軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

272.ユグドラシアの剣士

ミラは、魔剣:ルシドを引き抜いた。

風が、額に巻かれた包帯の端を弄び、白い描線を宙に引く。

白い石造りの橋のたもとに立つと、背後から、遠く――ロートシュタインから駆けつけた、陽気な仲間たちの声援が響き渡る。

「絶対に勝てよー!」

「ミラ! お前ならやれる!!」

声の主たちは、皆、ロートシュタインの喧騒の中心、居酒屋領主館に集う、気心の知れた飲み友達だ。彼らだけでなく、この革命に共鳴した見ず知らずの聖教国の助祭や荘園主たちまでもが、彼女の背を力強く押すかのように、熱い応援を叫んでいる。

ミラは、再び地を蹴った。

目指すは、橋の中央。

聖剣:ユグドラシアと名付けられた、ただの木の棒にも見えるそれを肩に担ぐ、対峙する強敵、クランク・ハーディーの元へ。

「馬鹿が……。お前の攻撃は、直情的すぎるんだよ……」

クランクは、まるで鼻で笑うように、つまらなそうな呟きを漏らした。

ミラが手に持ったショートソードを振り下ろす、その刹那――クランクは、彼女の姿を見失った。

(あり得ない!)

しかし、剣士として幾多の死線を越えてきた歴戦の勘が、クランクの身体を無意識に動かす。

ガンッ!

鈍い打撃音が響き、ミラの鋭い斬撃が辛うじて防がれた。

剣が弾かれたならば、ミラには一瞬の隙が生じているはず。その刹那、クランクは反動を利用した切り返しを、瞬時に二パターン用意する。それは、思考ではない。

ほとんど、――勘。

長きにわたる戦闘の中で身に付けた、身体に染みついた「癖」としての最適な選択肢。

視界の端、ミラがショートソードを構え直し、再び振り上げる予備動作を見て取ったクランク。

ならば、最適解はここだ!

クランクは、大振りの斬撃を横へ横へと躱し、ユグドラシアをミラの無防備な脇腹へ叩き込もうと突き出した!

――だが。

「ぶごっ!!!」

クランクは、なんとも情けない声を上げた。

ミラが、いつの間にか左手に持っていた鞘が、彼の顔面に直撃したからだ。

よろよろと、彼は後ろへ足をもつれさせる。鼻からは、温かい血が流れ落ちる。

彼は自覚した。鼻骨が折れた、と。

ミラは、右手に魔剣、左手に鞘を持ち、ようやく強敵に一矢報いた事実に安堵し、大きく息を吐く。

「やはり……。二刀流は、難しい……。クレア様のようには、いかないな……」

ぜいぜいと息を切らしながら、彼女は呟く。

「ふんっ……。今のは、速かったな……。まあ、それでも。俺には勝てないと思うが……」

クランクは、鼻から流れる血を荒々しく拭う。

再び、ミラは低い体勢で橋の上を疾走し始めた。

「ふんっ! 馬鹿の一つ覚えだ! この猪女めが!!」

クランクは、二手、三手先を読んだ、変幻自在の斬撃を繰り出す。

弾かれれば、即座に体術に切り替える。受け流されれば、持ち手を変えて対応する。

それだけだ。戦闘とは、パターンと心理の読み合い。

目の前の敵の「後の先」を欺き続ければ、それで勝てる。彼女の心に、勝利への渇望が失われた瞬間、そこを叩き潰せばいい。

跳び上がるミラは、やはり一辺倒な、ただの振り下ろし。

(コイツも、俺の敵ではなかった……)

