヨン。

「ラルフ様が、"ヤマザキ"? とかいうのを参考にしたんですって」

と、マルシャ・ヴァール。

Mはゴクリと唾を飲み込み、

「自分にもアレを下さーい!」

と叫んだ。

「しょーがねえなー!」

嬉しそうに、陽だまり食堂の白パンを一斤用意するラルフ。

「見よ! この魔剣技師トニスさん渾身の一振り、パン切り包丁を!」

伝説の鍛冶師にオーダーした贅沢すぎる一品。刀剣マニアの客から「おおっ!」と歓声が上がる。

「見よ、この切れ味を! ……ギコギコは、しますっ!!」

包丁を前後に動かし、パンを切り分けるラルフ。

何故か、カウンターではスズが額をゴツン! と打ち付け、爆笑を必死に堪えていた……。

そして、

「なにこれ、美味っ!! これ、ウチの部署で輸入代行しようかなぁ。いや! 輸入利権を、我々が独占しよう……」

あまりのピーナッツバターの美味しさに、諜報機関を私物化し、新たな商売を始める企みまで閃いてしまったM。

(これ……共和国の諜報機関、手中に収めたんじゃね?)

と、アンナは無表情にその光景を眺めていた。

これがラルフの狡猾な計算なのか、あるいは単なる間抜けな思いつきの副産物なのか。

長年隣にいる彼女にすら、その真意は測りかねるのだった。