軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

赤ちゃんと魔力酔い 3

さて、アレンディオ様はとても努力した。

私のお腹が膨らむ頃には、魔法を使わなくてもカップを割らなくなった。

「すごいです」

「普通の人よりできない」

「――でも、魔法を使えば人よりできますもの」

なんでもそつなくこなせるせいで、失敗したことがほとんどなかったという。

「……でも、そんなに頑張らなくても。私も手伝いますよ」

厨房に漂っているのは、香ばしいというよりも焦げ臭い香りなのである。

彼は卵焼きを作ろうとした。

卵を砕かずに割ることができるようになったのだから、ものすごい進歩だ。

彼は努力した。だが、卵焼きは焦げてしまった。

「君の邪魔はしたくない……フライパンを洗う」

「ええ、二人分作りますから」

アレンディオ様は、自信をなくしてしまったようだ。

でも、安心してフライパン洗いを任せられるまで成長した。

それでも、筆頭魔術師としての功績は積み上げられている。

彼はいつでも冷静で、人の心を持たないが故に、間違えることがないのだという。

「こんなに可愛らしくて、目が離せないのに……」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も」

真剣な表情でフライパンを磨く姿からもう一つのフライパンに視線を戻す。

卵焼きはいつも焼いているのだから、体が動くに任せればいつの間にか黄色くてフワフワの卵焼きが完成している。

彼が失敗している姿を何度も見ているうちに、なぜか私の卵を焼く腕前は上がったようだ。

その理由はよくわからないが……失敗から学ぶ事もあるのだろう。

「できましたよ」

「あ、ありがとう」

彼が家事に挑戦し始めてから、三ヶ月が過ぎようとしている。

もうすぐ妊娠六ヶ月。私のお腹は少し膨らんで、ふっくらとしてきた。

視線を感じる。私を見ているのではない、私のお腹を見ているのだ。

目線を逸らさないまま、彼が口を開く。

「遠征に行くことになった」

「そうですか……」

「もしかすると、出産に間に合わないかもしれない」

「――残念ですが、しかたがないことです」

ここは私が不安がって、涙ぐむ場面だと思う。

それなのに、涙ぐんだのはアレンディオ様のほうだった。

「大丈夫です。無事に生まれてきます」

彼を抱きしめれば、お腹が当たる。

まだ、胎動はほんの少ししか感じられないけれど、そこには確かに命がある。

きっと、アレンディオ様も同じことを考えたのだろう。

気がつけば、私たちは抱きしめ合っていた。

「そういえば、私と結婚したのは、私が好きだったからなんですね」

しばらくお互いの体温を確かめてから口を開くと、アレンディオ様がガクリと肩を落とした。

「むしろ、どうして今になってそのことを言い出した」

「だって、アレンディオ様は、魔術を一番愛しているでしょう? 女性たちからのアプローチが煩わしいから結婚するのかなって」

「違う――俺が君と結婚したのは」

アレンディオ様の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。

その様子を私は呆然と見つめた。

言葉より、態度より、その色が事実を告げている。

「あ、可愛い」

「なぜこの場面で、君が俺にそんなことを言うんだ」

「愛は、求めるよりも、渡したいなって思って」

「俺が可愛いことと繋がらないが――君はそう言う人だったな」

アレンディオ様が、無邪気な笑みを私に向けた。

気がつけば私も、満面の笑みを彼に向けていた。

――アレンディオ様が立ち上がる。

「風呂を沸かしてくる」

「私がしますよ」

「させてくれ。俺がそうしたいんだ」

「……はい」

私みたいに魔力が少ない人間がお湯を沸かすには、魔石を使う必要がある。

水道はあるから、あとは栓を捻って温めるだけのはず。

最近、色々できるようになってきたのだから、任せてもいいだろう。

