作品タイトル不明
308.切り札を待つ夜
勝負事となると、人の目の色が変わる。
それは、本能的な防衛線を越えた、業の深い衝動だ。人間という存在は因果なもので、歴史を紐解けば、その節目節目は血と硝煙に彩られた争いの記憶、すなわち「戦争の歴史」と言っても過言ではない。種の保存や生存競争という根源的な防衛本能は理解できる。だが、その枠を超え、自ら進んで争いを好むのが、この哀しき人の 性(さが) である。
もちろん、今、目の前で繰り広げられている 遊戯(ゲーム) は、槍や銃弾を用い、相手の生命を奪う戦いよりは、遥かに平和的であるべきだ。
しかし、この光景を目の当たりにしたロートシュタイン領主、ラルフ・ドーソンは、その甘い認識を否定せざるを得なかった。
なぜなら、この店内で展開されているのは、まさしく弱肉強食の世界。
弱き者を嘲笑い、他者を蹴落とし、出し抜き、欺き、奪い、貪る――。その様は、 獣(けだもの) そのものだ。
いや、時にはそれ以上に 悍(おぞ) ましく映る。ラルフは、ある種の根源的な恐怖さえ感じていた。
「ふんっ! 見誤ったわね、ヴラドさん。……そーれっ! 直撃よ!!!」
エリカが、小気味よい音を立てて手札をテーブルに叩きつける。
その表情は、普段の愛らしい面影を消し去り、勝利を確信した肉食獣の鋭さを帯びている。
「むぐっ!!! な、なんと、その役は、『四英雄の帰還』か?!」
国王であるヴラドおじさんは、壮絶に狼狽し、その顎鬚を震わせた。
「おおぉ!!! 七十点だ!!」
テーブルを囲む老練な貴族たちから、驚愕と羨望の入り混じったどよめきが上がる。
「ふふんっ! 悪いわね……」
ズサーっ、と乾いた音を立てて、国王の手元から金貨七枚がエリカの山へと移動した。
その小さな摩擦音は、一瞬にして勝敗と財が入れ替わる、この空間の非情な現実を象徴しているようだった。
居酒屋領主館の店内は、いつもの酒と笑いの喧騒とは少し違った、張り詰めた熱気に満ちている。
その異様な光景を、ラルフは半ば諦めの境地で眺めていた。
隣でサンドイッチの具材を準備しているメイドのアンナに、彼は思わず問いかける。
「おい……。アイツら、何やってるんだ? 殺し合いか?」
「はっ? ご覧になってわかる通りかと存じますが? カードゲームでございます」
アンナは、事もなげに、ありのままの事実だけを報告した。その涼やかな眼差しには、この状況に対する動揺は微塵も感じられない。
「いやいやいやいや! いつからウチの店は賭場になったんだっ?!」
ラルフは誰に対するでもないツッコミを入れるが、この世界の貴族社会においては、年末年始の 祝祭(フェスト) に城や邸宅に集まり、管弦楽を聴く傍ら、こうしたカードゲームに興じるのが伝統的な社交文化だった。
若くしてロートシュタイン領主という立場に収まり、王都の社交の場にほとんど顔を出さなかったラルフが、その慣習を知らなかっただけのこと。
そして、今年は、色々あって、祝祭がロートシュタイン領で行われている。
ただ、それだけなのだ。
「おっ! これは引きが良いぜ。このターンは、俺が貰った……」
エリカの 対面(といめん) に座るファウスティン・ド・ノアレイン公爵が、鷹のような鋭い視線と、獲物を追い詰めたニヤリとした微笑みを浮かべる。しかし、
「ふんっ! ブラフね……。人の顔色を窺い過ぎよ、ファウスティン公」
エリカは、その公爵の揺らぎを、一瞬にして見抜いたようだ。
その自信に満ちた言葉に、公爵の表情が一瞬硬直する。
すると、
「ちっ、いい目をしてるな……。さらに、心理戦にも長けているとは……。俺は 退出(フォールド) だ!」
そう言って、ファウスティンは悔しげに手札を場に捨てた。
ツナサンドの準備をしながら、その一幕を目撃したラルフは、再びアンナに尋ねた。
「で。なんで、エリカはあんなに強いんだ? 生粋の 博徒(ばくと) か?」
「聞くところによると、デューゼンバーグ家では、このカードゲームが毎年の恒例行事だそうです。エリカ様も、幼い頃からそれに興じていたとのことですよ」
