作品タイトル不明
205.ドアノッカー
グルメ・ギルドの本部は、 地下街(サブナード) にひっそりと佇んでいた。この地下空間は、ダンジョン生成魔法の謎めいた技術によって、雨風の影響を受けず、一定の気温と光量に満たされている。人間が活動する環境としては、この上なく優れていた。
建屋は、最低限の遮音さえできればいいとばかりに、ドワーフの屈強な大工たちが半日ほどで組み上げた代物だ。バルドルと共にグルメ・ギルドに異動になった職員たちも、この場所をいたく気に入っていた。目抜き通りの"シャロン・ゲート"をくぐり、地下一階へと続く通勤ルートは、以前よりも大幅な時間短縮を可能にし、皆を喜ばせた。さらに、一歩外へ出れば、魅惑的なグルメの屋台が軒を連ねている。昼食のたびに、「今日は何を食べるか」と悩み苦しむほどだった。
バルドルは、本部建屋の奥、専用のデスクに座り、座り心地の良い革張りの椅子に深く腰掛けていた。職員から散発的に上がる、ギルドマスターの承認が必要な書類。それに、バルドルは、自分の名が彫られたハンコをポン! と押す。それは、いつの間にかラルフ・ドーソンがドワーフの細工師に作らせていたものだ。
「サインの代わりに、こんな便利なものがあるとは……」
と、なんだか気が抜けてしまう。また激務の日々を想像していたのに、どうやらあの若き領主は約束を果たしてくれたらしい。わずかな安堵と嬉しさが、彼の胸に広がる。そして、再び手持ち無沙汰になったバルドルは、思わず呟きを漏らした。
「案外……平和だなぁ……」
その瞬間、ドアベルがチリンチリンと鳴る。バルドルが紅茶を飲もうとすると、書類仕事をしていた職員の一人が顔を上げて言った。
「バルドルさん、暇なら来客の対応だけでもお願いしますよー」
仕方なく、バルドルは立ち上がった。来訪者は運び屋のマーサだった。
「お世話になっております。お届け物です」
彼女はそう言って、数枚の書簡を手渡す。
「うむ。ご苦労。とっておき給え」
バルドルはマーサの手に銀貨を握らせた。
「ありがとうございます! またよろしくです!」
マーサはとびきりの笑顔を見せる。運び屋にチップを渡すなど、これまでのバルドルには考えられないことだった。ようやく手に入れた穏やかな日々、そして約束された高収入に、彼の気分は少しだけ浮かれていた。
自分のデスクに戻り、書簡を開く。一枚目は、王都の商家からメガロドンの肉を卸してほしいという問い合わせだった。簡単だ。"シャーク・ハンターズ"という海の冒険者クランに投げればいい。今すぐ動く必要もない。今夜、居酒屋領主館に行けば、誰かしらクランメンバーがいるはずだ。念のため、小さな手帳にメモを書き付ける。
もう一枚は、遠い砂の国から届いた、ロートシュタインへの来訪を求める手紙だった。そして、王国では珍しい"デス・サンドワーム"の肉を買い取ってくれないか? と書かれていた。これも簡単だ。バルドルは流れるように返事を綴る。
『砂海を治める尊き御方へ
大いなる砂の国の王家の御威光、日々ますます輝かしきことと拝察申し上げます。このたび、貴国よりのご来訪の報を賜り、我ら一同、心よりの歓喜に包まれております。また、かの伝説にも謳われる"デス・サンドワーム"の御肉を携えられるとのこと、まこと稀なる佳味を前に、我がギルドは深き興味と敬意を抱いております。
つきましては、当方にて誠意をもってその肉を買い取り、広く料理人や学者たちに供することで、両国の友好をさらに深めたく存じます。価においては相応の礼を尽くし、御期待に背かぬよう取り計らう所存にございます。どうかこの機に、我らが縁をより固く結びゆくことを願い、貴殿らのご来訪を心よりお待ち申し上げております。
謹言
