軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 17 王太子妃の執着と焦り

王太子宮、『芙蓉の間』。

御婚姻が成立し、晴れて王太子殿下の妻としての地位を手に入れた公女が、顔にやや疲れた表情を乗せ、窓辺の席に腰を下ろしていた。 ようやく訪れた、安息の一時。

一時も気の抜けない、第一王子の『立太子の儀』から『婚姻の儀』までの全ての式典を完璧に遂行した王宮にも、安堵の空気が漂っている。 大切な初夜も恙なく過ごし、名実ともに王太子夫妻となったのだと、周囲に認知されてもいた。

私人としての情の部分、公人としての 公(おおやけ) の部分、その両方を王城後宮の者達は、ひたすらに尊重してくれてはいた。

ただ、過密な式典行程だけは、どうにも処理しきれない。 国王陛下が暗に示唆されていたのだろう。 王族の傷にもなった、あの茶番劇からいち早く威信を回復するだけでなく、それに伴う様々な国務、内務、政務、財務、軍務、外務に関し、何らかの成果を上げよとの思召し。

国庫を開き、多くの金穀を投じる式典なのだから、見返りは必要なのだと、公女…… 王太子妃は王家からの凄まじい圧力を受けていたのも又事実。 茶番の当事者であり、被害者でも有った彼女だが、王国の政に加担し王家の一員に、その存在を統合する意思を見せた時に、被害者という立場から統治者の立場への変更を余儀なくされた。

高位貴族家の令嬢たる自分が、いずれ王妃と云う立場に立つ為には、その資質を自らの能力を以て示し続けなくてはならない事を痛い程理解したのだ。 ただ、疲れを感じてしまう。 成すべきは多く、手は少ない。

何もかも己がする訳には行かない。

王太子殿下にしても側近の者達がどうにも貧弱に感じてしまう。 第二王子に侍って居た者達の為人は論外だが、あの家格の家に連なる者達は有能な者達も多い。 そんな者達は、未だ、第一王子…… 王太子殿下とは距離が有るのだ。 自家の馬鹿者共を抑えきれなかった負い目は有る。 それが故に、自身の栄達の道が狭められ閉ざされた気分にもなる。

だからこそ、挙国一致を目指すならば、その様な家の者達の中で冷遇されていた有能なる者達を手中に収めねばならないのだが、野心の大きさと能力の高さの均衡が取れぬ者達ばかりが声高に王太子の側近となる事を望んでいるのが現状だった。

王太子妃の苦悩は始まったばかり。

階段を一段上がるだけで、見える世界がこれ程違うのかと、恐れ戦いても居た。 これで、王太子殿下と 蟠(わだかま) りでもあれば、やりきれない気持ちで一杯になっただろうと想像に難くない。 しかし、王太子殿下は公女にはひたすら甘く、共に歩むと心に誓っているのだ。 それだけは…… それだけは、心強くも有り、そんな王太子殿下を強く支える者を渇望するに至る。

ゆったりとした王太子妃の御座所である『芙蓉の間』。 人払いがされ、瀟洒で落ち着いた部屋の中には王太子妃とその最側近とも目される上級女伯の二人きり。 窓辺の席に腰を下ろし、小さな茶会の様相を呈している。 普段は出さない、疲れの表情を見せる王太子妃に上級女伯は優し気な視線を送り、幾多の心労に共感を示す。

「お疲れ様に御座いました」

「本当にね。 こうやってゆっくりと御話が出来るまでになりました。 上級女伯、気心の知れている貴女が側にいてくれるだけで、心強いわ」

「勿体なく」

「婚姻の儀から既に五日。 そろそろ、王太子府も実働に入ります。 幾つかの人事も確定したの。 でも”アレ”の事は、まだ話すら通って居ない。 身分の軽さ故、目途も立たず。 ならば、王太子府にて仕事をして貰うに、問題の無い身分を用意しなくてはなりませんね。 本命と云える者ですから」