アンナの言葉に、ラルフの頭の中で全てが合点がいった。
「うーわっ……。だからか……。あいつの異常なギャンブル好きは。生まれ育った環境が生み出してしまった、"悲しきギャンブル・サラブレッド"だったわけだ……」
異常なほどの競馬好きと、謎の金稼ぎの能力の高さ。その源泉が、このテーブルゲームにあることを確信した。
視線を移せば、他のテーブルでも、同じカードゲームに興じる客たちの姿。
「『騎士の三連星』……。これで五点だ!」
女騎士、ミラ・カーライルが、淡々と点数を稼ぐ。彼女の冷静さは、戦場でも、この遊戯の場でも変わらない。
「うがぁぁぁぁぁ!! そんげな 小役(クズ) ばっかチマチマ稼いで、面白っしぇか?! もっとズドンと一発で掻っ攫ってこその、ロマンがあっろっかて!!! そっつぇげがんが騎士様の闘い方なんか?!」
エルフのミュリエルが、人が変わったように激情を露わにしてブチ切れている。
おそらく、ミラに散々負け続けているのだろう……。
その闘争心は、種族の枠を超えて、この遊戯に注ぎ込まれていた。
だが、ラルフには、もっと胸をざわつかせる心配事があった。
とある隅のテーブルでは、孤児のミンネとハルをはじめとした子供たちまでもが、この遊戯に興じているのだ。
「はいっ! 『賢者の五芒星』」
共和国移民のエマが、明るい声で手札をオープンにする。
すると、ミンネが静かに、
「はいっ!『王家の騎行』」
その手札が開かれた瞬間、「おおぉ!」と小さなどよめきが起きた。
「たはぁ! 負けちゃった!!」
エマは、清々しいほどに負けを認める。しかし、孤児たちは金貨を賭けてはいない。
代わりに、
「はい。"メダル・クッキー"、十枚」
と、エマが王国金貨を模したクッキーを、ミンネの前に積み上げた。どうやら、孤児たちが大量に手作りした代用貨幣らしい。
それを見たラルフは、
(あー、そういう駄菓子。あったな〜)
と、懐かしき前世の記憶を蘇らせる。
しかし、露骨な賭け事の模倣は、情操教育上、どうなんだ? という一抹の不安を覚えた。
ラルフは、ひとまず完成した"あんサンド"を、クレア王妃の元に運んだ。
「お待たせしました。あんサンドと、濃い目の紅茶です」
「あら! ありがとう。……うん! これも、美味しそうね!」
王妃は嬉しそうに微笑む。
彼女もまた、貴族夫人たちとテーブルを囲み、このカードに興じていた。その周囲からは、優雅なティータイムの雰囲気と、微かな殺気が立ち昇っている。
「どうです? 勝ててますか?」
ラルフは、毒にも薬にもならぬ形式的なコミュニケーションを、最低限の礼儀としてとることにした。
「まあまあね! でも、やはり、リネア殿が強敵でしてよ」
クレア王妃は、なんだか殺気の籠もった視線を、リネア・デューゼンバーグ夫人に向けた。しかし、リネアは、
「ふふふっ、……お手柔らかに、お願い致しますわ」
と、手札で口元を隠しながらも、その視線は王妃に負けず劣らず鋭い。
王国随一の戦闘力を誇る王妃に対して、そのような応対ができるリネア夫人の胆力は、凄まじいものがある。
「さぁ! 勝負ですわよ!!!」
と、恐ろしいほどの迫力を纏った女たちの戦いが、再び始まった。
ラルフは、その場に留まるのが恐ろしくなり、すぐさま退散した。
すると、次の瞬間。
「ラルフ様ぁ! こっちには、ツナサンドを貰えないか?!」
海賊公社の面々とシャーク・ハンターズが金貨を積み上げているテーブルから、豪快な声がかかる。
「はいよー!」
とラルフが返事をすると、メイドのアンナが静かに進言した。
「旦那様、ツナサンドは私が作ります。あちらのテーブルから、旦那様に声が掛かっていますよ」
ラルフは訝しげに、警戒しながら、エリカや国王が囲むテーブルに近づく。
彼らは一旦休憩の最中で、エリカ特製のカレーライスを頬張っていた。
(なんだ? 賭場というか、 雀荘(じゃんそう) じゃねーか?!!)