グルメ・ギルドマスター バルドル』
こんな文章はお手の物。明日、運び屋のマーサに渡せば一件落着。簡単だ。
再び、ドアベルがチリンチリンと鳴る。バルドルは仕方なく立ち上がる。今度の来客は、王都から来たらしい貴族令嬢たちだった。
「あのー! すみません! セキレイのスパイスラーメンと、エリカ様のカレーパンのお店の場所を教えて欲しいのですがぁ!」
バルドルは耳を疑った。彼女たちは『ロートシュタイン・グルメマップ』なる冊子を抱えている。まさか、ギルドでこんな観光案内をする羽目になるとは。 少しうんざりしながらも、彼は丁寧に説明した。
「セキレイのスパイスラーメンの分店は地下二階の三番階段のすぐ正面です。ただ、本店は地上の東南街区の二番通りですよ。小さい宿屋なので、見つけにくいです。その辺りで、誰かに聞くことをお勧めします。……あと、エリカ女史は今日は出店していません。夜、居酒屋領主館に行けば会えますよ」
「ありがとうございまーす!! えー、どうするぅ?」
「セキレイは本店も興味あるけどぉ、色々食べてみたいから、分店でいいんじゃないかなぁ?」
「明日は水上都市に行くのよねぇ。はぁ、悩むなぁ……。もう、胃袋が五つも六つも欲しいわよねぇ」
「キャッハッハッハ」
騒がしく去っていく令嬢たち。
(いったい何だったのだ?)
バルドルは頭痛を覚えた。ギルドを何だと思っているのだ? あくまで、権威から独立した商業者の自助団体のはずだ。いつから観光案内所になった? 嫌な予感が背筋を走る。
またもドアベルがチリンチリンと鳴る。バルドルは「今度は誰だ?!」と激情に駆られながら顔を上げる。すると、そこに立っていたのは、見覚えのある、というか、居酒屋領主館でほぼ毎日見慣れている人物だった。
「失礼する! あのー、ここで"ギルマス鍋"を食べられると聞いたのですが……?」
そう聞いてきたのは、ショートソードを腰に携えた、腹ペコ女騎士ミラ・カーライル。彼女はすでに空腹の限界が近いのか、頬を膨らませ、不機嫌そうな顔でバルドルを見つめている。
「はっ? いや、ここ、ギルドですよ? 飲食店じゃないですからね? 居酒屋領主館に行ってくださいよ」
バルドルは、騎士様に対して少々雑な返答をしてしまった。しかし、そんな返答に彼女はムッとした表情で、口を尖らせる。
「ちぇっ……、なーんだ。ここに来れば食べられるって聞いたのに……。あーあー、今日のお昼ご飯、何にしよう……」
そう言って、勝手に不貞腐れ、踵を返して去っていく。その背中は、まるで捨てられた子犬のようにしょんぼりとしていた。
バルドルは、怒りが込み上げてくるのをこらえ、ミラが十分遠ざかるのを待った。彼女の耳に、これから存分に解放しなければならない、自らの憤りが伝わらぬように。
深く、深く、息を吸い込む。そして、一気に放つ!
「"なーんだ"とは何だよ?! 何だよそれ?! "なーんだ"、って! 腹立つなぁ!! なんでギルドで鍋食えると思ってんだよ?! お門違いにも程があるぞ! いや、誰だよガセネタ流した奴は?!!!」
半狂乱になったバルドルの叫びが、ギルドの静寂を打ち破る。そんな彼の姿を、職員たちは慣れた様子で、冷たい視線を送りながら書類仕事を続けていた。
またもドアベルがチリンチリンと鳴る。
「今度は誰だ?!」
激しい苛立ちがバルドルを襲う。
「ちわー! 領主でーす!」
ラルフが顔を覗かせた。
「……お引き取りください!」
バルドルは慌ててドアを閉めようとする。しかし、ラルフはドアの隙間に爪先をねじ込んだ。あまりにバルドルの行動を予期したような、手慣れた動きに、バルドルはドン引きする。
(なんだコイツ?! 領主のくせに、本業は暴利貸しの裏稼業なんじゃなかろうな?!)
