軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

145.ロートシュタイン記念杯

結局、ラルフも一枚だけ馬券を買ってみた。

熱狂の渦巻く競馬場。ラルフは手に握りしめたブラッドフォルクの単勝馬券をじっと見つめていた。彼の視線は、手元の出走表へと滑る。

出走表

1.ブラッドフォルク

─ 血と誇りの戦馬。古王朝の騎士団で使われていた血統。

2.メイデンリグレット

─ 「乙女の悔恨」。美しき名を持つが、荒れた気性で知られる。

3.レーヴェンシュタイン

─ 獅子の石と呼ばれる名門牧場の至宝。王家にも献上された血筋。

4.サイレントオラクル

─ 黙して走る予言馬。目が見えないという噂もある。

5.エルトレアライト

─ 滅びた魔法都市エルトレアに由来。一族最後の名馬。

6.グレイムアクレスト

─ 「灰の王冠」の異名を持つ。灰色のたてがみが特徴。

7.ティランノノクス

─ 暗黒の暴君を意味する古語の名を持つ、筋骨隆々の黒馬。

8.ハルシュタインブレイカー

─ 東大陸の北端、氷雪の地から来た怪力馬。

9.フェルドランプレイヤー

─ 平和を祈って名付けられたはずが、出走すれば必ず誰かが落馬するというジンクスを持つ。

10.ヴァルメリアカタラクト

─ 「真珠の瞳」と呼ばれる美貌の雌馬。幻惑の走りで観客を魅了する。

「ヴィヴィアンはどういう賭け方にしたんだ?」

ラルフが問いかけると、ヴィヴィアンはむっとした表情で、握りしめた馬券を胸元に隠すように振り返った。

「エリカ殿に言われましてね。勝負が決するまでは他人に見せない方がいいと」

「いや、感化されすぎじゃね? 本当に大丈夫? いくら賭けたの?」

ラルフの心配をよそに、ヴィヴィアンはこともなげに言い放つ。

「まあ、今月の給料分、すべてだな」

「バカ! お前、マジでバカ!!」

ラルフは頭を抱えた。せっかく貧乏生活を抜け出し、クレア王妃にヘッドハンティングされて宮廷魔術師として就職できたというのに、一体何を考えているのか。

「なーに。当たったらこれまでの人生で見たこともない大金が手に入るのだろう?」

「いや、負けたらどうすんの?」

ヴィヴィアンは涼しい顔で答える。

「貧乏生活には慣れている。いざとなれば、樹の実でも拾って食べればいい」

不憫だ、不憫すぎる。ラルフは顔を覆いたくなった。テイマーという魔導士の中でも不遇職とされる彼女の人生は、これほどまでに壮絶だったのか? しかも、銀色の短髪で長身の超絶美人という事実が、この世の不条理を際立たせていた。

その時、パーンパパパーン♪ と華やかなファンファーレが鳴り響いた。宮廷楽団の音色は、この喧騒の中でもひときわ高らかに響く。数万人もの観客が手拍子を打ち、その巨大な咆哮は競馬場全体を揺るがすかのようだった。

すると、その歓声を打ち破るほどの音量で、魔導スピーカーから実況の声が聞こえてきた。

「さあ——いよいよ開戦の刻が迫ってまいりました! 記念すべき第一回、ロートシュタイン記念杯、ここ王立競馬場よりお送りします! ファンファーレが鳴り終わり、各馬ゲートへ!」

「おー! かなり本格的じゃん!」

ラルフは感嘆の声を漏らした。競馬場創設時、実況解説の導入を提案し、拡声魔法の魔道具を貸し出したのは他ならぬ彼自身だ。

「一番人気は北の怪物・ハルシュタインブレイカー! 氷の原野で鍛えられた脚力が、ここ聖域の芝でどう生きるのか!? 対抗馬には古王国の血統・ブラッドフォルク! 名門ボン・ベルク厩舎の威信を背負っての参戦です!」

「さぁ、はじまるわよぉぉ!」

エリカは舌なめずりをしてゲートを睨む。ヴィヴィアンもまた、馬券を握り締めながらゴクリと唾を飲んだ。

「さあ、全馬ゲートイン完了……スタートしましたッ!!」

うぉー! と一斉に歓声が上がる。

「好スタートを切ったのは内からレーヴェンシュタイン! 王家の紋章を掲げるような堂々たる走りで先手を奪った! 外からはメイデンリグレットがついていく! これは危ない、気性が荒いぞこの馬は!」

「いけぇ! メイデンリグレットぉ!」

エリカの絶叫に、ラルフは(あっ、メイデンリグレットが軸だな)と悟った。馬券の内容は教えないという謎のジンクスがあるようだが、筒抜けである。

「その後ろに控えるのがグレイムアクレスト! 灰の王冠は今日も静かに獲物を狙っているか……そして中団、オーロラのごとく揺れるたてがみ! あれはヴァルメリアカタラクトだ! 牝馬ながらその存在感は圧倒的ッ!」