クランクは、そう確信した。

だが、その一辺倒なはずのショートソードは、放たれていた。

ミラは、あろうことか剣を手放し、疾走の勢いそのままに跳び上がると、その膝をクランクの顔面に叩き込んだ。

まさに、真空飛び膝蹴り。

「ぶぼっ!」

骨折した鼻を執拗に攻撃されたクランクは、一瞬だけたじろぐ。

その一瞬の隙を、ミラは見逃さない。

彼が持つ木の棒、ユグドラシアに掴みかかり、その末端を、彼の顔面に突きこむ。

「がっ!!! こ、この、クソ女がぁぁぁぁ!!!」

クランクは激昂し、全身から怒りを噴出させた。

ミラは、地面を滑るように移動し、放り出した魔剣:ルシドを拾い上げる。この強敵の腕を切り落とす、という非情な覚悟を決めた。

しかし、魔剣:ルシドと、聖剣:ユグドラシアが交錯し、眩い火花を散らした。

互いに、予測不能な事態となり、両者はバックステップで間合いを取る。

国は違えど、まぎれもなく剣の達人同士の、息を飲むような攻防戦であった。

「ハァ、ハァ……ハァ……」

「ふーん……、少しはやるようだ」

疲弊の色を隠せないミラと、どこか余裕を崩さないクランク。雰囲気は対照的だが、互いに油断のならない、拮抗状態に陥った。

ミラは、クレア王妃の言葉を思い出していた。

『ミラ・カーライル。貴女は、とても良い目をしているのに、少し考えすぎるきらいがあるようね……』

王妃がロートシュタインに滞在していた間、ミラは幾度となくその胸を借り、模擬戦を挑み、剣技の教えを請うた。

そして、幾度となく吹き飛ばされ、芝生の上に倒れた。何度も、何度も……。

その後、ラルフ・ドーソンが作ってくれる、ラーメン、チャーハン、ギョーザ。そのどれもが、戦いの疲れを忘れさせるほど美味いのだ。

あの場所、居酒屋領主館では、誰もがはしゃぎ、笑い、酔っぱらって騒いで、幸せな日々……。

ふと、橋の向こう、岸辺を振り返ると、偉大なる大魔導士、ラルフ・ドーソンが腕を組み、いつもの勝ち気な顔を浮かべている。

そして、ロートシュタインから駆けつけてくれた仲間達も、彼女の勇姿を固唾を飲んで見守ってくれている。

ならば、

ならば、

まだ、戦える。

ミラは、再びクランクに向き直り、ショートソードを構えた。

「参る!」

「来いっ! 騎士、ミラ・カーライル!!」

クランクも雄叫びを上げる。

ミラが選んだのは、強烈な突き。

クランクはユグドラシアを縦に構え、突きの軌道をわずかに逸らす。そして、サイドキックを繰り出し、ミラの身体を押し戻そうとした瞬間。

ミラは更に一歩を踏み込み、蹴りの間合いを封じた。

クランクの左脚を、ミラは左の肘で打ち据える。

クランクがバックステップを踏もうとした刹那、ミラはクランクの右の足の甲を踏みつけた。

(マズイっ!!!)

クランクがはじめて焦りの色を顔に浮かべる。

たたらを踏みそうになる刹那、ショートソードの横薙ぎ一閃。

クランクはユグドラシアを逆手に持ち替え、間一髪で防御する。

ガキンッ!! と火花が散る。

すると、フワリと、ミラの背中が見えた。

(コイツっ! 俺の真似をっ!!)

回し蹴りが来ると想定し、斜め前に踏み出す。

ミラは一瞬、クランクの姿から目を外したはずだ。なら、回避するなら、意表を突くしかない。

クランクは高速の摺り足で一歩前へ。

これで、ミラの蹴りは空を切る……かに思われたが。

カンッ!!!

と甲高い音。

嫌な予感から、クランクの身体が無意識に動いて防御が間に合った。

ミラは、いつの間にか右手に鞘を持ち、視界の外のクランクに振っていたのだ。

「しゃらくせー!!!」

クランクは激昂し、ユグドラシアを大振りに振り薙ぐ。

防御されるにしても、体格差は如何ともし難い。所詮、ミラは女。その身体を吹き飛ばすことは可能だ、と。

しかし、

「ふんっ!」

ミラは宙に跳び上がり、両足のブーツの裏で、その一撃を受け止めた。

刃のない、ただの棒切れであるユグドラシアだからこそ可能な、曲芸。

ミラは、まるで軽業師のように宙を舞い。

トンッ!

と、欄干の上に着地した。

再びの静寂が、橋を包む。

すると、見物人達からは、感嘆の声が漏れた。

「すげぇ〜。こんなの、なかなか見れないぞぉ……」

「ミラさん! 強ぇぜ!!」

激戦に感極まっている者までいる。

「ふんっ! ……ずいぶん、慕われているんだな?」

クランクが、不意に問いかけた。

「……ああ、ありがたいことにな……。かけがえのない、仲間たちだ」

ミラの頭に巻いた包帯は、ほとんど解けかけ、風に揺れる白い描線を空気に描く。

「ふっ、羨ましいこった……」

クランクは、再びユグドラシアを肩に担いだ。

「そなたにも、いるではないか。仲間達が……」

ミラは、橋の向こうで待機する聖剣騎士団の集団を見た。

「あいつらは、俺が負けてくんねーかって、心底願ってるのさ……」

自嘲気味に、クランクは薄く笑う。

「そんなはずはなかろう? 同じ騎士団で、そなたが団長だとお見受けするが?」

「そのとおりだな……。そして、俺が死ねば、団長の座が空くってわけさ」

「そんなこと……。ならば、実力で奪ってみろ! と、そう言えばいいだろう」

同じ騎士として、ミラは不可解な気持ち悪さを感じた。騎士道とは、いや、剣の世界とは、実力のみが正義。それなのに、聖教国の騎士達ときたら……。

「そうだ……。その通りだ。だからだ、だから、俺はここにいる。……だから、負けるわけにはいかねーんだ!」

ユグドラシアを、真っ直ぐに構えた。

「なるほど……。わかった……。では、憐れな人望のない聖剣騎士団長様を、その責務から解放して差し上げよう。……そして、スカウトしよう。王国に来て、王国騎士団に入団しないか? と……」