ラルフは心の中でツッコミを入れる。
「モグモグ……。ラルフ、アンタも参加しなさいな!」
奴隷という身分を忘れ、不遜な態度でエリカが提案する。その目には、獲物を見つけた狩人の光が宿っていた。
「い、いやぁ~。僕は、いいかなぁ……」
と、ラルフは本能的な危険を察知して遠慮する。
すると、グレン子爵が、柔らかな口調で誘いかけてきた。
「一勝負くらい、どうだね? 天才魔導士の戦略、儂も身を以て体験してみたいのだが……」
天才と言われて、ラルフはなんだか悪い気はしない。
むしろ、その自覚はあり、そう言われて少し嬉しい。
それこそが、グレン子爵の"獲物"を誘い込む戦略的な心理誘導だとは、思いもよらないことだった。
「ま、まあ。じゃあ、ちょっとだけ……」
まんまと蟻地獄にハマるラルフ。
場に着いた貴族たちは、密かに「キラリーン!」と目を光らせた。
この中で一番金を持ってそうで、かつ、お人好しそうなラルフは、まさに最高の「カモ」に見えたからだ。
早く次の場を始めんと、皆、カレーライスを流し込むようにがっつく。
そして、親であるヴラドおじさんがカードを配る。
実はラルフも、このカードゲームのルールは熟知していた。
前世のポーカーと麻雀を組み合わせたようなゲーム形式は、割と早く理解できたし、時々、暇つぶしに執務をサボって領兵の詰所で興じていたからだ(もちろん、すべてアンナにはバレている)。
「よし! では、はじめるぞ!」
国王の号令で、ラルフも配られた手札を持ち上げ、見た。
すると――、なんだか、とんでもないカードを見つけてしまった。
「ちょっと待って!!! ちょっと!!! 何? このカード?!!」
とてもではないが、信じられない。
いや、信じたくない。
その一枚のカードを、皆に見せた。
デューゼンバーグ伯爵は、
「おおっ! それを引いたか、やはり、持ってるなぁ!!」
と感心するが、
「いや、ちょっと、これ、なんで?! ……なんで"僕がカードになってる"のぉぉぉぉ?!!」
それは、『大魔導士ラルフ・ドーソン』のカード。
まさか自分の名を冠したカードがあるとは思いもしなかった。
腕利きの絵師が描いたであろう、爆裂魔法を放つ直前の、躍動感に満ちた不敵な笑みを浮かべるラルフの姿が、鮮やかに描き出されている。
「それ、あたしのカードだから、傷つけないでよ」
と、エリカが、なんだか迷惑そうに言う。
「ちょっと待て! ちょっと待って! どーゆーこと?!!」
ラルフは混乱の極みだ。
「なんだ、お前。知らんのか? 最近では、"ブースターパック"が売り出されて、新たな役が更新されてるのだ。……今、一番ホットな役は、『居酒屋領主館』という役だ」
国王は、さも当然のように言う。
「えっ? じゃあ、何?! エリカのカードとか、ミンネとか、ハルとか、アンナのカードもあるの?!!」
ラルフはとんでもない事実に思い至った。
すると、エリカも、ミンネも、ハルも、そしてカウンターにいるアンナまでもが、ほんのり恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「もちろん。メリッサ・ストーン船長のカードなんて、"レアリティ"、ヤバいことになってるわよ。王都では、金貨百枚とかで取引きされてるとか……」
エリカが教えてくれた。
その声が聞こえてしまったメリッサは、顔を真っ赤にして、恥ずかしさと高揚感を必死に抑え込んでいる。
どうやら、ラルフの前世にあったトレーディングカードの文化が、彼の与り知らぬところで、この異世界でも爆誕してしまっていたらしい。
しかし、ラルフは、勝負事とは別の、ある種のロマンに突き動かされる性格だった。
(『居酒屋領主館』って役、ちょっと、揃えてみてぇぇぇぇぇぇ!!!)
一勝負だけのつもりだったはずが、その夜、ラルフは何度も何度も、勝負に挑んでしまった。
その度に、ラルフの金貨が惜しげもなく吐き出されていく。
何度何度だって。構わず、ラルフだけはロマンを追い求めた。
しかし、――そのロマンは、決して叶うことはない。
何故なら、居酒屋領主館の看板娘である、ミンネとハルのカードの 希少価値(レアリティ) は、――金貨百枚、いや、一千枚出しても手に入らないほどの、幻のカードだったからだ。
主に、彼女たちに癒され、救われた冒険者たちが、手に入れたら最後。決して手放さない。
市場には決して出てこない。
もはや、それは、"幻の役"だった。
その幻を追い求めたラルフは、その晩だけで、金貨七万枚は放出したのではないか?
という、居酒屋領主館の新たな伝説が囁かれることとなった。