実況解説にも熱がこもる。ラルフは自分が賭けた馬を探した。

「さあ中盤に差しかかって、ここで動いたッ! なんとティランノノクス! 黒き暴君が外をぶん回して一気に前へッ! 鞍上のデムーロ騎手が鬼のような表情! かつてノクスに腕を噛まれたと言われるあの男が、今日、牙をもって制すかッ!?」

会場全体に響く実況が、観客たちの緊迫感を否応なしに高めていく。誰も彼も、目を吊り上げ眉間に皺を寄せ、この名勝負を見守っていた。

「だが、内を突く! 突き抜けた! フェルドランプレイヤーだッ!! 静かなる祈りのごとき脚運びで、沈黙を切り裂くように前へ前へ! 今日もまた落馬の祟りはあるのか!? いや、今日は全馬無事だ、走っているッ!」

「ちっ! ちょっと待ちなさいよぉ! ここでアンタが負けたならアタシの生活はままならないのよー!」

エリカが悲鳴に近い叫びを上げる。

「最終コーナー、各馬が第四の門を通過ッ!! ここからが聖域の試練、最も魔力濃度の高い“アルカの風”が吹き荒れるッ!」

馬も騎手も観客達も止めどなく汗が流れる。

「一気に押し寄せるブレイカー! ハルシュタインブレイカーがついに牙をむいた! 蹄が地を割るようだッ!!」

おおおお! と観客すべてがどよめく。もうこうなると、散々色々言ってきたラルフも、手に汗を握りながらそのレースを食い入るように見つめていた。

「しかし内で粘るレーヴェンシュタイン! まだ王家は沈まぬ! そして外から! 真珠の瞳が舞い戻る! ヴァルメリアカタラクトが幻想のような末脚で迫ってくるッ!!」

「あきらめるなぁぁぁあ! 君ならやれる!」

ヴィヴィアンの叫びに、ラルフは驚きを隠せない。いつも冷静沈着、というか感情の起伏に乏しい彼女の新たな一面を垣間見た気がした。

「三つ巴だ! 三頭が並んだ! だがそのときッ!」

「嘘よぉ! そんなの嘘よぉ!」

エリカは悲痛な叫び声を上げ、もう泣き出してしまっている。

「突き抜けたのは——サイレントオラクル!!」

「おい! エリカ! 落ち着け! マジで落ち着け! そのレベルになると、もうなんか気持ち悪いから!」

ラルフは心底、彼女の将来が心配になった。

「どこから現れたッ!? 音もなく、風をも裂き、神託のごとき一閃ッ!! 誰もがその存在を忘れていた、盲目の白馬が、聖域の直線で、いま光となるッ!!」

「あああああ!」

ヴィヴィアンが叫ぶ。

「うがぁぁぁぁぁぁぁ!」

エリカがのたうち回る。

「えぇぇぇぇ……」

ラルフは、そのあまりの惨状に呆れ返った。

「ゴール板目前! オラクルか!? ブレイカーか!? 王家かッ!? ——ッ!!」

観客たちの絶叫と悲鳴が、青空の下で雷撃のように空気を割る。

「ゴォーーールッッ!!! 勝ったのは……サイレントオラクル!!!」

その実況の声に、観客席すべてから負け馬券の花吹雪が舞い上がった。

「全てを沈黙させた予言の名馬、ついに戴冠! ロートシュタインの聖杯は、今日、ひとつの神話を刻んだ!!」

ドラマチックすぎる実況中継に、ラルフは感心しきりだった。っていうか、誰がやっているんだろう、と不思議に思う。

足元を見ると、エリカが四つん這いでだらだらと涙を流している。

見ればわかる。負けたのだろう。こいつの勝負勘は、以後一切信じないことにしようと、ラルフは固く誓った。

そして、ふと思い出す。

「そういえば、ヴィヴィアンは……え? ヴィ、……ヴィヴィアン?」

ふと隣にいる彼女の表情を見たラルフは、大いに戸惑った。

彼女は目を見開き、まん丸に、そして口も全開にまん丸に。あまりの間抜け面に、さすがのラルフも困惑を隠せない。決して、超絶美人なクール系長身女性がしていい顔ではない。

「お、おい……、ヴィヴィアン? どうした?」

ラルフが問いかけると、彼女はヨロヨロともつれ、背後にある柱に背中をどっとぶつけた。そのまま腰が砕けたようにしゃがみ込んでしまう。

口と目はまだまん丸に見開かれたまま、彼女は何かを言いたげに震えていた。

「えっ?! どっちだ?! その反応! どっちなの?! 大勝ちしたの?! 負けたの?! いや、どっちなの?!」

ラルフの焦燥が、競馬場の喧騒の中に溶けていった。