「本命……に御座いますか?」

「ええ、殿下の周囲を固めるべき、有能な者達は必要なの。 国王陛下には、宰相閣下が居られます。 宸襟を良く先読みし、事態が大きく動く前に楔を打ち込む方がね」

「王太子殿下にはいらっしゃらない? と、御考えなのですか?」

「勿論、宰相補となった軍務卿継嗣は、いずれ王太子殿下の足下に付かれるわ、宰相としてね。 でも、彼は今の陛下と宰相閣下の様に、深く王太子殿下の宸襟に沿うとは思えないの。 色々と御実家の方にも問題があるし、軍務卿家としては。アレの双子の兄の『継嗣認定』を取り消され、肚に一物を抱える事になっているのよ。

アレの双子の兄に『継嗣』を戻す事も禁じられている。

あの茶番の当事者ですもの、それは無理もないわ。 軍務卿家の次代は彼等どちらかの子供に『継爵』をと、考えられておられるのよ。 軍務卿としては、まだまだ現役でいなくてはならない状況に追い込まれているわ。 卿の胸中如何ばかりか…… 全ては国の為とは云え、あの家の女性達も相当に苦労していると、そう察せられるの。上辺ではにこやかにしておられるけれど、相当なモノよ」

「反意を持たれているとは、思えませんし、その様な状況が報告された事も御座いませんが?」

「気分の問題よ。 気分の。 王太子殿下の妃として立ったわたくしには、あの視線の意味が理解できるのだもの。 殿方の機微とは違う、女性貴族ならではの昏く湿った感情が視線に現れるのよ」

「左様に御座いますか…… 王太子殿下の治世に問題ありと、そう感じられるのですか?」

「今はまだ顕在化していないけれどね。 それを捌き、殿下の側に侍る有能な者が必要なのよ。 過去に精通し、状況を視つつ、現場を制御できる方策を献策する者が…… 今は居ない」

「手足として動く者は居ても、考える者が居ないと…… ですが、アレを『その任』に……とは、如何なもので御座いましょうか? 彼の者は、辺境の騎士爵家が三男にございます…… それ程、明晰な頭脳の持ち主なのでしょうか? 魔法学院では、同じく学んでおりましたが、アレを実際に見、話し、相対したわたくしには、それ程の者とは思えませんでした。 貴族子弟の間でも、可もなく不可もない。 研鑽に努めていたのは知っては居りますが、所詮は辺境の者。 その見識と知識は、王都ではどうにも……」

「それが、貴女の見解であり判断なのね? もう少し、調べる範囲を広げて見なさい。 学生間の噂などは取るに足りません。 魔法学院の教諭陣は口が堅い方が多いのです。 元は第一線級の方々、公平公正を旨とする魔法学院に於いて、一人の生徒への傾倒は此れを厳しく禁じているの。 にもかかわらず、複数人の教諭が彼に目を掛け、なにくれと無く便宜を図っているわ。 小さな事だけど、そこに真実が有ると思うの。 宰相補も色々と約束を大人たちに取りつけて引き込もうとしていた形跡があるわ。 下々の種々雑多な噂よりも、よほど重要な情報と云えるのよ。 彼等は何を視たのかしら?」

魔法学院時代、上級女伯は公女の命を受け、事態の推移を当事者の一人でも有った騎士爵家三男に伝える役目を仰せつかっていた。 静かに水面下での交流は有ったものの、上級女伯には今一つ彼の為人を掴み切る事は出来なかった。 余りにも王都の貴族子弟とは違う異質なモノの考え方。 そして、その望み。 口に出している言葉が全てでは無い。 胸の内には黒く渦巻く野心が存在している。 いや、貴族ならば、存在していない方がおかしいのだ。

そして、彼の綴る『夢物語』の様な言葉に、上級女伯は『心の深層部分』が強く反発もしていた。

故に、彼女の情報収集は常に猜疑心と疑惑の目を以てして、彼を見つめ続けていたのだ。 そんな上級女伯を、珍しく王太子妃は冷たく見詰めている。 異彩を放つほどの才女にして、自身の姉妹とも云える彼女にしてもその程度の認識なのかと、落胆の色は隠せない。 敏感に王太子妃の感情を感じ取った上級女伯は、自身の目で耳で取得してはいない、一つの噂話を思い出した。

