軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

97 イルの目標

アシュベリー王国の我が家に帰り、以前と同じ穏やかな生活を再開した、と思ったが以前と同じではない。ジェフは私に寄り添っていることが多い。

「ジェフ、私はあなたが思うよりずっと強いの。私のことなら心配はいらないわ」

「そうだな。君は強い。だから俺が君を視野に入れていたいのは、君のためというより俺が安心したいからだ。それとも、でかい俺がそばにいると暑苦しいかい?」

「いいえ。大好きなあなたが近くにいてくれるのは嬉しいわよ」

そう答えるとジェフがホッとしたように笑う。

その笑顔を見ると(この人を守りたい。甘やかしたい)という気持ちが強烈に湧き上がる。でもそれは内緒だ。

ノンナは連日出かけている。

一昨日はイルを連れてエリザベス嬢の家に遊びに行った。エリザベス嬢は尋問のショックから立ち直ったらしい。イルと三人で元気におしゃべりしているとか。よかった。

昨日はクラーク様の家に語学の勉強に行っている。クラーク様にシェン国語を教えているそうだ。二人は私がこつこつ書き記した簡易な『アシュベリー・シェン辞書』を使っている。あのノートの束が役立っているのは嬉しい。

そして今日。

エドワード様が我が家を訪問している。

私も同席してほしいと言われたので三人で話をしているところだ。

「ジェフ、陛下はお前の辞職願いを受け取っていないとおっしゃっている。そろそろ仕事に戻れ」

「そんなはずはありません。俺は陛下に直接辞職願いをお渡ししたんです」

エドワード様が眉を下げ、小さくため息をついた。

「陛下が『そんなものは受け取っていない』とおっしゃる以上、お前は渡していないんだよ。今のお前は休暇中になっている。自分の部下たちのことを考えてやれ。軍部の若い連中はみんな、お前がなぜ出てこないのかと心配している」

「っ!」

あらまあ、エドワード様ったら。部下思いというジェフの弱点を上手につつくこと。

「その件は私がはっきり陛下にお話しします。それより兄上、はるばるランダルまで行った成果を教えてくださいよ。『第三騎士団の長』なんですから」

「ああ、その件についても話し合おう」

エドワード様がチラリと私を見た。私は小さく首を振った。

エドワード様の陰の役職について、私はジェフに何も話していない。ジェフは自力で真実にたどり着いた。だからここから先は兄弟でケリをつけてもらおう。

「私が影の役職についてお前に言わなかった理由はわかるはずだ。あの職務のことは妻にも言っていない」

「そうじゃない。アンナに王妃の影役をやらせたことだ」

「理由は明白だ。能力だよ。あの時点でビクトリア以上の適任者はいなかった。お前には申し訳ないが、私はこの国のためにビクトリアに依頼した。だがビクトリアは部外者だ。断られたら諦めるつもりだったさ」

ジェフがゆらり、と立ち上がった。

「わかっていたんでしょう? アンナが断らないことを。アンナの責任感や同業者の女性を思いやって引き受ける優しさを、兄上は計算して依頼したはずだ」

「そうだな。計算して動くのが私の生き方だ。だが、最終的に承諾したのは彼女だ。私に怒りをぶつけるのは筋が違うのでは?」

ジェフがゆっくりエドワード様に歩み寄り、エドワード様の真ん前に立った。

ああもう!

仕方がないから私も立ち上がる。ジェフがブン! と音を立ててエドワード様の頬に向かって拳を振り下ろす前に、私はテーブルに右手をついてテーブルを飛び越え、ジェフの拳の前に私の左の手のひらを差し出した。

パシッと軽い音を立ててジェフリーの拳が私の手のひらに収まった。

全力で振り下ろした拳の勢いを、途中で抑えられる人はほとんどいない。私の旦那様は自分の身体を完璧に制御できる。さすがだ。うっとりする。

「もう、ジェフったら。やめて」

「殴ってもいいんだ。私はその覚悟で来た」

「エドワード様まで!」

「アンナが嫌がるから殴りませんよ」

ジェフが無表情に椅子に座り直した。エドワード様は何もなかったような顔をしている。私が止めなければ、本当にあのまま殴られる覚悟だったようだ。ジェフもジェフならエドワード様もエドワード様だ。頑固兄弟め。