しかし、しばらくして遠くから「うわっ」という声が聞こえてきた。

慌てて走って向かおうとすると「走るなよ!?」という声が聞こえてきた。

どうしてわかるんだろう……と思いながらも、ゆっくりとバスルームに向かう。

扉を開けると、アレンディオ様がずぶ濡れになっていた。

「――なにがどうしてこうなったのですか」

「栓を捻ったら水が噴き出してきて、止めようとし捻ったらシャワーが出てきた」

「――あらあら」

彼が鍛えていることを知ってはいたが、シャツが濡れて肌色が透ければ、均整のとれた筋肉がはっきりとわかった。

もう、シャツなんてない状態で触れあったはずなのにと思って、あの夜を思い出し、私は思わず赤面した。

とにかく、シャツが濡れて透けた肌の色は色っぽすぎて心臓に悪い。

「とりあえず、お湯を溜めましょうね。服を脱いでくださいね」

「……すまない」

お湯を溜めて振り返ると、アレンディオ様はシャツを脱いでしょげかえっていた。

彼の身体は鍛えられていて美しい。

けれどその姿は、雨に濡れてしまった大型犬のようでなんだか可愛らしいのだった。

* * *

そして、アレンディオ様は遠征へと旅立っていった。

今度はいつ戻れるのだろう――彼はいつでも命を懸けている。

アレンディオ様は、私のことを心配していたけれど、私だってすごく心配している。

お腹は大きくなっていく。

ぽこり、ぽこりと内側から蹴ってくる元気な様子だけが心の支えだ。

「……ねえ、もうすぐあなたに会えるわね?」

――ぽこり。まるで、私の言葉に反応したみたいに蹴り返される。

「あなたのお父さまは、元気でいらっしゃるかしら」

楽しくなって語り合っているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

――夢の中で抱き上げているのは、アレンディオ様とそっくりなフワフワの髪の毛に淡いグリーンの瞳の可愛い男の子。

目覚めたら、朝になっていた。

起き上がって想像してみる。

その子はとっても可愛いけれど、どんな子でも可愛いだろうと想像する。

胸の中が温かくなる。

私は、いつものようにベッドから起き上がって行動を始めた。

行動と言っても、今のところは誰の面倒を見るわけでもなく、執事長や侍女長がすべてを采配してくれるため、やるべきことは少ない。

――しかし、最近困ったことになっているのも事実だ。

「今度は、どこにしまおうかしらね」

アレンディオ様は、遠征に行っているけれど、荷物だけが増え続けているのだ。

お腹が大きくなった私向けの、楽でしかも可愛らしいドレス。

こちらのドレスは、有名デザイナーに発注した特製品だ。

しかし、デザイナーが新しいドレスを思いつく切っ掛けになったようなので、それはそれで良いのかもしれない。

だが、問題は生まれてくる赤ちゃんのための品なのである。

「う~ん……何人産んだら使い切れるかしら?」

部屋の中は、普段であればあまり買うことがないパステルカラーの品々であふれかえっていた。

恐らく、二十人くらいの赤ちゃんを産んで初めて使い切れるくらいの量がある。

お店が開けてしまいそうだ。

「でも……それだけ楽しみにしてくれているということよね」

うれしくて口の端が緩んでしまうと同時に、この先を思うと長いため息が出てしまう。

アレンディオ様にとって、こんな風に自分から誰かのために何かを贈るというのは、初めての経験なのだろう。

幼いころのどこかで通過するべきだった幸せな時間を取り戻しているのかも……。

そんなことをぼんやりと思いながら、贈り物の一つを手に取った。

それは、手触りが良くて汚れたら洗うこともできる水色の小さなぬいぐるみ。

こちらについては、お揃いでピンク色もあるのだ。

――とりあえず、子どもが生まれてから順に揃えましょうと手紙を書こう。

きっとアレンディオ様は、遠征先で指示だけ出しているから、こんなにたくさんになってしまったことに気がついていないのだ。

「……それとも、戻ってこられないかもしれないから今のうちに?」