「……アノ噂は本当なのでしょうか」

「噂? あぁ、あの話…… 前代未聞の兵棋演習の事ね。……当事者や関係者は隠そうとするわね。 魔法学院始まって以来の大失態とも云えるのだもの。 魔法学院はおろか、上級の騎士学校で様々な研究を元に、良くて引き分け…… 引き分けに持ち込めば上々というあの『戦史』の想定であるにも関わらず、図上兵棋演習に於いて攻撃側全滅に追い込んだ者は、長い歴史を持つ魔法学院に於いて、後にも先にも彼一人よ。 裁定官だった者達も、その卓越した戦略眼と断固とした意志にたじろいでいたと、そう仄聞するわ。

重要な事柄が一つ有るの。

アレは、決して横紙を破った戦略戦術を取った訳では無いの。 全ては、法令法典を最大限運用し、誰にも文句を言わせぬ様に、状況を制御したという事。 もし総司令官がアレの矜持を持っていたならば、当時でも相当に遣り合えたはずと、その後の当人を交えずに行われた感想戦や、騎士学校の研究では…… そう、結論付けられた。 彼が有能なる者だという証左よ。 そして、わたくしはその結論を、王国の最大利益に導きたいの」

「教諭陣や国軍の一部には知れていると?」

「だからこそ、宰相補の軍関係者に対して行われた『根回し』が完成していたという事ね。 でも、彼があの茶番当日に帰郷した事によってすべては崩れた。 その後、彼は故郷の北方領域から一歩も出ていない」

「そんな人を王都に招聘しても、実際期待に見合う働きが出来るのでしょうか?」

「……上級女伯、貴女は自身の領地の事をどう見ているの?」

「と、言いますと? 確かに、多くの事柄に於いて、私の『配』が取り纏めを行っておりますが、全ての報告は私に上がっております。上級女伯領に於いての全ての差配の最終決定は私の判断に依るものとなっております」

「そうね、上級女伯領ではね。 一つ聞くわ。 北部辺境域の多くの騎士爵家が『魔の森』の支配地域を手放し、あの者の生家である北部辺境騎士爵家に割譲を上申した事は知っているわね。 そして、貴女の家の家宰が宰相府にその旨を提出し、宰相閣下の承認の元、割譲が認められたと」

「はい。 配の実家である騎士爵家は、魔道具販売や魔の森の物産を商う有力な商社を営んでおります。 辺境の地の騎士爵家にしては大きすぎる経済力を持つと家宰からも指摘されております。 ならば、その力を削ぐのは、王国の安寧の為には必要と思い、追認と云う形でこれを決裁し認めました」

「北方騎士爵家の各家が、その申し出をした背景情報については、調査したの?」

「アレが何やら自領の『魔の森』を平定したとか。 『魔の森』の魔物魔獣の均衡が破れ他領の支配地域への移動が引き起こされ、その対処が不可能な水準に達したと、そう報告に有りました。故に、アレの実家の戦闘力は他家を大きく凌駕する事は事実でありましょう。背景には彼の騎士爵家の経済力が存在していると考えました。 税では無く、精強なる傭兵をそれだけの数揃えられる経済力…… 看過し得ません。 一家の騎士爵家が保有するには大きすぎる軍事力。忙しくさせねば、王国に牙を剥く可能性すらあるほどに……」

「魔の森の脅威に付いては、貴女に問う事はしないわ。 貴女ほど骨身にしみて『森』の脅威を知って居る高位貴族は居ないと思っている。 だからこそ、思うのよ。 魔法学院を出てから、それ程『時間』が経っている訳でもないのに、広くはないとはいえ『魔の森』の自支配地域浅層部分を平定した。 口で言う程には容易いモノでは無い筈よ?」

「それだけ、配の実家である辺境騎士爵家が抱える軍勢が精強と云う事の証左では? 配もまた、有能な実戦指揮官でありますし……」

「ならば、何故、アレが帰郷するまでにそれが実行されなかったの? 有能な指揮官である貴女の『配』を欠いた状況で、魔の森を平定したのよ。 当然、それを主導したのはアレです。 王都での学びを経ていない、辺境騎士爵家の継嗣や貴女の配には、戦闘では抜きんでていても、戦略的思考を持つには至らないでしょう?

