軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

104.お菓子はどこへ消えたか?④

「まあ! 何この可愛い子は?!」

その小さくて微かな存在を、クレア王妃は無垢な喜びの声を上げて、ふわりと掌に持ち上げた。

「そいつは、イタズラ好きな妖精。"ブラウニー"ですよ」

ラルフの声に、王妃は目を輝かせた。

「まあ! 妖精さん! こんなに小っちゃくて! カワイイー!」

クレア王妃がその小さな頭を人差し指でそっと撫でようとした途端、妖精はヒョイと王妃の手から飛び降り、軽やかに地面に着地した。

「あらら、どこに行くのー? 妖精さーん」

王妃は名残惜しそうに、トテトテトテと走り去る小さな背中を見送った。

「気まぐれな妖精なんですよ。多分、明日にはどっかに行ってしまいます。僕も見るのは初めてです。かなり珍しいですよ。そいつらが訪れた家には幸運が舞い降りるという伝承もあります。……そして、間違いなく、菓子を盗み食いしたのは⋯⋯そいつが犯人ですね」

ラルフの言葉は、その場の空気に奇妙な納得をもたらした。こうして、王城を騒がせたおかしな事件は、一匹の愛らしい妖精の仕業として、あっけなく解決を見た。

その日の夕刻。居酒屋領主館のカウンターで、開店前の静かな時間に、ラルフとヘンリエッタが二人きりで並んで座っていた。これからはじまる、いつもの喧騒が嘘のように、空間は穏やかな沈黙に包まれている。

「ラルフさま? あの魔法って、宮廷魔術師の方たちは気づいていましたよね?」

ヘンリエッタが、静かに問いかけた。

「当たり前だろ? 宮廷魔術師ってエリート中のエリートだぞ。それに、あの偉そうなジジイ魔導士、あいつ僕の先生だったからね。学園の時の」

ラルフは、グラスを拭きながら答えた。

「ですよね。じゃあ、あの人たちが何も言わなかったのって……」

「僕たちの"策"に乗ることにしたんだな。いや、"クレア王妃の策略"に、かな?」

ラルフの言葉に、ヘンリエッタは小さく頷いた。彼女の脳内で、バラバラだったパズルのピースが、一つまた一つと繋がり始めていた。

「ですよね。……あれって、難しい魔法なんですか?」

「いや、そうでもない。単なる幻影魔法だよ。クレア王妃も気づいていたかもな」

あの小さな妖精の姿は、

ラルフが魔法で作り出した、幻影だった。

ラルフは、その事実を、あっさりと言い放った。彼の言葉に、ヘンリエッタの思考はさらに深まる。

「なるほど。……やっぱり、貴族さまって、大変なんですね」

ヘンリエッタの頭の中では、すべてのパズルのピースが完璧に繋がった。彼女は、王宮という場所が持つ、複雑で多層的な現実を、改めて理解した。

「なんか、変なことに巻き込まれたなぁ!」

ラルフが、ヘンリエッタを気遣うように言った。その言葉には、彼の優しさが滲んでいる。

「フランジュラーベ菓子店、⋯⋯先代が亡くなられて、その後を継いだのが、娘さんのお婿さんで。前ほど美味しくないし、値段もどんどん上げていて。私、ちょっと悲しかったんです」

ヘンリエッタは、ぽつり、と呟いた。その声には、長年愛してきた老舗の変貌に対する、隠しきれない悲しみが込められていた。

「でさ。僕。実は、まだちょっとよくわかってなくて。どうやって王妃の目の前から菓子を盗んだの?」

ラルフは、唐突に、しかし真顔で尋ねた。

「えっ? ラルフさま!? わかってなかったんですか?!」

ヘンリエッタは、思わず声を上げた。彼女は、ラルフがすべてを理解しているものとばかり思っていたのだ。

「う、うん。わかんねー。なんとなーく。全員が嘘ついてるのはわかった!」

ラルフの正直な告白に、ヘンリエッタはなんとも言えない表情を浮かべた。彼の天才的な魔術の腕前と、この朴訥なまでの庶民感覚のギャップに、彼女は改めて呆れるしかなかった。

「新作のお菓子なんて、あの場に、はじめから無かったんですよ」

ヘンリエッタは、一つ一つ言葉を選びながら、静かに語り始めた。

「んー?」

ラルフは、怪訝な声を上げた。

「フランジュラーベ菓子店が新作のオリジナルスイーツと売り出したのが、先月です。でも、それはオリジナルなんて、嘘っぱちでした! それというのは、パクリだったんです」

「ほう! なんの?」

ラルフの顔に、好奇心の色が浮かぶ。

「ラルフさまのです」

ヘンリエッタの言葉に、ラルフは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「はぁ?!」

「ラルフさまの、"いちご大福"です。おそらく、私の書いた『スイーツヒストリー第二巻』を手に入れたんでしょうね。まだ、王都では手に入りにくいですから」

ヘンリエッタは、淡々と事実を告げた。彼女の『スイーツヒストリー』は、彼女のグルメ探求の集大成であり、その第二巻は刊行されたばかり、そして画期的なレシピを多数記している。

