軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幼き日の思い出

海風が仄かな磯の香りを運ぶ。大自然の大きな営みを感じさせる命の香りはどこか懐かしい。

大海は息づくように揺れ、水面は月光を受けキラキラと反射している。

波音を聞きながら歩いているジゼルの表情はとても穏やかで、その姿は一枚の絵画のようだ。

ロランが眼前に広がる珠玉の美しさに心委ねていると、不意にジゼルが振り返った。

艶やかな黒髪が光を弾きふわりと肩に落ち着く瞬間、ロランは気付かぬうちに笑顔を向けていた。ジゼルも輝く笑顔をロランに向け、頭を下げる。

その笑顔は緊張も戸惑いもない心からの笑顔。

二人の素直な気持ちが初めて笑顔に現れた瞬間だった。

見えない境界線が消え、向こう側にいた本当のジゼルに出会えたような一瞬。

その見覚えがある笑顔に、埋もれていた幼き日の思い出が駆け出した。

幼い頃、神殿のベンチで泣いていた一人の少女に出会った。

少女は両親が迎えにこないと言って涙を拭う。不安に濡れたその顔を見た時、元気づけてあげたいと魔法で花を出した。

普段ならそんなくだらないことはしない。

だが、なぜか少女の悲しい顔を見たくなかった。

けれど、差し出した花に少女が触れた時、花が消えた。

簡単な魔法が失敗したと恥ずかしくなり、持っていたキャンディーを少女の手に握らせ言った。

『次会う時、心からの笑顔を見せてくれたら、私の最高の魔法を見せてあげる』

しかしあの日以来少女に会うことはなかった。大魔法使いになると言われ大きな重積を背負う道を歩み始め、この思い出も日々の生活に埋もれ消えた。

だが、不意に見せてくれた心からの笑顔を見て思い出した。

あの少女はジゼルだ!

心からの笑顔を向けてくれた君に約束を果たそう。

あなたが笑ってくれるなら私はなんだって出来る。

私はそのために存在しているのだから。

ジゼルはゆっくりとした足取りでロランの元に戻ってくる。

その途中立ち止まり、足元に転がっていた貝殻を拾っていた。

寂しげなその眼差しは幼い頃から変わっていない。

(そんな顔を見たくない、いつも笑顔でいてほしい)

ロランはジゼルを見つめながら、心に抱えていた不毛な自問に終止符を打つ。

(迷うことはない。ジゼルを不幸にする存在だと思い込み臆病になるよりも、自分らしく堂々と在ればいい)

ロランは気がついた。

向こう側にある感情に乱され依存するよりも、凛とした揺るぎない自己を確立させる、これがジゼルの夫であり、魔力のない娘を守る大魔法使いのあるべき姿だと。

砂に足を取られながらゆっくりと歩くジゼルに手を伸ばす。

ジゼルは、差し伸べた手を見て戸惑ったような表情を浮かべた。

(手を差し伸べただけで戸惑うほどの距離感が未だにある。だがもう迷わない。これが私の愛情表現だ)

ロランは気にせずそのままジセルを見つめ目を細める。

ジゼルは僅かに瞳を伏せ、ロランに笑顔を向けた。

「魔法を使ってもいいだろうか?」

ロランはジゼルの手をそっと持ち上げ腰を落とす。そしてジゼルの瞳の奥を覗き込むように視線を合わせ優しく言った。

「魔法?」

その言葉を聞いたジゼルの表情が変わる。

ロランの言葉に明らかに動揺したようにジゼルの瞳が揺れた。

初めての契りの時、ジゼルに召喚魔法を使った。それもダークネスドラゴン。

ロランはそのことを思い出し自らの愚かさに奥歯を噛む。

『ロラン、愚かだったな。ジゼルはお前の魔法に動揺している。お前の思いにジゼルは気がついていない』

頭の中でダークネスドラゴンのバジルが話しかける。

ロランはその言葉に反論できない。バジルの言う通りだ。

だが、話せばいい、ジゼルに魔法を使いたいと。

あの幼き日の約束を果たしたい。魔法が効かないとわかっているが、それでも額の傷が少しでも癒えたら、そんな願いを込めた魔法をジゼルに使いたい、そう伝えればいいのだ。

ロランは小さく息を吐き、ジゼルに話しかけようとした。

だが、目の前のジゼルが覚悟を決めたように顔をあげロランに微笑み頷いた。

その瞳に迷いがない。

(信じてくれるのか?)

その表情に胸が震える。

(最高の魔法を見せてあげたい!)

ロランはジゼルからそっと離れ、空中に魔法陣を描いた。

不死鳥(フェニックス) の召喚。

月明かりの下、グリーンに光る魔法陣から吹き上がる魔力風はジゼルの黒髪を揺らす。

ジゼルは静寂の中、愛おしそうに目を凝らしその様子を見つめている。

白魔法の魔法陣は清らかで美しい。この美しい瞬間をジゼルに見せてあげたかった。

ジゼルは再び輝く笑顔をロランに向けた。

まるでありがとうと言っているかのような笑顔、あの日、魔法の花を受け取った幼い日のジゼルと同じ笑顔。

(私はこの笑顔を守るためなら命さえ惜しくない)

フェニックスはオレンジ色の炎を纏いジゼルに向かって飛んでゆく。

ジゼルはフェニクスを迎えるように両手をあげる。

目を細め口元に微笑みを浮かべるジゼル。

月明かり、輝く大海、星空を背に炎を纏うフェニックス。

息を呑むほど美しい光景にロランは心奪われる。

その炎の残像が消える瞬間、フェニックスはジゼルの胸に飛び込んだ。

パリンッ!!

魔法が無効になる。その瞬間ロランはエンジェルを召喚する。

真昼のような眩い光が辺りを照らす。

光輝くエンジェルを見たジゼルは目を丸くし、両手で口元を覆い少女のように驚いた。

そんなジゼルの姿にロランは目を細める。

ジゼルは頬を上気させ、堪えきれない驚きと喜びを爆発させたような笑顔をエンジェルに向けた。

エンジェルは光を放ちながらふわりと移動し、その唇がジゼルの額に触れた。

その瞬間、エンジェルも粉々に消える。

光の残像がジゼルの周りを覆う。

触れられない魔法を惜しむようにジゼルは朧げな光を見つめていた。

――約束は果たした。

だが、召喚魔法が無効になるということはジゼルの額の傷は消えていないということだ。

ジゼルには魔法が何一つ効かない。

「……お前は最強で、最弱だな!」

強さと弱さを併せ持つジゼルという不思議な存在に自然と笑いが込み上げる。

大魔法使いの伴侶が魔力の無い娘。

これほどバランスの良い組み合わせはないだろう。

ジゼルはその言葉に嬉しそうに瞳を輝かせたが、なぜか顔を赤くし、恥ずかしそうに俯いた。

ロランがジゼルに歩み寄った時、この状況に戸惑ったようにジゼルが口を開いた。

「あ、あのロラン様、先ほどのは?」

ジゼルの言葉を聞き、切なさで胸が苦しくなる。

『最高の魔法を見せてあげる』

ジゼルはあの幼き日の約束を覚えていない……。

ロランは唇を結びジゼルの前髪に触れ傷口を見る。

傷がある。

大魔法使いは愛する娘に何もできない。

「やはりダメか」

無力感と悔しさのあまり心の声が出てた。

ロランは取り繕うようジゼルを抱き寄せ、移動魔法を使った。