「今日来たのは重要な連絡があるからだ。陛下がジェフに、王妃殿下がビクトリアに会いたいとおっしゃっている。明日の午前十時。遅刻などしないようにね。それと……ビクトリアに傭兵を差し向けたハロウズ侯爵は、私が帰国してから馬車の事故で亡くなったらしい。雨上がりの泥道で馬車が横転したとか。平民になった不出来な息子ともども即死だったと聞いたよ。気の毒なことだ。言っておくが、私ではないよ」

そこまで言ってエドワード様は立ち上がった。

「では、明日は二人とも遅刻しないでくれ」

「承知いたしました」

私一人で答え、私一人でエドワード様を見送り、居間に戻った。ジェフリーはテーブルを見つめている。

「ジェフ、本気で殴るつもりだったの?」

「そうだね。君の性格を利用したやり方が許せなかった」

「では何度でも言うわ。私が影を引き受けたのは、自分のためよ。私はああいう仕事が嫌いではないの。あなたやノンナに心配をかけてもやりたかった。だからもうエドワード様を怒らないで。怒るなら私を」

ジェフが私を恨めしそうな目で見る。

「またエドワード様を殴ろうとしたら、十日間は口をききません」

「それは困る!」

「じゃあ、兄弟喧嘩はもうおしまい。明日は正装で登城しなくては。陛下に逆らわないでね。話が長くなるし、ややこしくなるわ。軍部副大臣に復帰してください」

「俺はね……」

「私がそうしてほしいの。私のために輝かしい経歴を捨てないでほしいの。わかって、ジェフ」

ジェフが「ふうぅぅ」と息を吐きながら天井を見る。

「思い通りにならないところが君の魅力でもある」

「ふふ」

「そしてそんな君に魅了されたのは俺だ」

「私もあなたが大好きよ」

ドアから咳払いが聞こえた。ノンナだ。

「んんっ! お取込み中失礼します」

「はい。なにかしら?」

「イルが話があるそうです」

イルがヒョイ、とノンナの背後から顔を出した。

「俺はそろそろエドワード様のお屋敷に戻ります。もうビクトリアさんを狙う輩はいなさそうだし。護衛役は終わりにしますね」

「あら。そうなの? 我が家ならいつまでいてくれてもいいのよ?」

「やりたいことが見つかったので」

良くない予感がした。

「それはなにか、聞いてもいいかしら」

イルはニコッと笑うだけで答えない。

「ここにいてはできないことで、エドワード様のお屋敷ならできることなのね?」

「さすが。そうです。あの人の下で組織の動かし方を学びたい」

「イル! それはご実家の許可を得なければならないわ」

「いいえ、ビクトリアさん。俺はシェン国でもアシュベリーでも成人です。跡取りでもない。俺がどんな生き方を選ぼうと、誰の許可も必要としないんです。俺は自分の可能性を試したい。せっかくいい出会いがあった以上、無駄にしたくない」

ノンナが申し訳なさそうに口を挟んだ。

「私はいろんな情報を結び付けて『もしかしてそうなのかな?』って程度に思うまで結構時間がかかったけど、イルはエドワード伯父様のこと、すぐに疑ったらしいよ。特殊任務部隊関係の人じゃないかって」

「えっ」

私とジェフが同時に驚いてしまった。

「俺の家はそういう家ですから。独特の雰囲気が祖父や父にそっくりなんですよね、エドワード様って。言葉ではうまく言えませんけど。軍人でもないのに、人の生き死にに強く関わっている人の雰囲気。特殊部隊かなと思いながら観察しました。これから交渉するんで了解してもらえるかどうかはわかりませんけど、粘るつもりです」

「イル、君の最終目標は何だ? 君は千年も昔から暗殺を専門にしていた家の子だ。その世界に一度足を踏み入れたら『やっぱりやめる』とはいかないことくらい、わかっているはずだ」

「ええ、わかってますよ」

イルは壁にもたれかかり、爽やかに笑った。

「立って歩くと同時に訓練が始まり、他の友達が遊んでいるときも兄貴と俺は訓練三昧だった。あの努力を無駄にしたくないんですよね。言葉を選ばずに言えば『ふざけんな。俺は兄貴の下で薬師として働くために生まれてきたわけでも生きてきたわけでもねえ』でしょうか。最終目標はまだはっきりしていませんが、とりあえず学びたい力を持っている人を見つけた以上、食らいつきます」