作品タイトル不明
第7話 「史実と違うのでは?」と言われた時に
前回、歴史創作を書く時にワンコさんが気をつけたいと思っている、
「史実」
「通説」
「異説」
「史料の空白」
「本作独自設定」
の分け方についてお話ししました。
歴史学、迷宮です。
通説だと思っていたものが、調べてみると異説もあったり。
後世の編纂物では有名な話なのに、同時代史料では確認しづらかったり。
一次史料だと思っていたら、実は後世にまとめられた重要史料だったり。
重要史料だけれど、厳密には一次史料ではなかったり。
ややこしい。
本当にややこしい。
歴史学科卒、こういうところで頭を抱えます。
さて。
そんな歴史創作を書いていると、避けて通れないものがあります。
それが、
「史実と違うのでは?」
という疑問です。
これは、歴史ものを書いていると本当に出てきます。
出てきます。
ええ。
出てきますとも。
人物の年齢。
婚姻関係。
出来事の順番。
合戦の結果。
誰がどこにいたのか。
その時点でその人物は生きていたのか。
その言葉遣いは時代に合っているのか。
この道具はまだ存在したのか。
この官職名はこの時点で正しいのか。
歴史好きの方ほど、気になるところが出てくると思います。
それは、自然なことです。
むしろ、歴史に興味があるからこそ気になる。
気づく。
引っかかる。
それ自体は、悪いことではありません。
ワンコさんも、読む側の時は気になることがあります。
「あれ、この人物、この時点ではまだここにいないのでは?」
「この言い方、ちょっと時代が違うのでは?」
「この設定は、どの説を採用しているんだろう?」
と思うこともあります。
ありますとも。
歴史学科卒、面倒くさい読者にもなります。
ただし。
ここで大事なのは、
その作品が何を目指しているのか。
だと思っています。
史実再現を目指している作品なのか。
通説に沿って丁寧に描く作品なのか。
史実を土台にしつつ、人物の心情を膨らませる作品なのか。
大きく歴史を分岐させるIF作品なのか。
現代人が転生する作品なのか。
神様や妖怪や不思議な力が出てくる作品なのか。
そもそも、歴史を題材にしたファンタジーなのか。
作品によって、楽しみ方は違います。
すべての歴史創作に、同じ精度の史実再現を求めるのは、少し違うのではないか。
ワンコさんはそう思っています。
もちろん、歴史を題材にしている以上、何でも好き勝手に書いていいとは思っていません。
実在した人物。
実在した土地。
実在した事件。
それらを扱うなら、最低限の敬意は必要です。
調べること。
分かっていることを確認すること。
変えるなら、変えると分かった上で変えること。
これは大事だと思っています。
けれど、最初から「戦国IFです」と掲げている作品に対して、
「史実と違います」
と言われた場合。
ワンコさんとしては、
ええ。
違います。
IFですので。
という話になります。
もちろん、言い方は大事です。
コメント欄でいきなりそう返したら、角が立ちます。
角どころか槍が立ちます。
なので、実際にはもう少し丸く、
「本作は史実を下敷きにした戦国IFとして、独自設定を含めて書いております」
という説明になります。
大人です。
ワンコさん、大人の対応を目指しております。
目指してはおります。
できているかは別です。
歴史創作を書く側として、ワンコさんが一番避けたいのは、
「史実と違うと言われること」
そのものではありません。
一番避けたいのは、
「史実と違う部分を、作者自身が史実だと思い込んでいる状態」
です。
これは怖い。
とても怖いです。
間違えているなら直せばいい。
知らなかったなら調べればいい。
けれど、自分が創作した部分や、採用した異説や、本作独自設定を、うっかり史実のように扱ってしまうのは怖い。
だからこそ、ワンコさんはできるだけ、
「ここは本作独自設定です」
「ここは史実・通説とは異なります」
「ここはIFとして広げています」
と書いておきたいと思っています。
読者様に対する案内でもあります。
そして、自分自身への戒めでもあります。
ただ、毎回すべてを本文中で説明するのは難しいです。
小説本文で、人物が出るたびに、
「なお、この人物の年齢設定は本作独自であり、史実上は諸説あります」
などと書き始めたら、物語が止まります。
戦場で槍が止まります。
恋愛場面で注釈が入ります。
読者様がそっとページを閉じます。
ワンコさんも閉じます。
なので、本編は物語として書きます。
補足が必要な部分は、あとがきや近況ノート、登場人物紹介などでまとめる。
できれば、個別のコメント欄で長々と論争するのではなく、全体に見える形で補足しておく。
これが一番平和なのではないかと思っています。
コメント欄での歴史論争は、楽しい時もあります。
本当に詳しい方が、丁寧に教えてくださることもあります。
それはありがたいです。
ワンコさんも知らないことを知る機会になります。
けれど、コメント欄は論文発表会場ではありません。