考えてしまう。お腹が大きくなっていくのは幸せでうれしいけれど、嫌でも未来を想像するから。

うれしい未来、悲しい未来、欠けた未来。

「ううん! 今は健康に気をつけて、元気な子どもを産むことよ!」

私は、のんびりと散歩に出掛けることにした。

風がそよいでいる。風は、熱を含んだ初夏の風へと変わりつつある。

ふわり揺れるのは、ドレスのスカート。

デザイナーを呼んでもらって作った、お腹を締め付けないドレスだ。

ハイウエストで切り替えられたデザイン。

白を基調に、淡い水色とレースで優しい印象。

所々に、アレンディオ様の瞳の色の装飾。

「デザイナーが急に来たときは驚いたけれど」

アレンディオ様が贈ってきたのは、物だけではない。

遠征先で戦っているのに、デザイナー……つまり人まで手配してきた。

彼は学生時代と変わらずとても有能で――ほんの少しズレている。

そんなことを思い出したら、小さな笑いが口元からこぼれ、ついでに目からもちょっぴり涙がこぼれてしまった。

「――会いたい」

初夏の風が吹いた。アレンディオ様がいる場所は北端。魔獣との戦いの最前線。

きっとまだ、風は春の香りを纏っていることだろう……。

「会いたいです。アレンディオ様……」

私は散歩を中断することにした。

泣いてしまったせいなのか、護衛たちが距離を詰めてきてしまった。

――というより、馬車が隣に停車した。

執事長が指示しているのか。それとも、アレンディオ様があらかじめ指示しているのか。

「過保護すぎるわ……」

馬車の扉を走り寄ってきた護衛が開いてくれた。

私は、苦笑しながら馬車へと乗り込むのだった。

「……」

「……」

馬車には先客がいた。

まったくもって、人が悪いことだ。

「どうして、戻ってくる前に教えてくれないのですか……」

「言い分がある……聞いてくれ」

「良いですよ」

「――たぶん、君に送った手紙より、俺のほうが早く着いた」

「……っ、ふ、なんですかそれ。ふふふっ」

思わず笑ってしまった。

てっきり、私へ手紙も書かずに帰還したのかと思ってしまったが、違うらしい。

おそらく、戦場からの手紙には検閲が入るから、そうこうしているうちに自分が先に着いてしまったのだ。

「……っ」

「泣かないでくれ……なにかつらいことでもあったのか?」

「違いますよ」

本当に鈍感な人だ。自分が無事に戦場から帰ってきたから、私がうれし泣きしたとは思わないのだろうか。

「あなたが無事に帰ってきて、安心しました」

「……そうか。しばらく行かなくてすむくらい、しっかり討伐してきたから、たぶん君の出産に立ち会えるだろう」

馬車が屋敷に着いた。アレンディオ様は、私のことをエスコートしようとして、思いとどまり抱き上げてきた。

少し重くなった私の身体が、羽根のように抱き上げられる。

浮遊感に驚いたのか、お腹の中で赤ちゃんが大暴れしている。

思わず押さえると、アレンディオ様の視線がお腹に向いた。

「触ってみますか?」

「え……いいのか」

「だって、アレンディオ様は、この子の父親なんですよ」

「それもそうか」

後ろから私ごと抱き寄せるように、そっと腕が回される。

触れた手からは少しの緊張が感じられる。

「動いた!」

「ええ、そうですね。わかったのでしょうか」

「魔力も……強くなった」

「――身体も大きくなりましたから」

アレンディオ様が黙り込んだ。

肩に生温かい雫が落ちてくる。

「アレンディオ様」

「……」

振り返ると、アレンディオ様はやはり泣いていた。

彼は普段は泣いたりしないし、きっと、これからも強い人であろうとし続けるだろう。

「うれしいですか?」

「もちろん……きっと、君に似ている」

「どちらかといえば、アレンディオ様に似てほしいですけど」

彼の頬に手を添える。涙はようやく止まったようだ。

アレンディオ様が笑う。私も笑った。

きっと、もうすぐ今よりもっと温かくて幸せな時間が訪れる。

幸せな予感に、私の胸はじんわりと温かくなるのだった。