焦りが募る中、ドアの隙間から、ラルフのニタリと凶悪な笑顔が垣間見えた。バルドルは必死にドアを押さえつける。
「バルドルさ〜ん。ちょっと、グルメ・ギルドに改築が必要と判断しましてねぇ……。大工たちを連れてきたんですよぉ」
ドアの隙間から語りかけてくる悪魔。
「いらんいらん! 何をするつもりだ?!」
「いえね、厨房と売店も併設したら、バルドルさんも、もっと稼げるんじゃないかなぁ、なんて? ……なぜなら、ギルマス鍋が好評でしてね? いっそ、ここで売ったらどうかなぁ、なんて!」
「やらんぞ! 俺はやらんからな! 今のままでじゅうぶんだ!」
ドアの外から、ドワーフたちのガラの悪い声が響いてくる。
「開けろコラァ!」
「開けろぉ! 厨房造らせろ!」
「売店造らせろ! 昼間っからホルモンでエール飲ませろ!」
「ねぇ? 要望はかなり多くいただいてるんですよぉ……。そういう民意を汲み上げるのも、領主の仕事でして。是非ともお願いしたいんですよぉ」
ラルフはねちっこい口調で畳み掛ける。
「知らんわ! 何が民意だ?! 何が領主だ! 鍋くらい、お前の店で出せ! このアホ! バーカ、バーカ!!」
バルドルはヤケクソ気味に、公爵であるラルフに対して、とんでもなく不敬な言葉を吐き始めた。
「しょうがないなー。もう……。じゃあ、ファウストさん。よろしくお願いしゃす!」
ラルフはもう一人の公爵の名を呼んだ。バルドルは冷や汗をかきながら、恐る恐るドアの隙間を覗き見る。すると、黒尽くめの恰好をした中年の男、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵が「ふむ……」と言い、黒い筒が二本束ねられたような魔道具を取り出した。
それは、水平二連魔導銃"スクリーミング・ディーモン"。退魔用の散弾銃、つまりショットガンだ。
そのショットガンは、ラルフの前世において「ドアノッカー」という俗称で知られていた。米軍やSWATがドアブリーチ(強制突入)に使う際、鍵や蝶番を破壊するために散弾や専用の弾を撃ち込むことが多かったためだ。しかし、さすがにこれは、どう考えてもやりすぎだ。
耳をつんざくような轟音が響き、煙と木の破片が飛び散る。バルドルは後方へ吹き飛ばされ、「へぶっ!」と間抜けな声を上げ、盛大に尻もちをついた。
「危ないだろっ! 死んだらどうするのだ?!」
バルドルは本気の非難の声を上げた。しかし、ラルフはこともなげに言う。
「そこはちゃんとやってますからぁ! 魔導術式で、人体には非殺傷の物理破壊だけの弾にしたんですよぉ! これ、ホントに難しかったんですからぁ」
「では、このような状況を事前に想定していたということかぁ?!」
バルドルは、すべてを察してしまった。
ゾロゾロとドワーフの大工たちが侵入し、作業を始める。
「この辺でいいかな?」
「売店はここに窓口を作るじゃろ? ならば、動線は横に確保してだなぁ」
建材が次々と並べられていく。
「や、ヤメロぉー! 勝手に厨房を造るなぁ!」
バルドルが叫ぶ中、グルメ・ギルドの職員たちは「うるせぇなー」とでも言いたげに、淡々と書類仕事を続けていた。
いつの間にか、ダンジョンマスターのスズもそこにいた。いつもの黒い制服ではなく、赤い制服に灰色のスカートを穿き、茶色の革バッグを背負っている。手には、スパイク付きのストライクフェイスが装着されたハンドガンを持っていた。
「非殺傷弾の開発は、私も手伝った。いつか作ってみたかったから……」
満足そうなスズの言葉に、ラルフはノリノリで歌い出す。
「君が持ってきた……♪」
「やめなさい。いつも著作権にはなんとなくは配慮してるくせに、それはない……」
スズが冷静に突っ込む。ラルフは再び冷静な声で返した。
「いや、お前のそのコスプレもさ、それもどうすんのさ?」
その一連のやり取りを見ていたバルドルは、あまりの馬鹿馬鹿しさと意味の分からなさに、もうすべてを諦めた。このロートシュタインにいる限り、この不条理でわけのわからない日々から逃れることはできないのだ、と。