小説を読みに来てくださった方が見る場所です。
そこで作者と読者様が長文で史料論を殴り合い始めたら、たぶん他の読者様がびっくりします。
ワンコさんもびっくりします。
ですので、もし補足するなら、
「この件については補足を書きました」
「本作ではこういう独自設定で扱っています」
と、全体向けに置く方がよいのではないかと思っています。
もちろん、疑問を持つこと自体は悪くありません。
歴史ものですから。
疑問は当然です。
むしろ、歴史に興味を持っていただけたなら嬉しいです。
「この人物、本当はどうだったんだろう」
「この出来事、史実ではどうなっていたんだろう」
「この設定、どこまで本当なんだろう」
そう思って調べるきっかけになったなら、それは歴史創作としてとても嬉しいことです。
これは、大学時代に先輩とも話していたことです。
歴史学という学問は、正直かなり敷居が高いです。
史料を読む。
時代背景を知る。
通説と異説を比べる。
研究史を追う。
一次史料と後世の編纂物を分けて考える。
いきなりそこへ飛び込むのは、かなり大変です。
なので、歴史創作には大きな意味があると思っています。
小説。
漫画。
ゲーム。
ドラマ。
そうした創作物をきっかけに、
「この人物、面白いな」
「この時代、ちょっと知りたいな」
「この事件、本当はどうだったんだろう」
と思ってもらえる。
それは、歴史学という敷居の高い世界を、ほんの少しでも齧ってみようと思う入口になります。
ワンコさんも、先輩も、そこはとても大事だと思っておりました。
だから、歴史創作を読んで面白いと思ったら、ぜひ次に、その人物や時代について自分で調べてみてほしいのです。
概説書でもいい。
博物館の解説でもいい。
自治体の歴史資料でもいい。
史料の現代語訳でもいい。
最初から難しい論文に飛び込まなくてもいい。
ただ、
「創作ではこう描かれていたけれど、実際はどうだったんだろう」
と一歩進んでみる。
その一歩が、とても面白いのです。
けれど、そこで気をつけたいことがあります。
調べた結果、
「あ、この創作は史実とは違うんだ」
と気づくことがあります。
それは自然なことです。
むしろ、そこまで調べたなら素晴らしいことです。
けれど、その時に、
「史実と違う。だから駄目」
と、入口になってくれた創作物を批判するだけで終わってしまうのは、少し違うのではないかと思っています。
創作物は、史料ではありません。
教科書でもありません。
研究論文でもありません。
けれど、そこに興味を持つ入口としての力があります。
その入口を開いてくれた作品に対して、史実との違いだけを理由に切り捨てるのは、創作物に対して少し失礼ではないか。
ワンコさんは、そう思っています。
もちろん、史実だと偽って大きく歪めているなら話は別です。
けれど、最初から歴史IFや歴史創作として書かれている作品なら、
「これは入口なんだ」
「ここから先は自分で調べるんだ」
という距離感で楽しむのが、いちばん健全なのではないかと思います。
疑問を持つことは、悪いことではありません。
むしろ、そこから歴史に入っていくのなら、とても素敵なことです。
ただし、その疑問を作品にぶつける時には、少しだけ前提を見ていただけると助かります。
この作品は史実準拠なのか。
史実を下敷きにしたIFなのか。
独自設定を含むと書かれているのか。
作者がどこまで説明しているのか。
そこを見た上で、
「ここは史実ではこういう説もありますよ」
と教えてくださるのは、とてもありがたいです。
でも、
「史実と違う。だから駄目」
となると、少し話が違ってきます。
史実と違うこと自体が問題なのではありません。
史実と違うと分かった上で、どう使っているか。
そこが大事なのだと思います。
たとえば、ワンコさんの戦国IFでは、史実や通説とは違う設定がたくさんあります。
人物の年齢。
婚姻関係。
出来事の順番。
合戦の結果。
史実では子がいない、あるいは実子かどうか曖昧な人物に、本作では実子がいる設定。
史実では結ばれなかった人物同士が、本作では結ばれる設定。
史実では失われた人物が、本作では生き延びる設定。
そういうものがあります。
なぜなら、IFだからです。
「もしも、ここで違う選択があったなら」
「もしも、この人が生き延びたなら」
「もしも、この家に別の未来があったなら」
そういう物語です。
そこを変えなければ、IFになりません。
つまり、史実と違う部分は、作品の欠陥ではなく、作品の前提である場合があります。
もちろん、作者がうっかり間違えている場合もあります。
ワンコさんも人間です。
普通に間違えます。
誤字もします。
年齢計算もずれます。
数え年と満年齢で頭を抱えます。
旧暦と新暦で遠い目になります。
官職名で迷子になります。
なので、
「ここ、もしかして違っていませんか?」
と丁寧に教えていただけるのはありがたいです。
ただし、それを受けて、
「修正するか」
「補足するか」
「本作独自設定としてそのままにするか」
は、作者側で判断することになります。