「ふんっ、そしたら。俺はお前の部下か?」

「それは面白そうだが。ロートシュタイン駐留は、すごく、本当に凄く、人気でな。競争率が高いのだ……」

「それこそ実力で勝ち取れ! だろ……。まあ、それも、俺を倒してからの話、だがな……」

「そうか……。では、参る!!」

ミラは跳び上がる。

クランクは、防御ではなく、攻撃を選ぶ。

地面から離れ、滞空するのは悪手だ。それは回避ができないことを意味する。

クランクは右手一本で突きを繰り出す。

しかし、瞬時にミラはその棒に掴まり、クルンと一回転。

目にも留まらぬ早業で、肩車のような姿勢で、両脚でクランクの首を締め上げた。

(クッ! 猪みてぇだと思ったら、今度は猿かよっ!!)

と、息を詰まらせながら、心の中で毒づく。

思いきって、クランクは勢いよく後ろに倒れる。バックドロップのような、もはや剣技とは言えない戦い方。

地面にぶち当たる直前、ミラは地面に転がり、衝撃を和らげる。

クランクは素早く立ち上がり、追撃を試みる。

右手のユグドラシアを振り上げる。

地面には、ミラの頭から解けた包帯……。

まだ立ち上がらないミラに向け、打ち下ろそうとした時。

ふと、這いつくばりながら、ミラは顔を上げ、その青い瞳が、ギラリと輝いた。

そして、包帯をぐっと引っ張る。

クランクは、振り上げた右腕が下に強く引っ張られるように感じた。

いや、実際にそうだった。

それは、ミラがクランクに取り付いた時に、彼の右肘に結び付けていた包帯。

ほんの一瞬。一秒の百分の一の刹那。

だが、その隙は、一流の剣士にとっては、最大の隙。

「ハァァァァァァァァァ!!」

まるで、地面を削るように、ショートソードを滑らせ、下からの斬り上げ。

それは、クランクの身体に届いた。

軽鎧が切り裂かれ、肉体に達する。

そして、右脇腹から、左肩にかけて、鮮血が噴き上がった。

しかし、その刹那。

「《 治癒水球弾(ポーション・ボール) 》」

バシャン! と、クランクはずぶ濡れになる。

ふと、見ると、確かに斬られたはずの、致命傷とも言える深い傷が、塞がっている。

「勝負あり……。ってことで、いいんじゃないの? お二人さん」

「……マスター」

いつの間にか、ラルフ・ドーソンが橋の上に立っていた。

先ほどの魔法は、ラルフの独自魔法。回復ポーションと水魔法の応用だ。

「ああ……。いいぜ……。俺の、……負けだわ……」

と、クランクが膝を突き、そのままドサリと力尽きて倒れた。

岸辺では、見物人達が大いに盛り上がっている。

「彼は……。大丈夫なのか?」

ミラは、心配そうに、横たわる強敵を見た。

「傷は治したけど。確かに一度は致命傷を負ったんだ……。身体も脳も、そのショックは凄まじい……。まあ! すぐに処置をするから、心配ない」

そう言って、ラルフはクランクの顔をぺしぺしと軽く叩いてみるが、反応はない。なので、

「救護班の皆さーん! お願いしまーす!」

すると、数人の冒険者が担架を運んできた。

ラルフは、一見するとただの棒切れ、聖剣:ユグドラシアを拾い上げる。

「不思議なモノだよな……。本当に、世界樹の枝なのだろうか?」

ミラが素朴な疑問を口にした。

「わからんなぁ……。まあ、そのうち、詳しく解析させてもらおう……。どうせ、彼もロートシュタインに来るんだろ?」

「えっ?! あっ! そういえば、私、スカウトしたんだった!」

「はっ? つい今しがたのことだろ? 忘れてたのか?」

「いや、……その、戦闘中は、無我夢中というか、何も考えていないというか……」

「なるほどなぁ……。まあ、いいや。約束どおり、ラーメン用意したぞ! あっちで食べよう!」

「えっ?!!! こんなに早く!!!」

「マジック・バッグに色々詰め込んで来たのよ!」

と、朗らかな声が、激戦の余韻を洗い流そうとしている、その時だった。

「おい。そのユグドラシアを、こちらに渡して貰おう……」

冷え切った、傲慢な声に、ミラとラルフは同時に振り返った。

それは、ずっと激戦を見ていた、聖剣騎士団の面々であった。