優れた教育を受けた者が居て初めて精強なる軍勢はその真価を発揮するのよ。 そして、そんな者ならば、自身が居なくてもその状況を固定できる方策は既に確立していると思って間違いない。 故に…… 北辺の魔の森を一手に引き受け、その安寧を護る算段も付いている筈なのよ。 割譲が認められた後に、戦力的な合力を貴女の家に求めては居ないわ。

つまり、すでに状況を制御できている。 そして、自身が自由に動ける様な状況にすら持って行っている。まるで、何かに追い立てられるが如く状況を整え、そして時折、所在すら曖昧になっている。 何かよからぬことを企んでいるのか、それとも貴女が報告したように、辺境の安寧の為に身を粉にしているのかも知れない。 そう考えて然るべき報告は既にわたくしの元に届いているわ。

ならば、その様な優れた頭脳と行動力を持つ者を、辺境に留め置く事は、王国にとって損失にしかならないわ。 その優れた頭脳を王都王城に於いて、王国の未来の為に王太子殿下の側に置く事に何の不思議もないでしょう?」

「…………御慧眼、誠に」

納得しがたい王太子妃の言葉を飲み込み、上級女伯は恭しく頭を下げる。 言葉を尽くしても伝わらぬもどかしさを感じつつ、王太子妃は自身の構想の変更を余儀なくさせられた。 彼の者に、その能力に相応しい権能と地位を与えんが為の策謀。

婚姻関係を通し、彼の者に階位を授け王城に伺候できる体裁を整える。 王太子妃の心積りでは、その相手には上級女伯家の姻族が相応しいと考えていたが、ここでその考えを改めた。

ダメだ、これでは……

深い悔恨が心を切り裂きそうになる。 姉妹と呼んでも差し支えの無い女性なのだが、上級女伯として綬爵してしまえば、やはり貴族の考え方が表に出て来る。 それではダメなのだ。 ……と。

「貴女の連枝の御令嬢で、家を継ぐ者をと思っていましたが、貴女の考えが『その段階』にとどまっているとなると、連枝係累の方も当てには出来ませんね。 判りました。

実家の大公家の繋がりにある、とある侯爵家が困っていると話を仄聞しております。 王都の治安を『陰』ながら守っている家ですので、これに恩を売るのも悪くは有りません。 その筋で話を始める事とします。

認識を改めて、上級女伯。 アレは、貴女が思っている程、小物ではありませんよ。 宰相府…… というよりも、宰相閣下と宰相補が妙に気にしているのが、気にかかります。 『手出しはするな』と、釘すら刺してきているのです。 王太子殿下と国を思うのならば、有能な者を近くに置く事は必須と云うのに。 引き込んでしまえば、とやかく言えぬでしょう。 ならば、早く話を纏めねば成りませんね」

「御意に」

「式典が全て終わりを迎え、貴女も上級女伯領に帰還の時。 ならば、この話を纏めるには好機。 わたくしの方から侯爵家には話を通しておきます。 総領娘の婚約に相当お悩みの様ですから、渡りに船でしょう…… あちらもね。 話がまとまり次第、貴女には王太子妃の仲介という事で、件の騎士爵家に伝えて下さい。 あの者に『妻』を……と」

「承知いたしました。 御指示に従い、御話が纏まるまで、王城に滞在しております」

「よしなに。 そうそう、貴女の“義父”、“義母”も王城滞在中ですね」

「はい」

「ならば、其方にも根回しを。 こういった事は、『騎士爵家が当主』が首を縦に振らねば成らぬ事。 その辺りは、たとえ貴女が任じた騎士爵であっても違える事は出来ませんからね。 彼の者に倣い、法と序列と慣習により、周囲を固めなさいな」

「……承知いたしました」

息を溜め、深く腰を折り、胸中の去来する様々な驚愕を辛うじて表に出さず首肯する上級女伯。

それ程に……

それ程までに……

王太子妃は彼の者に執着なされているのだと、深く心に刻んだのだった。