なぜなら、作品には作品の都合があるからです。
史実としてはこう。
でも本作ではこう。
その線引きをする必要があります。
ここで大事なのは、作者が開き直りすぎないことだと思っています。
「IFだから何でもありです!」
と叫んでしまうと、それはそれで危険です。
史実を下敷きにしているなら、最低限の土台は大切にしたい。
でも、
「史実と少しでも違ったら駄目です!」
となると、創作の余地がなくなります。
この間です。
いつもの間です。
ワンコさん、また間で頭を抱えております。
歴史創作は、だいたい間で頭を抱えます。
史実と物語の間。
通説と異説の間。
考証とテンポの間。
読者様の疑問と作者の意図の間。
歴史学科卒、今日も間で挟まれています。
ぺしゃんこです。
ただ、ワンコさんは思います。
歴史創作は、史実を知るための最終地点ではありません。
入口です。
興味を持つきっかけです。
その作品を読んで、
「柴田勝家って、実際はどんな人だったんだろう」
「お市の方って、史実ではどういう立場だったんだろう」
「織田家って、思ったより複雑なのでは」
「戦国時代って、怖いけど面白いな」
と思っていただけたら、それはとても嬉しいです。
そしてそこから、史料や概説書や博物館の解説に触れていただけたら、もっと嬉しいです。
その時、もしかしたら読者様は気づくかもしれません。
「あれ、この作品、ここは史実と違うんだ」
「ここは本作独自設定なんだ」
「この人物、本当はもっと複雑なんだ」
それでいいのだと思います。
むしろ、そこまで行けば入口として大成功です。
創作から入って、史実を知る。
史実を知った上で、もう一度創作を楽しむ。
その往復ができると、歴史はもっと面白くなります。
ワンコさんは、そういう読み方が好きです。
だからこそ、作者としては、
「これは史実そのものではありません」
「本作独自設定を含みます」
「IFとしてお楽しみください」
という案内をしておきたい。
それを読んだ上で、
「この作品は自分には合わないな」
と思う方もいるでしょう。
それは仕方ありません。
歴史創作にも相性があります。
緻密な史実準拠が読みたい方。
大胆なIFが読みたい方。
恋愛重視で読みたい方。
合戦重視で読みたい方。
政治劇が好きな方。
家族ものが好きな方。
求めるものは人それぞれです。
だから、合わない作品を無理に読む必要はありません。
これ、本当に大事です。
読者様にも、自分の時間があります。
作者にも、心があります。
合わないものを無理に読み続けて、お互いしんどくなる必要はありません。
そっと離れる。
別の作品を読む。
自分に合うものを探す。
それでいいのだと思います。
ワンコさんも、読む側の時はそうしています。
合わない作品は、そっと閉じます。
作者様に殴り込みには行きません。
そっと閉じる。
大事です。
そっと閉じる力。
歴史創作界隈に限らず、すべての読書に必要な力かもしれません。
もちろん、作者側も防御が必要です。
何度説明しても、作品の前提を読まずに同じ指摘を繰り返される。
コメント欄で論争を始められる。
他の読者様が読みづらくなる。
作者の心が削られる。
そういう時は、返信しない、ミュートする、ブロックする、コメントを制限する。
そういう自衛も必要だと思います。
創作は楽しいものです。
でも、続けるためには心を守ることも大事です。
ワンコさんも、できれば穏やかにやっていきたい。
できれば。
できればです。
ただ、歴史ものを書いている以上、疑問が来ることはあります。
その時に、
「これは攻撃だ」
とすぐに思うのではなく、
「歴史に興味を持ってくれたのかもしれない」
と一度は受け止めたい。
でも、何度も同じ前提を踏み越えられたら、自衛する。
そのくらいの距離感が、たぶんちょうどいいのかなと思っています。
要するに。
史実と違うのでは?
そう思うのは自然です。
疑問を持つのも自然です。
でも、歴史創作には作品ごとの前提があります。
史実準拠なのか。
通説寄りなのか。
異説を採用しているのか。
大胆なIFなのか。
その前提を見た上で楽しむ。
合わなければ、そっと離れる。
気になれば、自分で調べる。
丁寧に教えていただけるなら、それはありがたい。
けれど、創作を史実そのものとして扱わない。
そして、IF作品に対して「史実と違う」とだけ言っても、あまり建設的ではない。
ワンコさんは、そう思っています。
歴史は面白いです。
創作も面白いです。
でも、どちらも少し面倒くさい。
だからこそ、距離感が大事なのだと思います。
史料への敬意。
実在した人物への敬意。
読者様への案内。
作者の心の防衛。
その全部を抱えながら、ワンコさんは今日も戦国IFを書いています。
次回は、少し話を戻して、歴史上の人物が後世にどう語られていくのか。
「悪女」や「猛将」や「裏切り者」といった、分かりやすいラベルの怖さについてお話ししようと思います。
歴史上の人物、一言でまとめられがち問題です。
これもまた、なかなか厄介です。