「何? これ、支給品? 大教会の持ち物なの?」

ラルフは、平然と、声を上げた老年の聖剣騎士に問う。その手には、まるで木の棒のように扱われた聖剣:ユグドラシアが握られている。

「聖なる世界樹の枝であれば、我ら大教会に奉納されるのが、筋というものだろう……」

なんだか偉そうに、権威を笠に着た物言い。

「答えになってない……。これは、クランク・ハーディー、あんたらの団長さんの武器だろ? この持ち主は、まだ生きてるぜ!」

ラルフは呆れを通り越し、冷めた目で言い返す。

「ふんっ、このような局面で、無様な負けを晒すような者は、聖剣騎士団を解任すべきだな。いや、聖教国から追放せねばならん……」

その老年の騎士の言葉に同調するように、他の騎士たちまでが口を開く。

「ああ。此度の勝負。アイツは、明らかに手を抜いていた。異教徒の侵略者に情をかけるなど。あってはならない……」

彼らの言葉は、剣士としての誇りを賭けた戦いを、一瞬にして踏みにじるものだった。

「……き、貴様らぁぁぁぁ!」

ミラは奥歯を噛み締め、激しく激昂した。

今の今まで、命と騎士の誇りを懸けて戦い合った相手だ。その闘いに「手加減」などという侮辱的な言葉を投げつけるとは。確かに自分は女だが、これは真剣勝負、本当の本当に命を懸けた戦いだった。それは、血を流し、剣を交えた者同士にしか理解できない、聖域にも等しい真実。それを、彼らは否定した。

しかし、その場に、重く、そして静かな威圧感を携えた声が響き渡った。

「ふんっ!! 聖剣騎士団とは、騎士の風上にも置けぬ連中のようだなぁ……」

橋を堂々と歩いて来たのは、ミラの父、カーライル騎士爵であった。

「父上っ……」

ミラの声は、驚愕に震える。

「戰場ではよくいるんだよなぁ。"乱取り(らんどり)"と言ってな、敵味方関係なく、死者から武器を略奪する。……つまり、盗っ人がなぁ……」

カーライル騎士爵の声音は静かだが、その言葉には深い侮蔑が込められていた。

「……王国の騎士よ。……何が言いたい?」

老年の聖剣騎士が、苛立ちに眉をピクリと動かす。

「つまり、テメェらは、騎士じゃない。盗っ人だ。……盗っ人相手に、騎士の礼を執る必要もなし! ましてや、正々堂々勝負など……。お前等は、"討伐"する」

そう言い放つと、カーライル騎士爵は、腰のロング・ソードを、ゆっくりと、しかし確実に引き抜いた。その剣が擦れる音は、静寂を引き裂く警鐘のようだ。

「ああ、待機してる皆も、もう我慢ならんみたいだしねぇ……」

ラルフが振り返ると、岸辺には既に、剣を抜いた冒険者たち、海賊公社の荒くれ者たち――とにかく、ロートシュタインの血の気が多い連中が、今にも飛び出さんばかりに目を血走らせていた。

ミラとクランクの激闘を間近で見て、彼らの闘志は限界を超え、今や熱い興奮の頂点に達していたらしい。

「ミラは、少し休め……」

カーライル騎士爵は、娘の肩に手を置き、労うように囁いた。

「父上! 私も、まだ戦えます!!」

すると、父親は顔を近づけ、ごく真面目な顔で言う。

「……ラーメン、冷めるぞ?」

「あっ! そうでした!!」

その一言で、ミラの闘志は一瞬にして食欲へと転換され、彼女は、ぴゅ~ん! とまるで弾かれたように橋から引き上げていった。

ラルフは、「ハァ……」と、一つ、深い溜息を吐く。

そして、彼は天を仰ぎ、叫んだ。

「まあ、もうなんか、……めんどくせ~しなっ!! ……よっしゃ! 全員出動! ……助さん、格さん、懲らしめておやりなさい!!!」

その謎めいた号令に、一部の冒険者は首を傾げた。

「スケ? えっ、誰?」

「そんな奴、いたっけ?」

戸惑いの声が上がるが、それをかき消す、血に飢えたような咆哮が響く。

「いくぞー!!! テメェらー!」

「おぅ!!!!!」

熱い闘いに中てられた人々は、堰を切った激流のように、橋の上に殺到し始めた。

「全員、抜剣!!!」

聖剣騎士達は、シャリンと、一斉に剣を抜いた。

聖教国の騎士団と、ロートシュタインの寄せ集めの、多数対多数の乱戦が、今、はじまった。