「あー。まあ、しばらくはバレないだろうと? そして、評判は良かった。王都の人達にとっては未知のスイーツだからな。⋯⋯しかし、その評判を聞いて、クレアさまがフランジュラーベにお茶会のスイーツを打診した?」

ラルフは、ようやく点と点が繋がり始めたことを示すように、言った。

「おそらくそうです。だけど、フランジュラーベの人達にとって、青天の霹靂とも言える事態に陥ったのです」

ヘンリエッタの言葉に、ラルフは状況を理解した。

「あー。クレア王妃は、僕の作ったいちご大福を食べたことがあった」

ラルフの言葉に、ヘンリエッタは頷いた。クレア王妃は、ラルフの作る料理、特にスイーツの熱烈なファンなのだ。水上の離宮が完成した時に、真っ先にお茶会に提供していた。

「多分……、お茶会の始まる前に、参加者たちが語らってる話が耳に届いてしまったのでしょう。……マズイことになります。まさか、"オリジナルの新作"と偽り、売り出していた菓子を、その本当のオリジナルをクレアさまが真っ先に食べたことがあったなんて」

確かに、その"たばかり"が王族に知られるなど、店の存続にすら関わる。

ヘンリエッタは、フランジュラーベ菓子店の立場を慮るように言った。老舗のプライドと、新興の居酒屋領主館との間の、微妙な力関係。そして、その中で起こった、誰も予期せぬ「剽窃」という事実。

「だけど。それがクレア王妃の前から忽然と消えたんだろ? それはどんな仕掛けが?」

ラルフは、まだ完全には納得していない様子で尋ねた。

「いえ。仕掛けなどありません。おそらく、フランジュラーベの人達は、マズイ事になることを予測して、苦肉の策を取りました。"何者かに新作の菓子が盗まれた"。と、最初に嘘の証言した気がします。そして、その菓子はクレアさまの前にお出しされることはなかった」

ヘンリエッタは、確信を持って言った。そうすることで、彼らは一時的に窮地を脱しようとしたのだろう。つまり、その菓子は一度もクレア王妃の前には出されていない。

「あー。わかってきたぞー! ……クレア王妃が、その後に、おかしなことを、言い出したんだ!」

ラルフは、すべてを悟ったかのように、声を上げた。

「そうです! 目の前から、"お菓子が消えた"と。……もし、盗まれた、となると大問題です。だって、王城の中で起きた事ですから。衛兵達や騎士団の皆さんの処分も、あり得ます」

ヘンリエッタは、静かに付け加えた。王妃の嘘は、王城全体の秩序と、そこに仕える人々を守るためのものだったのだ。

「いや! じゃあ! フランジュラーベの奴らが悪いよな?! あいつらがすべての元凶じゃね?」

ラルフは、まだ腑に落ちない様子で、不満を漏らした。彼の倫理観からすれば、嘘の末の保身のための嘘の塗り重ねなど、愚かで許しがたい行為だ。

「クレアさま、フランジュラーベすらも、守ろうとしたんです。⋯⋯私たち、ロートシュタインが台頭する以前から、王族御用達の印を持っていたのが、あのお店なのです」

ヘンリエッタは、王妃の真意を説明した。長年の信頼と、伝統を守ろうとする王妃の、深い配慮がそこにあった。

「あー。なるほどね。……つまり、クレア王妃の、優しさ、か」

ラルフは、ようやく納得したように、小さく頷いた。彼の顔には、王妃の慈悲深さに触れたような、複雑な感情が浮かんでいる。

「フランジュラーベの人達は、戸惑ったと思います。何故、急に、クレア様が"目の前から菓子が消えた"。などと嘘をついたのか。おそらく、あの場にいた全員が、その真意に気づいていたんです」

ヘンリエッタは、事件の背景にあった、人々の複雑な思惑と、王宮という閉ざされた空間での、暗黙の了解を説明した。すべては、王妃の「優しさ」と、それを受け止めた者たちの「配慮」の上に成り立っていたのだ。

「で、僕らが呼ばれた理由は?」

ラルフは、最後に残った疑問を投げかけた。

「それは、ラルフさまのおかげで、この事件は形式上では解決しました。ラルフさまが、ありもしない、妖精の存在をでっち上げて。……クレアさまも、もしかすると。⋯⋯つい、すべての人を守るためについた嘘を、どう収拾をつけて良いかわからなくて、ラルフさまに助けを求めたのかも」

ヘンリエッタの言葉に、ラルフは大きなため息をついた。

「ふぅ、めんどくせ! だから嫌なんだよなぁ」

その時、二階から、エリカが姿を現した。そして、カウンターに座る二人を見て、不機嫌そうに言った。

「なんか辛気臭いわね」

彼女の言葉は、二人の間に流れていた重い空気を、あっという間に吹き飛ばした。

そして、エリカは厨房の保冷庫を開けて、絶叫した。

「ちょっとぉ! あたしのプリンないんだけどー?! 誰か食べたでしょ?!」

「知らんがな」

ラルフは、素っ気なく答えた。

「おかしいわよ! あたしのだから食べるな! って皆に言っておいたのにー?!」

エリカの絶叫が響く厨房の、片隅で、可愛らしい足音が誰の耳にも届くことなく鳴っていた。

トテトテトテ……。